藤の花翳(ふじのはなかげ) その3
私の知識では狐狸がつくと、動物のように四足で這う、わけもなく暴力をふるう、腐敗したものを食べたり、奇怪な事を喋るかとおもうとずっと黙り込んでぼんやりしているという異常な状態になる。
真赭姫は話した感じでは、異常なものを食べる、凍り付く河に入るなどは異常だがそれ以外はまともだ。
若殿の言う『深刻な問題』が結婚すれば治るなら彼女のためにはそれがいいと思う。
私は自分が年少なのと、身分が釣り合わないことに苛立ちと悔しさを覚えたが『この先もっといい女に会えるかもしれないしな』と気持ちを切り替えることにした。
若殿は次に家原様の一番の従者・根岸に話を聞いた。
根岸は顎が張った四角い顔に濃い髭をはやし、腕にもびっしり剛毛が生えてる逞しい体格のこれも四十半ばの男だ。
「真赭姫を助けたそうですね?どうして河にいることがわかったのですか?」
「夕餉のあと、姫がいないことに気づいていそいで辺りを探し回ったのです。まさかあの寒い時期に河に入ってるなどとは夢にも思いませんでした」
「その時期はすでに異常な行動をとり始めていたのでしょう?」
根岸が私の顔を見てはばかるように
「はい。その・・・手当たり次第といった感じで・・・。私にも・・・」
若殿が遮るように
「何かきっかけとなる事件はなかったですか?」
根岸は左上を見て少し頬をひきつらせたが
「いえ。特に何も思い当たりません。」
と早口でいった。
次に料理女の茜に真赭姫が変わったきっかけとなる事件の話を聞いた。
茜は二十歳ぐらいの念入りに化粧したおどおどした感じの女だ。
「きっかけはわかりませんが、実は・・・私、大殿に命じられて一月ほど前に民間の陰陽師に姫様を連れて行きました。」
ええっ!と私と若殿は驚いて顔を見合わせた。
「どんなことをしたんですか?お祓いって?」
私は好奇心から口をはさんだ。
茜は急に饒舌になり
「まず青い松葉を燻す松葉いぶしをして、効き目がなかったので狐の恐れる犬に全身をなめさせました。
それでもだめなので、狐より強い狼の骨を煎じて飲ませると、姫様が気を失ったのでそこで終わりになりましたの。」
と残念そうに言う。
私が聞いたところによると火渡りの法、湯加持、硫黄をいぶして生姜を傍に持って行く、罵言や折檻などの荒祓い、滝行、水行と『ただの虐待だろう』と思うような方法もあったので、それくらいですんでまだよかったなとほっとした。
「お祓いの効果はありましたか?」
茜は首を横にふり、
「二日ほどはショックで床についていましたが、床を離れると元通りですわ。」
「で、真赭姫の一体何が問題なんですか?結局?」
と私は自分だけが知らないことに耐えられず声を出してしまった。
今度は茜と若殿が顔を見合わせお互い口をつぐむようにという目配せをしあった。
私の読み通り若殿は最後に北屋をおとずれて真赭姫に話を聞こうとしたので、ぴったりそばにくっついていった。
真赭姫はさっき会った時と違って小袖と袴の上に単衣を着ており、薄化粧をし、髪の乱れを直していたので、可愛らしさに上品さが加わっていた。
御簾も几帳も隔てず直に相対したので、私は不覚にもまた見とれてしまった。
真赭姫はぼんやりと視線を宙に漂わせていたが、若殿と目があうと瞳を輝かせたことで若殿に関心があることがすぐわかった。
私の方はちらりともみず、若殿を食い入るように見ているので、私は胸がチクチクしたが、何も感じてないように装った。
大体、若殿は普段から女にモテすぎるんだ!あんな仏頂面の貧相な顔のどこがいいんだ!若殿がもし身分のない雑色ならこんなにもモテなかっただろう。
皆、富貴と権力目当てで、断じて若殿自身が魅力的なわけじゃない!と心の中でさんざん悪態をついた。
真赭姫に無作法が無いように根岸もそばに座っていたが、無視され具合は私と同じだった。
若殿は柔らかい口調で
「二年ほど前、何か衝撃を受けるような出来事がありましたか?身近な人がなくなったとか、可愛がっていた動物がなくなったとか、大切なものが壊れたとか。」
真赭姫はやっと若殿から目を離すと、目の光を失い、宙を見つめてぼんやりとし、
「・・・何も・・・思い当たりませんわ。」
と小さくつぶやいた。
「母君がお亡くなりになったのはまだ幼少のころですね」
真赭姫は頷き、
「私にはその記憶はございませんの。母上が生きていれば今とはまた違ってたかもしれませんわね。」
と寂しそうに笑う。
私はお祓いで滝行や折檻や火渡りなんてことをされていれば本当に今頃死んでたんじゃないか?と思うくらい彼女に生気を感じなかった。
彼女の白い頬はますます白くなり、青白いといってもいいほどになった。
「そろそろ、裳着をすませ、婿を取られるそうですね?十三という年齢では少し早いようですが?」
と若殿が聞くと、真赭姫は表情が曇りかすれた声で
「父上が決めた事ですので。別に私の身などどうなってもかまいません。こんな身ですもの、生きたって死んだってかまわないくらいです。
誰を婿にとろうが、どこに売られようが気になりませんわ。」
とまた他人事のようにつぶやいた。
あまりにも自暴自棄な言葉に私は我慢できなくなって
「嫌なら、婿など取らなくてもいいのではないですか!?嫌だって父君に仰ればいいでしょう!」
と口を出してしまった。
真赭姫は驚いた表情で私を見るとやっと私のいることに気づいたように
「あら!あなたはさっきの童ね。」
「童じゃありません!時平様の一の従者です!」
少しむっとして強く言い返した。
真赭姫は私より三歳年上なだけなのに、ずいぶん私を子ども扱いするので、くやしいのと情けないので胸がチクチクした。
袖で口を隠してクスクスと笑う姿に、また心惹かれそうになって急いで真顔を作った。
(その4へ続く)