幽言部屋 その3
「ね、ね、貴仁さん、紬大丈夫かな?」
水を注ぎに来た有川貴仁に、ライリー・フラナガンこと富良永来利は、不安を含んだ声で話し掛ける。
「独りで依頼を受けるのは2回目だっけ?」
「うんー、そのはず」
「とはいえお父さんとは何度も事件を扱ってるそうだし、あの若さで免許も持つほどだし、大丈夫だよ」
探偵免許。
この“特区”で探偵業を営む為に必要な、篝間探偵協会の発行する免許。
その取得試験は、15歳以上なら受験可能ではあるが、16歳という年齢で取得している紬は、かなり珍しいケースと言えた。
「でも、紬ってしっかりしてそうでちょっと抜けたとこあるしさー、上手く話してるかな?」
ムーディだったBGMが、アップテンポのジャズ変えられた店内では、奥で話す紬たちの声は来利には聞き取れない。だが、僅かに見える紬の顔に、来利の瞳は、薄く緊張の色を見てとっていた。
その瞳に、貴仁は水差しをテーブルに置き、応える。
「その辺、富良永さんとはいいコンビだ」
「アタシは抜けてるようでしっかりしてるからね! でも依頼の話はアタシもいっしょだとマズイんでしょ?」
「依頼人のプライバシーに関わるからね。ただ、見えるところで話をしてるし、危険はないよ」
「そりゃまー、その、あぶないってのはへーきだろーけど、ダマされてタダ働きー、何てことにならないか心配」
「ああ、ならその辺は、後で聞いておくよ」
貴仁の返答に、一度は安堵の笑みを見せる来利だが、すぐにその眉根は小さく沈む。
「あぶないっていえば、もし依頼人の家行って調査、みたいなことになったらどーしよ……? 大体、紬のとこに依頼ってことは幽霊関係なんじゃないの? したら夜に男の部屋で二人っきりになっちゃう!?」
「確かにそれは、月乃木さんの課題だね」
今の月乃木探偵社には、人前に出ることの出来る、即ち依頼人に接するのは、16歳の小柄な少女独り。
それ故に、見知らぬ依頼人の応接の場として、密室の事務所ではなく、この喫茶店を選んでいた。
「誰か信用できる男の人が付いてると安心だけど……」
言い淀む言葉に代わり、期待を語る来利の視線に、貴仁は、困った顔で首を振る。
「手が空いてれば付き合ってもいいけど、明日明後日は俺は無理かな。それにそもそも、月乃木さんも人を雇う余裕があるかどうか」
貴仁も、本来は探偵社に所属する探偵であり、その報酬を生活の糧としている。
無償で易々と、他の探偵に貸せる手を持ち得る立場ではない。
「むー。じゃーその時は来利さんが一肌脱ぎますか」
「もし本当に男手が必要なときは、マスター…うちの社長に話を通すよ」
来利は笑顔で頷いて、僅かにラテの残っていたグラスを空けた。
「じゃ、弟たちの面倒みなきゃだから、アタシそろそろ行くね。紬のことお願いだよ!」
「気にしておくよ」
返事を得て、来利は満足気に席を立つと、貴仁は先導するように、レジへ進む。
来利が店を出るとき、店内には透き通った柏手の音が響いたのだった。
御堂さんに、今後の予定と、場合によっての見積もり額の説明をしたら、二つ返事であっさり承諾。ちなみに今日したお祓いは、勝手にやっちゃったから無料にしといた。
契約成立したわけだけど、今日はまだ準備だけ。調査開始は明日からと、“護る子”を渡し帰って貰う。
さて事務所で明日の準備と、“先生”への報告相談。有川さんと話してから、すぐ上にある事務所へと。
元々物置なのだけど、電源も空調もあって意外と快適な我が事務所。応接するのはさすがにちょっと憚られるけど。
その我が城の灯りをつけて、報告する。
「先生、お仕事入りました」
――成程、会話する霊とは面白い。
「面白い、ですか?」
――ああ、面白い。その会話も、一見いや一聞、成り立っているようにも聞こえるが、その実完全に成り立っている訳ではないと言うのが、殊更に面白いじゃあないか。
「あやあや、幽霊って結構喋るものじゃないんでしょか?」
――確かに、キミも知っての通り、霊の声を聴くと言う話は数あれど、会話となると亦違うものさ。そうだね、キミ、会話をするというのは、細かく砕いたならば、どういった事になるかな?
「えと、聞いて話して、の繰り返しでしょか」
――其れ丈では砕き方が足りないね。音を受けて決められた言葉を発するだけの玩具であっても、会話をしていると言えてしまう。
「あ、そか、聞いて、言葉を理解して、返す言葉を考えて、その言葉を返すってことですね」
――そう言う事さ。ではボクが、人の行う其れを具体的に語ろうか。大体のところ、此のようになるかな。即ち、鼓膜で空気の振動を受け、脳でその振動を言葉として解釈し、脳でその内容への返答の言葉を考え、声帯での言葉を発する。
「大体の……。いえ、えと、つまりそれは……」
――今回の其れが仮に霊の類いであるとしよう。では何故、肉体無くとも会話が可能か、即ち、何に依って音を感じ、何処を以て其れを解するというのか。面白いとは思わないかい?
「あやや、待ってください、それじゃ、霊が会話できないなら、だって……」
――なに、出来る筈なしと断じている訳ではなく、出来ているならどの様に、という話さ。とは言え無論、出来ていない、霊ではないとの結論に落ち着くこともあり得るがね。
「んんん……どの様に……。そですねそもそも、会話でなくても声を聴くって言うのはあって、じゃあ声帯がない霊の声を聴くってなにか。ですね」
――其の通り。人の声は即ち空気の振動であり、然るに音を聴く者ならば誰もが聴くのが理というもの。併し、音を聴いても霊の声は聴かない者も在るだろう。
「そですね、言われてみれば、霊感みたいなもので聴く……例えば念話みたいなものでしょか」
――ではキミ、其れは、“聴いた”のだろうか、受け取ったのは“言葉”だろうか。
「え、えと、聴いてはなくても、言葉、ですよね?」
――其れが有り得ることは否定しないが、他の可能性はどうだろうか。念話者には、異言語や、或いは獣の言葉を解すると語る者も居るだろう?
「んん、そっか、言葉そのものでなくて、感情とか想い……逆ですね、言葉に変換されたものでなくて、想いそのものを伝えているってこともあるかも、と。うぅん……」
――さて、怨霊や生き霊とは、どの様な存在、何に因ってそのカタチを成すと考えられるかな?
「怨みとか強い想いをもった魂……つまり、その想いに触れて声を聴くってことですか? でもそれなら――」
――その言葉は、何処から湧いて出るものなのか。
「はい。んんん、でも、相手から受けとるのは言葉以前。それなら言葉は自分の脳で紡いでる? 想いを受けて、それを言葉に解釈してるってことでしょか?」
――飽く迄一つの仮定に過ぎないがね。抑想いは何処に置かれ如何に伝わるのかという話も等閑だ。併し真実へは、幾つものミチを経て辿り着くもの。其の為の一つの物の見方として、気に留めて於くに足るものだろう?
「はい……。はい」
――併し話の通りの会話なのであれば、此れは別の可能性が有り得るのだがね。
「別、ですか?」
――今の話はこうだ。霊は言葉を紡ぐ脳が無い。だから霊の言葉は霊が紡いだものでなく、霊の想いを受けた者が、自らの脳で其れを言語化したものだろう、と。
「はいぃ。そゆお話かと思いましたが、違ったでしょか」
――いいや、違わない。ただ、それでは、脳を持たぬ霊は、相手の様子や言葉に合わせ、応えを変えることが出来るのだろうか。
「あやあや、そっか、言葉だけでなく、考えることができない……理解して答えるってことができないことに……」
――詰まり、此れは言葉の話でなく、意識の話と言う訳だ。
「意識、ですか。それで、今回の話だと……それっぽいけど、話がちゃんと出来てるわけでもない、ですねぇ」
――ああ、だから殊更面白いというものさ。だが、此の話は亦の機会にしよう。では明日の準備だが――――
“先生”の話を聞いてから、ずっとわたしの胸はもやもやしてる。晩御飯の時に、来利ちゃんにも心配されてしまったくらいに。
腑に落ちなかったってことではなくて、むしろ腑に落ちたからこそのもやもや。
だってそれならそうだとしたら……。
ううん、今は忘れよう、まだ続きがあるようだったし。
明日の学校は午前で終わり。そしたら調査にいかなくちゃ。さあ今日はもう寝てしまおう。