僕のウッズ伯父さん
ウッズ伯父さんが一年ぶりにアフリカ旅行から帰ってきたことを、朝食を食べてる時に母から聞かされて、いてもたてもいられず夜になると、僕はウッズ伯父さんの住んでおられる屋敷を訪ねることにした。
瑠璃色のビー玉のような星が、夜空をまたたいてとてもきれいな夜だった。伯父さんの屋敷の明かりが、僕が住んでいる町を囲む杉林の中の、うねうねした細道を歩いているうちに見えてきた。元来、伯父さんは人嫌いで通っていて、この屋敷に人を呼ぶことはほとんどなかったのだけれど、僕だけは、なんとなく特別に扱われていて、旅行から帰ってくると、ウッズ伯父さんはいつもおかしな土産話を、いっぱいしてくれた。
樫の木で造られた固く頑丈な扉を力一杯たたいて開けると、そこには伯父さんではなくてなぜか見知らぬ一人の少年が立っていた。
とんがった帽子をかむり、まるでアルルカンのような白いラシャのズボンを少年ははいていた。
どこが外国の匂いがするくっきりとした目鼻立ちの美しい少年で、僕は瞬間びっくりして立ちすくんで、「今晩は」といった。
でも少年は知らん顔でつんとすまして、僕なんか振り返りもせずにすぐあっちのほうに去っていってしまう。それで、僕もちょっとむっとする。なんだあのやろうめ。
「ウッズ伯父さんいませんか」と大きな声を出して僕は叫んだ。二度目に僕が床を踏みしだきながら叫ぶと、階段をあたふたとウッズ伯父さんが駆け降りてきたのが見えた。
「ごめんね、どうしても手が離せなかったんだ」と僕に向かっていう伯父さんの手には、金のややこしい細工が施されているパイプがしっかりと握られていた。久しぶりに見る伯父さんの顔は何となくやつれていて、青白い顔に口髯だけが妙に目立って見えた。
「今晩は伯父さん」と僕はお辞儀しながらいった。
「やあ」と伯父さんどぎまぎしながらいうと「さっき何か変なものを見なかったかい」とすぐ続けて僕にいった。
「別におかしなものなんて見なかったですよ、あ、そういえば伯父さんアフリカから召使いの少年を連れて帰ってきたんですか?」
僕がそういうのを聞いて、伯父さんは途端に困ったというように眉をひそめた。「やはり僕の他にも見えるんだね」といって伯父さんはUn sospiro(溜め息)を一つつかれた。
「どういうことですか」と僕が尋ねると「まあ見ていてごらん」といって、伯父さんはパイプを口に当てるとマッチをすってそれに火をつけた。枯れ草を燃やしたような、きつい匂いがたちまち辺りにたちこめて、煙に燻かされて、たまらなく僕の口から何度も咳が出た。葉が違うんだなと一瞬思った。いつものBORKUM RIFFはどうしちゃったんだよ。まだあっちのほうがましだよ。伯父さんに抗議しようと決めて目を上げた時さっきのあの少年が僕の目の前にいるではないか。僕はおもわず唖然として伯父さんに尋ねずにはおれなかった。
「伯父さんこれはどういうことなのさ、この少年はどこにいたの」
少年は僕を微笑んでちらりと見てから、伯父さんの首に手を巻きつけ、ほっぺに口づけしようとした。伯父さんはそれを迷惑そうに避けながら「話せば長くなることなのだが」といって短く要点をまとめて僕に説明し始めた。
「伯父さんは、外国に行くとき、イギリス製のパイプの葉っぱをたくさん買い込んでからいくことにしているんだけれど、アフリカ奥地の土人の村にたどり着いた時、もっていった葉っぱがすべてなくなってしまっているのに気がついた。で、案内役の黒人の男に、パイプ用の葉っぱはないのかねと尋ねると、そこの土人の村の長老が、祭事用にそれらしきものを持ってるらしいという返事が返ってきた。この際しかたない、吸えるものならなんでもいいやってことで、その村の長老を訪ねてもらってきたのが、この葉っぱなんだよ」といって伯父さんは、緑色の紙袋に入っている葉っぱを一つかみ取りだして僕に見せた。外見は普通のパイプ用の葉っぱとあまり変わらないようだった。
「麻薬の一種らしいんだ、実際にはこの世に存在しないものを見せる、しかもそれは吸った人の願望を如実に現わすようなんだ」といって伯父さんは少しいい過ぎたことに気がついて顔を赤く染めた。
「まさかそれがほかの人にも見えるなんて」
伯父さんの話を聞いて、ちょっと僕の胸は高鳴るのだ、そして吹き荒れる嵐のように好奇心がむくむくと起き上がってくる。そうすると伯父さんに嫌みの一つもいいたくなるじゃないか。
「それで伯父さんはもうこの少年に手を出してしまったんですか、伯父さんが倒錯者だったなんて、僕、今まで全然知らなかったな」
僕はいかにも意外だという素振りを見せておどけていったが、実は、伯父さんのそういう趣向については、前からうっすらと気がついていたのだ。伯父さんに小遣いをせびる時は、甘えたの子供のように伯父さんの体にすり寄っていけばいい。伯父さんは僕の髪の毛を嬉しそうに優しく二三度撫でると、その後でいくらかのお金を僕に握らせてくれた。
伯父さんは、僕から倒錯者といわれたことをいささか心外に感じたのか、少年の体を自分から引き剥そうとしていた。
「そんなことがどうしてできるもんか、それに抱きつこうとしても雲を掴むみたいで、ぜんぜんに実感がないんだから」
伯父さんはパイプを口元から離すとしばらくそれを手に持っていた。やがてパイプの煙が途切れると同時に、僕の眼前から少年の姿が忽然と消え去っていった。僕はもう一度驚きで目を見張った。
「伯父さんがパイプをふかしている時だけ少年の幻が現れるんですね」僕は感に堪えないようにいった。「うらやましいですよあんな美少年に慕われて毎日が過ごせるんだから」
と、皮肉をいう僕を、その時伯父さんは少しIl lamento(悲しみ)のこもったまなざしで見つめてからちょっと肩をすくめられた。
そんなことがあって三日ほどして、伯父さんから僕の家に電話がかかってきた。「とりあえず大変なんだ、来てくれればわかる」と伯父さんはかなり興奮しているようだった。
で、翌日の昼頃、伯父さんの屋敷の玄関に入ると、すぐさま僕はその異常事態に気がついた。いつぞやの少年とまったく同じ顔が三人そこに並んで突っ立っているではないか。少年達の隣で伯父さんが、憔悴し切った顔をまじまじと僕に見せつけていた。伯父さんの手にはパイプが握られていなかった。新たな展開が起こったことを僕はそれで知った。
「消えないんだよ、それに数も増えてしまったんだ」とほとほとした調子で伯父さんはそういった。
三人の少年達は、二重の美しいまぶたを大きく見開いて、皆同じように微笑んで伯父さんの顔をじっとみとれていた。一人の少年が伯父さんの腕に自分の腕をかけようとすると一番右端にいた少年が、その少年をにらみつけて憤ったような顔をしていた。
「伯父さんにとってはいいことじゃないですか、夢がかなったようなもんでしょう」と自分と同じ年頃のかわいらしい少年らに対して少し嫉妬にかられて僕がいうと、
「伯父さんも少年を嫌いではないが、四六時中離れずに寄りつかれると、さすがにもう辟易してくる」と苦々しく伯父さんはいった。
「外に出かけようとしても伯父さんを誘惑するような態度をとりながらついてこようとするんだから、一歩も屋敷から出られない、こんなとこを近所の人に見つかったら伯父さんはもうおしまいだよ」
Consolation(慰め)の言葉が僕には見つからなかった。同時に慰めることでもないやと思った。いかにもそれは伯父さんの自業自得というもんだ。「どうしてパイプの火が消えても、残ったままなんでしょうかね」と僕はいった。
「伯父さん自身に、幻影を作り出す能力が備わったとしかいいようがないね、あの麻薬は強力だから、吸い続けるうちにだんだんと効力が切れなくなってしまったんだよ」
「これからどうするつもりですか」
「とりあえず、少年の姿が消え去るまでじっと家の中で待つしかない、その為に君をよんだんだ、これからいろいろな家の用事を手伝ってもらえないだろうか少年達のおかげで女中も雇えないんだよ」
僕はこっくりうなづいた。ウッズ伯父さんに同情は感じなかったけれど、しめしめ、おもしろいことになったと思った。何日かは、これで退屈しないで過ごせるだろうと僕は密かに考えた。
そういうわけで次の日から僕は、伯父さんの屋敷にほとんど朝から晩までいるようになった。たいてい伯父さんはベッドに横たわりながら、買い物やら外での用事をあれこれと僕にいいつけた。そんな時、伯父さんの体に押しつけるようにして固まっている三人の少年らが、ひどく僕にはなまめしかった。一人の少年の頬におそるおそる手を差し伸ばすと、まるで影のように少年をうまく掴むことができなかった。やはり、それは不思議な感覚だ。実際に目の前に存在しているように見えているのに、触感をまったく感じないなんて、さぞかし伯父さんはいらいらしてるだろうなと思った。たとえはおかしいけれど、それは幻の美女を前にしたターザンと変わりないわけなのだ。しかもこのターザンはその美女と木登りもできない。抱き合って蔦で木から木に飛び移ることもできない。あー、あーとターザンは詠嘆するだろう。伯父さんにとって美女というのは、もちろんあの美少年達のことだけれどもね。
さて何も変わらず、それから数日が過ぎたころ、郵便配達員が二度ベルを鳴らして荷物を伯父さんの屋敷に届けにきた。僕が伯父さんの変わりに受け取り証にサインをすると、古くさいザラ伴紙で包まれた小さな箱を、配達員は僕に手渡した。何だろうなと思いながらすぐ寝室の伯父さんのところにそれを持っていくと、伯父さんは身体をベッドから起きあげて、中に同封されていた手紙を読み始めた。
手紙を読みながらやがて伯父さんは涙ぐみ、三人の少年達は、そんな伯父さんを心配げに見つめながら、ひっきりなしに伯父さんの唇に接吻を繰り返していた。伯父さんは手紙を読み終えるとしゃっくりをあげながら、僕に内容を説明しだした。
「アフリカからだ。伯父さんの旅の案内人が送ってきたんだよ。フランス語に訳して君にも読んであげる」といって伯父さんはその手紙を音読しだした。
『私のマスター、あの時あの村であの長老からあの葉っぱをもらってまさかいまだに吸い続けていられないでしょうね。マスターが帰国してから、私はあれがとんでもない毒草だったということを知りました。人の精神を冒して最終的には気違いにしてしまうそうなのです。長老を追及して、なんとか私は解毒薬を手に入れました。もし何か障害がおこってしまっているなら至急お飲み下さい、なお料金はガイド代と別途請求のこと』
伯父さんが箱を開けられると、薄紫色の濁った液体がゆらゆらと波打つ瓶が出てきた。伯父さんは箱からその瓶を取り出すと、コルク栓を抜き、鼻をつまみながら、躊躇せず一気にそれを飲み込んだ。すると、不思議なことに、ぽわんと石榴が裂けるみたいにして、伯父さんの傍らにいた少年達が右から順番に消えていった。おじさんはきょろきょろと部屋中を見渡して、少年達が本当にいなくなったかどうかを確かめると、ベットから立ち上がり、まだかなりの量残っていたあの葉っぱを急いで集め、暖炉に投げ入れてそれを焼却し始めた。
もくもくと真っ黒の煙が、屋敷の煙突からたち昇ってマントを覆いかぶすように街中の空一面に広がっていくのが寝室の窓辺から見えていた。
伯父さんは僕の身体をLa laggierezza(軽やかに)抱き締めて謝意を示すと、もう少年は懲り懲りだといいたげに僕を冷たくあしらい、かなりの札束を僕に手渡して、そのまま家に帰ってしまうようにといった。
ウッズ伯父さんの屋敷を出てしばらく歩いていると、こんな小さな街の中なのに今まで見たことのない大勢の他人とすれ違った。
この人達は、いったい本当に存在しているのだろうか?
なんてことをふと僕は考えてしまうのであったが、でも、結局、そんなことはどうだっていいことじゃないか。他人の実存をいちいち気にして、いったいそれがどうなるというのだろうか。そんなこと考えてちゃ、気がめいっちゃうよ。
今日に限ってカップルの目立つ夕暮れの街角を、僕はさっきからそんなことをぶつぶつ呟きながら歩き続けていた。