幽言部屋 その4
雑多な人種のこの島でも、小上海や小ロンドンと偏りはあるものだけど、この第3区は狭い範囲に雑多な人種が集まってる。
「紬、この部屋?」
その第3団地の西棟で一室を指し、来利ちゃんは聞いてきた。
「えと…3の西203。うん、そだね」
部屋番号を確認し、呼び鈴を押すと、ブザーの濁った音が、扉の向こうで鳴るのが聴こえた。
元が装飾豊かなデザインの、事務所のある第4区の建物たちとは違っていて、第3区にあるこのマンモス団地、簡素で秩序的な建物に、人の雑多な生活感の混沌が積まれてる。
とはいえスラムの第1区に比べたら、秩序が基盤にあるんだけど。
向かいの棟を眺めながら、そんな事を思っていたら、扉を挟んだ向こう側から訝しがる声がした。
「どちら様?」
「あや、月乃木です。御堂さんのお部屋ですよね?」
振り返って返事をすると、扉は直ぐに開かれた。
「やー、わざわざどうも! 制服じゃないし後ろ向いてたから、わからなかったよ。それ、いわゆるルネモガ風ってやつ? こっち来て初めて見たけど、かわいいよね!」
「あやあや、ありがとうございます」
いきなり捲し立てられ一張羅を褒められて、戸惑いながらお礼をしてたら、来利ちゃんが「こほん」と一つ咳払い。
「ええと、こちらは?」
「富良永来利といいます。紬の助手兼保護者です」
「あやや、その、ちょっとお手伝いをお願いしました。あ、個人情報の保護とかは……」
「あ、もしかして、昨日喫茶店にいた人!? 関係者だったのか!」
その言葉に驚いて、来利ちゃんと、思わず顔を見合わせる。
「え、え、なんで? 昨日はあいさつもしてないのに」
「人も少なかったしね。探偵事務所なのに喫茶店ってことで、どんな人がいるか気にしてたし」
切羽詰まった様だったのに、あるいはだからこそなのか、よく観察してたと感心する。
一方の来利ちゃんは、ちょっと怪訝な顔をした。
「ふーん。……で、紬?」
「あ、うん、えと。ということで、お願いします」
「いやいやいや、こちらこそ。あ、取り敢えず中へどうぞ。にしても大きなバッグだね」
中へ促されたけれど、それよりまずは。
「あ、いえ、早速、お隣を調べたいなーと」
「お、いきなり? じゃ、管理人に鍵借りに、一緒に来てくれないかな。探偵がいないとダメだって言われてさ。あ、荷物だけ置いていく?」
「いえぇ、大丈夫です、持ってます」
◇
管理人さんから鍵を借り、さていよいよ件の部屋へ。部屋番号は204。
「ふーん、なんかフツー」
入って直ぐ広い部屋、何もないけど居間のはず。その脇に台所。奥には扉、多分寝室。トイレとお風呂は共同のはず。
打ちっぱなしのコンクリートに剥き出しの配管にと、無骨ではあるものの、この団地なら、それは特段気にすることでもないわけで、一見確かに普通の部屋。
だけど、
「んん、だけどなんだろ、なんか変な感じしない?」
「え、富良永さんも? 僕も、ドア開けた途端、こう、重い感じっていうか……。これ、入って大丈夫なやつ?」
玄関入って直ぐのところから、二人はわたしの顔を見る。
そのわたしは既に部屋まで入っているけど。
「来利ちゃんが感じるって珍しいねぇ」
「確かに。あれー、アタシも美少女JK霊能力者の仲間入りってこと!?」
「待って待って、じゃあ、霊感ない二人が感じてるってこと? それってすごいヤバいってことなんじゃ……」
確かにそうかもしれないけれど、わたしが入って感じてるのは、そんなに強い圧でもない。
とはいえわたしも素のままだったら、そんなに霊感強くもないけど。でも人形使えば、話は別。
「うーん、取り敢えず見てみますね」
鞄から、みぃこちゃんを取り出しながら、ふと聞き忘れたことを思い出す。
「ところで、昨日は大丈夫でした?」
目の前に現れたのは一昨々日。だけど2週間ほど以前から、毎晩のように夜の8時、声が聞こえていたという。
「あ、そうそうそう、昨夜は何もなかったんだよ! もらったこのお守りのおかげだね、助かったよ! 見た目はちょっと怖いけど。これ、蜘蛛? 男の蜘蛛っていうと、土蜘蛛とか」
「いえぇ、蜘蛛ですけど、神話とか妖怪とかのってわけじゃないです。ただ、蜘蛛って言うのがしっくり来ただけで。でもなんにせよ良かったです」
「しっくり……なるほど」
“護る子”のまりもさんが効いたのか、それとも単に何もなかったのか。
まりもさんを見て判るので、後で確認してみよう。
「じゃ、先ずここから見てみますね」
「あ、そうそうそう、そういえば、その人形は千里眼とか透視みたいなこともできるの?」
みぃこちゃんに集中しようと眼を閉じたら、御堂さんに質問される。
「いえぇ、みぃこちゃんは、目の前のものしか見えないですね。霊的なものなら、物の向こうのなんかも見えることもありますけど」
「ってゆーか紬の集中邪魔しないでくださーい」
「え、あ、ああごめん、そうだよね」
来利ちゃんに諌められ、恐縮してる御堂さん。ちょっと厳しい気もするけれど、正直言えば助かりもする。
気を取り直し、みぃこちゃんを前に向け、わたしは静かに目を閉じて、そして別の視界を広げる。
部屋全体が、薄い紫。
少しだけ、引き寄せるような何かはある。
とは言っても、それだけで何かが起きるほどじゃない。
そういう濃度。
わたしは首をかしげつつ、視界を自分のものに戻す。
「んっと、少しだけ、それっぽい場にはなってますけど、少なくとも、今は居ないですね」
「やっぱり幽霊は昼間は出てこないってこと?」
目を輝かせる御堂さんに、来利ちゃんが横から答える。
「そーゆーんだったら、紬なら見えるよねー」
「はいぃ、昼間出ないっていうのは、どっちかって言うと『眠ってる』みたいなのが多いんですけど、この部屋にはそれはなくって」
「へっえー。でもじゃあ、霊が集まりやすい、霊場とか霊道とかそういうやつ? それで、ただいまっていってるし、浮遊霊が、毎晩帰ってくるみたいな? ってそれは浮遊霊なのか?」
「そっか、ただいまって帰ってくる子供なんだっけ……」
そう言って、来利ちゃんの表情に少しばかりの陰が差す。
ただいまと言ってたのは、確かにとても気になる点。
「うーん、そこまで強くないというか、普通の人ならなんにも感じないくらいのはずなんですけど……」
「やっぱり美少女霊能力者になっちゃったかー」
あや、略して残るのそっちなんだ。
異論は全くないけれど。
「んと、子供の声が聞こえるようになったのは、2週間くらい前からというお話でしたっけ?」
「僕が聞くようになったのはそんなくらい。それ以前の話だと、管理人に聞いても知らないっていってたけど、あの管理人だから知ってても言わないかもね」
管理人さんはロシア系の中年男性。洒落っ気のない服装と、わたしを見る目からもわかったけど、面倒事が嫌いそうで、何かあったときのためか、探偵免許のコピーもしっかりとられた。
そもそも幽霊騒ぎなんて、団地側は迷惑だよね。
だけど空き部屋といえ調べるのに、付き添って開けるのでなく、鍵を貸してくれたというのは、意外と協力的なのかも。
付き添うのが面倒だったのかもしれないけど。
「でも、昨夜調べただけだと、この部屋は、事故とかそういう曰くがあるわけでもなかったです」
「うんうんうん、そもそも、前の人たちが出てったのは2ヶ月くらい前だから、僕も一応面識有るんだけど、普通にしてたっていうか、むしろ明るいくらいだったよ」
「うぅん、だからここに縁のある、最近霊になりそうな元住人はいなさそうなんですよね」
「ふーん。じゃ、近くの幽霊が勝手に住み着いて、シェアハウスしてるとか?」
思わず小さく吹いてしまう。
一家の霊だと哀しい事件が思い浮かぶけど、別々の霊のシェアハウスなら、死後の世界も楽しそう。
そんな突飛な表現には、来利ちゃんの優しさが見える。
「そういうのかもしれないけど、でも毎晩引き寄せるにしては薄い気が……」
「ってことは、結局?」
御堂さんが首をかしげて訊いてくるけど、わたしもまだ答えはない。と、
「じゃー、いないんじゃない?」
当たり前のような顔の来利ちゃん。
驚いた顔の御堂さん。
「いやいやいや、あれはガチだったって!」
「んー、でも、ごめんなさい、気付いたら朝だったんですよね? ってことは、夢オチってパターンもあるかなーとか……」
「え、えぇぇ、うーん……。いや、そうだよ! 昨日のあれ!」
訴えかけるような瞳をわたしに向ける御堂さん。
「あ、はいぃ。何か霊的なものに触れたのは間違いないかと、ただ、全然別のところでって可能性もないことはないです」
「え、なにそれこわい」
職場だとか買い物だとか、知らず知らずに憑くことだって、それ自体はよく有ること。
でも知らない間にだとしたら、確かに尚更怖いかも。
「あやや。可能性は高くないですけど、逆にそれが憑いてたから聴こえたってこともあるかなぁって。でもそれならもう払いましたし」
原因が判らなければ、また憑くこともあり得ますけど。
少し安心を見せる御堂さんを前にして、内心そう付け加える。
「あ、もしかして、ここじゃーなくて御堂さんの部屋に居るんじゃない? うっすいのは、本体は隣だからーみたいな」
「え、まって、よけいこわい」
「そですね、御堂さんのお部屋も調べないと。でもその前に、まりもさん…“護る子”も確認したいです。それと……」
一つしたいことがあるなぁと、御堂さんの部屋との境の壁を見た。
『聞こえますかー』
203号室で耳を澄ます御堂司と富良永来利に、月乃木紬のその声はしっかりと届いていた。
部屋の奥に届かす程度の大きさでそういってから、《聞こえた?》と来利ちゃんにLINEを送る。
部屋の奥に進んだ頃に、来利ちゃんから返事が来た。
(何故ペンギン……?)
司が来利と紬のスマホでのやり取りを横から見つつ、本題とは無関係なところが気になっていると、すぐに紬から返事が来た。
≪違うって、方向?≫
「って来ましたけど」
「あ、うんうんうん、確かにそうかも。今の声は玄関の方から聞こえたけど、何時もの子供の声は、うーん、何て言うか、『隣の部屋から聞こえた』っていうか……」
「うーんとつまり……」
思案するように、来利が唇に指をあてたとき、
『今度はどうですかー』
壁越しに、紬の声が聞こえた。
「こういう感じ?」
「え、あ、いや、もっと玄関の方からなんだけど、隣の部屋からっていうか……」
説明に窮する司の言葉に、来利は口を尖らせながら、手早く文字を打つ。
「よくわかんないことって……。やぁまぁそうだけどさ」
来利の横からスマホを覗きこみ、見えた文字に司は苦笑する。
「ちょーっ! 勝手に! のぞかないで! くださいっ!」
「え、ああ、ごめんごめん、さっき見せてくれたから、いいのかなと思って」
来利の非難の目に気圧された司を救うように、LINEの通知が来利のスマホを揺らす。
≪解んないけど解かった。ちょっと先生と相談してからそっちいくね≫
よやくとうこう を おぼえた!
……できてる?