鬼灯の業(ほおずきのごう) 後編
しかし、もし誰かの嫌がらせなら、夫妻は使用人にも人望があり、恨まれるような人じゃなさそうなのにこんな嫌がらせを受けるなんて意外だなと思った。
若殿はその虫の死骸を見て顔をしかめ
「この虫は光に集まる虫ではありません。生ごみに集まる虫です。それに・・・」
と言いかけると、北の方が
「そういえば、私の元に虫が届いたことがありましたわ!」
北の方が思い出して身震いすると良実様が
「そうです。あれは結婚前、私が妻の元に通っていたころです。妻に言い寄る男が嫌がらせに私の名前で文箱にゴキブリとジョロウグモをいれて妻に送り付けたのです!」
といい、若殿は
「その男は誰ですか?」
「権少外記の海枝恒です。」
若殿は少し考えて
「外記といえば、春の徐目(受領を任命される式)の直前に、あなたを収賄の罪で訴えたのが大外記の十市秋宗でしたね。」
良実様は眉をひそめて不愉快だという風に
「そうです。根も葉もない冤罪でした。調査で疑いが晴れてよかったです。」
「なぜ十市秋宗はそのようなことをしたのか、心当たりがあるのですか?」
良実様は北の方をチラチラとみて、声をひそめて若殿に耳打ちした
「それが・・・実は彼は私の元恋人の父親なのです。」
「十市秋宗はあなたのことを娘を捨てた裏切り者だと恨んでるのですか?」
「そうかもしれません。元恋人とは後腐れなく別れたつもりでしたが、向こうは父親を使って私に復讐したかったのでしょう。」
人柄はよくても美男美女は自分でも気づかぬうちに敵を作っているといういい見本だな。
二人ともおモテになるということはリスクもある。
若殿もいつか女遊びが激しくなれば、別れた女性に恨まれたり、呪い殺されるかも。
でもそうなるとまっさきに宇多帝の姫に嫌われて、若殿はそのせいで生きていられなくなりそう。
若殿が嫌な予感に襲われたのかキョロキョロしてる。
若殿は摂関家の子息だが、そういう公卿の子弟でもない貴族が太政官(政治の中枢の官僚)になるためには、まず受領にならなければならない。
外記も民部大丞の良実様もその前段階の役職で、順調に出世すれば将来、受領になる資格が与えられる。
地位を争うライバルは恨みが無くても追い落としたいのに、恨みがあるならなおさら冤罪でもでっちあげるだろう。
良実様の元恋人の父親も、娘の復讐だけというよりも、自分の出世のためにライバルを引き落とそうという算段かも。
私は良実様に恨みがある『元恋人の父親』と、北の方に恨みがある『言い寄っていた男』が同じ外記であることに気づいて
「権少外記と大外記なら同じ職場でしょう?二人で結託して良実様を失脚させようと北の方に毒を盛ることもあるのでは?」
良実様は納得顔で
「それは・・・あるかもしれないな。では、もしそうなら、うちの使用人の中にその二人に雇われたものがいるという事か。」
「犯人は、海枝恒か十市秋宗、または二人が結託し使用人を使って毒をもったということですか。」
と若殿が言うと、私は得意になって
「それならその雇われた使用人っていうのが麹丸というわけですね!毒いり団子を作って北の方に食べさせたという事で!」
すると良実様は突然、血相を変え大声で怒鳴った。
「何を言ってるんだ!それはあり得ないといっただろう!麹丸のことは私が一番よく知っている!彼は私を裏切るような真似は死んでもしない!」
私は良実様の剣幕にすっかり驚いたが、若殿は平気な顔をしていた。
若殿は良実様が少し落ち着くのを待って
「言いにくいのですが、麹丸が犯人と考えられる理由があります。廊下に撒かれていた虫も、この屋敷の生ごみから集めたものだと思われます。ごみの中に菜の花が混じっていました。枯れたのを生ごみに捨てたものでしょう。」
「どこの屋敷にも菜の花のごみぐらいでます!それに、そのことは麹丸が犯人である理由にはなりません。料理人も!料理に毒を盛れるし、生ごみも撒けるでしょう!」
「では、直接、麹丸に話を聞いてみましょう」
と我々は麹丸の房に連れ立っていった。
我々が麹丸の房に入ると文机に麹丸がうつぶせにもたれかかっていた。
身体のそばにはまるきり同じに見えるヒョウタンが二つあり、その一つの口からは黒いドロドロした液体が流れ出ていた。
私がヒョウタンを拾って確かめようとすると
「触るな!毒だ!」
と若殿が叫ぶ。
慌てて手を引っ込めると、若殿はもう一つのヒョウタンを拾って蓋を開け匂いを嗅ぎ
「こっちは酒だ。」
良実様は麹丸の口と鼻に手を当て
「息をしていない!どういうことだ!」
と狼狽える。
「おそらく、その黒いドロドロした毒をあおって死んだのでしょう。」
「なぜ!麹丸がなぜそんなことを!・・・まさか!」
良実様は顔面蒼白でブルブルと全身を震わせながら座り込んだ。
「おそらく、やはり麹丸が北の方に子を流す団子を作った犯人でしょう」
「なぜだ・・・!なぜ?妻に恨みでも?私に恨みがあったのか?信じられない!」
私は麹丸の胸の下に、何か書かれた文が敷かれているのに気づいて
「これに何か書いてあるんじゃないですか!」
若殿は良実様に
「読んでもよろしいですか?」
良実様は呆然としたまま頷いた。
その文には以下のように書いてあった。
『私が鬼灯の酸漿根を使ってあの女の腹にできた子を流そうと考えた原因は全て良実にある。
良実はあの女を娶る以前は私を正当に評価し、対等な友人として扱ってくれた。
私の作り出すもの全てに惜しみない賛辞をささげ、私自身にも最大の敬意を払ってくれた。
しかし、あの女が現れてからはあの女のいいなりになり、私を下人扱いし、酒を酌み交わして二人でゆっくり話すことさえなくなった。
あの女の私を見る目は卑しい下賤のものを見る目であり、それは良実を私とつきあわせまいとする行動につながった。
あの目は嫉妬ではないのか?おそらく私と良実の間にある強い絆をあの女は羨み、自分が得られない真の愛情を私が独占することを嫉んで私を近づけまいとした。
そんな偏狭な女に良実の一部を宿す資格はない。
私はあの女を追い払おうと、嫌がりそうな気味の悪い虫を何度も撒いた。
呪いや祟りだと怯えてこの家を出ていくように。
そして、妊娠したと聞いては、堕胎作用のある鬼灯の根を混ぜた団子を食わせた。
団子の効き目は確かだった。
あの女が流産した直後は胸のすく思いがしたが、良実が悲しんでいる姿を見ると心が傷んだ。
腹の子を流すことは同時に良実の子を殺すことだ。
私はもう四人もの子を、良実の分身を殺してしまった。
その悲嘆と心痛から彼自身の命も危うくしてしまった。
全て私のせいだ。
この罪にはもうこれ以上耐えられない。』
ここまで読んで若殿は良実様のほうをみると、微動だにしない良実様は抜け殻のように座り込んでいた。
麹丸は良実様を想うあまり、北の方に毒を盛ったのかと納得した。
もしかしたら、北の方は仲の良すぎる二人に疑念をもったのかもしれない。
嫉妬もあったのかもしれない。
だから麹丸を邪険にしたり、あからさまに見下す態度をとったのかもしれない。
それが悪い方向に転がった結果がこうなったのか。
麹丸は自分の犯した罪の重さに耐えきれず自殺した。
最後に自分自身を罰して罪を償おうと思った。
誰かを想う気持ちが強すぎるあまりその人を傷つけ、自分をも死に追いやる。
愛するという『業』が心に鬼を生み出すのか。
私は愛することにすら恐怖を覚えた。
若殿も深刻な表情を浮かべている。
『でも、毒を飲んで自殺したのなら、同じようなヒョウタンに入った酒には何の意味があったのだろう?』と考えていると、もう一枚の文が麹丸の胸の下にあるのを見つけたので
「これには何と書いてあるんですか?」
と若殿に渡すと、ざっと目を通した若殿の表情は曇った。
その文には、
『私は最後の賭けにでる。
この身の裁きを天にゆだねよう。
一つには酒を、一つには毒を入れた。
もう見分けがつかない。
これから一つを選んで飲む。
選ばなかった方をあの女に飲ませる。
もし天が私に味方するなら、あの女は死に、良実は私のものだ。』
とあった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この後、無事に小野良実に娘が生まれれば、それが小野小町 になるそうです。
魅力的すぎる人はそれはそれで大変そうですが、どうでしょう?
時平と浄見の『業』は「少女・浄見 (しょうじょ・きよみ)」に書いております。