百合姫の恋煩い おまけ
投稿一周年の「百合姫の恋煩い」SSです。
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リリアは自室の扉を薄く開け、顔だけ出して左右を見回した。
誰もいない。よし、と頷いてそっと部屋を抜け出す。
いつものプラチナブランドの髪とマリンブルーの瞳ではない。黒い髪と黒い瞳。それに女官のお仕着せ。ぱっと見では誰も彼女がこの国の第三王女だとは気付かないだろう。
リリアの気は急いていたが、怪しまれないようほんの少しの早足で庭を目指した。
王族の私的なエリアを抜け、庭園に入る。バラのアーチをくぐり、花園を横目に通り過ぎて一番奥の四阿へ向かうと、待ち合わせ相手はすでに座っていた。
「殿下」
声をかけるよりも先に気付いたロバートは、リリアを見て甘く微笑んだ。久しぶりに会った恋人に胸が温かくなり、頬が熱くなるのを感じながら隣に腰掛ける。
「お帰りなさい。戻ってきたばかりなのに大丈夫?」
「大丈夫ですよ。休憩が終わったら頑張ります」
ふっと息をつくロバートは少し疲れているように見える。王太子の兄に付き添ってしばらく外遊に出ていたのだ。忙しかったのだろう。
リリアが黒髪の女官ノアとしてロバートと交流を深め、正体を打ち明けて両想いになってから、二人の関係は王宮中に広まってしまっていた。
なぜなら、正体を打ち明けたときに庭の四阿で抱擁していたところを通りすがりの庭師に目撃されてしまったためである。
あれ以来、四阿でロバートと二人で会う回数は減った。別に誰かに反対されているというわけではない。しかし二人で会っていると、周りからの生温かい目に居心地が悪くなるのである。
かといってまだ婚約にも至っていないので、密室で二人きりで会うわけにもいかない。人の目がある場所で健全に会っているからこそ、何も言われず見守られているとも言えた。
それでもリリアは満足だった。片想いしていた相手と気楽に話すことができるようになったのだ。なんて幸せなことだろうと心は浮付いている。
「殿下、これお土産です」
可愛らしい包装紙に包まれたそれを、リリアはそっと広げた。すると中から出てきたのは、蝶を模した髪飾りだった。
「まあ、可愛い」
「帰りに寄った港町で見つけたんです。異国から入ってきたものだそうで、殿下にどうかなと思って」
「ありがとう、嬉しい」
早速髪に付けてみようとしたものの、いまは女官服で黒髪であることに気付いて手を止めた。この姿では似つかわしくないかもしれないと思ったのだ。
しかしロバートが手を伸ばし、一つに結んでいたリリアの髪紐の上に飾りを付けた。
急に近付いた距離にどきりとして固まる。触れられているのは髪だけなのに、そこに神経が通っているかのように緊張して、リリアはうつむいた。
「普段の色でも、この黒髪でもどちらでも似合いますよ」
「……ありがとう」
髪飾りを付け終えたロバートの指が、髪を優しく梳く。
「皆にばれてしまっているんですから、普段の姿のまま来ても良いのではありませんか?」
「ばれてしまっているのは分かっているんだけど、なんだか恥ずかしくて。普段の姿だときちんとしなきゃと思うんだけど、この格好だと気楽なのよ」
「へえ……」
単調に髪を梳いていたロバートだが、ふと、肩へ垂れたリリアの黒髪をすくい上げ恭しく唇を寄せた。
その動作に息が止まる。
こんなこと、いままでされたことがなかった。二人で会うときは適度な距離を保っていた彼が。唯一接触したのは、思いを伝え合ったときの抱擁だけだ。
ロバートは目を伏せ、髪を口に押し当てている。表情がよく見えない。
リリアがどぎまぎしながら身体を強張らせて視線を向けていると、髪を持ったままのロバートが顔を上げ、目が合った。頬に熱が集まったものの、強い瞳に目が離せなくなる。
ロバートは髪からはらりと手を離し、そのまま頬に触れた。
いつの間にか吐息がかかるほど近付いていることに気付く。隣に座った彼の肩が触れており、そこだけじんじんと痺れるようだ。
どうしよう、どうしよう。
頬に触れた指が温かく、視線に抗えない。
綺麗な顔が近付いて影が落ちる。
心臓が割れそうに高鳴り、唇が触れそうに──
──その瞬間、突然けたたましい警報音が鳴った。
「──っ!!!」
ビーッビーッと鳴り響く音に飛び上がらんばかりに驚いた二人は、慌てて体を離した。音はすぐ近くで鳴っている。
何事かと妙な汗が噴き出したリリアが自分の身を確かめると、警報音の元は自分が着けている指輪だった。
「ええっ、なぜ!?」
幼い頃からずっと身に着けている指輪だが、音が鳴ったことなどこれまでにない。慌てて指から引き抜くと、警報音は止んだ。
とりあえず音が止まり、ほーっと息をつく。周りを見回すが誰もいない。騒動にならなくてよかったとリリアは胸を撫でおろした。
「……すみませんでした」
顔を上げると、隣に座っているロバートは額に手を当て、うなだれていた。落ち込んだような暗い顔。
「なにが?」
「……不敬を。音が鳴らなければ、あのまま……」
あのまま、の先を理解して、リリアは頬を赤らめた。
嫌ではなかった。むしろ、ドキドキして自分から止められなかったのも事実だ。良くないことだとは分かっていたけれども。
「……いいえ、私の方こそごめんなさい」
「いえ、言い訳になりますが、久々に殿下に会えて嬉しくて。申し訳ありません……」
二人の間に気まずい沈黙が落ちる。
久しぶりに会えた恋人にこんな表情をさせてしまって、先ほどまでの甘い雰囲気は霧散してしまった。
リリアは膝の上で固く閉じられているロバートの手にそっと触れた。驚いたのか、彼の肩がびくりと震える。
「……私は嫌ではなかったし、本当はあのまま不敬を働いてもらって欲しかったのだけれど」
その言葉にわずかに頬を赤らめたロバートは、小さく呻いて顔を背けた。
「……殿下、そのようなことは」
「昔のあなただったらきっと、ちょっとくらいいいじゃないですかと言って、そのまましてくれていたと思うけれどね」
「…………」
相変わらず飄々としているロバートだが、二人の間の距離は頑なに守っていた。おおよそ彼の上司か王族の誰かから厳しく言われているのだろう。
「でも邪魔が入って残念だわ。犯人に文句を言っておきます」
「……そうしてください」
茶化すようなリリアの声色に、ロバートもようやく顔を綻ばせた。
早く婚約したい。そうしたらさっきの続きを出来るのに。そう心の中で呟いて微笑むと、ロバートも笑みを返した。彼もきっと同じことを考えているはずだ。
二人は次に会う約束をして別れた。
♢
ロバートと別れたリリアはその足で犯人の元へ急いだ。誰かは分かっている。
つかつかと階段を上り、目的の部屋の扉を勢いよくバンと開く。
「オリヴィア!」
突然の訪問者に、中にいた複数の人間はびくりと驚いて固まった。いずれも黒いローブを羽織っている。
ここは魔術師団。オリヴィアと呼ばれた女性はここの魔術師で、リリアの魔法の教師でもある。
「……はあい」
声がした方へ向かうと、長椅子にオリヴィアが横になっていた。リリアがやってくるまで寝ていたのか、毛布代わりに身体に黒いローブをかけ、頭はぼさぼさだ。
リリアは長椅子の横に仁王立ちし、警報音を発したあの忌々しい指輪を見せつけた。
「私の指輪になにかしたでしょう」
「……なにかと言いますと?」
「すごい音が鳴ったんだけど」
オリヴィアは思い当たることがあったようで、少し考えてから「ああ…」と呟いた。
「仕掛けたのは結構前ですけどね、今頃気付いたんですか」
「なにをしたの」
「心拍数が急激に上がると鳴るようにしました」
なんだそれは。リリアは訝しげに指輪を見つめた。
「なにかしたんじゃないですか? 心拍数が上がるようなことを」
心拍数が上がるようなこと。
すぐに思い至った。つい先ほど、ロバートに撫でられた頬が熱くなり、顔を背ける。
すると目の前の犯人はにやにやと笑い出した。
「その様子だと、警報音を仕掛けておいて正解だったようですね。やましいことをなさった?」
「……未遂だもの」
「ははあ、やましいことをしようとしてドキドキしたと。そして警報音に邪魔されて出来なかったというわけですね」
すべて見抜かれてしまい、唇を噛む。ロバートとのことはもちろん知られてしまっている。付き合いが長いので、この魔術師には隠しごとが難しい。
「……誰かから指示されたの?」
曖昧に頷いたオリヴィアに、リリアは舌打ちしそうになった。
大方、父王か誰かが魔術師団長に指示したのだろう。婚約前の娘を牽制するために。自由恋愛させておいて、肝心なところで邪魔をするなんてひどくないだろうか。父親として仕方ないのかもしれないけども。
「殿下の防犯のためですよ」
「でも心拍数が上がるという制約だけでは、危険な状態以外でも鳴るけれど? 激しい運動もそうだし、公務で緊張する場合もだし……好きな人と一緒にいるときも」
「だから急激な上昇のときだけにしてます。実際、鳴ったのは今日が初めてなんですよね? よっぽどドキドキすることをなさったわけでしょう」
「……少しくらいいいじゃない……」
久しぶりに会うのだから、ドキドキしたって当然だ。それに恋人同士なんだから、キスくらいいいじゃないか。そんな思いを言外に込めたが、オリヴィアはそれを流した。代わりにと、手を叩く。
「そうだ、ドキドキしなければいいわけですよ」
「え?」
「殿下は恋人と一緒にいてドキドキするわけですよね。そうならないようにすれば、指輪は鳴りません。精神統一を図り、無の境地で会うか、全然違うことを考えれば良いわけですよ」
「ええー……」
リリアはそれを想像しようとした。
ロバートと二人で四阿で会う。指輪が鳴らないよう、心を落ち着かせる。
ドキドキしてはいけないのだから、彼のことを考えてはいけない。彼のことを考えれば無条件でドキドキしてしまうからだ。話しながらも他のことを考えなければならない。
気を逸らせるようなことが会っただろうかと思い出す。
そうだ、髪の薄くなってきた兄。
王太子である兄は優秀で品行方正、王族として完璧であるが、唯一、髪が後退してきていることだけが彼の残念な点として国民に認知されている。
しかしそれは彼の好感度に繋がっている。完全無欠の王太子だが、髪が薄いというところでなぜか身近に感じられているのだ。王太子妃である義姉などは兄の頭を含めてぞっこんである。
リリアは退屈な式典の時にはだいたい前方にいる兄の後頭部を見て、「また髪の毛が減っているなあ……」と気を紛らわせていた。
ロバートとの逢瀬の時、兄の頭のことを想像する?
彼の美しく甘美な唇に触れる瞬間、兄の頭頂部の産毛を思い浮かべるのだ。冷静を保ち、ドキドキしないために。
「………………」
リリアはそこまで想像して、首を振った。
絶対に嫌だ。情緒がなさすぎる。だいたい、ときめきを覚えるときに別のことを考えるだなんてナンセンスだ。彼と一緒にいるときは幸せな気分でいたい。
「無理だわ」
短く告げると、目の前の魔術師はにやりと笑う。
「では、結婚まで大人しくなさっていてください」
リリアは姫らしからぬ大きなため息をつき、肩を落として部屋を出た。
その後、「指輪を外しておけば鳴らない」という単純なことに気付いたリリアは大いに浮かれたものの、反省したロバートによりリリアの願いは叶わず、二人の口づけは結婚式までおあずけとなった。
《 おしまい 》
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