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機械の右目でなにが見える  作者: 影宮閃
12/16

第十二章 光の国

 その絶望は刹那か、それとも永遠か。

「え――」

 愛子の両足が宙に浮いた。

「ぐっ……えっ……」

 信じられなかった。

 信じたくなかった。

「ゼンぱ、イ……?」

 自分の喉元に魁の腕がつき立てられているという事実が、呼吸の困難さよりも彼女を苦しめた。

「どぅ……して……?」

 狂気の笑みを浮かべる獅童魁に、愛子は締め上げられた。

「どうしてだって?」


 とっさに右手でかばったが、前腕部の骨が二本とも砕けた。

「ぐっ……!」

 自身の目線が、風車の屋根と同じ高さまで上がっている。その風車の前方、ちょうど羽の中心部分に、小さな黒い点が現れる。中心から外側へ、現実世界を侵食する悪夢のように、闇が円形に広がっていく。直後、禍々しい巨人の腕が放たれる。

 バルトは左腕のリベルタを振りぬき、その反動で身を翻した。シルヴァの攻撃は右耳をかすめ、隣の風車の羽を吹き飛ばした。

 しかし今度は、バルトの頭上に円が現れる。これ以上は身動きがとれぬ。バルトは治りかけの右腕で顔を覆った。

 空中に四つの円が連なる。シルヴァの追撃が来る。

 花畑の中でもがき、バルトは跳ね起きた。

 断線したイルミネーションが点滅を繰り返し、散り散りに舞った花びらを照らす中、次々と降り注ぐ四本の巨椀から走って逃げた。

「けっ……げほっ……」

 胃の中からこみあげてくるものを感じ、バルトは立ち止まり、嗚咽した。右腕が折れたのに加え、叩き落とされた際に全身を強打したのだ。内出血を治癒しようと、体中の細胞が暴れまわっていた。

「「「うわあああぁ」」」

 観客たちの目には、巨人の腕が見えていない。彼ら彼女らからすれば、突然風車が爆発し、上空から人が降ってきたうえ、花畑がひとりでに崩壊を始めたのだ。真っ白な布にインクを垂らしたように、恐怖が、異常な速度で伝播していく。

「わー!」

「きゃあああぁ!」

「逃げろーっ!」

 おかしな方向に曲がってしまった右前腕を左手で元の位置に戻し、二本の骨が動かぬよう、支える。

「ぐっ……んん!」

 焼けるような激痛が走り、骨と骨が結着を始める。

 その間にも、目の前の空間が歪んでいく。奥の方にシルヴァの姿が見える。我先にと逃げだす人々だが――おそらく無意識的にであろうが――きゃつだけは避けるように走っていく。激流の中の岩のように、きゃつは涼しい顔をして笑っている。

 目前の円が広がっていく。尺骨(一本目)が繋がり、橈骨(二本目)が震え出す。円がパックリと開き、地獄の底から、巨大な腕が飛び出してくる。ついにバルトの右手、人差し指がピクリと動く。巨椀が鼻先までわずか数センチと迫った瞬間、バルトは両手にミリオンセラーを握り、暗黒の塊を切り裂く。

「はっ!さすがだな!」

「やはり……あの時の悪魔は……貴様の差し金か!」

「その通り!」

 シルヴァが目を見開くと、新たな門が開かれる。バルトは左側面から襲ってきた腕を飛んでかわし、蹴りつけることで高く飛び上がる。

「シベリアで辛酸をなめたのは貴様だけではない!だが、学ぶことも多かった」

 四方八方から放たれる腕をかわし、逆に足場とすることで、バルトは右へ左へ華麗に舞う。

「儀式の最中に宝具を破壊されれば、ため込んだ力が急速に解放され、地獄の門の崩壊を招く!さらに!その余波にあてられた悪魔たちは浄化されるというおまけつきだ!神官は魂まで神聖だと言いたいのかクソったれめ!」

 最後の一撃は特別に速く、隕石のように地面に突き刺さった。しかし、バルトはそれすらもかわし、腕の上を高速で走り始めた。

「並大抵の攻撃では、我が力によって生み出した宝具を破壊することは敵わぬ!シベリアでぇ!神代夢香はさすがの神童、自らの魂を逆流させることで、内側から破壊したようだがさあどうだ!?」


「となれば、俺達が警戒すべきはあと一つ、ミリオンセラーのみだ。幾数千年の昔から、相応しき者だけが持つことを許された伝説の武器……宝具を破壊できるだけの力を持った、唯一の(つるぎ)……」

 片腕で人一人締め上げているというのに、魁は汗一つかいていない。

「ふぅ……うぅっ……!」

 愛子は魁の腕に爪をつき立てて抵抗したが、もがけばもがくほど、魁の笑みが残忍さを増していく。


 バルトは巨大な手首のくるぶしを足掛かりに、シルヴァへ向かって跳んだ。低空飛行ともいえる軌道で、シルヴァへ攻撃をしかけた。

「ミリオンセラーに銃弾が残っているか、それが儀式の成功を左右する、重大な懸案事項だった。獅童魁との契約を見破られる危険を冒してでも、確認する必要があった」

 しかし、シルヴァは持っていた杖のグリップ部分を握ると、素早く引き抜いた。仕込み杖だ。バルトは目にも止まらぬ速さで切りつけたが、シルヴァの体に刃が届くことは無かった。


「そして結果は――最高だ、最高以上だ。お前は勝手に俺に好意を抱き、あの出来損ないが後生大事にもっていた最後の一発を無駄撃ちさせてくれた。しかも、せっかくの忠告も一つも聞かず……おかげで俺は、難なくお前に近づくことができた」

「あう、うぅぅ……!」

 愛子は翡翠の瞳に悔し涙を浮かべ、魁の腕をぶった。自分の喉に振動が走り、余計に苦しくなったが、それでも殴り続けた。

 魁はますます顔を輝かせた。


「ましてや、なんだあの妹は!ろくに訓練も受けず、神官としての自覚すらないとは!骨折り損のくたびれ儲けご苦労なことだ!」

「侮辱を!」

 バルトは怒りのままにミリオンセラーを振り下ろした。精細を欠いた一閃は、シルヴァの剣になんなく止められてしまう。怨念にも近い殺気がぶつかりあい、花畑に嵐のような風が走る。

「何をムキになっている。信頼のかけらすら寄せてもらえぬ、未熟な神官にぃ」

「それでも我が(あるじ)……!」

 シルヴァに左手を突き出され、バルトは強力な衝撃波によって吹き飛ばされる。

「ぐっ……!」

 受け身を取って立ち上がった時には、周囲を埋め尽くすように、地獄が門を開いて待ち構えている。360度、逃げ場なし。総勢16の腕に、バルトは襲われる。

「くっ!ぐぁぁ……!」

 首があらぬ方向へ曲がり、肩が砕け、足を握りつぶされる。視界が真っ黒に埋め尽くされている。石臼ですりつぶされるように、バルトは体中を破壊されていく。破壊されては再生を繰り返す。気が狂うほどの無限の痛み、終わることのない地獄へ、彼は飲み込まれる。


「可愛そうだな、やつも。神官には疎まれ、騎士からは迫害され、それでも、お前のところに戻ってきたのに――世界に嫌われたまま、お前も救えず、あいつは惨めに死んでいく」

「はっひ、はっひ、はっー……はっー……」

 愛子の肺が酸素を求めて暴れている。視界が白と黒で点滅し始める。それよりも苦しいのは、自分が何をしでかしたのか、ついに理解してしまったことだ。

「ミリオンセラーは空砲だ。儀式は二度と止められない」

 勝ち誇った顔で、獅童魁はそう言った。

 悔しさという炎に身を焼かれ、愛子は暗闇の中に落ちた。

 一人ぼっち……?

 夜のようなコートが、目の前でちらついた。

 その言葉を都合よく使って、殻にこもっていたのは誰だ?

 話を聞かされていたのに、知らないふりをしたのは誰だ?

 想像を絶する孤独を味わってきたのは、どっちだったのだ?


 なぜ、こんな時に思い出すのだろう。


『失念しておりました。私も遺産の一部なのです』

 無理やり自分を相続させた、執事の姿を。

『ですから昨晩はずっと屋根裏に』

『屋根裏!?』

 平気な顔で屁理屈を繰り返し、

『ではお嬢様、こちらを洗ってまいります』

 無理やり学校についてきて、

『まだ半分くらいです』

『えっはやくない』

 ちょっと気を抜こうものなら、所かまわず人外の動きをするくせに、

『もう……どんだけ食べるの……』

『ごちそうさまでした』

 ひとたび動くと、呆れるほど燃費が悪くて、

『ほら、バルト!買ってきて!』

『はい。かしこまりました』

 普段は吐き気がするくらい甘やかしてくれるのに、

『お嬢様は女の子なのですから、テレビをご覧になる際は、きちんとお座りになってください』

 大事なところでは、きちんと叱ってくれる。


 なぜ、こんな時に思い出すのだろう。


『お嬢様の命が全てにおいて優先します』


『お嬢様をお守りすることができれば私は本望です』


『お困りごとがございましたらお呼びください。必ず助けに参ります』


 愛とは、言葉だけに宿るものか?

「ばっ――」

 気を失ったはずなのに、彼女の口は――


〔ばる……と……〕


 イヤホン越しに主が呼んだ。

 バルトは覚醒した。

「ぅえぁぁあああ!」

 ミリオンセラーの一撃で、足元のレンガごと、十六あった巨人の腕を一つ残らず吹き飛ばした。

「なんと……!」

 さすがのシルヴァも、これには感嘆するほかなかったようだ。

 崩壊した花畑の中を、人々が逃げ惑っている。機械の右目を限界まで素早く動かし、バルトは主の姿をさらう。血だらけの顔で叫ぶ。

「お嬢様!」

 しかし、捉えることができぬ。彼が救うべき神官はどこにも見えぬ。

 ハウステンボスの中心部へ進むためには、運河にかかる橋を渡る必要がある。バルトは急ぎ、橋の方へ走り出そうとしたが、そこには当然、シルヴァが立ちはだかる。

「行けると思っているのか」

 きゃつは右手で中折れハットを押さえ、目元を隠した。その背後から、触手のように無数の手が伸びてきた。バルトはミリオンセラーで叩き切りながら突き進んだ。

 あと一太刀でシルヴァに届く――実際、ハットの陰からのぞく、濁り眼と目が合った――その局面においてきゃつはニヤリと笑ってみせ、バルトは背後から強烈な一撃を受けた。

 空中に飛ばされたバルトを待っていたのは、巨大な拳だった。

「痛いじゃないかぁ」

 地上でつぶやく爺からは、中折れハットと、それを押さえていた右手がごっそりと消えていた。バルトが奪ったのだ。

 それを確認したのもつかの間、バルトは自分の背丈よりも大きな拳で殴られ、風車の一つに激突した。回転していた羽が中心からもげ、バルト自身は風車の内部まで突っ込んだ。

 このまま沈んでいるわけにはいかぬ。バルトはミリオンセラーを高速で振り回し、残骸と化した風車を吹き飛ばした。巨大な構造物がはじけ飛んだことにより、花畑の跡地や夜の運河に木片が突き刺さった。

 シルヴァは仕込み杖を投げ捨てると、橋の上で右腕をかきむしった。気持ちの悪い方法だが、皮膚の下から新たな右手を取り出しているようだ。

 バルトは味のしなくなったガムを吐き捨てるように、口の中に溜まった血を飛ばすと、花畑だった荒れ地の端を走り始めた。そして十分に加速したところで、颯爽とフェンスを飛び越えた。

「はっはっはぁ……逃がすものか」

 露わになった白髪を風になびかせ、シルヴァが体を浮かせた。

 その姿には目もくれず、バルトは水上を走った(・・・・・・)。もとい、彼は右目の力を最大限駆使し、水上ショーで使われた水の噴射口を見極めたのだ。正確な距離感で跳躍し、わずかな足場を確実に踏み抜いて行く。

 その背後を、直立不動のまま宙に浮いたシルヴァが追いかけてくる。対岸にたどりついたバルトは、フェンスを蹴り、壁を蹴り、建物の屋根へと躍り出る。

 突然屋根の中央が爆発した。建物内部から、シルヴァの召喚した巨大な腕が飛び出してきたのだ。室内にいた観光客と、粉々に割れた窓ガラス、コンクリート、屋根の端材が悲鳴をあげる。

 振り返ると、シルヴァがすでに、屋根と同じ高さまで浮かび上がっている。バルトは巨椀の右側を走り抜け――眼下に、建物から命からがら逃げだす人々が見える――隣の建物へと飛び移った。

 血の池をかき混ぜたような禍々しい音が空から降って来る。見上げると、バルトの後を追うように、次々と空に穴があいていく。大きな円からは、無限の如く巨椀が湧き出し、建物の屋根を打ち砕いて行く。バルトは痛む足に鞭をうち、限界を超えて加速する。シルヴァの降らす巨人の腕をかろうじてかわしながら、屋根の上を走り続ける。

「うわうわうわうわ……ヤバくね!?あれ!きゃあ!」

 傘の通りに差し掛かった時、聞きなれた声が耳に入った。眼下の広場で右往左往している、汐崎嬢と富田嬢だった。シルヴァのでたらめな攻撃により、大量の瓦礫が、傘を支えていた支柱やワイヤーが、彼女らの脳天めがけて倒れていった。汐崎嬢が富田嬢の体を抱きかかえるようにしたところを、バルトは見逃さなかった。


 汐崎嬢に聞いたところ、彼女はこの時、死を覚悟したそうだ。いきなり建物が次から次へ爆発し始め、自分たちの方へ近づいてきて、頭上にあった傘が全部振ってきたからだ。誰だってそう思うだろう。

 だが、いつまでたってもその時がやってこぬものだから、不審に思って目を開いた。

「ご無事ですか」

「ああ、バルチぃ……いい!?」

 そこにいたのは愛子の執事だった。無数の傘が落ちた広場の中心で、腹に銀色の金属片が刺さった状態で、無駄にかっこいい剣を二振り握りしめていた。金属片は彼の背中まで貫通しているようで、コートがはためいた瞬間、背中が真っ赤に染まっているのが見えた。

 失礼なことは言いたくないと彼女は言ったが、さすがにおぞましさを覚えた。

「お願いがあるのです。お嬢様をお見かけになりましたら、ご一緒に……くっ……できるだけ遠くへ離れてください」

 なぜなら、左手の剣を袖口に隠したバルトが、その手で金属片を掴み、〝ご一緒に〟あたりから引き抜き始めたのだ。

 今度はうまくコートで隠れたが、彼の足下に、腐ったトマトジュースが大量に落ちて行くのだけは見えてしまった。

「うぇちょ……!遠くって……バルチぃは?どうすんの?」

「お嬢様の家までお戻りになれば、近くに別の者がおります。私にはやるべきことがございます故……」

 バルトは青い顔をしていた。今にも倒れてしまうのではないかと、汐崎嬢は心配した。

 しかし、親友の執事はふらつくことすらなく、金属片を投げ飛ばし、コートのポケットからスマートフォンのようなものを取り出した。

 彼の血でベトベトになったそれを、汐崎嬢が恐るおそる受け取った。次の瞬間、バルトが吹っ飛んだ。

「うわぁあぁあ!」

 汐崎嬢は絶叫した。バルトは――見えない何かに引っ張り上げられ――ハンマー投げのようにぶっ飛んでいき、隣の建物に突っ込んで行ったのだ。その後も、壁に激突する音が連続して聞こえ、それはどんどん遠ざかっていった。

「バ……バルチぃ……?」


 巨大な腕に首根っこを掴まれ、バルトは建物の壁に叩きつけられていた。それも、壁を貫通して、また次の壁へ、連なって並ぶ建物を全てぶち抜くかのように、延々と続くのだ。せめてもの抵抗として、両手で頭をかばったが、猛攻から逃れることはついに敵わなかった。


 受け取ったスマホを握りしめ、汐崎嬢は震えていた。

 ちなみに、富田嬢はその場にへたり込んでいた。

「もう……なんなのよ……」

 手元にあったスマートフォンを見てみると、煌々と画面が輝いていた。そこにはハウステンボスの略図が表示されていて、画面の中心で、赤い丸がごにょごにょと動いていた。

「え――」

 呆気に取られて見ていると、赤い丸がどんどん速度を上げ始めた。地図の形からして、傘の通路の前を横切りそうだ。

 はっとして顔を振り上げると、血相を変えて逃げ惑う人々が見えた。その中に、愛子を背負った魁が、ひどく冷静な顔をして走り抜けていくのも、しっかりと見えた。

「魁先輩……?」

 強烈な違和感を覚えた。スマホに目を戻すと、魁が走っていった方向に、赤い丸が移動しているのがわかった。

「だっ、大丈夫ではないのですか?獅童様がついていらっしゃるなら――」

 自分のスカートに富田嬢がしがみつき、這い上がるようにして立ち上がるのを、汐崎嬢は脳の隅でぼんやりと認識していた。バルトに言われたことと、逃げていく魁の表情が、まぶたの裏で何度も錯綜した。

 しかし、決め手はやはり、愛子だった。

 魁に背負われた彼女は、お姫様のように可愛い顔で眠っていた。それも、園内がこれほどのパニックに陥っているのに!

「ううん、ダメ。愛子のことを一番大事に思ってるのは間違いなくバルチぃ。そのバルチぃが言うんだから、私達は愛子を連れて行かなきゃ、先輩じゃなくて!」

 汐崎嬢は右手でスマホを握りしめ、左手で富田嬢の手を握った。

「で、でも――」

「よくわかんないけど、眠った女を勝手に連れていく男に、いーやつはいないの!ほらいくよ!とみー!」


 最後の一棟を突き破り、ようやくバルトは解放された。等身大ロボットの前に、ゴミクズのように投げ捨てられた。

「ぐっ……っかっ……」

 失いかけた気はすぐに戻ってきた。平衡感覚も同じく。しかし、両腕が砕けている。手をついて立ち上がることができない。

 破壊された建物の向こうから、シルヴァが滑るように現れる。広場の上空で、三日月を背後に、不敵に笑っている。

「ふぅむ、さて、どうしたものかな」

 シルヴァは腕を組み、顎髭を撫で始めた。

 バルトは芋虫のように地面を這って進み、等身大ロボットの足にすがりついた。使えない両腕に頼っている場合ではないのだ。どんなに醜くとも、たとえ無様でも、立ち上がる必要があった。

「おいおい、もう立てるのか」

 シルヴァが地面と平行に右腕を払った。等身大ロボットは何者かによって引き倒され、その足に寄り掛かっていたバルトは、怪我をしたウサギのようにみっともなく跳びまわり、ロボットの足下から逃げた。

 目線を上げると、日中入った佐世保バーガーの店が見えた。バルトはスライディングのように身を滑らせ、店の入り口を蹴破った。

 店内はまだ煌々と灯りがついていたが、店員も客も一人残らず逃げ出していた。バルトはテーブルの上に残された食べかけのハンバーガーをひっつかむと、自分の口にぶち込んだ。咀嚼もせず、無理やり喉の奥にねじ込み、傍らにあったドリンクで流し込んだ。

 そして、十数本のフライドポテトを握りしめた時、巨人の腕が降りそそぎ、天井が崩壊した。割れ目の隙間から、シルヴァがこちらを見下ろしていた。

 バルトはポテトを口に咥え、川に面する店の窓に体当たりした。割れたガラスが地面に落ちた時には、補給したエネルギーで傷が回復していた。地面を破壊するつもりで蹴り、左斜め前方に見える橋に飛び乗った。

 シルヴァは相変わらず宙に浮いたまま追って来る。まるで、きゃつの周りだけ暴風にみまわれているかのようだ。

 バルトは超人的な速さで園内を走り抜け、教会然とした建物の正面へとやってきた。教会も、傍らのツリーも、奥に見えるドムトールンも、園内の喧騒などどこ吹く風の美しさで光っている。

 振り返ると、シルヴァが、今まさに、教会前の広場にやって来るところだった。バルトは両手にミリオンセラーを握りなおすと、巨大なツリーめがけて走り始めた。そして、騎士随一の腕力とスピードで、その巨大な幹を叩き切った。

「何をする気だ……?」

 シルヴァの声を背中に受けつつ、バルトは走り続ける。最後は大きく飛び上がり、教会の壁を蹴って、百八十度反転する。勢いそのままに、ツリーを蹴りつける。

「ちぃ……!」

 ツリーが傾き始めたとたん、シルヴァの顔に焦りの色が浮かぶ。

 もう遅い、バルトの方が速い。倒れ行くツリーに飛び乗り、ものすごい速度で駆けあがる。邪魔な枝やイルミネーションはミリオンセラーで切り裂きながら進む。ツリーの頂上を躊躇なくふみ台にし、上空へと躍り出る。両手のミリオンセラーを合着させ、一振りの大剣へと変える。きゃつの脳天めがけて、振り下ろす――

「むぅ!?」

 シルヴァは左手をはたくように動かした。その動きに合わせ、巨大な腕が右から襲いかかってきた。進行方向をそらされたバルトは意地で食らいついた。左手のみでミリオンセラーを持ち続け、振りぬいたのだ。

 執念ともいえる一振りだったが、シルヴァを真っ二つにすることは敵わなかった。ミリオンセラーが発した衝撃波は、きゃつの右足を薙ぎ、その後方の空間を切り裂いた。等身大ロボットのあったところまで、レンガの建物が一斉に縦に割れた。途中の橋は斜めに切り裂かれ、バルトが利用した佐世保バーガーの店は跡形もなく砕け散った。

 バルトは地面に激突する前に別の巨椀によって捕縛され、投げ飛ばされた。教会の一番高い塔を崩壊させながら、ドムトールンの方へ飛んでいった。

 硬くて冷たいレンガの壁に衝突し、背骨の折れる音がした。壁面に血の跡を残しながら、ずるずると落ちて行った。そして、展望室の数メートル下、バルコニーのような部分でバルトはくしゃくしゃになった。

 さすがに、全身が動かなかった。顔の上にかかった右腕すら、ろくに持ち上げることができないのだ。バルトは腕と腕の隙間から、黒い瞳を覗かせた。

「考えたな……俺を滅却すれば、儀式は行われぬ……か」

 教会を飛び越え、シルヴァがやってくる。きゃつの右足、膝から下が消し飛んでいる。傷口からはヘドロのようなものがぼたぼたと落ちている。

「認めよう、君は歴代の騎士の中で最も強い!」

 ヘドロの中から、右足がもぞもぞと這い出てくる。暗黒の風に乗って浮かびながら、シルヴァが吠える。

「だが――あれを見てみろ!」

 指し示された方向、入国ゲートの、さらに向こう、そこには、川の向こうにある、JRの駅へとつながる橋がある。二キロ先でも、バルトは鮮明に見ることができる。

「はあぁぁあ……あああぁぁぁ!」

 救いたかった。ただそれだけだった。

 バルトは動かないはずの右手を伸ばした。


 橋の上を、人を超えた速度で走っていく獅童魁が見える。

 

 その背中に、死んだように綺麗な顔で眠る、主が見える!


「きゃあああぁ!」

 誰かの悲鳴が聞こえ、汐崎嬢は入国ゲートの前で立ちすくんだ。

 駅へ繋がる橋が爆発したのだ。

「「「ぎゃー!」」」

「「「うわああああ!」」」

 炎で照らされた方角から、悲鳴と――橋の上にいた人たちが、落ちて行く音が聞こえる。

 その向こう側で、爆炎から逃げるように、電車が走り出している。慌ててスマホの画面を見ると、赤い点が、みるみるうちに速度を上げ、ハウステンボスから遠ざかっていっている。

「くっそ……くっそぉ!」

 汐崎嬢は泣きそうになった。自分の足をボコボコに殴りつけた。この足では、電車に追いつくことなどできぬ。それに代わる手段もない。

(かなめ)さん!」

 足を殴りつけていた手を、誰かが止めてくれた。

 富田嬢だった。

「とみー……?」

 汐崎嬢は今度こそ泣いた。

「どうしよぅ……愛子が……!」

「わたくしに任せるのですわ」

 富田嬢の声は震えていた。彼女も泣いていた。

 だが、彼女は汐崎嬢の手を力強く握りしめると、JRの駅とは反対方向へ走り出した。

 そこには――今まさに人々が我先にと乗り込んでいる――タクシー乗り場があるのだ。


 電車が離れて行く。運転席の窓に、獅童魁の姿がある。肝心の愛子は、すぐ後ろの座席に放り投げられたまま、姿が見えぬ。

「ぉお嬢様!」

 バルトは声を枯らして叫んだ。立ち上がり、走り出したそうとした。

 しかし、悪魔の王はそれを許さなかった。バルトは背後から重たい一撃を受け、足元のレンガごと撃ち抜かれた。

「またか!バルト・シルヴェスタキ君!君は誰かを守ろうとする時、いつも自分がおろそかになる!そこが君の弱点だ!」

 瓦礫と化したバルコニーと共に、シルヴァが降って来る。きゃつはドムトールンを取り囲むように、巨大な腕を召喚し、塔の二階部分に、一斉に叩きつけ始める。

 瓦礫が、ガラスが、折り重なって降って来る。バルトはもがき、ミリオンセラーでそれらをはじき切っていく。だが、とどめと言わんばかりに現れた巨大な腕をどうすることもできず、真正面から撃たれ、そのまま地面に叩きつけられる。

 ドムトールンの目の前に、巨大なクレーターが出来上がる。その中で、バルト・シルヴェスタキは懸命にもがき、苦しむ。(あるじ)を救うため。ダークフォールを討伐するため。命を削り、それでも立ち上がる。

「殺せないのなら――封じ込めるまでだ」

 上空の(じじい)がニヤリと笑った、そう思った直後だった。天空が崩壊したかのように、ドムトールンの展望室が落ちてきた。

 あの時と同じだ。

 刹那の衝撃の後、バルトはありとあらゆる感覚を失った。世界から音が消え、光が消え、確かだった感覚が、一瞬で消え去った。


 シルヴァの高笑いが遠ざかっていく。

 彼の生きる意味はまたも無くなる。

 見届けることさえ、許されず。

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