藤の花翳(ふじのはなかげ) その2
若殿の元へ戻ると、菓子に豆と白湯が出されていたので、私は豆をつかめるだけ掴んで口に入れてポリポリかみしめながら
「若殿、どういうことですか?」
若殿は思案中といった顔で
「う~~ん。それが、いまいちよくわからないんだが、真赭姫がここ最近、昔とすっかり変わってしまって異常な行動をとるらしい。」
「どんな?」
「例えば、突然藤の葉を何十枚もむしゃむしゃと食べつくしたり、飯を十杯も食べ続けたりしたらしい。」
「腹が減りすぎただけじゃないんですか」
「土壁を石で削り取って食べたこともあるらしい。」
「食事の量が足りないんでしょう。私だってひもじいときは手あたり次第何でも食べたくなります。」
若殿は興が乗ったように私の顔を見て
「やけに真赭姫の肩を持つな」
私は少し焦って
「べ、別にそんなことはありませんっ!ただ、彼女を見ると、狐狸に憑りつかれてるようにはみえませんから。」
若殿が冷やかす声で
「何だ、既に会ったのか?私よりも早く?で、一目で好きになったのか?」
うっ・・・!何というデリカシーのない主だ!
いつも宇多帝の姫の事で冷やかすから、ここぞとばかりに仕返しをしているに違いない。
「そんなことはありませんっ!若殿じゃあるまいし。近くにいれば誰でも好きになるわけではありません。」
若殿は鼻でフフンと笑って
「ムキになって怒るとは本気なんだな。」
・・・これだから無神経な人間は嫌なんだ。
まだそんなに好きじゃない!・・・まだって何だ?
「でも、異常な行動といっても、それくらいならお腹が減ってただけでしょう?」
「まだあるぞ。真冬の凍り付きそうな河に入って泳ごうとしたらしい。」
「なぜですか!?そんなことをすれば死にますよ!」
「理由を聞いても『急に泳ぎたくなった』としか言わなかったと。」
「誰かが助けたんですか?自分で引き返したんですか?」
「昔からこの屋敷に住み込みの家原様の一の従者が助け出したらしい」
私は河に入ったのは過去の事で彼女は今も元気でいることは頭では十分承知しているのに、なぜか胸がドキドキした。
なぜ自分からそんなに危ないことをするんだろう?
真赭姫のどこか寂し気な、魂がここにないような、消えてしまいそうな様子を思い出し、気になって仕方がなかった。
若殿は真顔になって
「もっと、深刻な問題があるんだが・・・。お前には、聞かせられんな。」
と言った。
真赭姫の年は十三で、私より三つ年上だが、若殿と宇多帝の姫よりはお似合いの年齢だ。
若殿が言う『深刻な問題』が何かはすごく気になったが、何度聞いても教えてくれない。
もう一度会って直に問いただしたい気がしたが、私はしょせん一介の従者で、何の権力もなければ身分もないので簡単に会うことはできない。
こんなに自分の境遇を恨めしく思ったことは今までに・・・腹が減った時を合わせて二、三度しかない。
こうなったら若殿にぴったりくっついて行動し、スパイするしかない。
若殿は家原様から許しを得て、まずは使用人たちに話を聞くことにした。
侍所をおとずれて家原様の一番の従者・根岸に使用人に一人ずつ面会させてくれるよう頼んだ。
まずは真赭姫の乳母でもあり普段の世話全般をしている侍女・梅と話す。
梅は四十半ばのおしゃべり好きで、腕力も胆力も強そうな侍女だ。
「あなたは真赭姫が河に入った時もそばで仕えてたんですね?真赭姫はどうしてそんなことをしたと思いますか?」
梅は真剣に考えこんだが何も思いつかなかったようで
「・・・さぁ?本当にわからないんです。理由が何も思い当たりません。」
「真赭姫が変わったのはいつ頃ですか?」
「二年ほど前ですかね?十一歳ぐらいでしょうか。」
「何か切っ掛けに思い当たりませんか?」
「それが、申し訳ないんですが、本当に何も思い当たらないんです。姫がなぜ急に異常な行動をとるようになったのかさっぱりわかりません。
それまではあんなに無邪気な、可愛らしい、花が枯れても一日中悲しんでいるような優しい姫でしたわ。
それがあのようなはしたない・・・狐狸が取り付いているとしか思えないようなまねを・・・まったくこの家の恥ですわ!あんな!あんなっ!」
と言いかけて私がそばにいることに気づいて急いで黙り込んだ。
若殿は私をちらりと見て明らかに『邪魔だなぁこいつ』という顔をした。
何だよ!教えてくれてもいいのにっ!と訳が分からなくてイライラした。
「そして、家原様から真赭姫の裳着を急いで済ませ、適した身分の貴族と婚姻させるというお話を聞きましたが」
「そうですの!まぁ結局それが一番いい薬でしょうという話になったのです。大殿は先の陰陽頭でしたでしょう?
今の陰陽寮の方技(陰陽道に基づく呪術を行う技術系官僚)なんて、かつての部下でしょう?彼らにお祓いを頼むなんて、身内の恥をさらすようでねぇ。」
「民間の陰陽師も近頃はいるとかいないとか」
「それはそうですが。大殿はできるだけ秘密にしたいのです。貴方様にだって本当はお隠しになりたいはずのところを、なぜか関白様に知れてしまったのね。
それに、頭中将様がいろんな方の困りごとを解決してらっしゃるという噂が大殿の耳にも入って、お話になることに同意されたのですわ。
それに、こういっては何ですが、お祓いが本当に効くかどうかも疑わしいでしょう?あら、私、罰せられますかしら?」
と侍女は口が滑ったという顔をした。
「陰陽道が国家機密だったのも過去の事ですし、呪詛を行ったわけでもないので大丈夫です。」
と若殿は平然と言う。
それにしてもなぜ適当な貴族との結婚が『いい薬』なのか、お祓いを試してみないのか私にはさっぱりわからなかった。
(その3へ続く)