第一章(8)
「もちろん! じゃ、楽しいセッションにしようね!」
そう言うと彼女は、簡単な説明をしてくれた。
最初だけは彼女がひとりで弾き始める。
要所要所で口頭で指示を出すから、それに従ってくれ、とのことだ。
……いや、簡単っていうか、雑すぎじゃねえか、この指示?
シンプルイズベストを極限まで突き詰めたような彼女の言葉に、俺は不安を覚える。
しかし彼女は伝えるべきことは全て伝えたと言わんばかりに、一度軽く深呼吸をして、演奏を始めた。
最初に弾き始めたのは、先ほどまでやっていたのと同じブラッシングだ。
さっきより少しテンポをあげて、ジャッ、ジャッジャカって感じに音を出す。
それを何小節か弾いた後、俺に最初の指示を与えてくる。
「四つ数えるから、それに合わせて私と同じリズムでブラッシングして……。いくよ、ワン、ツー、スリー、フォー!」
彼女の指示に合わせて、俺も演奏を始めた。
ふたりぶんのブラッシングが教室に響く。
黒峰のと比べると俺のリズムはいくぶん頼りないが、それでも彼女に少しでも合わせようと、俺は必死でついていく。
「いい感じだよ。じゃあ、そのままのリズムで弾き続けてね」
そう言うと彼女は一瞬ピッキングを止め、先ほども操作していたギターのツマミを回し、その横にあるスイッチを切り替える。
そして一拍ののち、彼女は演奏を再開した。
——その瞬間、空気が……いや、世界が、変わった。そんな気がした。
彼女のギターから出てくる音は、全く別物になっていた。
先ほどよりもさらに激しく、攻撃的とも言えるくらい荒々しく、それでいて腹に響くように太い音だ。
まるで別のギターに持ち替えたんじゃないかという印象すら覚えるほどだ。
彼女はその音を巧みに使いこなし、メロディを奏で始める。
ブラッシングとは違う、ちゃんとした音程のあるメロディだ。
ネックの中ほどを中心として、彼女の左手が低いフレットから高いフレットへ、太い弦から細い弦へと移動を繰り返す。
その様子はまるで彼女の指先が独立した意思を持ち、ギターの上でダンスを踊っているかのようだ。
複雑なステップを踏む指先は、右手のピッキングと合わさって、様々な表情を持つ旋律を奏でる。
細かく速くヒステリックにも思えるフレーズを弾いたかと思えば、押さえた弦を押し上げるようにして長く感傷的な音を出し、そこからさらに弦を上下に揺らすようにして不安定な余韻が加わる……。
彼女のギターが出す一音一音が、まるで何かを訴えかけている物語のようにすら感じられた。
そしてそれが、俺の奏でるブラッシングと組み合わされると……それは確かに、間違いなく、ひとつの音楽になっていた。
彼女の演奏が踊り子だとするなら、俺の演奏はそれを支える舞台だった。
俺は自然と、彼女が少しでも踊りやすいようにと、より一層神経を研ぎ澄ませていた。
俺がミスれば、それはステージの途中で地震が起きるようなものだ、そう思った。
だから少しでも彼女の演奏の補佐をすべく、俺は両手に感覚を集中させた。
「次、サビ。激しく。盛り上げて」
演奏を止めることなく、彼女はそう指示をしてくる。
さすがにこれだけのプレイをしながら流暢に喋る余裕はないようで、言葉は途切れ途切れだったが、意図は十分に理解できる。
ワン、ツー、スリーと彼女が呟くのに合わせて、俺もブラッシングをより一層際立たせた。
彼女が奏でるサビのメロディは、それまでに比べるとむしろシンプルだった。
繰り返しのリズムやフレーズも多い。
しかしそのおかげでかえってキャッチーさというか、説得力というか、求心力のようなものが強くなったように感じる。
それに俺が彼女に言われるままに直感で少しばかり手数を増やしたブラッシングが合わさると、間違いなくそれはサビらしい風格を生み出すことに成功していた。
よし、上手くやれてる。
手応えを覚えて、俺は嬉しくなった。
やがて彼女はメロディを弾き終え、俺と同じリズムでブラッシングを始める。
どうやら終わりは近いらしい。
そう思うとそれまで張り詰めていた感覚がわずかに弛緩し——手元が、狂った。
バツンッ! という、それまで聞いたことがない音が、俺のギターから響く。
何事かと思い、俺は思わず手を止めてしまった。
抱えているギターを見やると、六本あるうちの中ほどの弦がひとつ、切れてしまっていた。
それに気付いた彼女も、慌てて演奏を止める。
先ほどまで教室を支配していた、世界が変わったような感覚は唐突に消え失せ……静寂が、訪れた。