第四章(1)
「さて、じゃあ今から、このバンド最初のスタ練の反省会をしたいと思います」
四月一日。
部室で初めてメンバー全員が揃ったあの日から二週間以上の間を開けて、俺たちはようやく最初のバンド練習にこぎつけていた。
高校に入ってから一年が経つが、最寄駅の近くにこういったバンド練習用の施設があることなんて俺は全く知らなかった。
事前に住所を教えてもらってマップアプリのナビを頼りにしながら来たから迷うことはなかったが、それでも店内に入るときは少しばかり緊張した。
なんかこう、バンドマンが集まるような場所って、ガラが悪そうなイメージがあったからだ。
入ってすぐ店員に「ここはお前みたいなガキの来る所じゃねぇ!」なんて言われて追い返されるのではないかとビクビクしていたが、そんなことは全くなくて安心した。
受付で「いらっしゃいませ」と店員から声をかけられるのと同時に、既に店内で待っていた黒峰が俺に気付いて手招きしてくれたから、俺はそそくさと入店を果たすことができた。
それからアンナとカオルちゃんも合流し、八畳くらいの広さの防音室に入って練習を始めたわけだが……二時間の練習を終えた俺は、クタクタに疲れ切っていた。
「じゃあまずはダイダイから。初めてのスタジオはどうだった?」
司会進行といった感じで、黒峰が俺に感想を訊いてくる。
俺は小さくため息を吐いたあと、それに答えた。
「いや、なんつーか……ごめん。正直言って、ここまで合わせられないとは思わなかった……」
そう、はっきり言って、素人の俺でも分かるくらい、俺の演奏はダメダメだった。
穴があったら入りたいレベルだ。
もちろん俺だって、この二週間強の間に個人練習を重ねてきた。
実際に譜面は全て暗記したし、ひとりで弾いてる分にはそれなりにスムーズに弾けているつもりだった。
しかしこうしてメンバー揃って合わせてみると、俺の中にあった少しばかりの自信は粉々に打ち砕かれた。
「なんでか分かんないけど、自分のギターの音が全く聴こえなくてさ……。自分がちゃんと弾けてるのか分からなくて、どんどんわけ分からなくなっちまった」
俺はげっそりとした面持ちで言葉を続けた。
スタジオに置いてあったアンプは、部室のそれとは比べものにならないくらい大型のものだった。
実際に最初に音のチェックをしていた時はその音の大きさと迫力に驚かされたが、しかしいざ全員で合わせてみると全く自分の音を聴き取ることができなかった。
少しずつボリュームを上げて音が聴こえるようにしようと試みたものの、練習開始から三十分を過ぎたあたりでアンナに「ダイスケ、アンタ音大き過ぎ!」と怒鳴られ、強制的に音量を下げられてしまった。
それ以降はもう全く自分の音を捉えることができなくなって、俺の演奏はどんどんズタボロになった。
「そうねぇ。スタジオの中ってみんなかなりの音量だからね。慣れないうちはそうなっちゃうわよね」
俺の泣き言をカオルちゃんが笑顔でフォローしてくれる。
その優しさが胸に痛い……。
「てかさ、アンタほんとにちゃんと練習してきたの? 曲の進行が飛んだのも一度や二度じゃないし、ピックも何回も落としてたし……。こんなんじゃ歓迎会でマトモなステージなんてできないんじゃない?」
ぶすったれた表情を浮かべながら、アンナが指摘をしてくる。
不甲斐ない俺の演奏にかなりイライラしているのが容易に見て取れて、俺は彼女の視線を避けるように目線を落とした。
「すまん……。いや、もちろん俺だって、練習はしてきたんだけどさ……」
普段ならアンナに頭を下げるのなんてまっぴらゴメンではあるが、今回ばかりは明らかに俺の方が分が悪い。
本番まであと十日しかないのにも関わらずこの完成度では、気が気でないのは確かだからだ。
「口では何とでも言えるでしょ、そんなの。いい? アンタ、何とかするって言ったよね? 私たちはみんなそれを信じてたのに、裏切られた気分だよ。やっぱりアンタみたいな素人に任せるなんてしないほうが良かっ——」
「アンナ!」
アンナの叱責を一喝して止めたのは黒峰だった。
アンナはビクリと肩を震わせて、それ以上の言葉を飲み込んだ。
「そんなこと言っちゃダメだよ、アンナ。そもそもダイダイに助っ人を頼んだのは私だし、ギターを教えたのも私なんだから、ダイダイを責めるのは筋違いだよ」
「……でも、実際ダイスケは全然弾けてなかったじゃないですか。あんなプレイじゃ納得できないですよ……」
アンナが珍しく黒峰に反論する。
しかし黒峰は真剣な眼差しをアンナに向けたまま、言葉を続けた。
「ダイダイがたっぷり練習してきてくれたのは、手を見れば分かるよ」
そう言いながら、黒峰はいきなり俺の右手首を掴んで机上に晒した。
突然のことだったので驚いたが、その瞬間俺は猛烈な違和感を覚えた。
「見てみなよ、アンナ。ダイダイの手刀のトコ」
黒峰に促されて俺の手を見たアンナは、眉間にしわを寄せた。
覗き込むようにして俺の手を見たカオルちゃんは「あらあら、ダイスケちゃん、やるじゃない」なんて呟いている。
「分かる? これ、ブリッジミュートのしすぎでケガしてるんだよ。皮が完全に破れてるのにかさぶたができてないから、この練習の直前までがっつりギターを弾いてた証拠だよ。そうでしょ、ダイダイ?」
「……まぁ、そうだな」
見事に言い当てられた俺は、ためらいながら肯定した。
この程度のケガを言い訳にしたくなかったから黙っていたのに、黒峰は気付いていたんだな。
「この感じだと、たぶん左手の指先も相当キてるんじゃない?」
そう言われた俺は、小さくうなずきながら左手を広げてみせた。
人差し指、中指、薬指の皮が、ベロンとめくれ上がっている左手を。
それを認めたアンナは、ふいと目線を逸らした。
「ギターを始めたての頃って、指先の皮が薄いままだから、こうやってどんどんケガしちゃうんだよ。それでもダイダイは、弱音ひとつ吐かずに黙ってこのスタジオに臨んでた。これだけ頑張ってくれてるダイダイを責めるのは、ちょっと酷いよ」
「……はい。ダイスケ、ごめん」
黒峰の言葉を受けて、アンナは申し訳なさそうに俺に謝罪する。
俺は苦笑いを浮かべながら肩をすくめた。
「いや、俺がマトモに弾けてなかったのは事実だからな。こっちこそごめん。……でも、そんなことよりも」
そう言って俺は視線を黒峰に向ける。
先ほど覚えた違和感を問いただすためだ。
「……なぁ、黒峰。お前の左手、見せてもらえるか?」




