アレはなかったことにしてください
ジャンル:異世界(恋愛) R15
あらすじ:魔女が育てた弟子による下克上
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
混乱して、私は目の前の男から顔を背けた。
彼は私の弟子。いま、私は手を握られ、跪いた彼からキラキラした目を向けられている。
彫刻のように美しい顔の造形に、いつの間にか私よりも大きくなってしまった身体。子どもの頃の印象しか頭の中に残っていないので別人のように感じる。
引き気味の私の様子に気付いたのか、弟子は握る手の力を強めた。すごく痛い。こいつ、師匠に向かって強化魔法を使っていやがる。
「先生、結婚してください」
「いやいやいやいや……」
その言葉を聞いたのはずいぶんと久しぶりだ。昔はよく言われていた。
しかし、子どもの戯れだと思っていたのに──
♢
弟子は、街でスリをしていた子どもだった。
買い出しをした私の財布を盗もうとしたところを捕まえたのである。
ちょうどその頃私は独立したての魔女で、人手が欲しかった。その子が、身寄りがなく警邏に突き出されたら困ると喚くので、連れ帰って助手兼弟子にしてしまったのだ。
弟子は飲み込みが早く、細かい作業が得意だった。
そしてしばらくして気付いたのは、彼には魔法の才能があった。気まぐれに教えていただけだが、彼はあっという間に基礎魔法を習得してしまった。
その頃だろう。結婚を迫るようになってきたのは。
「先生、結婚してください」
「声変わりもしてない子どもがなに言ってんの」
「声が変わったら結婚してもらえますか?」
「しません」
よくない傾向である。
あれだ、生まれた鳥が初めて見たものを親だと思ってしまうみたいなやつ。あるいは誘拐犯に同情してしまう的な。
はたまた、同じ種族が私しかいないと思い込んでしまっているのかもしれない。基本的に森の中の小屋に二人暮らしだから。
私は弟子を国の魔法学校に通わせることにした。
優秀なら学費もかからない。寮生活だし、学校に行けば、世界がこの森の小屋だけではないことを理解するだろう。
だが、就学を告げたら弟子はさめざめと泣いた。
「せ、先生は僕の方をお嫌いになったのですか……」
「そうじゃないけど、学校行くのもきっと楽しいよ」
「僕はずっとここにいたいのに」
「学校はご飯も美味しいし、いいな~、私も行きたいくらいだな〜」
わざとらしかっただろうか、弟子がジロリと睨んでくる。そんな目で見られても困る。もう申請書は送った。行ってもらわねばならぬ。
「……ここにいたいです。先生、結婚してください」
「はいはい、じゃあ君が国で一番優秀な魔法使いになったらね」
「……ほ、本当ですか!? 今言ったこと、取り消せませんからね!?」
「はいはい」
弟子は就学した。
♢
いや、だって、現実を見たら正しい道に戻ると思ったのだ。
同世代の異性と青春し、魔法を研鑽し、将来を考え。
なんなら恋人を連れて帰るかと思っていたのに、持ち帰ったのは首席の卒業証書だった。
それだけではない。認められた学術成果のトロフィーやメダル。今後の研究にも予算が付く。胸に光る勲章は国でわずかな一級魔術師の印だ。
「先生、昔言ってくださったこと、覚えていますか?」
「……なんだっけ?」
「僕が、国で一番優秀な魔法使いになったら、結婚してくださるって」
えー、朧げな記憶はある。
しかし本気ではなかった。まさか首席で卒業するなんて。東洋のお伽話のように、無茶な要求をしたら諦めるだろうと思ったのに。
「ねえ、先生」
縋るような瞳を向けられる。もう、うちに来た時のような栄養不足の子どもじゃない。立派な大人の男の人になってしまった。
でも、私は魔女で、保護者で、ずいぶんと年上の女で──
私は声を絞り出した。
「……アレはなかったことにしてください……」
ぶちっと弟子の堪忍袋の緒が切れた音が聞こえた。
握っていた手を放した彼が、急に私を担ぎ上げる。
「ひえっ! な、なに!」
「もう全然分かってないから、どんだけ俺があんたのこと好きなのか教えてやろうと思って」
弟子の足が向かう先を理解してジタバタした。しかしびくともしない。
あっさり私室のベッドに放り投げられる。慌てて逃げ出そうとしたら、むんずと足首を掴まれた。
「……ねえ先生、国で一番優秀になって帰ってきたのに、なんでダメなの?」
「ダメっていうか、いろいろ問題が……」
「あ、もしかして一番って、学校で首席じゃなくて元老院で一番になれってこと? 仕方ないな、潰すか……」
「こらこらこらこら」
やばい。弟子が闇落ちしかかっている。不穏な言葉が聞こえて思わず止めた。このままでは私は魔王(比喩)を生み出した魔女になってしまう。
「あのさ、別に私以外にも人間はたくさんいたでしょう、なんで私なの。目を覚ましなさいよ」
「先生はなんで俺じゃダメなんですか」
覆いかぶさる彼の声があまりにも真剣だったので、思わずどきりとした。真っ直ぐ捉えてくる瞳は、泣きそうに見えた。
これは、さすがに、真面目に答えないと。
私は目を背けて、そっと言った。
「…………誰かと一緒になると、一人になった時に寂しいでしょ」
弟子が息を呑んだのが分かった。
「君と一緒に暮らすのは楽しかったし、君のことは嫌いじゃない。でも、ずっと一緒にいられるとは限らないでしょ。君に他に好きな人が出来るかもしれないし」
「先生以外好きな人なんて出来ません」
「何があるかわからないのが人間なんだよ。それに、私の方が絶対先に死ぬから、いつか君は一人になる。一人になるのは寂しいよ、きっと」
静かに言い終えて視線を戻せば、弟子の顔は真っ赤になっていた。
「…………ん?」
潤んだ瞳で見つめられる。
え、本当に泣いてる? 様子がおかしい。発熱してるんじゃないかと思って手を伸ばして額に触れたら、その拍子に弟子の目から涙がぽたりと、私の頬に落ちた。
「せ、先生は俺の老後まで考えてくれてたんですか……?」
「え? いや……」
「嬉しいです。ものすごく。ありがとうございます。大丈夫です、俺が逝くのが後でも、先生が悲しい思いをしなければそれで」
「は、はあ……」
「先生のこと、ずっとずっと大事にしますね」
「え? は? わ、あああああああ」
指がブラウスの紐をほどきにかかり、混乱した声は唇に飲み込まれる。服の裾から大きな手が侵入しようとしているのに気付いた。
いかん、このままでは下克上が完遂されてしまう。
私は強化魔法で拳に力をこめると、弟子の頭上に振り下ろした。
ゴツンという音と同時に「ぐっ」という弟子の声。昔、まだ弟子がやんちゃだった頃によくやっていたやつである。
「いってー……」
彼が頭をさすっているうちにその下から這い出た。弟子が不満げに視線を向けてくるので睨み返しながら、ブラウスの紐を直す。
「分かったから! 一緒に暮らすのはいいから! でもいきなりこういうのは無理!」
「…………分かりましたよ……」
頭をさすっていた手を差し出してきたので、「……なに?」と問えば、弟子はむすっとしたまま口を開いた。
「美味しい焼き菓子をもらってきてたのを忘れてました。食べに降りましょう」
「……本当?」
「本当です。段階踏めばいいってことですよね? まずは胃袋から掴みます」
「はぁ?」
「先生、覚悟してくださいね」
にっこりと笑う弟子に腹が立ち、差し出された手をパアンとはたいてさっさと部屋を出る。
背後から、弟子が笑う声が聞こえた。
《 おしまい 》