初花(はつはな)の色 前編
【あらすじ:私は従者として今日は時平様の『右大臣家へのお使い』に同行。
情緒不安定気味の右大臣の長女は花嫁候補だが、時平様は躊躇する。】
私の名前は竹丸。
平安の現在、宇多天皇の御代、日本で権勢随一を誇る関白太政大臣・藤原基経様の長男で蔵人頭・藤原時平様に仕える侍従である。
歳は十になったばかりだ。
私の直の主の若殿・時平様はというと、何やら、六歳ぐらいの小さな姫に夢中。
宇多帝の別宅に訳アリで、隠し育てられている姫を若殿は溺愛していて、周囲に気づかれていないと思っているが、使用人はじめ母君・大奥様にもバレバレ。
若殿いわく「妹として可愛がっている」。
でも姫が絡むと、はたから見てもみっともないくらい動揺する。
従者としては、たかが小さな女の子に振り回されてる姿はいかがなものか。
今日は右大臣の大君(長女の呼び名)の刃傷沙汰にまつわるお話。
ある日、私と若殿がいつものように出かけようとすると、大殿・藤原基経様が呼び止めた。
「太郎(長男の呼び名)、お前に右大臣家に使いに行ってほしい。」
「・・・はぁ。」
「右大臣には、この王義之の拓本とな、大君には反物をな、ちゃんと本人に渡すんだぞ。」
と含み笑いを浮かべながら若殿に言いつけた。
若殿はぴくッと眉を痙攣させたが、口先は落ち着いて
「承知しました。」
お使いなので、私は荷物持ちとして同行し、風呂敷で包んだ贈り物を胸に抱える。
ウチの大殿が書に造詣が深いとは聞いたことないが、流行で価値があるものは何でも好きで、それを収集して他人に自慢するのはもっと大好き。
その自慢のコレクションを右大臣に惜しみなく贈るなんて何か裏がありそう。
右大臣邸について、私たちはしばらく東の対の東廊下にある出居で待たされた。
奥から右大臣が出てきて、贈り物を受け取ると
「これはこれは!関白殿からありがたい贈り物ですな!大君には直接渡してやってくだされ」
とまた含み笑いをして若殿を見る。
若殿はまた眉をピクつかせたが、低い声で
「では、大君の房へ案内をよろしくお願いいたします。」
すると、大君のいるとおぼしき東北の対へ、右大臣直々に案内された。
私は出居で待たされてる間も、右大臣と若殿が話している間も、みるともなく東北の対の方向を見ていたが、渡殿や東北の対の東廊下と南廊下には人影はなかった。
東北の対に行く途中の渡殿で、東北の対から慌てて走り出してきた一人の侍女とぶつかった。
「ご主人様!ひ、姫様が!腕から血を流されています!」
「何っ!いったい何があった!」
と右大臣は困った顔で侍女と大君の元へ急いで向かった。
私と若殿は取り残されたがついていった。
東北の対の大君の房へ入り、几帳をよけると、血色は悪いが透き通るような肌をした、おとなしそうな姫が手首から血を流してぼんやりしていた。
右大臣が侍女に
「どうした?何があったのだ?確か刃物はこの房にはないはずだが・・・」
「ええ。それはそうですわ。つい先ほど、几帳越しに姫様に話しかけると返事がないので、覗くと姫様が血を流してぼんやりしてらして・・・」
若殿が
「大君に話を聞いてはどうですか?大君、何があったか話していただけますか?」
と割り込むと、右大臣は少し嫌な顔をし、侍女は困った顔をしたがそれを見た若殿が
「私の将来の北の方かもしれないのでしょう?話をしてもよろしいですか」
というと、右大臣はしぶしぶ頷いた。
「私は藤原時平です。大君、順を追って話してくださいますか?」
大君は若殿の顔をじっと見つめたが、その目の焦点はあっておらず、私には正気が疑われた。
「ときひら・・・さま?何があったか・・?わたしは・・・その・・・気配がして、振り向くと・・」
と言いかけてぼんやり黙り込んだ。
若殿はうんうんとしっかり頷いて、続きを促した。
「・・振り向くと、刀を振り上げた賊が・・賊がいたので、腕で顔を守ったのです。」
「それで賊に手首を切られたのですか?」
自分の手首にゆっくりと視線を移して、大君が頷いた。
「それから、賊はどちらへ逃げましたか?」
「賊は、西から庭へ逃げました。」
若殿がすぐに西から庭へ降りようと、きっちり御簾に沿って並べてある几帳をずらし、御簾を押して西庇へ出た。
私もついていったが、若殿は西縁や庭をみて
「土は湿っているのに足跡もないし、縁に土も上がってない」
「賊がここから出入りしてないということですか」
「西縁から屋敷内を移動したということだな。」
私もその意見に同感。
荒っぽい賊なら土足で押し入って、几帳をなぎ倒して出入りするだろう。
かといって南北は遣戸が閉じられてて開かないし、東縁は人影がなかったのは私が見ていた。
賊がいるなら出入りは西しかなかった。
「右大臣殿。信頼できる下人に賊が門や塀から外へでた形跡がないかと屋敷内に潜んでいないかを調べさせてください。」
「もちろんそうします。」
「後、最近、右大臣家に暇を出された下人はいますか?この屋敷を熟知していて、恨みを持っている可能性があるので。」
「下人頭をよんできます。」
と右大臣は房を出て行った。
若殿は侍女に
「あなたは同じ房にいて、賊が押し入ったのに気づかなかったのですか?物音がしたでしょう」
侍女は慌てて
「え!ええっ!あの!姫様とは几帳を隔てていましたし、私はその・・・うとうとしてましたもので・・」
いくら居眠りしてても、誰か入ってきたら気づきそうだが。
若殿は口の端をニヤリと上げて
「大君の友人が忍んで入ってきても気づかないという事ですか?そういうことは度々あったと?」
「えっ?いえっ!姫様はそのようなはしたない真似はなさらないですわ!そちらとの婚姻のお話がありますのに!」
さすがに婿がねを前にして、男を通わせてましたと言い切る度胸はない様子。
あれ?たしか大君はあの当代きっての美少年、右近衛少将・源湛様を通わせていたはず?
でもまさか、あの方のフットワークは『忍んで』来れるほど身軽くなさそう。
それとも、文を送って恋仲になろうとして迫ったが、結局フラれたのかしら。
とにかく、侍女は何かを隠している。
若殿は、ぼんやりしてる大君に向かって
「大君、賊の顔を見ましたか?風貌はどうでしたか?」
大君は目をつぶって、思い出そうとし
「・・・色が浅黒くて、口の下にほくろがあって、腕にやけどのあとがありました。」
私は
「若殿、不意に襲われたのに賊の様子がしっかり見えてるっておかしいですね」
と若殿に耳打ち。
若殿も小さく頷いた。侍女にむかってヒソヒソと
「大君の手首の怪我の原因を探してもいいですか」
「ええ。」
と、若殿は房の調度品を調べ始めた。
化粧台の鏡が割れてないか、柱や床の釘がでてないか、手箱や厨子棚の中も調べた。
が、先のとがったものや金属の破片すらなく、大君の手首に傷をつけたのはやはり外部からの侵入者の持ち物のようだ。
右大臣が下人頭をつれてくると、若殿は早速
「最近、右大臣家をクビになった使用人はいますか?」
「四日前に、庭の手入れや力仕事をしていた染治が暇をだされました。それより前となると一か月以上前ですが。」
「染治は今どこで何をしているんですか?」
「確か、故郷に帰って、家業を継ぐと言ってました。」
右大臣がなぜかモゾモゾと居心地が悪そうだった。
若殿が
「右大臣、あなたが直々に暇を出されたのですか?」
右大臣は、少しバツが悪そうに
「まぁ・・・、そうですな。」
「なぜ?なにか染治に失敗があったとか?」
「そう!そうです!やつは重大な過ちを犯したんじゃ!到底、我が屋敷には置けぬっ!」
と思い出したように激怒した。
若殿が侍女に
「染治は大君が見かけたという賊の様子と似ていますか」
侍女はどう答えるかに悩んで右大臣に耳打ちし、右大臣は首を横に振った。
「あの~~、はっきりとは・・似てるとは言えません」
絶対嘘だ。そいつ犯人確定。
しかし、屋敷中を賊を探し回った下人たちの報告では、異変はなくどこにもだれも潜んでいないとのこと。
大君の見た賊・染治はぜったい屋敷に潜んでる!はずっ!
「若殿!私が賊の隠れ場所を探しましょうか?」
と意気込んで聞くと、
「右大臣の許可を得たら、好きにしろ」
と言われたので、私は右大臣の許可を得て、屋敷中を探検・・・じゃなくて、賊を探し回った。
(後編へ続く)