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彼に彩りを

ジャンル:ヒューマンドラマ

あらすじ:

大学で同じクラスの成瀬は顔がきれいな男。 ある日、成瀬がバイト先に現れたことで、私は彼の秘密を知ってしまう。 その秘密、一生そのままでいいの?


キーワード:大学生、秘密、復讐



※エブリスタから改題して転載しています、カクヨムにも掲載



 目の前の成瀬という男。


 彫りの深い目はくっきりはっきりしているし、そのまつ毛も黒々としている。妬ましいほど滑らかな肌に毛穴など見えず、果たして髭が生えるのかも疑問だ。

 そんなきれいな顔をしているのに、体は大きく髪がたてがみのようで、ライオンみたいだなといつも思う。


「弘川、数字、俺読むぞ」

「うん」


 成瀬が読み上げる数字をボールペンで実験ノートに記入していく。私は字がきれいではないので、役割は逆の方が良かったかも。


 計測を終えて実験ノートを差し出すと、成瀬は「字ぃきったねえな」と文句を垂れながら書き写した。同感なので反論しない。

 作業を終えて片付けると、それで授業は終わり。二人一組の実験班は解散だ。あとは各自レポートを出すだけ。


「ああ、レポート面倒だな。弘川、出来たら見せて」

「やだ」


 冷たく言った私に笑った成瀬は、実験のために外していた腕時計を付け直している。左手の手首と甲の間にほくろがあるのが見えた。


 私と成瀬は今学期、同じ実験班で一緒に実験をしている。他に接点はない。それだけだ。

 成瀬は声の大きな友人たちといつも大人数でつるんでいる。一方の私はそれなりに大学生活を楽しんではいるけど、成瀬に比べると友達は少ないだろう。



 初めて会った時から、成瀬は距離の近い男だった。

 同じ実験班になったときのこと。ほぼ初めて話すというのにあの男は「弘川、それはない」と引き気味に私の左手の甲を指差した。

 その日、複数の新しい友人とSNSのIDを交換することになったのだが、私はスマホを家に忘れてきた。そのため、後で入力できるように左手の甲に新しい友人の個人情報をびっしり記していたのだ。


 それがあの男の美意識的にナシだったようで、成瀬はノートの端をびりびり破ると私に差し出してきた。

 違うのだ。紙は私だって持っていたけれど、それに書くと後で忘れるから、手に書いたのに。


「耳なし芳一みたいですげえ気持ち悪いからやめて」


 そう言って成瀬は強引に個人情報を紙に書き写させて、私に手を洗えと命じた。案の定、個人情報の書かれた紙はポケットに入れたまま忘れ、洗濯されて散り散りになった。

 なお、成瀬のIDはスマホに入っていない。



 ♢



 私は大学から電車で一時間かかる街に住んでいる。一人暮らしだ。本当はもっと大学に近いところに住みたかったけど、家賃が高い。

 平日の二日と週末、昼から夜にかけて、私は家の近くのネカフェでバイトをしている。主に受付で、客にブースの案内をするのだ。


 ここには様々な客が来る。本当にネットをしたり漫画を読みにきたりする人は半分くらい。勉強や仕事をしにきている人や、ただ休憩でずっと寝ている人、もちろんネカフェを転々として生活している人もいる。



 その週末、私はいつも通り受付に立っていた。稼働率の高い週末夜、少し大きめのリュックを肩にかけた客が来店した。


「いらっしゃいませ、どのプランにいたしますか」


 その客の顔を見もせずに尋ねた私だが、返事がない。疑問に思って顔を上げると、そこには成瀬らしき男性が茫然と立っていた。

 成瀬らしき、と思ったのには訳がある。目の前の人物はガタイが良く骨太で明らかに男の体をしており、洋服も男物だ。


 しかし、顔はフルメイクだった。

 ブルーのシャドウ、睫毛は綺麗にカールされており、ほんのりオレンジチークにつやつやグロス、肌はキラキラしていた。そのため一瞬認識が遅れたのだ。

 が、間違いなく成瀬だった。会員証を出す左手首のほくろで確信した。


 私は正直驚いたが、今は仕事中で、目の前の美しい成瀬は明らかに狼狽している。店員として、知らぬふりを通すことにした。

 成瀬が震える指でプランを指差したので、ブース案内のカードと伝票を渡す。受け取った彼は一言も発さずに受付を通り過ぎた。



 ♢



「おい弘川、ちょっといいか」


 般若のような顔をした成瀬に声をかけられたのは次の日だ。実験以外で話しかけられたのは初めて。


 人の少ない廊下で二人きりになると、先ほどまで般若だった成瀬は豆柴のように小さくなり、私に懇願してきた。


「頼む、昨日見たことは誰にも言わないでほしい……」

「は?」

「き、気付いてただろ、引いたよな」


 引いたかどうかと問われて考えたが、特に引いてはいない。

 昨夜の姿は、姿形は男なのに顔だけ女性らしいフルメイクで、なんだかちぐはぐだったので混乱しただけだ。


「驚きはしたけど……、コスプレのためのお客さんも来るし。成瀬もそうなのかなって。誰にも言ってないよ」


 私がそう告げると成瀬は明らかにほっとして息をついた。

 それから、聞いていないのに自分の性癖を暴露し始める。


「その、メイクが好きで……、女装したい訳じゃないんだけど」

「ああ、男服だったもんね」


 彼の告白によると、成瀬はふらりと遠くの街に行き、適当なネカフェに入ってメイクをする。それで街を少しだけ歩き、今度は別のネカフェに行ってメイクを落として帰る、ということをしていると言った。


「おかしいとは思うんだけどやめられなくて……」


 話す成瀬を見つめていて気付いた。

 この男の肌がいつもつやつやなのは、もしかして。


「成瀬、普段からメイクしてる?」

「えっ!」


 私の指摘にぱっと顔を赤らめた成瀬は手で顔を覆う。当たりだったようだ。


「……バレてる?」

「いや、今の話聞いて気付いただけで。どうりで、肌はつやつやだし、お目々くっきりだと思った」


 うううと成瀬は唸ったが、すぐに諦めたように肩を落とした。


「まあいいや、バレてしまったものは。実はあちこちのネカフェを探し回るのも大変だったんだ。これからは弘川のいる店を使うことにする」

「はあ」


 それから成瀬は、メイク徘徊の際にはうちの店に来るようになった。



 ♢



「ああ、暑い。メイクがよれる」


 この言葉は私ではない。成瀬だ。

 成瀬は週に一回、メイク徘徊のために私の働くネカフェに来るようになった。


 店に来る時はいつもの成瀬。それから一時間ほどかけて自らにフルメイクを施し、一度店を出る。そして数十分街をうろうろし、また店に来て、今度は三十分ほどでメイクを落として帰るのだ。

 いや、正しくはメイクをし直しているのだろう。彼は普段からメイクしていると言ったから。


 ネカフェの短時間利用を繰り返すというのは非常にコスパが悪かろうと思い、私は店のクーポン券を成瀬に分けてやった。すると成瀬はいたく喜び、それ以来、メイク徘徊の後に時間が合えばお茶をご馳走になっている。


「汗でよれたりするの? 見た目には全然分からないよ」

「よれるよ。女子なら分かるだろ。って、弘川は大して気にしてなさそうだな」


 軽くバカにされたが、事実なので否定しない。私はおそらく成瀬の半分もメイクに時間をかけていない。


 成瀬のくっきりはっきりしている目も、黒々としたまつ毛も、毛穴も見えぬ滑らかな肌も、全てが成瀬の技術によるものだった。彼は毎朝スーパーナチュラルメイクを施してから登校しているのだ。


「なんでメイクし始めたの? すっぴんでも成瀬は顔が整っていそうだけど」


 気楽に尋ねてみた私に、成瀬は眉を寄せた。きれいな眉間にシワがよる。


「内緒にしてほしいんだけど」

「うん」

「ここに傷がある」


 成瀬が指差したのは右の眉の少し上。私も眉を寄せ目を凝らして見たが、全然分からず首を捻る。


「中学の頃さ、親父が荒れてて近所でも有名だったんだけど。ある日大暴れした親父が振り回した灰皿がここに当たっちゃって。鮮血ドバーよ」

「うわあ」

「それでここ縫ったら、傷跡に眉毛が生えてこなくなっちゃってさ。そしたらクラスの奴からフランケンシュタインってからかわれるようになって」

「ええ?」


 怪我をした部分に毛が生えてこなくなることは普通のことだ。その程度のことでフランケンシュタインとは、思春期という狂気は恐ろしい。


「それで眉を描くようになったのが最初。バレないように少しずつ傷を隠していってさ、段々眉が生えてきたように見せかけたらフランケンシュタインって呼ばれなくなったね」

「すごい技術だね」

「メイクってすごいよな。殴られて青痣になっても、上手く隠すことができる。自分の手で全然違う人間になれるし、鎧を着てるみたいじゃん。女の子は羨ましいし尊敬する」


 その尊敬する対象に私は入っていないようだけれど、まあいい。


「それでフルメイクするようになったの?」

「そう。メイク面白いし、なんか、やったら外を歩きたくなるんだよなあ」


 成瀬はフルメイクの後、人のいない薄暗い道をぶらぶらするようにしているため、驚かれたり振り向かれたりすることはほとんどないという。

 たった一人、違う自分になって街を歩くだけ。健全じゃないか。


「でも、メイクしなくても平気になりたいよ。プールも温泉も行かないようにしてて。困る」

「そりゃあ困るね」

「親父が荒れてたのもフランケンシュタインって呼ばれてたのもすごい昔なのに。思い出しちゃうんだよなあ」


 それから成瀬はずずずと音を立ててジュースを飲み干した。


「そうだ、弘川もメイクしてやろうか」

「やだ」


 私が断ると、成瀬はほんの少しだけ不服そうにまた眉を寄せた。



 ♢



 蒸し暑い日が続き、この時期は外を避けようとする人たちでネカフェも混み合う。週末なので成瀬も来るかもしれないが、満室の可能性もあるなと思った。


 大学では成瀬とメイクの話は全くしない。以前と同様に実験班で会うだけだ。

 しかし彼の趣味を知ってからよく見ると、やはりいつも肌はつやつやだし、爪の先も整えられているし、身嗜みに気を遣っていることが分かる。


「雨降りそうだねえ」


 ドリンクスタンドを調整していた店長が外を見て呟いたので、私もつられて窓を見た。外はどんより曇っている。


「弘川ちゃん、もう上がりでしょ? 傘は?」

「折りたたみがあります」


 すると、本格的に降ってきたのか、客が次々と来店してきた。急激に風が窓を叩き、雷の光が差し込み始める。

 突然、どこかに雷が落ちた衝撃音がして、私は身を縮ませた。


「うわあ、電車止まってるって」


 スマホを確認した店長が唸る。

 電車が止まり、悪天候から逃げてきた人でネカフェはあっという間に満室になった。


 成瀬はタイミング悪く入ってきた。雨を避けて来たのかずぶ濡れというわけではないが、肩口のところは服の色が変わっている。メイク道具が入っているであろうリュックは胸元に抱えていた。


「申し訳ありません、満室になってしまいまして」

「えっ」


 受付の私がそう告げると、成瀬はとても困った顔をした。少し声を落として助け舟を出す。


「私、もう上がりだからさ、電車が動き出すまでうちに来るといいよ」

「え、でも」

「多分他のネカフェもカラオケも、どこもいっぱいだよ」


 少しの間逡巡した後、成瀬は頷いた。


「……じゃあ悪い、雨宿りさせて」


 成瀬には受付の脇で待っててもらい、すぐに帰り支度をした私は成瀬を促して店を出た。


 外は豪雨。ほんの十分ほどでさらに風は強まり、横殴りの雨だった。

 激しい雨音で周りの音がよく聞こえないが、成瀬に「走るよ!」と告げると彼は頷いた。役立たずの折りたたみ傘を差すのは諦め、大雨の中を走った。


 バイト先から家まで徒歩五分。多分走って三分もなかったけれど、我が家に着いた時には私も成瀬もずぶ濡れで息が上がっていた。

 薄い扉を開けて中に入ると、狭い玄関は二人だけでいっぱいになる。


「ああ、ずぶ濡れだ」


 真っ暗な玄関に立ち、濡れた手で電気のスイッチを探す私に、急に成瀬が叫んだ。


「つ、点けないで!」


 突然の大きな声に、驚いて手が止まる。


「ど、どうしたの、成瀬?」

「ごめん、びしょびしょできっとメイク落ちてる。点けないで……」


 そのまま、成瀬はしゃがみ込んでしまったようだった。

 いま、成瀬は「いつもの」成瀬だ。つまり、スーパーナチュラルメイクの。


「ごめん、本当おかしいのは分かってるんだけど、素顔見られたくないんだ、ごめん……」


 震える声で懇願する成瀬に、「メイク落ちるくらい大したことないじゃん」とはとても言えなかった。

 成瀬は狭くて真っ暗な玄関で、ライオンみたいな大きな体を縮め、豆柴のように震えている。素顔を見られたくないがために。


 私はそれを見て、哀れに、同時に怒りを感じた。

 フランケンシュタインだとからかわれたと言っていたが、本当にただ、からかわれただけなんだろうか。実際のところは私には分からない。

 分かっていることは、成瀬は善良な人間なのに、メイクが落ち素顔を見られるだけのことに強く怯えている。そしてその原因は成瀬自身の不手際ではないのだ。


 私は丸まった成瀬の背中を優しく叩いた。


「ここ入ってすぐ左側が洗面所とお風呂なのね。びしょ濡れだからシャワーを浴びな。電気のスイッチは外側だから、中に入って扉を閉めてから手だけ出して、電気を点けなよ」

「……でも、ごめん」

「私も寒いから早くしてくれる」


 成瀬はぺたぺたと手探りで壁を伝いながら洗面所に入り、中から手を伸ばして電気を点けた。それから少ししてシャワーの水音がし、その音を聞いて私はほっと息をついた。


 浴室を出てからもしばらくは洗面所にいたので、おそらくいつものスーパーナチュラルメイクを施していたんだろう。男物の服はないので、私はオーバーサイズのシャツを洗面所の前に放り、とりあえず着るように告げた。

 それから成瀬と入れ替わって洗面所に入り、全ての服を洗濯乾燥機に突っ込んでお急ぎモードで回す。その頃には私も寒くなってきていたので、急いで熱いシャワーを浴びた。


 浴室を出ると、成瀬は狭い部屋で床に座っていた。しょんぼりと体育座りをしている様子は子どものようだ。


「しばらくしたらあらかた乾くからさ。なにか飲む?」

「……本当ごめん、家主よりも先にシャワーを借り、洗濯までさせて、あげくメイクの間も待たせてしまい」


 自分を責めるような成瀬の物言いに、私は先ほどの怒りが再燃した。別に、彼が謝るようなことがどこにあるのだ。


「あのさ、別に私は成瀬がメイクをやめる必要はないと思うけど、成瀬自身は素顔を人に見せられるようになりたいの?」


 私の声色に驚いたのか、たじろいだ成瀬の視線が泳ぐ。答えがないので私はため息混じりにそのまま続けた。


「……まあ確かに見せられるようにならないと大変かもね。プールも汗かくスポーツも大変。温泉も困る。これまでどうしてたのか知らないけど、好きな子と寝るってなったら悩むだろうし。将来家族ができたら、家でもずっとメイクするの? 子どもにプール連れて行ってって言われたら? 困るね。ああ、でも死ぬときは良いかもね。死化粧が不要だ」


 一気に言い切ると、成瀬は一瞬ぽかんとしたが、すぐに瞳に強い力が灯った。


「なんだよ。俺の気持ちなんて知らないくせに」

「成瀬の気持ちなんて分からないよ。でも成瀬の眉の傷も、素顔を見せられなくなった原因も、それは成瀬のせいじゃない。なのに、成瀬が傷を負ってそれに囚われてるのって、なんか腹立つ。報いを受けるのは原因になった奴らの方であるべきでしょ」

「はあ?」


 成瀬は私の言いたいことが分からないようで、眉を寄せる。いま、その眉の傷は見た目には分からない。


「弘川、なにが言いたいの?」

「復讐だよ」

「ふくしゅう?」


 私は頷いた。


「成瀬に心の傷を負わせたやつらに復讐だ」



 ふくしゅう、ともう一度繰り返した成瀬はまだ怪訝な顔をしている。


「父親は? いるの?」

「いや、もう死んだ」

「殺したの?」

「まさか」


 諸悪の根源の父親がいないなら、復讐相手は成瀬をフランケンシュタインとからかった男だ。


「酷いあだ名をつけた同級生はどこに?」

「地元にいるけど……」

「じゃあそいつをフランケンシュタインにしてやろう」


 成瀬は驚いて目を丸くした。


「本気か、そんな」

「成瀬って、殺人の復讐に燃える人に対して、殺された奴はそんなこと望んでないぞって諭すタイプ? 私は違う。大切な人が殺されたら間違いなく復讐するね。素顔で温泉に行きたくないの?」


 成瀬はしばらく逡巡してから、小さな声で行きたい、と呟いた。



 ♢



 それから日を改め、準備を整えた私たちは成瀬の地元の駅に集合した。フランケンシュタインにしてやる同級生を張るためだ。


 私たちの計画はこうだ。

 本当に傷を負わせると、極悪犯になってしまう。それはまずい。

 そこで、奴を捕まえて顔の至る所に油性マジックで傷跡を描いてやることにした。出来るだけ落ちにくいタイプのマジックだ。

 それでフランケンシュタインになった奴に成瀬が罵声を浴びせて、逃げる算段だ。


「弘川、本気?」

「当たり前じゃん」


 目出し帽は目立つので、私たちはサングラスとマスクをつけていた。それでも怪しいかもしれないが。


 周りは住宅街で、成瀬の実家も近くにあるという。その同級生はまだ実家にいることは分かっており、大学に行っているはず。私たちは奴が帰ってくるまで待つつもりだった。


 奴の自宅が見える道の脇にレンタカーを止める。住宅街ということもあり、人通りは少ない。

 運転席に座る成瀬は落ち着かないのか、ずっと貧乏揺すりをしていた。



 時折、どうでもいい話をしながら待ち続けて三時間、成瀬の目がサングラスの奥で二人組の姿を捉えた。


「来た」


 成瀬が指差す先には男女二人組。男の方は確かに同世代だ。あまり背は高くなく、中肉中背。マッシュルームカットの茶髪で、重い前髪の下で垂れ気味の目が笑っている。

 その隣の女に目をやると、どう見ても、母親だった。男と同じ垂れ気味の目がそっくりだ。男よりもほんの少しだけ背は低く、にこにこと笑っている。



 私は声も出せず、固まって二人を見た。

 目の前の二人は、腕を組んでいた。

 母親らしき女が、マッシュルームの同級生の腕に手を回し、密着している。母親は手ぶらで、マッシュルームは買い物袋を下げていた。

 二人はなにが楽しいのか、辺りに聞こえるくらいの声で笑い、マッシュルームは母親を「ママ」と呼んだ。


 あの男は家族であるママのことは大切にするくせに、家族に怪我を負わされた成瀬には低俗なあだ名をつけたのだ。



 呆気に取られて凝視していると、親子は一軒家の自宅の扉を開けて中に入ってしまった。

 私は動けなかった。


 隣の成瀬を見ると、成瀬も同じだった。力が抜けたように運転席のハンドルに手をもたれ、二人が消えて行った家の方を見つめている。


 私はなんだか、放心状態だった。

 別の世界の人間を見ているようだった。

 成瀬にトラウマを植え付けた酷い男は、きっと尖った男だろうと勝手に想像していた。「ママ」だなんて呼ぶマッシュルームではなく。


 成瀬は、はああと大きくため息をついてハンドルにもたれかかった。額がクラクションに当たってしまい、プッと鳴る。


「……成瀬。なんか、違う世界の人間を見ているようで、やる気が削がれてしまった」


 私が正直に言うと、成瀬はふっと笑みを漏らした。


「そうだな。本当に俺が気にしているだけで、あいつは昔のことなんてきっと覚えちゃいない」


 私たちはテロリストになることは諦めた。

 そしてそのままレンタカーでデパートに行き、あちこちのコスメブランドでBAさんにメイクしてもらうことにした。

 私も、成瀬も。



 ♢



 襲撃未遂以降も、成瀬はメイクをやめられなかった。スーパーナチュラルメイクも、フルメイク徘徊もだ。

 素顔を晒すことはまだまだ出来ないだろう。プールも温泉も行けない。でも以前よりも、もっとメイクを前向きに追求しようとしているように見える。


 私はたまに成瀬にメイクを教えてもらうようになった。

 雷のあの日、狭い我が家で成瀬が座っていた場所に今度は私が座る。向かいに座った成瀬が私のまぶたに彩を塗るのだ。


「弘川はさ、ちゃんとやればきれいになれるよ。素材が良いから」

「お褒めの言葉はありがたいけど、忙しいから時短メイクを教えて」


 私が正直にそう言うと、成瀬は呆れたように笑った。

 今日も彼の肌はつやつやだ。




 《 おしまい 》


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