羅城門の虹(らじょうもんのにじ) 後編
二階をみんなで見上げていると若殿は盆からはみ出ないように全部がおさまるようにくしゃくしゃにした衣を乗せてそのまま真下に落とした。
え~~?そんなことで風に飛ばされないの?と思っていると、盆が落ちるのと同じ速さで衣もそのまま下へ落ちた。
七輝丸は冷や汗をかいて、キレイな唇の端を引きつらせていたが、すばやく踵を返して逃げようとした。
少納言家の雑色はそれを見越していたのか素早く腕を捕まえた。
二階から降りてきた若殿に
「なぜ盆の上にのせると飛ばされず同じ速さでおちるんですか?」
「衣は軽いが、空気の抵抗を受けなければ重い盆と同じ速さで落ちるんだ。衣は空気があってこそ風に舞うんだよ。」
「不思議ですね~~」
と感心していると、七輝丸が
「離せっ!だからと言って俺が泥棒という証拠はないだろう!」
「お前以外に誰も二階から降りてきてない」
「俺は犯人が二階に上がってくる前から二階にいたんだ!飛び降りるのを見た!」
若殿がニヤリとして
「朱雀大路を見ていたといったが、二階の朱雀大路方向の連子窓は常に閉じられている。連子窓が開いているのは南の山城方面に面した側だけだが。」
というと、七輝丸は身動きが止まり
「お前は、衣を落とすことと銭を巾着から抜いて袖に移すことと、下へ降りる事に夢中で朱雀大路を見下ろすことなどできないことに気づかなかったんだろう?
もし私と竹丸が通りかかる前から二階にいたなら、それに気づかないはずはない。」
少納言家の雑色が
「銭を返せ!そしてお前を役所に連れていく!こいっ!」
と七輝丸を引っ立てようとした。
若殿がそれを制し
「少し話を聞きたいのですが。」
少納言家の雑色はしぶしぶ手を止める。
「お前はなぜ姫の緋色の衣を盗んだ?銭だけでなく」
七輝丸は少しためらったが、不貞腐れた顔で吐き出すように
「妹はロクに着るものもなくてな!俺たち貧乏人は泥棒でもしねえと生きていけないんだよ!おふくろはなぁ・・・いいか!貴族の取巻さんよ!
俺のおふくろはこの羅城門の真っ暗な二階で捨てられた死人どもの衣を剥いで、髪の毛を抜いて、売って、その銭で俺たちを育ててくれたんだ!
お前たち貴族がぬくぬくと酒盛りや女にうつつを抜かしてる間にな!
吐き気のする腐った肉の臭いをかぎながら、手を腐って溶けたドロドロの肉まみれにしながら、俺たち子どものためになぁ!
蔑まれて、罵られてなぁ、侍に殴られて切られて殺されかけたことだってあるんだぞ!」
と歯を食いしばりながらつぶやいた。
切れ長の目に怒りをたたえ、薄い唇は引き結んで奥歯をかみしめていた。
私は貴族ではないが、使用人としては関白家という最高の地位の家のに仕える身なので、食い意地ははってるが、本当にひもじい思いをしたことはない。
七輝丸の言う『貧乏人』が、そこまで残酷で悲惨な境遇にあるなら、それは政が悪いのではないか?
まともに暮らしていけない人々がいるような社会は間違っていることは私にもわかる。
若殿は深刻な表情で静かに
「過去に羅城門でそんな事があったかどうかを調査して、もしお前が言うように死人が捨てられて腐るようなことがあれば、私が上奏して何とかすると約束しよう。
そして、そんなに困窮した人々がいるなら、何か策を考える・・・」
と言いかけて、自分が雑色と名乗ったことを思い出して
「ようにと主に伝える。」
と付け加えた。
そして、七輝丸に向かって
「お前の住む地域を教えてほしい。どこの住人がそれだけ困窮しているのか、訪ねてみたいから。」
というと、七輝丸は急に慌てて
「いや!俺の家は自分で何とかする。とりあえず、そういう貧乏人がいることを忘れず政をやってくれ!とお前の主に伝えろ!」
少納言家の雑色は
「では、こいつは弾正台(警察機構)に連れていきます。こいっ!」
といって、七輝丸を引っ立てていった。
後日、弾正(弾正台の職員)から調査報告の文を受け取り、それを持ったまま宇多帝の姫の屋敷を私と訪れた若殿は、文を読み終えると、ずっとぼんやり考えこんでいた。
私と姫はムクロジの実の皮を水に入れ泡立てた液をススキで作った筒をつけて吹いて、泡玉を飛ばして遊んでいた。
ムクロジの実は若殿がお寺にお参りに行くと、植栽されているものを摘んで宇多帝の姫のためにお土産に持って帰ってくる。
虹色にきらめく泡でできた玉が風に流されてふわふわと屋根を超えていくのは何度みても飽きなかった。
姫もこれが大好きで
「兄さま!見て!塀の外まで飛んでいったわ!」
と若殿の袖を引っ張り泡玉を指さしたが、若殿はそれにも気づかないくらい考え込んでいた。
私が
「七輝丸はどうなったんですか?貧しさゆえの盗みは同情されて釈放されてもいいのでは?」
「・・・それが、どうやら七輝丸が羅城門でいった事と調査の結果が違うらしい」
「どう違うんですか?」
「調査報告によると、七輝丸の正体は近頃、都を騒がせている盗賊団の頭らしい。頭の顔を見たことがある者が衛門府の衛士にいるとの事だ。」
「ええ?噂ではその賊の頭は女だと聞きましたが?七輝丸が女装してるんですか?まさか!」
と驚いて言ったが、すぐに『まてよあいつなら女装してもさぞかし似合うだろう』と思った。
あの緋色の絽の衣も女装するためかと納得。
あれだけの美人なら女装すれば他人に男と気づかれない上に、鏡を見れば自分で自分に恋しそうなくらいなんじゃないかしら。
あの低い声とぶっきらぼうな態度さえなければ、男女問わずモテるに違いない。
「服装が女性だったというわけではなく、顔を見たものが女だと思って噂が広がったらしい。」
「本人は盗賊団の頭と認めてるんですか?」
「それがずっと黙秘してるらしい。」
「じゃあ、あの羅城門の話は?」
「今のところ死体が捨てられていた事実はないそうだ。だが、実際はわからない。あいつのウソだとしたらやけに詳細なのが気になる。」
「じゃあ若殿が悩んでるのは、あいつが本当に困窮して盗みに手を染めたのか、常習犯の泥棒かを判断しかねているという事ですか?」
「実際に困窮している人々は少なからずいるだろうから、それには策を考えるが、あいつは果たしてどっちなんだろう・・・」
と言ったきりまた黙り込んだ。
姫が若殿の顔を覗き込んでは、邪魔しないように気を使って静かに虹色の泡玉を次々と膨らませては
「わ~~!キレイね~~!」
と追いかけているのを、若殿が何気なく見守っていると突然
「あっ!そうか!」
と声を上げ、にんまり笑って私を見て
「確かあの日盗まれたものは、少納言邸では緋色の衣と銭の入った巾着、茶屋で盆だけだったな?」
「あの日にそれ以外の盗難の報告はないですね」
と私は報告書を確かめた。
姫が
「兄さま!抱き上げて上の方で泡玉を見せて!」
というので若殿が抱き上げる。
「若殿!何かわかったんですか?」
「盗品の中に螺鈿の飾り櫛はなかっただろ?」
「そうですね。そういわれると・・・確か七輝丸は髪に挿してましたね。」
若殿はフフフと笑うと
「都で有名な凄腕の盗賊頭なら、仕事の時は、お洒落はあきらめるほうがいいな。」
と言った。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
女装・男装が似合う人はやっぱり美人が多いと思いますが、どうでしょう?
時平と浄見の恋愛物語は「少女・浄見 (しょうじょ・きよみ)」に書いております。