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史上最強の眠り姫  作者: 栗尾りお
第2章
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史上最強の眠り姫91

 「ねえ、君なら分かるでしょ? 答えてくれると嬉しいな」


 七三分けの前髪がハラリと崩れた。内股で座り込み、優しく柔らかな口調で話す。少し猫背の状態で前髪の隙間から覗かせる目。その瞳に光は宿っていなかった。いつもの威圧的な恐怖とはまた別の恐怖が込み上げる。


 「……幼少期の虐待」


 「そう、それだよ」


 明るい口調と上がった口角。笑顔で答えた彼女の目の奥は暗いままだ。

 定期的に吹き抜ける風は止まり、鳥の囀りも聞こえない。まとわりつくような空気が立ち込めるなか、彼女は語り始めた。


 「お母さんが死んでからアイツは私たちに暴力を振るようになった。当時は私の隠蔽魔法も未熟だったからね。少しの間だけなら2人で隠れられるけど、魔法が切れた瞬間に2人ともボコボコにされる。なら1人で隠れてろってお兄ちゃんが言ってくれたんだよね。それからはずっと兄ちゃんだけが殴られてきた」


 ゆっくりと目線を下げ静かに話す。もう体力は残っていないはず。それでも地面に置かれた拳が小刻みに震えた。

 彼女の周囲をうごめく憎しみと怒りの感情。それは暴力を振るう父だけでなく、隠れることしかできなかった自分自身に対するものもあるのだろう。


 「魔法を使えるようになったお兄ちゃんは復讐をした。でも、あまりの呆気なさに行き場のない怒りが込み上げる。そうだよね。数年間蓄積された痛みと数秒の苦しみが同等なんだから」


 「知ってる? 最強のお兄ちゃんがどうして引き篭もるか。答えは『強すぎる』から。圧倒的な力では弱者を蹂躙するだけ。アイツと同じになるのが怖いんだよ」


 「私に出来ることはお兄ちゃんの代わりになること。次は私が傷つく番なんだよ。そのために残るアザなら構わない。むしろお兄ちゃんと同じになれて嬉しいくらい」


 会話を成立させるつもりはないのだろう。相槌を待つことなく、一方的な言葉が次から次へと言葉が地面に叩きつける。もはや彼女の目には何も映らない。


 目の前に座り込む女性から湧き出る黒い感情が、植物たちの生気を吸い取っていく。


 常に気を張り、罪を償うように訓練に打ち込む。理想の隊員という仮面の下で、ぶつける先が分からない悲しみと怒りにもがき苦しむ。凛とした表情に隠された苛立ちが自分のことのように苦しかった。

 この先いくら頑張ったって過去が消えるわけじゃない。分かったうえで尚努力する。


 「もういいでしょ」「充分頑張ったじゃん」


 優しさに似せた自己満足の塊。何も知らない第三者のフリが出来たら楽だった。


 チャンスはあった。しかしスキルとは名ばかりの鋭いだけの五感が躊躇いを生む。

 遠ざかる彼女の背中を見つめ後悔と空想に浸るだけ。読み取ることに特化した臆病な自分が恨めしかった。

 打ち明けて少しでも楽になってくれれば。そう思うだけで何もしないまま吐き気がする毎日が過ぎる。


 魔力が切れ、戦意を失い、アザだらけになった騎士。崩れてしまいそうな彼女の口から聞く必要のない過去を言わせる。願った光景のはずなのに、目の前に広がるそれは、ルルフが思い描いていたものとは大きくかけ離れていた。


 楽になって欲しかった。傷ついてほしくなかった。それだけの純粋な感情だった。

 戦いを断れば、もう少しだけ先送りに出来たのかもしれない。勝たせるように戦えば誤魔化せたかもしれない。それでも、この草原で彼女と相対した時に思ってしまったのだ。


 実力主義という絶対的なルールに従い力の差を理解してもらう。努力の末、それでも届かない存在。非情な現実を突きつければ今度こそ――


 願いは叶った。しかし、込み上げるのは達成感ではなく、どうしようもない罪悪感だった。


 ルルフなりの優しさが裏目に出る。躊躇い続けてやっと出した答えは、優しさに似せた自己満足の塊。これでは何も知らない第三者と変わりない。


 戦いが終わり、ルルフは明日から副隊長を務める。ダリはいつも通り訓練には参加せず、第1部隊の指揮はルルフが行うのだろう。圧倒的な実力を持つ隊長と全てを見透かす副隊長。並大抵の敵なら余裕を持って対処できる。

 問題はない。実力主義に従い、矛盾のない部隊編成のはず。そう思い込もうとするたびに、ナリの顔がチラつく。


 姿を隠し、安全な場所から虐待を受ける兄を覗き見る。犯してしまった罪への唯一の償いの機会も奪われてしまった。自分を痛めつけることを諦めさせられ、何も出来ず、兄に負い目を感じたまま生きていく。背負う罪の重さは徐々に増していくのだろう。

 自己満足でいい。どれを選んでも幸せになれないのなら、自分が納得できる道を選ぶ。


 「ルルフは聖騎士団を抜けるのだ。明日から副隊長よろしくなのだ」


 残酷な決断を意識した優しい声で伝える。


 勝手な人間だと軽蔑されたい。一生恨まれ続けたい。彼女の前では偽善者であり続けなければ。蔑まされることでしか、この罪は精算出来ないのだから。


 「……ふざけるな」

 

 突風が駆け抜けた。風にあおられた白銀の髪は慌ただしくなびき、徐々に落ち着きを取り戻していく。


 軽蔑。殺意。恨み。


 呆然と足元を見つめるルルフにはナリの表情は見えない。それでも彼女の表情は容易に想像できた。


 「私への優しさのつもりか⁈ 情けのつもりか⁈ そんななることで手に入れた地位なんて意味がない! 私は私の実力でお前に勝って……それからお兄ちゃんの代わりに……」


 ふと顔をあげる。先ほどと変わらず、地面に座り込む彼女。距離を詰めるわけでもなく、その場に座り込んだまま言葉を放つ。虚勢で作ったの口調は元に戻り、次第に声が小さくなっていく。肌で感じられるほどのルルフへの負の感情は既に消えた。

 全てを出し尽くした理想の隊員には、無気力な自分への哀れみしか残されていなかった。


 限界を迎えた灰色の空から雫が溢れる。一滴二滴と草を打ち、あっという間に草原を雨の音が包む。もう言葉を紡ぐ余裕すらない。同じ罪を背負った2人の体を雨が叩きつけるだけだった。


 







 「こうしてルルフは聖騎士団を抜けたのだ」


 長い1人語りを終えた少年は静かに口を閉じる。その目は後悔の色に染まっていた。

 誰も傷つけないなんて不可能な話だ。それでもルルフは足掻いた。



 慣れてしまった暗い路地裏に再度静寂が流れる。本来なら私が気を利かして何か言うべきなんだろう。しかし、数々の衝撃の事実に何を言えばいいか分からなくなる。どこからか聞こえる微かな生活音が今は頼もしくしく思える。


 「あーあ、結局全部話してしまったのだ」


 はにかみながら手を頭の後ろで組む。その姿はただの無邪気な少年にしか見えない。

 重い空気を断ち切るための気遣い。改めてルルフの優しさを感じる。もっと別の形で合っていれば親友になっていただろう。

 私は彼を信じたい。だからこそ聞いておかなければならないことがある。


 「ルルフは敵なの?」


 この子は私の能力をバラした。いずれバレてはいただろうし、彼にも事情があったのかもしれない。しかしルルフの存在は、私たちの動きを大きく制限する。

 ルルフと対立することになれば、『眠り姫』の能力も上の人たちに認知されてしまう。そうなれば万が一の戦闘時、私たちの勝率はゼロになる。

 もちろんここでルルフが正直に答えてくれるなんて保証は無い。メレアが隣いたら「何でそんな質問するんですか? もっと警戒した方がいいかと」と怒られていたと思う。


 しかし、ルルフは過去について話してくれた。

 中途半端な優しさが何を傷つけた。自分が背負っている罪を声に出し、再び後悔する。そんな心優しいルルフを私は信じたい。


 青い瞳を見つめ答えが返ってくるのを待つ。頭の後ろで手を組んだまま無表情で見つめ返すルルフ。どちらも動かないまま、しばらくの時間が流れた。


 「ふう」


 先に動いたのはルルフだった。組んでいた。手を下ろし軽くため息をつく。その表情は少し困っているように見えた。


 「……今のネムなら何を言っても信じてくれそうなのだ」


 「信じるよ。心の傷を話してくれた人は信じるって決めているから」


 「分かったのだ。じゃあルルフも正直に話すのだ」


 一度目をつぶり軽く深呼吸をする。青い光が消えた路地裏に彼の息遣いが繊細に聞こえた。


 「……よし」


 そう決心してゆっくりと目を開ける。宝石のような彼の瞳がいつもよりきれいに見えた。


 「ルルフはネムの敵じゃない。でも味方でもないのだ。上の人間はネムたちをどうにかしようと思っている。ただルルフにとって、『それ』はどうでもいいのだ」


 やっぱりサーラの警戒は正しかった。

 暗殺。服従。追放。どの計画がどこまで進んでいるかを知らない。それでも敵対関係であることが明確に分かっただけで充分だ。


 「ルルフはナリに笑っていて欲しいのだ。そのためだったら何だってする。もしネムの存在がナリを悲しませるなら……その時は容赦しないのだ」


 瞳孔が開いた目に見つめられる。可愛らしい少年から放たれる視線が背筋を凍らせた。

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