藤の花翳(ふじのはなかげ) その4
後日、真赭姫の裳着が済んだという報告と、狐憑きが少しおさまったという報告を若殿から聞き、安堵していると若殿が続けて
「もうすぐ婿をとるらしい。」
と言った。
私はいよいよ決定的に真赭姫との縁が切れるのかと覚悟した。
その数日後、婿を取るという日になって家原様の屋敷で事件が起こった。
若殿によると、ある貴族の男性が通って、家原様の北屋の寝所で真赭姫と共寝をしていると気分が悪くなり、我慢できなくなって早々に帰ってしまい、それから寝ついてしまったので結婚がお流れになったらしい。
その貴族の体調は今も全快していないらしい。
真赭姫はというと、こちらも気分が悪いと床についたままらしい。
私はあの今にも消え入りそうな様子を思い出し、本当にこのまま儚くなるのかもしれないと思うと一目会いたくなった。
「若殿!原因を解明しなくていいんですか?一度相談を受けたんですから責任がありますよ!」
と発破をかけると若殿も責任を感じていたらしく一緒に家原様を訊ねることになった。
家原様は元から六十を超えたお年なので皴の多い顔だったのが、心配事が倍増したらしくやつれて真っ青な顔をしていたが、表面では気丈にふるまっていた。
「何が起こったのか、理解できません。やっぱり狐狸が憑りついて姫もろとも殺そうとしたのでしょうか。」
かつては責任ある地位で部下を叱り飛ばしていただろう面影もなく弱り果てていた。
どうやら決まった仕事なら淡々と倦むことなくいくらでも続けられるが予想外の事件に対応するのは苦手なようだ。
薬師の手配もつい先ほど済んだばかりとのことで、若殿が調査したいという申し出を二つ返事で許した。
私は真っ先に真赭姫の寝所へお見舞いに行こうとし若殿に
「結婚が決まらなくてよかったな」
と冷やかされたが無視した。
真赭姫は几帳の奥に寝ているらしく、顔は見れなかったが
「大丈夫ですか?」
と聞くと、几帳の奥から
「ありがとう。その声は竹丸ですね?私は平気です。大事を取って寝ているだけです。」
と声をきかせてくれた。
若殿はそこが事件現場でもあるので、房をくまなく調べるためにうろうろしていた。
寝所のある北屋の北側は遣戸で、東西は妻戸できっちり閉じられており、南は蔀があげられ、御簾がかけられていた。
若殿が厨子棚の中や香炉箱、香炉の中や化粧箱まで開けて調べていた。
「真赭姫、事件の夜は二人で何か飲んだり食べたりしましたか?」
「いいえ。あの方は起こしになってすぐに・・・」
「では香は焚いていたのですか?」
「・・・はい。」
「事件の夜は南の蔀が下ろされていましたか?内部は風通しはどうでしたか?」
「蔀は降ろしていましたし、風通しは悪かったですわ。そういえば、香がいつもの香りに加えて甘酸っぱい匂いがしました。」
いつの間にかそばに座っていた梅が答える。
若殿はもう一度香炉を開けて匂いを嗅いだが、
「その香りは今も残っていますか?」
梅も嗅ぐと
「いいえ。もう消えております。」
若殿は考え込んだが
「その匂いをどこかで嗅いだことがありますか?」
「そういえば李?に似た匂いだったような・・・」
若殿は香炉の灰を手でかき回していたが、白くて薄い丸い種のようなものを取り出して匂いを嗅いでいた。
「これは何ですか?」
と聞くと、梅は
「まぁ?なんでしょう?私は入れた覚えはありません。姫様かしら?でも何のためでしょう?」
若殿は念のために厨のある侍所を調べに梅と一緒に向かったので、私と真赭姫だけが残された。
「その・・・早く元気になってくださいね。」
「元気になってもまたすぐ婿をとらされるだけだわ。」
「嫌なら父君にそうおっしゃればいいのに。私が頼んであげます。」
「あなたが?あなたには何もできないわ・・・。」
真赭姫があきらめたようにつぶやくと私は自分が空っぽのように感じた。
そこへ若殿がかえってきて
「真赭姫と話があるから二人にしてくれ。お前は厨から白湯でももらってきてくれ。」
と命じた。
白湯を持って北屋に戻ると、さっきまで上げられていた御簾が下ろされ、中が見えなくなっていたので、声をかけようとすると真赭姫の話声が聞こえた。
「どうして抱いてくださらないの?」
私は思わず御簾をずらし中を覗くと、床に単衣と袴が脱ぎ捨てられており、白い小袖の腰ひもが落ちたむこうに、衣の前をはだけ若殿と向き合っている真赭姫の後ろ姿が見えた。
私は見てはいけないものと見たと思い慌てて身を引いたが、顔に血が上り頬が熱くなるのを感じた。
「私は醜いですか?見たくもないほど?触れたくないほど汚れていますか?」
真赭姫の声はうわずっていて半分泣いているようだった。
「見知らぬ男を次々と誘うなど、あなたは本当はこんなことをしたくないのでしょう?」
「いいえ!私は狐憑きですもの!犯されたいのですわ!汚らわしい畜生ですわ!」
「では、なぜ青梅の仁を香炉にくべて男もろとも死のうとしたのですか?」
「それは・・・!梅のいい香りがすると思ったのです。」
「青梅の種に毒があることは有名です。あなたは毒が強い青梅の種を割り、仁をわざわざ集めて、結婚の夜に香で燃やし、毒の匂いを吸って死のうとしたのでしょう?」
「いいえ!いいえっ!」
「二年前に何があったのですか?」
(その5へ続く)