ペンギンの魔法
ジャンル:ヒューマンドラマと現実世界(恋愛)の間くらい
あらすじ:
仕事は忙しく恋人に振られ。気まぐれにペットボトルを買ったらペンギンのスタンプのおまけが付いてきた。それを机に置いていたら、なぜかだんだん増えていくぞ?
(ホラー要素はありません)
疲れた。
繁忙期である。
営業からの依頼は普段の二倍、しかもスケジュール詰め詰め。通常は五日は見て欲しいところを三日で出せなんて、無茶が過ぎる。
さらに製造された新製品に不良があり、急遽検品地獄。冷房のない倉庫で五時間、立ちっぱなしで検品、検品、検品。
すべてを終えて会社に戻れば、なぜか作業室が停電していた。
やばい。加熱あるいは冷却の必要な急ぎ試作品が全ておじゃんになってしまう。同僚と手分けして別室に移動させたら、移した途端に停電は回復した。
うん、おじゃんにならなかったのだから良かったと思おう。ぐったりと脱力しつつも試作品を元に戻して──。
ようやく自分のデスクに戻って私用スマホを見れば、恋人からのメッセージ。
『連日連日、本当に仕事? 嘘だろ? もういい』
私はスマホを放り投げた。
いやいやいや。
いやいやいやいや!!
仕事じゃん! 仕事に決まってんじゃん!
確かにしばらく放っておいたのは悪いと思うけれども、いやしかしこちとら会社員でそれなりに年数重ねてやってるんじゃん! 忙しければ連絡も出来なくなるじゃん!
恋人が私に不信感を抱いているのは知っていた。
彼の会社は業種的にうちほど忙しくなく、残業も多くない。だからといって他の会社もそれが当然だと思わないで欲しい。
うちだって、別にブラックだというわけではない。忙しさに波があるのは当然のことだと思うのだ。しかし彼にそれは理解できないらしい。
「もうっ!」
思わず悪態をついてしまい、慌てて口を噤んだ。まだオフィスに他の人もいる。斜め向かいからチーフがちらりとこちらを見たのに気付き、素知らぬ顔をした。
すでにとっぷり日が暮れているもののまだ仕事は終わっていない。
気持ちを切り替えるために、オフィスの一階部分にある24時間営業のコンビニに降りた。
お腹が空いたのでシリアルバーを一つと、ジャスミン茶を手にする。持参している水筒はとっくに空になってしまっていた。
「ん?」
ジャスミン茶にはおまけがついていた。ビニールに入った何かがキャップに引っ掛けられている。
オフィスに戻って開けてみたら、それはペンギンのスタンプだった。なにかのアニメのキャラらしい。飲料の販促なんだろう。
スタンプの持ち手のところはそのペンギンで、休日のおじさんのような格好で気だるげに寝転がっている。
試しにメモにハンコを押してみたら、ハンコも同じ絵柄だった。
それと絵柄を囲むように、
『もう頑張らなくてもよくない?』との文字。
「……ふふっ」
そうはいっても、社会人には頑張らねばならぬ時もあるのだよ。
私はキーボードの脇にペンギンを置いて、仕事を再開した。
♢
二日後。
ペンギンが増えていた。
「……えっ?」
あれ以来、ジャスミン茶は買っていない。
しかしキーボードの横にペンギンが二体。一つは私が先日入手した、寝そべりペンギン。その隣に、胸を張って仁王立ちする、ペンギン。
誰かの忘れ物だろうか? いや、それはないか。わざわざ今あるペンギンの隣に置いてあるのだ。誰かがくれたのだろう。
メモに仁王立ちペンギンスタンプを押すと、絵柄の周りに
『よくできました』。
「ふふふ」
なんだか自分が誉められた気がして、嬉しくなった。
それから、私の知らぬうちにだんだんとペンギンは増えていった。
気付けば、二週間で六体。キーボードの隣に鎮座している。二日に一度ほどの頻度で増えるのだ。誰かが私にペンギンをお供えしていってくれているのである。
しかもどれも被っていない。調べたらジャスミン茶のおまけは全部で八種類。そろそろコンプする。
朝、出社した時に「今日は新入りペンギンいるかな」とちょっとワクワクし、退社時には綺麗に並べ直して帰るというのがここ二週間の私の日課だ。
ペンギンはどれも可愛く、スタンプの文字は働く社会人に優しいものばかり。癒される。
気まぐれにスタンプを使ったりもする。他の人への書類の添付メモに、『お疲れさま』と茶を差し出すペンギンや『ありがとう』とにっこりするペンギン。可愛い。
だが数が増えてくると、一体誰が置いていっているのかの方が気になってきた。
そう。
二週間たっても、誰がペンギンを置いてくれているのかわからないのだ。
誰なんだろう。気になる。
あと単純に、こんなにたくさんもらってしまってはちょっと悪い気がする。私にくれるのはどれも被っていないのだから、お供えの主の手元には被っているペンギンもいるだろう。きっとジャスミン茶をがぶ飲みしているはずだ。
ペンギンを増やしているのは、オフィスの誰かだろうと予想する。
デスクの近い人で、私の退勤後か、出勤前。いない隙を見計らってデスクにこっそりペンギンを追加できる人。
思い当たる人間は三人。
まず課長。課長は誰よりも帰るのが遅い。しかし分刻みのスケジュールをこなしている人だ。部下のデスクなんて見ていないだろう。
それにペンギンを加える余裕があるなら、先週提出した書類のレビューが早く欲しいのが正直なところだ。
二人目は斜め前の加地チーフ。三つ上の男性社員である。
遅い時間にメールを送ると『遅くまでお疲れ様です』という文言付きで返ってくる、親切な先輩。
とはいえ、ペンギンを集めるとは考えづらい。柔道をやっていたという噂を聞いたことがあるが、その通り結構な体格であり、伸びをした拍子にワイシャツのボタンが飛んだ瞬間を過去に目撃したことがある。
なんというか、ゆる系ペンギンを集めるようには見えない。家にダンベルをコレクションしている、ならまだ分かるけども。
一番可能性が高いのは隣の席の倉橋さんだ。
子持ちの彼女は私よりも出社が早く、残業はせずに時短で帰る。繁忙期で忙しい私を哀れに思ってそっとペンギンを供えてくれているのかもしれない。
いまさらとは思ったものの、私は倉橋さんに訊ねることにした。
「倉橋さん、倉橋さん。このペンギンのおまけスタンプ」
「あー、小牧さん、集めてるんだねー。スーパーで見かけないけどコンビニに売ってるの?」
「えーと、はい、そうですね」
「小牧さん、たまにメモに押してくれるじゃん、あれちょっと嬉しい~」
「可愛いですよねー」
違った。倉橋さんではなかった。
ということは、まさか加地チーフ……?
衝立の隙間から、斜め向かいの席にいる加地チーフを覗き見る。
目つきは鋭いものの、見た目とは対照的に優しいタッチでキーボードを叩いている。繁忙期なのはチーフも同じだ。
でも自分の仕事も忙しいはずなのに、私が相談や報告をしたらレスポンスが速いのが非常に助かる。
そもそも、あんな厳つい容姿のチーフがジャスミン茶を飲むのだろうか……?
いや、見た目で判断してはいけない。ああでも、似合わない。それに、普段彼は会社に備え付けのサーバーからブラックコーヒーを飲んでいるようだし。やっぱり違うかも? でも加地チーフ以外に思い当たる人がいない。
じぃっと見つめていたのがバレたのか、チーフがこちらに視線を向けたので慌てて逸らした。
加地チーフに直接訊ねればよいのだが、彼と仕事以外の話をしたことがない。独身であり、柔道家だったという以外情報はない。
世間話すらほとんどしない後輩の机に、ペンギンのおまけをわざわざ置くような人だろうか?
「分からん……」
だんだんと、ペンギンではなく供え主の方が気になってきている自分がいた。
♢
さらに二日後、ペンギンのコンプまで残り一体となった。
新入りのペンギンは、ペコリと頭を下げている。丸くて青い頭をつんつんしたらバランスを崩して倒れた。
加地チーフはまだ来ていない。だが、昨日の夜は私が帰ってもまだ残っていた。
「おはよう」
「お、おはようございます」
新入りペンギンをじっと見つめていたら急に低い声をかけられて、びくりと体が跳ねた。
加地チーフは自分のデスクに鞄を置いてパソコンを立ち上げると、いつも通りサーバーの方に向かった。
その後ろ姿を目で追う。パリッとしたワイシャツの下に、隆々の筋肉が張っているのが分かる。
私は試してみることにした。
回覧書類にメモを張り、『金曜までにお願いします』と書き、その横に新入りペンギンのスタンプを押す。『よろしくお願いします』の文字。
チーフがコーヒーを手に戻ってきたところで席を立った。
「加地チーフ」
「うん?」
「これ、回覧お願いします」
メモ付きの書類を渡す。ドキドキしながら、メモに目を落とす加地チーフの反応を窺った。どうだろう?
「……ん、分かった」
いつもより反応が遅い。もしかして!
「あの、チーフ、もしかしてこの」
言いかけたところで、私の社用携帯が鳴った。加地チーフはもう一度「見とくよ」と言い、電話を取るよう促す。
仕方なく頭を下げて自分のデスクに戻り電話を取ると、営業からだった。
「小牧です」
『あー! 小牧ちゃん、ごめん急ぎでお願いしたいのあってさー!』
「はい」
急ぎ試作品の依頼だった。
スケジュールの組み替えを考えながら、内容を聞き取る。今日の予定は後回しになってしまったが仕方ない。
通話を終えると、加地チーフが話しかけてきた。
「急ぎか?」
「はい。でも大丈夫です。明日、価格も出すのでご確認お願いします」
「わかった」
今日も残業だ。
私は素早くメモをまとめると、作業室に向かった。
一通り作業を終えてデスクに戻ると、窓の外はもう真っ暗になっていた。
今気付いたが、金曜日。同僚たちもいつもより帰るのが早い。残っているのは課長だけ。疲れたし、今日はもう帰ろう。
私はキーボード横のペンギンたちを綺麗に並べ直した。
「……かわいいねぇ」
来週は最後の一匹がやってくるだろうか。
それを考えると、ほんのり寂しい気もする。コンプしたらもう朝のワクワクもおしまいだろうから。
「お先に失礼します」
「おつかれー」
課長に挨拶してオフィスを出て、会社ビルを出ようとしたところで。
「サクラ!」
自分の名前を呼ばれて足を止めた。
声のした方に目を向ければ、久々の顔。元カレだった。
「あ、久しぶりー」
「あ、ああ」
困惑した元カレの様子で気付いた。
そういえば『もういい』のメッセージをもらってから会うのは初めてだ。あのメッセージに返事もしなかった。なのに普通に「久しぶりー」とか言ってしまった。
元カレはおどおどと視線を向けてきた。
「あ、あの、サクラ。あのとき、無神経なこと送って悪かった」
「ん?」
「俺、女が仕事でこんなに忙しいなんてあり得ないだろって、浮気だと思ってたんだけど……、友達に聞いてまさかこんな大きな会社だとは思わなくて」
ちらりと、元カレがビルを見上げる。過去に会社名を伝えてはいたが、よく分からなかったらしい。
どうやら謝罪しに来たようだが、その発言には引っかかる。私は少しムッとした。
「忙しさに性別も会社の規模も関係ないよ。仕事だもん」
「そ、そうだよな。だから俺、お前のこと支えようと思って」
「ん?」
「俺、今の仕事辞めてもいいかなって思ってて。お前が忙しいんなら存分に仕事出来るようにサポートを」
「は、はぁー!?」
こいつ、私に養えというのか!?
「結構です! 連絡しなかったのは私が悪かったけど、でもあなたとは無理。さよなら」
「待てよ!」
元カレを無視して帰ろうとしたら、腕を掴まれた。
「やめて」
「話し合おう、そしたら誤解も解ける」
誤解なんてどちらもしていない。それに私の職場を知って態度を変えるなんてどうなの?
こんな人と付き合っていた自分を呪う。
なんでこんなことに。金曜日だというのに!
「ちゃんと話聞いてくれよ!」
「やだ!」
「どうしましたか?」
腕を振り払おうとしたら、すぐ後ろから低い声がした。
振り向けば加地チーフが立っていた。
「チーフ……」
「弊社の社員がなにかご迷惑を?」
混乱した頭が覚めていく。ほっとして視線を落とす。
加地チーフも帰りがけのところらしい。手には鞄とコンビニの袋。
そしてその中に、おまけのついたジャスミン茶。
「あっ!!??」
私の目はそれに釘付けになった。
見覚えのあるコンビニの袋から覗く、おまけ付きのペットボトルが二本。
「い、いや俺、サクラの恋人なんですけどちょっと喧嘩をして仲直りしようとしていたところなんで」
「仲直り? その割に彼女は嫌がっているようでしたが」
「そんなこと……、そんなことないだろ、サクラ?」
「え、は?」
二人のやり取りを全然聞いてなかった。
いやそんなことよりも!
やっぱりペンギンの供え主は加地チーフだった!
今すぐ確かめたい。
私は元カレに詰め寄った。
「ごめんだけど、本当にもう無理だからお別れして」
「え……、だから話を」
「無理無理無理無理」
「え……」
強く首を横に振る私の剣幕に元カレは若干引き、顔を歪ませて帰って行った。
その背を見送ってから、今度は隣の加地チーフに食い気味に詰め寄る。
「チーフ、ありがとうございました!!」
「いや……」
「ペンギンは加地チーフだったんですね!」
「あっ」
一瞬、『やばい』といったような顔をしたチーフが手元の袋を見下ろす。やっぱり、中にはおまけ付きのジャスミン茶が二本。
にんまりしてしまった私とは対照的に、彼は気まずげな表情をしていた。
「私、ここ最近ペンギンのおかげで元気をもらってました! 毎朝、新しいペンギンが来てないかなって。誰が置いていってくれてるのか気になってました」
「……勝手にすまなかった。これが好きなのかと思って……」
「好きです、嬉しかったです。ありがとうございます!」
ペンギンのおまけ付きペットボトルを買ったのはたまたまだ。残業で、手持ちの水筒の中身が無くなったから。
でもそれがきっかけでこの二週間、可愛いペンギンに囲まれて楽しかった。
「チーフ、あと一つでコンプリートですよね。中身気になりません……?」
窺うように言うと、加地チーフはパッと顔を上げて「気になる」と頷いた。それから腕時計に目を落とす。
「腹減ってないか? 何か食べに行って、そこで開けてみよう」
「はい!」
私はうきうきしながら加地チーフの隣を歩き出した。
《 おしまい 》