誓約の瓢箪(うけいのひょうたん) 前編
【あらすじ:時平様の叔父君は将来を嘱望された政治家だったが、なぜか落ちぶれて放蕩三昧。
そんな叔父君の悲しい決意を時平様は今日もふんわり包み込む。】
私の名前は竹丸。
平安の現在、宇多天皇の御代、日本で権勢随一を誇る関白太政大臣・藤原基経様の長男で蔵人頭・藤原時平様に仕える侍従である。
歳は十になったばかりだ。
私の直の主の若殿・時平様はというと、何やら、六歳ぐらいの小さな姫に夢中。
宇多帝の別宅に訳アリで、隠し育てられている姫を若殿は溺愛していて、周囲に気づかれていないと思っているが、使用人はじめ母君・大奥様にもバレバレ。
若殿いわく「妹として可愛がっている」。
でも姫が絡むと、はたから見てもみっともないくらい動揺する。
従者としては、たかが小さな女の子に振り回されてる姿はいかがなものか。
今回は瓢箪の中身が水だったら、いろいろよかったのに?というお話。
ある日、車宿りに車が付いたと思ったら中から四十すぎの貴族が千鳥足で降りてきた。
私はちょうど侍所からでて中門廊をうろうろしてたので侍女より早く来客に気づき出迎えた。
「どちら様でしょうか?」
「うむ。藤原清経だ。兄上に呼び出されたのだが。」
「では出居にご案内いたします。」
と、清経様の赤い鼻と酒臭い息、そしてヒョウタンを手に提げてるのを見、今の蒸し暑い気候を考えて
「ヒョウタンの中が酒でしたら、ご用が済むまで、水で冷やしておきましょうか?」
清経様はちょっと驚き、すぐ笑顔になって
「おお。気が利く童だな。頼む。」
といってヒョウタンを私に渡した。
「どうやって冷やすんだ?」
「水瓶に浮かべます」
「ほぅ!じゃあ茨田衫子にならって誓約(あらかじめ宣言を行い、そのどちらが起こるかによって判断する占い)をしてみよう。
『もしこのヒョウタンが沈むことがあれば、酒をやめてこの身を一生、政務に捧げる!』なんてな!はははは」
と軽口を叩く。
何だかご機嫌なおじさんだなぁ。
清経様の外見はというと、腹はでてるが手足は細く、肌つやは悪く、褐色の顔に汗をにじませていた。
私は清経様を出居に案内した後、半分水が入った自分のヒョウタンと六分目ぐらい酒の入った清経様のヒョウタンを水瓶にいれて浮かべた。
大殿と清経様が話し込んでる最中に、私は褒められたい一心で、気を利かせて冷たい酒を給仕しにいくと大殿は苦い顔をして
「こやつにこれ以上飲ませるな。普段から飲みすぎなのじゃ。」
清経様は笑って上機嫌で
「いや~~!はははっ!せっかく童が気を使ってくれたものを!喜んでいただきます!」
とぐいぐい飲んだ。
私は若殿の房にいき、清経様の来訪を告げると若殿は
「父上からのお説教だろうな。」
「どうしてですか?」
「見ての通り昼間から晩まで始終酒を飲みすぎなのだ。叔父上は。」
「若殿の叔父君なのに従四位下で左近衛少将ということは、身分では若殿と同じぐらいですよね?大殿が怒るのは出世が遅いからということですか?」
「そういうわけでもないがな。父上は能力に秀でた叔父上が酒で身を持ち崩すのをよく思っていないのだろう。」
若殿の出世が異常に速いのは、半分以上、大殿のコネのせいだとみんなに思われているし、私も多少そう思っている。
だけど若殿は少なくとも頑張っているので、清経様のこの体たらくでこの身分なら、出世できている方では?とも思った。
噂しているとその清経様が若殿の房をおとずれて
「いよ~~!出世頭の甥っ子!調子はどうだい?」
と上機嫌だが、吐く息の酒臭さはいっそう増していた。
・・・私が酒を飲ませたのだから当たり前か。
私は貴族というものは、受領でも務めていれば地方からの収入があるから遊んでいても悠々暮らせるいい身分なうえに、昼間から酒を飲むなんてよっぽどの放蕩者だなと思った。
それとも、暮らしの不安がないお気楽な人生なのに酒で晴らしたい憂さでもあるんだろうか?と疑問が湧いた。
若殿は平然とした顔で
「良くも悪くもありません。叔父上こそ、父上からお説教ですか?」
清経様は一瞬、少し暗い顔をしたが
「別に大したことない。いつもの事さ。酒をやめて政務に励めば出世できるとさ。」
「私もそう思います。酒を飲まない叔父上は父上にも引けを取らない優秀な政治家だと聞きますが。」
清経様は少し悲しそうな表情をし、口をゆがめて無理やり笑顔を作り
「仕方ないさ。俺はこんな風になっちまったし。一瞬でも酒がないとやっていけないからな。」
私は酒におぼれる理由が何かあって、仕方なくこんな飲み方をしているなら原因は何だろうとますます気になった。
日は高く熱く照りつけ、薄雲が空一面に広がっている。
房にこもった熱と湿気が気づかないうちに肌を汗ばませた。
ジトジトとした重い空気の中で誰も口を開きたがらなかったが、若殿が低い声で
「北の方はお元気ですか?」
というと、清経様は少し口元を緩め
「ああ。元気だよ。今は琴をな、暇さえあれば鳴らしている。」
若殿はほっと溜息をつき
「そうですか。何よりですね。」
というと、清経様は
「お前ぐらいだな。屈託なく俺たちの事を気にかけてくれるのは。」
と口の端をゆがめて笑った。
若殿もつられて少し微笑みながら、
「あの子は今いくつになりました?」
というと、清経様は顔をほころばせ
「もう三つだ。早いもんだな。可愛いぞ~~!今が一番かわいいときだな。子供のためだけにでも、生きている価値はある。」
と思い出すだけでも幸せといった満面の笑みになった。
「あれからもう五年になるんですか。」
と若殿がしみじみというと、清経様は急に前をじっとにらんで真剣な顔をし
「そうだ。腹をくくってから五年。まだ五年だ。この先は長い。」
酒におぼれた人とは思えない真剣さを一瞬とりもどした清経様の顔に、有能な政治家だった面影を見た気がした。
私は『今からでも酒をきっぱりやめれば間に合うんじゃないか』と思ったが口にできる身分ではない。
清経様が真剣な表情をごまかすようにおどけて
「お前は俺みたいになるんじゃないぞ。といっても兄上の自慢の太郎君は道を踏み外したりしないだろうな。はははっ!」
と自虐的に笑った。
若殿が少しためらいながら
「叔父上は・・・、後悔していますか?」
清経様の表情がピタッと固まり、しばらくじっと考えていたが、ふっと息を吐きながら笑い
「いや・・・。俺は後悔していない。お天道様に顔向けはできないかもしれないが、妻と子と過ごす時間は、他の物にはかえられない。俺たちは今が一番幸せだ。」
と呟いた。
何のことかさっぱりわからない私は、若殿から聞きだしたくてウズウズして、はやく清経様が帰ってくれないかなと思った。
『道を踏み外した』とはいったいどういう事だろう?
(後編へ続く)