幽言部屋 その6
「来利ちゃん!?」
ノックもせずにドアを開け、そのまま中に飛び込むと、目に入ったのは、水の溢れる水道に、それと格闘する二人。
「とと、取り敢えず元栓は締まったから」
「あー、紬ー、服濡れちゃったよー」
顔と手に水が滴り、服も少し濡れてる様子。
「待ってて、今タオルを……」
「持ってるんで大丈夫ですー」
御堂さんの提案に、断りを入れながら、鞄を開ける来利ちゃん。
こういうところ、用意が良い。
それとして先ず手伝おう。
「あや、床拭くの手伝いますね」
「あ、靴は脱いでね」
この団地の部屋の構造は、玄関に段差はなくて、靴を脱がないものだけど、この部屋の玄関には、二足の靴が置かれてた。
「いやー、靴脱がないとどうも落ち着けなくてね。そういうのってやっぱり本土人くさいのかな?」
「あでも、わたしの家もそうですよ」
「ウチもそーですよ。っていうか半分畳の部屋だし」
靴を脱ぎつつ言うわたし。顔を拭きつつ言う来利ちゃん。
「え、そうなんだ! へー、月乃木さんはともかく、富良永さんは意外」
来利ちゃんのお母さんは、和風大好きアメリカ人。外国からの人の方が、古い文化を好むことは少なくない。
わたしの家より古風な薫りで、自分の家より居心地いいかも。
そんな風に雑談しつつ、濡れた床を拭いていたら、急にきぃんと耳鳴りが襲った。
「紬、どうかした?」
耳を抑えるわたしの様子に、心配を見せる来利ちゃん。
「うん、ちょっと耳鳴りがして……」
「疲れてるのかも。ちょっと休憩する?」
「あや、えぇと大丈夫…あ、止んだ」
大丈夫だと立ち上がったら、耳鳴りもすぐに止まった。
下げた頭に血が上ってのものだろか。
◇
「いやいやいや、ごめんね。どうも水道弛んだりとか多くって」
「そんなそんなじゃないからへーきです」
一通りの片づけ住んで、部屋の奥に通された。
それにしてもこの部屋は、片付いていると言うよりは、物が少ないと言うべき部屋。
「ミニマミスト?な人だったんですねぇ」
「ミニマリスト、だよー」
思ったままを口にすると、来利ちゃんに訂正される。
あれ、ミニマムな人って意味ではないの?
「ミニマムじゃなくって、ミニマルの人だよー。ビッミョーに意味違うらしーよ」
「あやあや、そうなんだ! 来利ちゃんよく知ってるねぇ」
「ま、でも、僕は別にミニマリストじゃないよ。こっちに来るときに、持ち物大量処分したからそれでね」
「大量処分かー。あれですね、断捨離ってやつ」
「来利ちゃん、捨てるのは断捨離の捨の部分だけじゃないかな?」
少し覚えた違和感に、一つ指摘をしてみたら、来利ちゃんは、驚く顔をわたしに向けた。
「あれ、断捨離ってメッチャ捨てるって意味じゃなかったの!?」
「『本当に必要なもの』だけしか持たない買わない、って感じかなぁ、たぶん」
「へー、紬かしこい」
「さっきの来利ちゃんもかしこい」
そんな二人のやり取りに、声を出さずに笑う御堂さん。
「いやいやいや、良いコンビだね」
「そーなんです!」
そう言って抱きついてきた、来利ちゃんのぬくもりは、初夏の気温でも心地好く、わたしの頬は思わず緩む。
「で、どーなん? なにかわかった?」
「あっ、えと、その前に……。御堂さん、部屋をみぃこちゃんで視てみますね。それから、先刻の聞こえ方の話とかを……」
「あ、うんうんうん、お願いするよ。じゃあ、部屋を見てもらったら、コーヒーでも入れつつ説明をいろいろ聞かせてもらおうかな」
「はい。あでもその前に、慌てて来たからあっちを少し片付けてきます」
◇
みぃこちゃんでの霊視の結果は何もなし。
珈琲とチョコレートを戴きながら、それも含めて説明をする。
聞こえ方を詳しく聞けば、実際の隣の部屋での声とは違い、だのに『隣の部屋から』と認識する、そんな声。
まりもさんが何かを防いだ痕跡も、みぃこちゃんの瞳に映る現象も、霊的なものはこの部屋には何もなく。
「この部屋は安全で、昨日はたまたま来なかったってことかな?」
「安全というか、この部屋に原因はないってことでしょか。偶々昨夜来なかったのか、もう来ないのかまではまだ……」
「やっぱ、昨日祓っちゃったのがそれだったのかな?」
「うぅん…それも考えられなくないんだけど、“先生”と話した感じ、違うと思う。隣の部屋に来るしねぇ」
「あそうそう、先生と話してたんだったね。そーいや、慌ててこっちに来たけど、何か不安な話でもあった?」
来利ちゃんのその言葉、『嘘』の話を思い出し、わたしは胸をどきりとさせて、御堂さんを横目で見れば、目を輝かせてこちらを見ている。
「いやいやいや、富良永さんの悲鳴のせいでしょ。それより……」
「えー? 悲鳴って。紬は心配性だのう」
「いや、それで先生って? オカルトの師匠的な人?」
どうにも“先生”に興味が惹かれた御堂さん。それはそれで少々困る。
「あやあや、どちらかと言うと、探偵の方で……」
「あ、事務所に他にいるっていってた人? 月乃木さんの師匠だったのか。今電話で事件の話をしてたってこと?」
他にいるって、確かにチラッと言ったっけ。よく覚えてると感心をする。
「えと、色々と、相談を」
「へー。一回会ってみたいなー」
会ってみたいは尚更困る。
「無理だと思いますよー、スッゴい人見知りはげしーみたいだから。アタシも会ったことないし」
「はいぃ。ごめんなさい」
「それって、なんかカッコいいな。あ、ちなみに男性?女性?」
「あや、一応、女性でしょか」
「あ、一応、ああ、なるほど、なるほど」
妙な納得を見せる御堂さん。
兎も角話は一区切り。
「それで、ちょっとまたあっちで調べたいことがあって」
「今度はアタシたちついてく?」
「あ、うん、御堂さんもいいでしょか?」
「うんうんうん、いいなら寧ろこっちからお願いするよ。で、何を調べるの?」
「音を、少し」
◇
「音と言うか、低周波なんですけど。出来るかも判らないんですけど……」
204へ向かいつ説明。
「低周波って、芸人の人がぎゃーぎゃーいうやつ?」
「マッサージのじゃなくって、うぅん、何て言えば良いのかな」
「電気のやつじゃなくて、音のこと?」
「あや、そですそです。そっか、芸人さんのは電気なんだ」
わたしがそう頷くと、話を続ける御堂さん。
「低周波の音って、つまりはメチャクチャ低い音ってことだね。っても低すぎて聴こえないけど、でも、圧力として感じたりはするらしい……ってつまり、204の違和感が低周波のせいって話?」
説明する手間省けました。
「そう、かも知れないので、調べようかなぁと」
「いや、え、でも、それってつまり、霊はいないって話……?」
不服そうな御堂さん。
一昨日の体験を、勘違いと思えないというだけでなく、単にオカルトを望んでる、そういう気持ちも強くありそう。
「いえぇ、違和感が霊の仕業じゃなくっても、思い込みから生まれるって可能性もあるので」
「いやいやいや、やっぱり一昨日のあれは思い込みとは思えないんだけど……」
「そーじゃなくて、思い込みの力で霊的ななんかが生まれるってことでしょ?」
わたしがこくりと頷くと、御堂さんは目を丸くした。
「思い込みの力で……? そう言うこともあるの?」
「え、だって呪いとかってフツーそーじゃないですか」
「あー、いやー、なるほどなるほど……? 本土出身なもんで、呪いの普通とかちょっと分からないもんで……いやでもそうか、そう言うもんか」
どうにも島の常識のような来利ちゃんの言い方だけど、まあまあ信じてない人もいる。
わざわざ正すつもりもないけど。
「いやでも、呪いみたいなボンヤリした?ものなら何となく分かるけど、ああいうちゃんとした幽霊でもそんなことあるものなの?」
「あや、確かに普通なら、大勢の気持ちが一つになってやっと、って感じと思いますけど、何か色んな条件が重なれば、あの違和感程度ならあるかもと」
正直わたしもピンと来ないところはあるけど。
「えと、そんなわけで、見えるか試してみようかなと。そもそも、りくねちゃん…持ってる人形で低周波が見えるか判らないんですけど」
「音を見る?」
「りくねちゃんは、音が見えるんです。それに耳自体とっても良いんですけど、ただ、人に聴こえない音が見えるかまでは……」
「……そんなこともできるんだ! っていうか、何種類くらい使えるの?!」
「キギョーヒミツでーす」
わたしが答えるより前に、来利ちゃんが遮った。
「あや、こういうのって言わない方がいいの?」
「いやいやいや、何が出来るかは全部言っちゃった方が、仕事のチャンスが増えるよ!」
「能力バトルものとか、手の内隠すの鉄則でしょ」
「あやや、わたしバトルはしてないよ!?」
「紬、人生っていうのは戦いなんだよ」
真っ直ぐわたしを見つめる瞳に、一時騙されそうになったけど、すぐに苦笑の目を返す。
だけど逸らされた視線には、憂いの色が浮かんでて、続く小声は真剣だった。
「コクリさまみたいな、怖いウワサもあるんだから」
あ、あれ?
昨日投稿失敗してた