蔦と求婚者
「あなたの娘、茨姫をいただきたい」
と、隻腕の海彦は鬼の親に頭を下げた。
鬼のような、という比喩ではなく、正しく鬼の親に。
人間の二倍近い体躯があり、琥珀色の眼と赤い肌をした鬼の頭領に。
「オレがキサマら人間に喜んで娘をやると思うのか」
と、苦々しげな声。
父親の隣に座る鬼の娘、蔦姫は、内心で思った。
ああ、なんて馬鹿な男だろう。
鬼が島にただ一人やってきて、鬼の娘に求婚するなどと。
場所は、鬼の屋敷。鬼だけが住む孤島の、鬼の村の、頭領の住まい。
鬼の頭領、琥珀童子と、隻腕の人間、海彦は、向かい合って座っていた。海彦はあぐらで、琥珀童子は片膝を立てて。それぞれ最低限の礼儀と、いざという時のための警戒を見せて。
その周囲には、海彦を囲む形で九人の男鬼。
争いになれば、人間一人などひとたまりもないだろう。腰には刀を帯びているが、それが如何ほど彼の助けになるものか。
……いざとなれば、彼をこの場から連れ出すべきか。
……私は、そうしたいのだろうか? 苦々しいが、妹のために、そのくらいはしてやるべきか。
父親の隣に座る蔦姫は、苛立ちと不安を抱えながら、そう考えた。
蔦姫は、粗野な腰巻き一丁の鬼たちや着流しの海彦とは違い、宮女が着るような華やかな小袿を着ていた。周囲の男鬼たちとは違って人間並の背丈であることも加えて、一見すると清楚な姫にも見えた。人間との違いはといえば、額に生える鬼の角と、父親譲りの琥珀色の眼。それから、瞳と同じ色の琥珀色の髪。
あとは、小袿に隠れて今は目立たないが、女性としてのしなやかさを持ちながらも人間の女性では持ち得ないほどの筋肉が盛り上がった四肢。
実際、腕力でもそこらの男鬼に負けないだけの自信はあるし、足の速さともなれば、この村で彼女に勝てるのは妹の茨姫ぐらいだ。
仕方あるまい。いざとなれば、私が彼をさらって逃げよう。
そう考える蔦姫が見守る中で、海彦は、あぐらの姿勢で床に着くほど下げていた頭を上げ、言った。
「俺は、さらってでも茨姫と添い遂げるつもりだ」
……なんとなく、彼をさらうという考えが馬鹿らしく思え始めた。別の女をさらう算段をしている男をさらうなど、私は馬鹿のようではないか?
「だが、出来うるのなら、認められて添い遂げたい。
どうすれば俺を認めてくれる?」
「……キサマ、イバラとはいつ頃からの仲だ?」琥珀童子は、質問には答えずそう返した。
「深く言葉を交わすようになったのはここ数ヶ月だ。だが、最初に出会ってからは、六年だ。
嵐でこの島に流れ着いたときに出会ったのが最初だ」
六年前。
蔦姫の心に波が立った。
……六年前に片腕を失っておきながら、それでも海彦はこの島に戻ってきた。馬鹿な奴だ。
「ツタよ。おめえは知ってたか?」
「……はい。とと様。
妹が逢瀬を重ねているのを、知っておりました」
「チッ……。
あいつが村からよく遠出してるのは気がついていたが、いつもの彫刻趣味のためばかりと思っていた。
まさか人間と縁を重ねてるたぁなあ……」
琥珀童子はこれみよがしにため息をつき、言った。
「認められるためにはそれなりのことはする、と思っていいんだな?」
「ああ」
琥珀童子は顎髭を撫でながら思案し、言った。
「あいつはオレの娘だ。オレの宝だ。めったなことじゃやれねえ。
それこそ、別の宝と引き替えでもなきゃな。
かつて、人間どもに奪われた宝がある。それを取り返してこい。
そしたら考えてやる」
「その宝とは何だ? どこにある?」
「『カエシ小槌』と呼ばれてる。
忌々しい伊豆国の連中が兵を率いて俺たちを陸から追い出したときに、奪われちまった。この島に押し込められる前のことだ。
持ち主が変わってなきゃ、国府の工藤の城にあるはずだ」
「国主が保管してる宝を奪ってこいってことか?」
「奪うか盗むか、だまくらかすか、手段なんか知らねえよ。オレはただ、その宝を取ってこいって言ってるだけだ。
出来ねえならこの話は無しだ。ここでブチ殺されるか、それとも尻尾を巻いて二度と娘に近づかねえと誓うか、選べ」
「……宝を、取ってこよう」
海彦は、渋い顔だが頷いた。彼はただの、漁師くずれの浪人のはずだ。城に伝手などあるようには見えない。どんな手段であれ、難しいだろう。
しかし、それでも挑むつもりなのだろう。
私の妹のために。馬鹿な奴だ。
ああ、苛々する。
「……とと様、一つ言わせてください」
「なんだ、ツタよ」
「彼一人では何も出来ないでしょう。信用も出来ないでしょう。
それに、彼はカエシ小槌がどのようなものかも知りません。万が一近づけても、気づかずにみすみす見逃す可能性もあります。
見届ける者が必要です。彼が成し遂げるにせよ逃げ出すにせよ。
私が、彼について行きます」
「ああん!?」
父親が、驚いた顔をした。だが娘は素知らぬ顔で続けた。
「妹を欲しい、とのたまう人間を見定めたいという姉心もあります。行かせてください」
「しかしよぉ、ツタよぉ……。
おめえもオレの宝だ。なんで、こんな人間と一緒に旅立たせにゃならん。道理がねえ」
「もう決めました。私は翻しません。私が強情なのは、知っているでしょう」
蔦姫は立ち上がり、海彦に言った。
「さあ、行きましょう」