ワガママお嬢の、アレちょーだい!コレちょーだい!
ジャンル:恋愛とヒューマンドラマとすこしふしぎのごった煮
あらすじ:
強奪姫ザラ・ウィンダムとそのクラスメイトフィリップの話
ザラ・ウィンダム令嬢が『強奪姫』と呼ばれているのをご存知だろうか。
大きな商家の娘である彼女は、我儘で傲慢。そして圧倒的に美麗。
食べ物から始まり、食器、アクセサリー、挙句の果てにはドレスまで。欲しいものは力ずくでも奪う。
それが強奪姫たる所以である。
ザラは昔からそうであった。
普段はお手本のような令嬢なのに、とにかく人の持っているものに惹かれるようなのだ。
──例えば扇。
幼いザラは母に連れられた園遊会で、少し年上の少女の持つ華やかなそれが欲しくなったらしい。
「ちょーだい! ちょーだい!」と喚き、泣き叫び、件の少女の服を引っ張った。
結果、少女が折れ、扇を譲ったのである。
──例えばペット。
よその邸宅で拾われて飼われ始めたという子犬を見たザラは、猛烈な駄々を発揮した。
その場で犬を譲ってくれなければ帰らないと暴れたのである。
この頃にはザラはすでに強奪姫として名を馳せていたので、相手方は早々に諦めて子犬を差し出した。
このようなとき、母であるウィンダム夫人はなにもしない。
ただニコニコし、娘の暴挙を眺めるだけである。
そして相手が折れると「ごめんなさいね、ありがとう」といい、折れないときには「悪いけれど譲って頂けませんこと?」と娘の望みを丸呑み。後ほど、奪ったものより高価な返礼品を相手に送ることで強引な解決を図るのである。
さすがにザラが泣き喚くことは今はない。それでも他人の持つものを欲しがる性質は変わっていない。
──昨日もそうだった。
フィリップは教室で斜め前に座るザラの金髪を眺めながら思い出した。
昨日二つ下の弟と校舎の園庭にいたところ、ザラがふらりとやってきて弟の持つものを指差した。
「美味しそうですわね。それ、くださらない?」
フィリップは弟と顔を見合わせた。弟の手にあるのは、安価な飴玉だ。そのへんの店で普通に買えるもの。
フィリップは怪訝な顔でザラに確認した。
「……ただの飴玉だぞ?」
「知っていますわ。でもわたくし、それが欲しいの」
また弟と顔を見合わせる。
フィリップは目を伏せて首を横に振った。
ザラは、諦めない。弟は飴玉を差し出した。
「どうもありがとう。後で代わりの品を送らせますわ」
そう言って後ろに控えるメイドに目配せし、去って行った。そして本当に、飴玉の倍以上の価格のする砂糖菓子がその日のうちに送られてきたのである。
このように、フィリップや周りの人間がザラの強奪に遭うことはたまにあり、彼女は学園の中でも遠巻きにされていた。
当然であろう。いくら代わりのものが送られるとはいえ、自身の品を強奪されるのだから。
しかし、フィリップ自身の印象は少し違った。
学園で入学当初からクラスが同じだった彼も度々強奪に遭うことはあったが、むしろ、フィリップは彼女のことを公平な人物だと感じていた。
彼らの通っている学園は身分の差はなく平等に学ぶことを基本としているものの、裕福な家の生徒とそうではない生徒たちに溝があることは明白である。
しかし、ザラは相手が誰であろうと等しく強奪対象なのだ。外交官の娘から化粧品を、農家の娘から髪留めを奪う。
そして物を強奪する以外は大変優秀な令嬢なのだ。
「わたくしの頭に何かついていて、フィル?」
見つめていたのが知られ、ザラが振り向いた。輝く金髪が揺れる。黙っていれば人形のようなのになぁとフィリップは小さくため息をついた。
「なにも。次の試験が近いなあって」
「一緒にお勉強を?」
「冗談だろ」
鼻で笑えば、ザラも微笑んで前を向いた。
試験順位は入学してから変わらない。ザラが一番、フィリップが二番である。
負かしてやって悔しがる顔を見たいと思うのに、いつも勝てないのだ。
♢
試験を控えたある日の昼、フィリップは久々にザラの強奪に遭った。
「フィル、そのお弁当美味しそうね。交換してくださらない?」
「ええ……?」
ザラの視線の先にあるのはなんの変哲もない、母の作った弁当である。パンと、我が家の定番の肉と野菜を甘辛く煮たやつと、別の器に冷めたスープが入っている。
対する、ザラの手元にあるのはハイグレードなレストランで出されるようなランチセット。交換というには釣り合いが取れない。
「……なんで」
「わたくし、いつものランチに飽きてしまって」
「そっちの方が絶対うまいぞ」
「わたくし、それが欲しいの」
そのセリフを発して逃げられた者はいない。フィリップは自分の弁当を渡し、代わりに高級ランチセットを手に入れた。
ザラは「どうもありがとう」と言うと、その場を去った。
お姫様の考えることはよく分からないな、とフィリップは首を捻りながらもっちりしたパンを口に入れた。間に挟んである肉から甘い肉汁が滴りそうになり、慌ててすする。
母の料理は好きだが、しかしレストランで出されるものと比較するようなものではない。
絶対こっちの方が美味いのにと思いながら、フィリップはぺろりと平らげた。
フィリップの父は警邏をしている。父、母、弟、自身の四人家族。
ザラのいるウィンダム邸のある高級住宅エリアとはずいぶん離れた、小さなタウンハウスに住んでいた。
「ただいまー」
空のランチボックスの入った手提げをぶらぶらさせながら家に帰ると、母が飛び付かん勢いでやってきた。
「フィル! あなた大丈夫だった?」
「は? なにが?」
「お弁当!」
意味が分からず、首を捻る。
「いつものおかず、調味料間違えちゃってとんでもなく辛かったのよぉ! ごめんね、大丈夫だった?」
「弁当……」
母の後ろでは弟が笑っていた。
「信じられない味だったよ! 腹減ってたから食べたけどさー。喉渇いて仕方ないよ」
『料理の味見しないんか……』と引くと同時に、フィリップはすぐにザラのことを思い出した。うわ、やばいと思ったところで、とうに昼は過ぎている。
なんでも食べる弟が「信じられない味」と評するのだ。シェフの料理しか食べないであろうザラなんて、具合が悪くなっている可能性がある。
試験も近いのに。
フィリップはその日、心配でなかなか寝付けなかった。
「ザラ!」
不安を抱えたフィリップがいつもよりも早く学園に行くと、ザラは普通に来ていた。
特に具合が悪そうな様子もない。慌てた様子のフィリップにきょとんと目を丸くする。
「ごきげんよう、フィル。どうかなさったの?」
「だ、大丈夫だったか? 昨日の弁当で、腹は?」
「お腹?」
「ええと、下したりは……?」
恐る恐る聞くと、ザラは目をパチパチさせた。
「とても美味しかったですわごちそうさまでした。後で容器を返させます」
「むむ……」
しっかりと皮肉を言われたものの、返す言葉もない。不味かったのは確かだ。まあ、具合が悪くなってないならいい。
心配して損した、と自席に着くと、近くの女子たちの噂話が耳に入った。
「ねぇ、聞いた? ザラさんが奪った髪留めの話」
「聞いた聞いた。留金で怪我するからお店で回収になったって」
「人のもの獲ってそれが不良品だなんてねー」
「バチが当たったのよ」
くすくすと揶揄して笑う。
聞こえているのかいないのか、ザラはすました顔をしていた。
♢
試験の結果はぼちぼちだった。
ザラが一位、フィリップが二位。結局いつも通りの結果に、やっぱりあのときに腹を下してくれたらよかったのに、とひとりごちる。
ふん、と拗ねつつも昼食を食べていると、ザラが自分のランチボックスを持ってやってきた。
「ご一緒しても?」
「今日はメシやらんぞ」
そう言いつつ場所を開けてやれば、ザラは向かいの椅子にふわりと腰掛けた。
「なんだよ、万年二位を憐れみにきたか?」
「いいえ、あなたの小論文を読んで、素晴らしかったからどんな資料を参考になさったのか聞きにきましたの」
「ああ……」
試験の総合成績は二位だったものの、その中の小論文だけはザラに勝ったのだ。参考図書を素直に教えてやると、彼女は頷きながら小さな紙にメモしていた。
「どうもありがとう。わたくしも読んでみます」
「礼になんかくれ」
悪い考えが浮かんだ。
いつもと逆で、強奪姫から何か奪ってやろうと思ったのだ。
にやりと笑ったフィリップに、ザラが目を丸くする。
「なにかって……、これかしら?」
「弁当はいいよ、こないだもらったし。そうじゃなくて、お前じゃないと持ってないような、なにか」
ザラはフィリップの瞳をしばらくじいっと見つめてから、小さく頷いた。
「分かりましたわ、では」
言いながら、自分の制服の首元に手をかける。
普段きっちりと閉めている襟元に触れ、襟下に通している朱色のスカーフの留め金を外した。
「え」
どきりとして一瞬固まるフィリップを尻目に、ザラはあっさりとスカーフを抜き取って差し出した。
「はい、どうぞ」
「ええ……?」
なんかくれとは言ったが、まさかのスカーフ。
だが、女子のスカーフをもらってどうしろと言うのだ。『女生徒のスカーフなんて貴重だからありがたく受け取れ』とでもいう意味なんだろうか。そんな趣味はない。
「困惑なさっていらっしゃる? でも受け取った方が賢明ですわよ」
「ええー、どうしろっていうんだよ……」
「役に立ちます」
ザラはスカーフを押しつけて、席を立った。
「ええー……?」
フィリップは仕方なく、そのスカーフをポケットに入れた。
その日の帰り。
フィリップは弟と一緒に帰ろうと、学園の入口で待っていた。別に一人でも帰れるのだが、家が遠いのでなんとなく時間が合えば一緒に帰っている。
弟がやって来るとその隣をザラが通り過ぎ、「ごきげんよう、お気を付けて」と言ってお迎えの車に乗った。適当に手を上げて返す。
「にいちゃん、強奪姫と仲良いよね」
「よくない」
「じゃあ気に入られている」
「あいつ、誰に対してもあんな感じ」
決して気に入られているわけではない。ザラは誰が相手でも態度を変えない。
自分はザラを試験で負かしてやりたいと思っているけど、きっとザラはそんなこと気にもしていないだろう。
夕暮れ時を弟と並んで歩く。日が暮れるのが早くなってきた。カードゲームの話をしながら近道を通る。急な階段の通路を降り切れば、家はもうすぐ。
「そんでそのカードすげえ強かったんだけどルールで禁止になっちゃってさあ」
「強すぎたから?」
「そうそ、うわっ!!」
「あっ!!」
隣で階段を降りていた弟が、足を踏み外し転げ落ちた。
階段の下でしゃがみ込んだ弟に慌てて駆け寄る。
「大丈夫か!?」
「痛ってー……、やべえ血が」
幸い骨が折れたりはしなかったようで体は動いているのの、額をどこかで切ったのか、血が滴っていた。頭からの出血は量が多い。すぐに弟のシャツが汚れた。
「わわわ、ちょっとじっとしてろ」
フィリップは慌ててポケットをまさぐった。自分のハンカチとともに手触りの良いスカーフ。
躊躇う間も無くハンカチを弟の額に当て、スカーフを頭に縛って止血する。
家はもうすぐだが、医者も近い。立てるという弟を支え、フィリップは医者へ向かった。
幸い、数針縫っただけで済んだ。
「久々に怪我したわー、にいちゃんごめんな」
「いや、大したことなくてよかったよ」
「てか、それなに?」
血で汚れたスカーフを指さされ、慌ててまたポケットに突っ込む。「なんでもない」と言って帰宅し、フィリップはこっそり水場に向かった。
スカーフを水に浸しながら、ぼんやりと考える。
──役に立ちます。
ザラは、そう言った。
確かに役に立った。血の滴る弟の頭をぎゅっと縛るものは他にはなかった。役に立った。
まるで、分かっていたみたいだ。
ぞくりと震えた。
あの意味深なことば。
──ザラは分かっていたとしたら?
思い出す。
弁当を交換したあと。
ザラは「美味しかった」と言った。あれは不味いものを食べたことへの皮肉だと思った。
しかし、ザラは本当に弁当を食べたのだろうか? 実は食べていないとしたら?
大工の娘から奪った髪留め。
留金で怪我をするから店で回収になったと噂されていた。
その前は?
いや、弟の飴玉は何も問題がなかったはずだ──
心の中に不気味な予感が渦巻き、動悸がする。
たまたまのはずだ。だが?
フィリップはスカーフを洗い終えると、桶をそのままに家を飛び出した。
「フィル、どこ行くの!? もうご飯よ!」
「すぐ帰る!」
自転車に乗り、ウィンダム邸を目指す。
すでに暗くなっており、人通りもまばら。高級住宅エリアに自転車で移動するような人間はいない。
しばらく走って目当ての屋敷に辿り着いたフィリップは、荒い息のままウィンダム邸の塀から中を覗き込んだ。暗い庭が広がり、その先に灯りの灯った屋敷が見える。
「おい」
「ひっ」
急に明かりを向けられ、顔を背けた。大柄な男。服装からして警備だろう。
「ん? お嬢さんの学園の生徒か? なんだ、付きまといか?」
「ち、ちが、違います。犬を」
「犬?」
制服のままだったことでいきなり捕らえられることはないようだが、不審者には変わりない。警備は鋭い視線をフィリップに向けた。
「ええと、あの、ザラさんが二年くらい前に飼い始めた犬って……」
「犬?」
警備が首を傾げる。
「この家にはペットはいないよ」
「え、でも……」
心がざわざわする。
「いや、そういえば一時期だけいたな。お嬢さんがもらってきた犬」
「それです!」
「でもずいぶん凶暴だったんだよ。誰が相手でも噛みつこうとして。結局田舎の知り合いにもらわれて行ったって聞いたよ」
言葉を失って立ち尽くす。
警備は「暗いからさっさと帰りな」とフィリップを追い払った。
♢
綺麗に洗ったスカーフを畳み直し、フィリップはザラに差し出した。
図書館。
誰もいない自習室で一人本を読んでいたザラは、差し出されたものに気付き顔を上げた。
「フィル、それは差し上げたものでしてよ」
「どうなったか知りたいかと思って。ああ、それとも全部視えているのか?」
ザラは一瞬瞠目してから、目を細めてフィリップを見据えた。
「…………知られてしまいましたわね」
──殺られる!!
瞬時にそう思った。
ザラの秘密を知ってしまった。間違いない。ザラは先が視えているのだ。
きっと秘密を知ってしまった自分を森に埋めるか、海に沈めるか、凶暴な犬の餌にしてしまうに違いない。
悲鳴を飲み込んで、フィリップは逃げ出そうと腰を引いた。だが、お姫様らしからぬ強い手で腕を掴まれ、離れられなくなった。
「知られてしまっては仕方ありません」
「いいい、いや、ごめ、内緒にしとくから……」
「結婚いたします」
────は???
予想外の言葉がザラから発せられ、フィリップは呆けて固まった。なぜ、突然結婚するなどという話になるのか。
「……それは、どうもおめでとう……」
「なにを仰っているのです? あなたとですわ、フィル」
「はあぁあああぁ!!???」
いよいよ掴まれた手を振り解く。
「なんでいきなり俺と結婚とかいう話になるんだよ!!」
「わたくしの秘密を暴いた初めての方だからですわ」
「言い方!! ていうか、お前わざと気付かせただろ!」
指を突きつければ、ザラがにっこりと微笑む。
「そんなこと」
「嘘つけ! 意味深にスカーフを役に立つとか言って! そんで帰りに怪我したらなんかあるって気付くわ!」
「そうそう、怪我は酷くありませんでしたこと?」
「酷くなかったけど、分かってたなら怪我しない方法を提示してほしかったね」
「そこまでは出来ませんでしたわ」
視線を逸らしたザラは、ぽつりぽつりと話した。
幼い頃から、先の悲劇がぼんやりと視えること。それを回避しようと、キーとなるものを排除するようになっていったこと。
母から扇で叩かれる少女、犬に噛まれて重傷を負う年上の友人、留金の不良による髪留めでの怪我、飴玉を喉に詰め、弁当で腹をこわす、未来。
「断片的にしか視えないのです。だから全てを回避することは難しいのですけどね」
「……俺から奪った弁当はお前が食べたのか?」
「ええ。こう見えてわたくし体が強いのです」
「性格の悪いやつ」
舌打ちしてそっぽを向く。
ザラが食べなかった故の「美味しかった」という言葉かと思ったが、そうではなくそのままの皮肉だったらしい。
「でも気付いて頂けてよかったですわ。他の方から物を奪って対応するにも限界がありますでしょう?」
そういうザラの視線の先、本棚の死角にはいつもそばに控えさせているメイドがいた。訳知り顔で頷いている。
どうやら彼女の不思議な力は家族も承知らしい。だからウィンダム夫人も強奪を繰り返す娘を咎めなかったということか。
「……俺を巻き込むつもりか?」
「ええ」
「なんで俺なんだよ」
はあと息をついてザラを見れば、彼女はにっこりと微笑んだ。
「わたくし、あなたが欲しいの」
息を呑む。
だって、ザラのその言葉から逃げられた者はいないのだ。
《 おしまい 》