第一章(5)
……あぁ、クソ恥ずかしい……。
羞恥心を誤魔化すように、俺はやや乱暴に促された椅子に腰掛ける。
その音を聞いた彼女は、一度両手でパチンと自らの頰を叩き、こちらに向き直る。
目元はもう普段通りだが、口元にはまだ少しだけニヤけたような感じが残っていて……あぁ、チクショウ……。
「ごめんってば。なんとなくからかい甲斐がありそうだなーと思っちゃって、思わずね。……許して?」
そう言いながら、彼女は片目をつむりながら両手を胸の前で合わせた。
どうにも彼女の仕草には子供っぽい無邪気な感じというか、人の警戒心を解きほぐすようなものがある。
やっぱり女の子は、というか可愛い女の子はズルいよ……。
「まぁ、いいけどさ……。でも俺、ギターなんて弾けないどころか、触ったこともないぞ?」
これ以上この話題を続けまいと、俺はギターのことに話を向ける。
そう、俺はギターなんて……というか楽器なんてほとんど触れたことがないのだ。
小中学校の授業でリコーダーと鍵盤ハーモニカをやったことはあるけれど、マジでそれくらいなものだ。
あ、あとは幼稚園の頃にカスタネットがあるか。
しかしなんにせよ、それらの経験があるからといって、ギターを弾くうえで有利になるとは考えづらい。
「だいじょーぶだいじょーぶ。そうだろうと思ってたから。それにキミ、案外音楽に向いてるかもよ?」
彼女は気楽そうにそう言うが、俺はわけが分からなかった。
俺が音楽に向いている?
彼女は何を根拠にそんなことを言ってるんだ?
「さ、じゃあキミはこっちのギター使って。落とさないようにしっかり持ってね」
そう言いながら、彼女は俺に一本のギターを渡してくる。
胴体のところが左右非対称に、ツノのように突起している、黒いギターだ。
俺は壊れ物を扱うように、恐る恐る彼女からそれを受け取った。
「うおっ、結構重いんだな、ギターって」
思わずそんな声が出た。
ギターを演奏しているミュージシャンなんかはテレビで見たことがあったが、それはもっと軽々と扱っているように見えたからだ。
しかし今俺の手の中にあるギターからは、ズシリとした重量感を感じた。
「それは比較的軽い方なんだけどね。正確に計ったことはないけど、三キロ前後くらいじゃないかな」
その数字を聞いて、俺は改めて驚いた。
三キロって言ったらちょっとした赤ん坊くらいあるじゃないか。
世界中のギタリストはそんなもん担いで演奏しているのか。
その重さに戸惑っている俺を横目に、彼女はもう一本のギターを手に取る。
形は少し似ているが、違うモデルのようだ。
彼女のギターのほうが起伏に富んでいて、俺のギターにはネジ止めされているプラスチックの板のようなものがない。
あとなんか軽く湾曲した棒みたいなのが垂れ下がってて、それがブラブラと揺れていた。
「じゃあ、椅子に浅めに座って。そしたら、こんな感じでボディのへこみを右ももにフィットするように乗せて。あ、もうちょっと体に近付けて。……うん、そうそう、そんな感じ」
持ち方の参考にしようと彼女を見やると、彼女は軽く足を開いて、その上にギターを抱えていた。
ふむ、参考にという言い訳があるから、合法的に彼女を視姦……じゃない、観察できるのはいいな。
両膝の間にスカートがわずかな空間を作っていて、それがなんともそそる。
ももにわずかにギターが沈み込む様子から、彼女の脚の肉付きを感じられる。
これはなかなか……っていかんいかん。
あまり凝視してるとさすがに変に思われる。
彼女の見よう見まねで、俺はギターを構える。
これで持ち方が合っているのか分からないが、彼女が満足げにうなずいているのを見るに、問題ないのだろう。
彼女は俺との間の足元に手を伸ばして、それぞれのギターから伸びたケーブルが繋がっているふたつのスピーカーのようなもののスイッチを入れた。
サーッという小さな音が聞こえ始める。
「これはアンプ。エレキギターの音はここから出るの」
「え、ギター本体から音が出るんじゃないのか?」
彼女の解説に、俺は素直な感想を述べる。
だってリコーダーや鍵盤ハーモニカといった俺の知る楽器は、当たり前のように本体から音が出ていたからさ。そうじゃないものもあるんだな。
「アコギ……あ、アコースティックギターのことね。あれはボディの空洞で音を増幅させるから、本体から音が鳴るんだけどね。エレクトリックギターは簡単に言うと、ボディに付いてるマイクで音の信号を拾って、それをアンプで増幅させて音を出すの」
「なるほど。じゃあエレキギターはそれだけだと音が鳴らないわけだ」
「鳴らないことはないけど……。こんな感じの音だよ」
そう言うと彼女は、ギターに付いてるツマミのようなものを回してから、ギターを弾き始めた。
チャラン、ヂャアンって感じの音が出る。
彼女の淀みない演奏は素直に上手いと思うし、これはこれで綺麗な音だけど、俺はどこか違和感を覚えた。
「昼休みに聴いた音に比べると、迫力が無いっていうか、頼りない感じだな。音も小さいし」
「あの時は音楽室の備品のアコギだったからね。今弾いてるエレキギターは生音で演奏されることを前提に作られてないから、こんな感じの音になるんだよ」
俺は再びなるほどと呟く。
と言うか、マジでギターのこと何にも知らないんだな、俺……。
「で、アンプで音を出すと、こんな感じだよ……っと!」
言いながら彼女は、再度ギターのツマミをさっきとは逆方向に回し、先ほどと同じフレーズを弾き始めた。
「……おぉぉっ」
思わず声が出た。
今聞こえてくる音は、さっきのとは全く別物だった。
ギャアン、ギャガン、キュイイイインって感じのその音は、擬音にすると馬鹿っぽいけど、俺のイメージの中にある『エレキギターの音』そのものだった。
これは、カッコいい……。
彼女が手を止めるのと同時に、俺は昼休みの時と同じように自然と拍手をしてしまった。
「どうだった?」
「ほんと全然違う音になるんだな。完全に俺の知ってるエレキギターの音だった。これは素直にスゲーわ」
「今のは狙ってそういう音にしたんだよ。アンプで軽く音を歪ませてね。エレキギターはセッティングですんごく多彩な音色を出せるから、それも魅力のひとつだよ」
歪ませるってのがイマイチどういうことなのか分からなかったが、それでも俺はうなずいた。
なんというか、間近で見た演奏に圧倒されてしまっていたのだ。
「じゃ、私が弾いてばっかじゃ仕方ないから、キミも弾いてみようか! ふたりで合わせよう!」




