藤の花翳(ふじのはなかげ) その1
【あらすじ:別の木につるを絡ませ、しなだれかかり覆いつくして満開の花を咲かせる藤の花は圧巻だが、その陰には光を奪われ枯れる木がある。
陰陽師でも解決できない問題に、時平様は今日もしっかり立ち向かう。】
私の名前は竹丸。
平安の現在、宇多天皇の御代、日本で権勢随一を誇る関白太政大臣・藤原基経様の長男で蔵人頭・藤原時平様に仕える侍従である。
歳は十になったばかりだ。
私の直の主の若殿・時平様はというと、何やら、六歳ぐらいの小さな姫に夢中。
宇多帝の別宅に訳アリで、隠し育てられている姫を若殿は溺愛していて、周囲に気づかれていないと思っているが、使用人はじめ母君・大奥様にもバレバレ。
若殿いわく「妹として可愛がっている」。
でも姫が絡むと、はたから見てもみっともないくらい動揺する。
従者としては、たかが小さな女の子に振り回されてる姿はいかがなものか。
今回は私の切ない初恋とその終わりのお話。
ある日、大殿・藤原基経様に若殿が呼び出され
「太郎、お前は近頃、色々な貴族達の『困りごと』を解決しているらしいが本当か?」
若殿は上目遣いでちらっと大殿を見ると、神妙に
「・・・はい。及ばずながら尽力いたしております。」
「ふむ。では此度も尽力いたせ」
とある仕事を若殿に言いつけた。
数日後、私は若殿と『困りごと』を解決すべく相談主のお屋敷へ向かう途中、
「今から行く、家原郷好様とはどのようなお方なのですか?」
「数年前まで陰陽頭だったお方で、夜間の日食も奏上すべきだと言上した、大変真面目な方だな。今は引退されているが。」
「夜にある日食なんて、見えないですよね?影響あるんですかね?」
「『日月蝕というものは陰陽における虧敗(欠け敗れる)の象徴である。そのために日蝕あれば徳を修め、月蝕あれば刑を修めるものである』ということらしい。」
「そんなもんですかね。」
私は天体の動きを観察して規則を見つけ出し、暦を編集・作成し、漏刻(水時計)を管理して時報を司る陰陽寮のトップと聞いて、四角四面なお堅いおじいさんを連想したが、
そういう客観的事実を扱う人たちが同時に占いという主観的思想?を扱うのを不思議に思った。
「どういう困りごとなんですか?」
「詳しくは直接うかがうが、末の姫についてらしい。北の方を亡くされて家原郷好様と裳着(女の子の成人式)前の末の姫との二人で暮らしているらしい。」
家原郷好様の屋敷につくと、そこは母屋とその西に侍所と北屋しかなくそれぞれが廊下で結ばれている簡素な作りだったが、庭木は松の他にも様々に植えられていた。
家原様と若殿が母屋で話し込んでいる間、私は許しを得て屋敷の庭を探索していた。
北屋の庭の西側には高さ1丈(3.3m)ぐらいで、横に枝を半丈(1.65m)ぐらいに伸ばした松があり、その隣にある藤がつるを伸ばし、松の枝をびっしり覆いつくすように、満開の花を咲かせていた。
年経た松の厳かなたたずまいが、妖艶な藤の花にからめとられ圧倒される様はまるで、初老の殿上人がつややかな美女に誘いかけられ、その魅力に溺れていくかのようだった。
その藤と松は侍所からもよく見渡せた。
藤の木の下には脛ぐらいまでの高さの雑草が生えていたが、そこに座って眺める藤の花は幻想的な美しさだった。
私はしばらくそこに胡坐を組んで藤の花をぼんやり眺めていると、目の前に淡い薄桃色の小袖姿の少女が現れた。
髪は肩までの尼そぎで、頬は白くふっくらして、形のいい目は少し小さい鼻の上にバランスよく並んでいた。
しかし、目には力がなく、前にいる私の姿をちゃんと認識しているのか疑問で、私が座っているところに何も言わずフラフラと近づいて、もう少しで踏まれそうになったので
「わっ!人がいますよ~~!」
と思わず声を上げると、やっと私に気づいたように
「あら・・・!ごめんなさい。」
とにこりと微笑んだ。
藤の妖しい紫の洪水と強い芳香で夢見心地の私は、彼女のはかなげな笑顔に強く心惹かれた。
私がぼんやりと彼女に見とれる姿がおかしかったのか少女はくすくすと笑って
「どうしてぼんやりとこちらを見てるの?」
私は急に恥ずかしくなり
「別に見ていませんっ!」
と顔を逸らした。
「あなたは、今父上とお話している方の従者でしょ?」
私は彼女の方を向かずに首だけで頷いた。
「なぜあの方が父上に呼ばれたのかを知ってる?」
私は首を横に振る。
「わたしに狐か狸がついているから・・・ですって」
と風でなぶられた髪が白い頬をたたくのも気にせず、少女は他人事のように言った。
(その2へ続く)