ハッピーエンドまであと少し
ジャンル:ミステリー、サスペンス
あらすじ:
親の仇を探しているが見つからない。探し続けるのか、それとも諦めて目の前の幸せに手を伸ばすのか。
キーワード:シリアス、復讐
※暴力表現ありますのでご注意ください
※ハッピーエンドではないです
※エブリスタから転載しています
ロメオは手にした便箋を放り投げた。
それから大きくため息をつく。
まただ、また空振り。成果なし。
情報は一向に得られやしない。
この手紙を寄こしてきた探偵事務所もいい加減見切りをつけた方が良いのかもしれない。高い金を払ってなんの手がかりも得られないのだから。
ロメオは硬い金髪をかき上げ、首元のネクタイを緩めて椅子にどさりと腰掛けた。
すると自室の扉がノックされた。
「旦那さま、ジュリア様がお見えです」
「通せ」
体勢を戻し、いま緩めたネクタイを少しだけ戻す。
瞬間、爽やかな風が吹いてジュリアが入ってきた。いつも通り透き通るような白い肌に血色の良い頬、ロメオよりも明るい金髪を今日は緩く巻いている。
「時間より少し早くてごめんなさい。お仕事中だった?」
「いや、大丈夫だ」
「また難しいことを考えていたんでしょう。しわが残ってしまうわよ」
そう言うと、ジュリアはロメオの眉間をそっと指でこすり、そのまま手を滑らせて頬に置いた。促されるようにロメオがかがむと、頬に温かい唇が落ちる。
ロメオはジュリアに見えないよう、放り投げた便箋を手探りで机の隅に寄せた。
「少し考え事をしていたんだ。君が来てくれたから力が抜けたよ」
同じようにジュリアの頬を撫でたロメオは体を離し、彼女に椅子を勧める。
「ジュリア、観劇の後は夕食を?」
「そうね、そうしたいわ」
「良かった。実はもう、ド・ロレッタでディナーの予約をしている」
「まあ! よく予約が取れたわね。嬉しい!」
ジュリアは今日の観劇に出演する俳優について話し始めた。頬がさらに上気している。
相槌を打ちながら、ロメオは机の上の書類を片付け始めた。先ほど脇へ寄せた手紙は引き出しへ滑り込ませる。
こんな人探しを続けていることを、目の前の美しい婚約者には、言えない。
♢
ロメオが探しているのは親の仇だ。
三年前、両親が何者かに殺害された。この家で。
一代で商社を築き上げた両親は、つまるところ成功者だった。ロメオが物心ついた時にはすでに裕福で、市内一等地のこの場所でどこよりも大きな豪邸を建てた。
殺害されたのは大嵐の夜。
土砂降りの中、用事が出来てたまたま寄宿学校から戻ったロメオは、夜遅かったが帰宅した挨拶をしようと両親の寝室を訪ねた。
両親は寝る前に二人で少し酒を飲んでから寝るのだ。そのためまだ起きているかもしれないと思った。
ノックをしたが返事がないので薄く扉を開けると、すでに部屋は暗く、灯りは枕元の間接照明だけのようだった。
もう寝てしまったかと思ったロメオだが、扉を閉めようとした瞬間、異変に気付いた。
大雨なのに、窓が開いて風が吹いている。
そして、それに混ざった血のにおい。
目をやると、両親のベッドには横になった人物が二人、その上にかがんだ人物が一人。
ごうごうという、風の音。
思わず、ひゅっと息を吸うと、肺に、雨と血のにおいが広がる。ロメオはすぐに息をはいた。
するとベッドの上の人物がこちらに気付き、顔を向けた。黒の目出し帽。暗くて瞳の色までは分からない。
怯んだロメオは一歩下がった。しかしその人物が背を向け逃げ出そうとした瞬間、逃がしてはならないという本能に火が付いた。
ロメオは飛びかかるようにベッドに近付くと、間接照明の乗った机に置いてあるアイスペールからアイスピックを掴み、不審者に振り上げた。
ロメオが襲ってくると思わなかったのだろう。
反応が遅れた不審者は体を捩りロメオの強襲をかわそうとしたものの、アイスピックはその右脇腹辺りをかすめた。
脇腹への傷に対して相手が息を詰めたことに、ロメオは気付いた。
もう一回、と再度アイスピックを振り上げたが、不審者は今度こそ、身を翻して窓から逃げた。
わずかな争いだったのに興奮から息が上がり、ロメオは不審者を追おうとはしなかった。
手に下げたアイスピックからは血が滴っていた。
後の検証から、両親は就寝中に殺害されたようだった。
ロメオも事情聴取された。それからしばらくは犯人扱い。
しかし凶器がアイスピックではなかったこと、その場から凶器が見つからなかったこと、さらに逃走者の痕跡も残されていたことから、放免となった。
商いをしていた両親はロメオから見たらもちろん大切で素晴らしい人物だったが、世間一般にはそうではなかったらしい。
寝室からなにも盗難されていないこともあり、怨恨による犯行と思われた。
しかし、犯人は見つからなかった。
なぜ、とロメオは歯噛みする。
犯人の血痕のついたアイスピック、窓からの出入りに使用されたロープなどは残されていたのだ。すぐに犯人は捕まると思っていた。
だが、捕まらない。
一年経ち、警察は捜査を縮小。
二年経ち、さらに捜査人数を減らした。
ロメオは事件後、学校の卒業を待たずに商社を継いだ。そしてもう警察の捜査を諦め、自ら犯人のことを調べている。
評判の良い探偵事務所に依頼しつつ、自分でも犯人の手がかりを探して一年。
実は、怪しい人物に辿り着いたことはある。仕事の取引相手だ。彼には動機があり、アリバイがなかった。
ロメオは仕事のことと装って近付き、親しくなった。
そしてある時、彼と商談中に派手に紅茶をぶっかけてやった。
すみません、すみませんと謝りながら服を拭き、着替えを差し出し、確認した彼の脇腹には、傷はなかった。
それ以来、犯人とめぼしい人物は挙がってこない。
アイスピックの傷があるはずなのだ。必ず。
それなりに深手だったはずだ。
それを見れば、犯人が分かる。
だが、見なければ分からない。
♢
ジュリアを伴って劇場に入ったロメオは早速知り合いに捕まった。正確にはジュリアが、だ。
ジュリアは二年ほど前、商社を継いで四苦八苦しているときに知り合った。大手の取引先の一人娘だ。
ロメオの事情を知り、父親の協力を伴って仕事を手伝ってくれた彼女と親しくなるのに時間はかからなかった。
顔の広い彼女はどこへ行っても声をかけられる。それが次の仕事に繋がることもあり、ロメオにとっては非常にありがたいのだ。
もうじき、二人は結婚する。
「ロメオ、今夜の席はとても良い席だわ。こんなに近くて正面だなんて!」
「本当だ。ラッキーだったな」
並んで席に着くと、耳元に顔を寄せられる。
「さっき、化粧室に行った時にロレンス夫人とお会いしたのよ。宝石の件で相談したいと仰っていたわ。連絡するって」
「君と一緒だと仕事が降ってくるな」
「けなしている?」
「まさか。給与を支払うべきか考えている」
くすくすと笑うジュリアの髪を梳き、そのまま手を握った。左手の薬指にはダイヤが輝いている。
ジュリアと一緒にいる時は、三年前の惨劇を忘れられる。彼女は美しいだけでなく、知的で、朗らかだ。彼女を娶ることが出来るのは僥倖。
本当は彼女と結婚する前に犯人を見つけ出し、悔いなく新しい生活を迎えたいと思っていた。
見つめ合っていると劇場の明かりが落ちたので、目を離して壇上に注目した。繋いだ手はそのままだ。
演目は父を殺した仇に復讐する狂気の男の話。
自分のようだ。否。自分はまだ狂気には至っていない。すがるように、触れていたジュリアの手を握りしめる。
ロメオは壇上の主人公を、哀れだなと思った。客観的に見ればそうだろう。
復讐など考えず、前を向いて生きれば良いのだ。幸せはいたるところに存在し、手を伸ばせば掴むことが出来る。死んだ人間は生き返らないが、自分は生きていかなければならないのだから。
ふと、隣のジュリアに目をやる。
彼女は楽しそうな表情で壇上の俳優たちを見つめていた。
♢
「あら、嫌だ。雨が降ってきたわ」
高級レストラン「ド・ロレッタ」で食事をしていた二人は、デザートに差し掛かるところで窓を叩く雨に気が付いた。
その音は急激に強くなってくる。窓にも水滴が流れ始めた。
「大雨だな」
頷いたジュリアは少し不安そうな顔をしながら、ワイングラスを手に取って口に運んだ。
最後の紅茶を終えても雨は止まなかったが、そのまま馬車でジュリアを送ることにした。
ますます雨脚は強まり、屋敷に着く頃には土砂降りになった。
横殴りの雨に、傘を傾けてジュリアを抱えるように屋敷の門を潜ると、玄関に着いた時にはロメオはびしょびしょだった。
なんだかそれが可笑しくなってしまって二人で笑い合う。
「ロメオ、このまま帰ったら風邪をひいてしまうわ。少し暖まって、乾かして帰ってちょうだい」
仕事相手でもあるジュリアの父も出てきて、ロメオに暖炉のある部屋を勧めた。ロメオはありがたくその申し出を受け、コートを脱いで暖炉の前で乾かす。
炎の前の椅子で一息つくと、ジュリアがカップを乗せたトレーを手に入ってきた。
濡れた服を着替えた彼女はシンプルなワンピースで無防備だ。
「少しは暖まった? ホットミルクをいかが?」
「眠くなって帰りたくなくなりそうだ」
苦笑しながらジュリアからカップを受け取り、そのまま彼女を腕の中に閉じ込める。膝の上に座らせると、彼女のワンピースのパフスリーブが頬を撫でた。
「柔らかくて気持ち良い生地だな」
「ふふ。亡くなった母のものなの。母は着心地が良いものを好んでいたから。素敵でしょう?」
「うん」
ロメオはジュリアの首元に顔をずらし、息を吸い込んだ。コロンなのか、甘い匂いがする。魅力的で、扇情的で、頭が痺れる。
くすぐったいのか、ジュリアはくすくす笑い出した。
幸福を感じ、ロメオは目を閉じた。
このまま、仇探しなどやめてしまおうか。やめてしまえば良い。
この三年間、捕まえられなかったのだ。今後も難しいだろう。
観劇を見た時に感じたではないか。復讐などせず、前を向き、生きれば良い、と。
このままジュリアと結婚し、子どもを育て、幸せな家庭を築く。幸せが、目の前にある。
それでいいだろう。
柔らかな身体をより深く知りたくなり、ロメオはジュリアの背中を強く撫でた。
ジュリアはびくりと震え、悪戯をしたロメオの手を止める。欲望に、気付いたらしい。
「だめよ。もうじき結婚なんだから。神に誓うまでは」
「……分かっているよ」
ジュリアの肩をポンと叩き、帰ることを告げたロメオは、椅子に掛けておいたコートを手に取った。びしょ濡れだったが、もうおおむね乾いてきている。
玄関まで送ってもらい、名残惜しげに頬に唇を落とした。
「ジュリア、風邪をひかないように。おやすみ、良い夢を」
「ありがとう、ロメオ、あなたもね。おやすみなさい」
雨はまだ降っている。
手を振って、ゆっくりと扉が閉まった。
馬車が動き出した音を確かめて、ジュリアは扉に背を向けた。
大きく身体を伸ばしてよじる。背中から、ぱき、と音がした。
それから右脇腹を強く撫でる。
傷跡を、押さえるように。
傷跡を、確かめるように。
「……ああ、痛い……」
──こんな大雨の日は、特に。
《 Fin. 》