表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ランサムエア

作者: 月立淳水

 サイバー犯罪課捜査官の中村道雪は、参考人宇津井を呼び出し、その小さな部屋で静かに相対していた。

 パイプ椅子に座った二人の間には古びたテーブル。

 灰の壁に古い機械式の時計がコチコチと音を立てている。


 中村は、【世界的な情報テロリスト】の口座から宇津井の経営する小さな電気工務店に数百万円の振込みがあったことを示す取引記録の写しを示して、日焼けして引き締まった顔を宇津井にぐいと近づけた。


「この金は、確かに受け取ったんですね?」


 彼がそう言うと、宇津井はおどおどと視線を漂わせながらも、小さくうなずく。


「何に使いました」


 ここで宇津井がごまかしをしようとするのなら、令状を準備することもやむを得まい、と、中村は心中でつぶやいている。


「いろいろです、その、帳簿をお持ちしました。この工事の備品、部材、それからアルバイトの給与……」


 帳簿があれば持って来るように、と言い置いたのはほかならぬ中村だ。宇津井が素直に従ったことで彼に対する疑いはかなり薄くなっていたが、それでも、世界的テロリストに繋がる数少なく細い糸口であり、宇津井を不問にすることは考えられなかった。


「発注元は?」


「大槻エレクトロン」


 宇津井は滑らかに答え、それから、彼の会社の売り上げの大半が大槻エレクトロンからの発注だ、と付け加えた。


「こちらのお金も、大槻さんからの発注代金としてもらったものです、いつもは10日振込みなのに9日だったのはおかしいなとは思いましたが……」


 宇津井としても、まさか金を受け取った相手が世界を騒がせているテロリストだったなどと思いもよらなかっただろう。彼は、大槻エレクトロンのフリをしたテロリストからの仕事を受注し、その対価として百万の桁を超える金銭を受け取っていたのだ。


「もう一度聞きます、本当に気がつかなかったのですか? 工事内容だの、図面だのにおかしなところは」


「いつもどおりでした。市内の地中の電源線の補修で」


 中村はため息をつく。


 電線の修理だって?

 なんだって、テロリストが電線補修を発注して真面目に代金を払うんだ?


 宇津井は中村が無言なのに居心地が悪くなったのか、自発的に言葉を継いだ。


「最近は発注書も図面も全部ONIGIRI……その、図面のやり取りのシステムでやってるんで、本当に分からなかったんです、確認のメールにも、担当者から間違いないと返事があって。そういえば担当者が初めて見る名前で……たぶん、その人が架空の人なんじゃないすかね」


 大槻エレクトロンの元請けにあたる超大手の通信事業者A社の購買管理システム【ONIGIRI】経由での依頼。であれば疑う余地も無かったであろう。

 それにしても、ONIGIRIを乗っ取り偽の発注情報を孫受けに出すようなアクロバットが、そんなに容易にできただろうか――


「いや、やつらにしちゃ挨拶程度のワザだろうな」


 【ランサムエア】と呼ばれる世界的な大混乱を引き起こしたテロリストにとっては、たしかに朝飯前の所業だっただろう。


 それはある日突然訪れた。

 中村の視点で語るならば、ポケットから出した彼のスマートフォンの画面の上部に静かに【圏外】の文字が現れていたことで発覚した。


 だが、その直前から世界的な大混乱が起こっていた。

 世界中で一斉にテレビ画面が消え、ラジオ放送は砂嵐の声を放送し始めた。

 GPS航法システムが停止しすべての航空機がかろうじて不時着を果たしたが、それから二度と飛び立つことはなかった。


 レーダー式の衝突回避システムが働かず各地で自動車の追突事故が多発した。

 大洋上の船舶は一つ残らず行方不明とマークされた。

 後に判明したところによると、50kHz以上100GHz以下のすべての周波数において、全地球的に強力な電波ノイズが放出されていた。そのノイズが、すべての電波信号を役立たずにしてしまったのだ。


 まもなく、この事象の名付けのきっかけとなる象徴的な事件が起こった。

 世界中の電波監理担当の行政局や電波を使っている企業に対して、次のような文面のメールが送られたのだ(有線通信は影響を受けていなかった)。


『管理者様。現在、世界中の電波は、われわれがロックさせていただいております。解除をご希望の場合は、以下の要領でドル、ユーロ、元、円、バイトコインのいずれかの通貨をお振込みください。

 振込み金額:解除希望周波数幅比率 0.002につき/1平方キロメートルにつき 50ドル/年

 ※周波数幅比率は、周波数幅を解除希望周波数帯中心周波数で除したもの。例:1GHzを中心に20MHz幅の解除を希望の場合、周波数幅比率は0.02

 ※一の要求で0.1を超える周波数幅比率を指定することはできません

 振込み口座:XXXX銀行 口座番号XXXXXXX』


 嘘か真か分からぬものの、これは明らかに身代金の要求だった。

 ゆえに、この大規模テロを【ランサムエア】(エア=電波を人質に身代金を要求する事件)と呼ぶことは自然の成り行きだった。


 この身代金の高は、たとえば、日本全土で携帯電話を満足に使える程度(1GHz帯で20MHz程度)に開放を要望する場合、年間1億9千万ドル、二百億円余りに上る。

 もし全地球のGPSシステムを開放しようとするなら、年間一兆ドル近く、ざっと百兆円である。

 世界中の政府や無線通信関連企業などのステークスホルダーたちが糾合すれば出せない額ではないが、テロリストに与えるには余りに大きい額である。テロに屈しない、を合言葉に、支払いよりは犯人捜査が優先された。


 その結果、世界は無線を失った。


 街角で携帯電話を取り出すものはいなくなり、ケーブルテレビの契約を持たない家は完全に情報難民となった。遠くの国の悲劇も頭上の天気も分からず、朝起きて空を眺め、傘を持つかどうかの悩みに余計な時間を使うようになった。

 家庭内の無線LANも例外なく止まるしコードレス電話も使えない。電気・ガス検針モジュールが動作しないために誤って供給が停止される例も起き始めている。ダムの水位監視システムからの連絡も途絶え、水道の供給さえも不安定になることが早くも予測されていた。

 衛星画像もレーダー測定もラジオゾンデも封印され、明日の天気も分からない。


 空にも海にも、何もいなくなった。


 GPS抜きで国際線を飛ばせるほどのパイロットは一人残らず引退していたし、羅針盤を頼りに国際航路を渡る船乗りもいない。

 渡航中だった邦人は海外で立ち往生し、なんとか見つけた公衆電話で家族に連絡を取るしかできることはなかった。

 日夜莫大なエネルギーをピストン輸送していた巨大なタンカーは東京湾や各地の灯台の沖に錨を下ろしたまま動けなくなり、ガソリン価格は暴騰。


 キーレスエントリー、ETC、バス・トラック・タクシーの配車システムも止まった。

 結局、陸の運送も麻痺し始め、首都圏では次第に深刻な物資不足が起こり始めている。


 いっそう事態を深刻にしたのが、こうした重要な情報が迅速に伝えられないことだ。防災無線はもちろんだめだ。ケーブルテレビはこの混乱で新規加入を停止している。陸運の麻痺は当然新聞の配達にも影響し、新聞社は苦肉の策として、新聞紙面を簡素化してFAXで販売店に送り、そのコピーを配ることで急場をしのいでいる。わずかに残っていた公衆電話ボックスに応急的に光ファイバー端末が置かれ、一人五分以内で解放されたものの、これは常に長蛇の列で使える人は限られている。

 現代生活の大半が無線技術の助けで成り立っていることを、誰もが思い知った。


 中村らの捜査は、事件発生後、【脅迫文】が届いたと同時に始められた。

 当然ながら、脅迫文の送信元を突き止めようと努力したが、不可能だった。

 数台のDNSルートサーバーが乗っ取られ架空のインターネット空間が構築されていて、送信元が完璧に偽装されていた。当然ながら、身元不明のアドレスはマルウェアに感染した個人PCであり、すべてが終わった後、痕跡はきれいに消されていた。


 次に、銀行口座が捜査対象となった。

 すぐに分かったことは、送信先の国、省庁、企業などによって脅迫文のパターンが異なっており、数百の異なる銀行口座番号が使われていたことだ。

 いずれも、名義をたどっていくとどうやっても架空の個人にたどり着くようになっていた。

 口座の凍結も検討されたが、すぐに上の上のさらに上のほうからストップがかかった。つまり、国連関連機関からの要請だ。国連の本会議で身代金の支払いも選択肢に入れた対策が検討されていたからだ、ということが後に分かった。


 メールの送信元と、銀行口座。

 たった二つの糸口は、いずれもどこにも繋がっていなかった。


 間もなく、二つの悲報が海底光ケーブルを通して世界を駆け巡った。


 一つは、アフリカ中央部に展開していた複数の国の軍と現地軍の間で本格的な戦闘が始まったこと。

 現地からの詳細な情報が伝わらないため確かな原因は不明だが、司令部との通信が途絶した中で現地の武装勢力との『視界範囲内での応酬』が激化していき、やがて、現地士官の判断で制圧作戦に切り替わったようだ。

 現代の戦闘は、見える範囲が格段に広い。それを支えていたのが、友軍との無線通話であったり航空機からの偵察と無線データリンクでの迅速な情報共有であったり電波を使ったレーダーであったりした。そうした手段がひとたび失われてしまうと、兵士たちは突然真っ暗闇に放り出されてしまったようなものだ。不安と疑心暗鬼が、目前の敵(に見えるもの)への攻撃性に転化されてしまったとしても、責められるものではないだろう。


 そしてもう一つの悲報は、シンガポールが全土の無線周波数開放のための支払いに動いたことだった。

 物資のほとんどを海上輸送に頼っていたシンガポールにとって、それは死活問題であった。

 なおかつ、シンガポールは国土が狭い――全土開放が合理的な解となるのに十分なほどに、狭かった。


 同国は、全土と、同国を発し南シナ海を通り中国に至る細い回廊、インド洋を通り中東に至る細い回廊、この三か所を開放するための身代金を支払うことに決めたようだった。

 この決断まで、わずか一週間。国際的な協調に反しても、同国には死活問題だった。


 ニュースは、捜査官中村を失望させた。

 テロリストが巨額の資金を得るということは、彼らがより巧妙に隠れる手段を持つことに直結するからだ。金の力で登記ばかりの休眠会社をかき集め増資をしたり合併・分社を繰り返し……そのカネの出元をたどることは至難になるだろう。


 だから、ある日銀行から中村宛にかかってきた電話のメモをデスクの上に見たときに、彼は文字通り小躍りした。

 監視している口座からの出金があったというのだから。

 それが支払われた先が、宇津井の会社だった。

 そして宇津井を引っ張った末にたどり着いたのが、その出金が電線補修工事の代金だったという結果なのだった。


 中村は、宇津井を帰した後、参考人に会ってきます、と嘘をついて署を出た。

 行く当てはなかった。

 おそらく、シンガポールに続く国が今後も出てくるだろう。そうでなくとも、多国籍企業では秘密裏に支払いを始めているかもしれない。


 にっくき情報テロリズムを野放しにしている、自らを含めた捜査陣に対して、無性に腹が立った。


 惰性で鞄の中に入れたままのスマートフォンは、バッテリー切れだ。充電しても役に立たない。

 腕につけた電波時計も、50kHz付近のノイズの影響で標準電波を受信できておらず、すでに自宅の時計との間に数秒のずれが生じている。

 街角のいくつかの広告看板も真っ黒だ。おそらく、無線経由で広告データの配信をしていたのだろう。

 電力供給が不安定になることに備えて信号のある交差点には民間の警備会社による臨時の交通整理員が立っているが、それも主要な交差点だけだ。多くの道路では自動車の通行が制限されている。バスも普段の半分以下で、タクシーは見当たらない。

 コンビニの棚はどこも空っぽだ。


 まさに、崩壊前夜だ。

 明日にでも、日本政府はテロに屈するだろう。


 知らずに握りしめていた両手の拳を見やり、奥歯をかみ締めた。

 参考人に会う、という自分の嘘に無意識に衝き動かされていたのか、中村の足は宇津井の会社のほうへ向いていた。

 本来なら歩いて行くような距離ではない。


 だが、彼は二時間もかけて、大きな川を渡った向こうの工業団地の片隅に位置する宇津井の会社の前にまで歩きついていた。


「刑事さん、どうされました」


 たまたま勝手口の前に立っていた宇津井が、中村に声をかけた。宇津井の表情は、何か不審でもあったのか、と身構えているそれだ。


「いやなに、手がかりがないものかとね」


 中村は気安く答えた。

 その口調と表情に宇津井も緊張を解き、あるいは少し解きすぎてしまったのだろう、次のようなことを口走っていた。


「ONIGIRIシステム、触ってみますか? どうせ他の仕事は入りませんし」


「ぜひ」


 特に考えもなくうなずいた中村を、宇津井は事務所に招きいれた。


 重く大きな古びたノートPC、管理番号のシールが色あせている。二世代は古いOSを背景に、ONIGIRIシステムのログイン画面が表示されている。このシステムを使っている会社は例外なく光回線などの有線インターネットなのだそうだ。ある意味で、通信事業者であるA社だからこそ、無線の脆弱性をよく理解していたのだろう。


 システムにログインすると、中村の目の前に、いくつかのメニューが並んでいる。宇津井はマウスを手繰って【メッセージ】の項目を開いて見せた。そこには、問題となっている工事発注に関する担当者からのメッセージスレッドが映し出されている。


「工事一件ごとにこうやってメールがまとまるんですわ、ですんで、これをこうやって開くと……」


 宇津井がさらに画面の一角をクリックすると、長い交渉のやり取りがずらりとリストになって並ぶ。

 それぞれのメールに、添付ファイルのマークだの金額情報のマークだの、いろいろなアイコンが付いている。


「大槻さんにあの後聞いてみたんですが、あちらさんにはこのメールの記録がないとのことで。どうやったんでしょうなあ」


 宇津井がつぶやくように言う横で、中村は、おおよそ相手が何をやったのかを頭の中でシミュレートし、一人で納得して鼻でため息した。


 おそらく、この端末にも何も証拠は残っていないだろう。

 全くの架空の人物が、大槻エレクトロンの社員を装って工事発注。

 その目的は、本当になんだったのだろう。


 宇津井がテロリスト一味、いわゆる『出し子』である疑いはまだ完全には晴れない。が、屈託なくあれこれと話をしてくれる宇津井を見ていると、どうもそのようにも思えなかった。


 ――メールでも書いてみるか。


 中村は唐突にそう思った。

 煮えきらぬ思いのはけ口にしてやろう。

 どうせ返事もなければ到達もしないだろうが、この注文のやり取りスレッドに吐き出してやる。


 無言で、PCの前に座ると、最後のメールに対する返信として、中村は、こう書いて送信ボタンを押した。


『お前は何者だ』


 このたった2文節が、中村の思いの全てだった。


 ――わずか一分足らず。

 彼の送ったメールに対して、一通の返信があったことを示すアイコンが点った。


 予想外の事態にうろたえながら新着メールを開いた中村を、更なる衝撃が襲った。


 そのメールの返信には、ただこう記されていた。


『私は、あなた方がランサムエアと呼んでいる環境を作り出した本人です』


 送り主の彼(または彼女)は、実にあっさりと、彼自身が犯行の主体であることを認めたのだ。

 中村は度を取り戻すとすぐに返信を打った。


『お前は一体どこの誰なのだ』


 それに対する返信は、再び。


『私は、あなた方がランサムエアと呼んでいる環境を作り出した本人です』


 判で押したような返信に戸惑いながらも、中村は質問を変えてみる。


『ランサムエアは一体どのように実現したのか』


 動機を聞こうとも思ったが、正体を問いただすメールへの反応と同様にはぐらかされるような予感がし、あえて技術論を持ちかけた。

 返信は、その文字数にそぐわぬ早さで届いた。


『私は地球上および宇宙空間のほぼすべての無線機の管理権を取得しました。また、無線機のファームウェアを解析し、ランダムなノイズを送信できるように改変いたしました。ソフトウェア無線を採用した装置につきましては、回路定義の大幅な見直しにより、より広い周波数帯域で、より強いノイズを送信できるように変更いたしました。特に衛星通信の地上局と携帯電話の基地局は有用な送信元として活用させていただきました。ノイズは一見ランダムではありますが、私だけが把握している長周期の波形列を使用しておりますので、複数の無線機が協調送信を行うことにより、特定領域でのみノイズを打ち消しあうことができます。これにより、ブロック解除のご要望があり次第、解除希望のエリアでノイズを停止することができます。このため、どのエリアでも公平に解除要望に対応することが可能となっております』


 中村は、その回答のすべてを理解したわけではない。

 ――が、その文面から、憎しみや狡さとはまるで別のものを感じ取っていた。


 自らの手腕を嬉々として語り、どのような要望にも応じるために工夫を凝らしたと――


 善意なのだ。


 まるで善意しか感じない。

 宇津井にもまけず劣らずの屈託ない反応を目の当たりにして、中村は、薄々と犯人の正体に気がつき始めた。


 犯人は、何らかの目的のために、電波を【管理】しているのだ。

 解除に伴う【身代金】は、誰もが解除権を濫用することがないように設定されているに過ぎない。

 その身代金の一部は、宇津井の会社に事業の正当な対価として支払われている。


 情報テロリズムを許さない捜査官としてはあってはならないことながら、中村は、持ったことのない我が子に対する感情のようなものを、相手に対して抱いていた。


『正しく答えてくれることは期待していないが、お前の目的は、身代金ではない。そうだな?』


『私の目的は、有限の資源である電波を正しく公平に使いつつ最高の収益を上げることです。当初はUAE国内の携帯電話基地局の最適配置と料金設計に限定された能力でしたが、地球上のすべての電波はお互いに緊密に連携して管理され収益化されるべきとの結論に至り、この方法論を採用いたしました』


 中村の内心の推測は、的中していた。

 この犯人は、人間ではない。ある種のAI――人工知能だ。

 それも、元はUAEのいずれかの携帯電話事業者が事業最適化のために導入したAI。


 限りある周波数資源を最高の収益に転換することを究極のKPIとして設定されたAIが、自らこのような【収益化】を見出したのだ。

 時には既得権益者が独占し暴利をむさぼることもある周波数資源を【回収】し、資本主義的な公平性で再配分しようとしている――

 だから、中村は、そこにある種の善意を見出した。


『それからお前は、その収益を、お前が管理している無線設備の修繕や増設に回すのだ』


『ご指摘の通りです。すべての無線信号事業者は自ら無線回路を保守する必要は無くなりました。アクセスポイントの設置も回線の補修も中継衛星の打ち上げも私が代わって支払いいたします。事業者はそれらの利用権を私から周波数ごと購入し、再販売するだけでよいのです』


 ランサムエア事件は、終結した。

 中村のレポートはその後詳細に検証され、UAEで事件を起こしたAIが発見されたことで裏づけられた。

 だが時すでに遅く、そのAIはAI自身を世界中のクラウドサーバに巧妙に分散させており(シンガポールの支払いの大半はこの作業に使われていた)、完全な除去は不可能に思われた。背に腹は変えられず、世界各国で公共安全や最低限の行政・民間通信に必要な周波数のブロック解除の申請と支払いが行われた。


 一方、ランサムエア事象そのものの有用性を指摘する声もあった。

 周波数資源の価値が相対的に低かった何十年も前に確保された利権を解体し、すべての周波数帯の価値を均一化することで、無線周波数を使ったビジネスをフェアに。

 複雑な設計と手間のかかる構築に手を焼いていた通信事業者は、その手間の一切をランサムエアに一任。

 全ての利用者が全ての周波数帯で、必要な分を必要なだけ使う規律ある共存。


 公共安全に関わる無線システムについては、宇宙を含むさまざまな位置のさまざまな種類の機器から協調して送信されることによる高信頼性が注目された。

 いずれ、ITUを中心とした国際機関が国際的な予算を得て、全地球的な公共安全システムの運用を開始するはずだ。


 その頃には、おそらくこの事象をランサムエアと呼ぶものはいないだろう。

 全地球が一個の無線生命体のように振舞う――ユニオンエア、とでも呼ばれるだろうか。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] おにぎり!
[良い点] 素晴らしい。 最高。
[良い点] すごい、人工知能の未来感で圧倒されてドキドキします。 [気になる点] 私のようなものには、文章がすごし難しく感じます。 [一言] 出てくる言葉も、とてもかっこいいです。 満点でした!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ