第三章(10)
「ところでアンナちゃん、話は変わるんだけど、昨日の生徒会はどうだったの? 前に聞いた話だと、確か昨日までには歓迎会の出演順が決まるって言ってたでしょ?」
それまで静かに成り行きを見守っていたカオルちゃんが、唐突に話題を変えた。
それまで俺に対して高圧的な態度だったアンナが、その言葉を聞いて急に肩を縮こませた。
「あー……」とか「えーっと……」とか、言葉にならない声がアンナの口から漏れてくる。
「いいよ、アンナ。私は昨日のうちに聞いてるから、私が話すよ」
アンナが困っているのを理解して、黒峰が助け舟を出した。
「まず、ウチの部はどうしても使う機材が多いよね。ボーカル用のマイク、ギターとベースそれぞれのアンプ、あとドラムセットか。今回はPAは無いとはいえ、これだけの機材を準備するとなるとそれなりの時間がかかっちゃう」
「そうねぇ。弦楽部や吹奏楽部と比べると、どうしても時間がかかるわよねぇ」
黒峰の説明に、カオルちゃんは難しい顔で相槌を打つ。
考えたこともなかったが、確かに言われてみればその通りだな。
「加えて去年は運動部が前半、文化部が後半に出演したから、今年は逆にしようって意見が結構出たらしいの。確かに後半になると見てる側も集中力が落ちてくるから、より効果的にアピールしたいなら前半の方がいいって考える文化部が多かったってわけ」
……ちょっと待て、その二つの話を総合すると、かなり嫌な予感がしてくるんだが……。
「だから今年は、私たち軽音楽部が一番手になったんだって。開演前に機材の準備を終えておけば転換の時間短縮になるし、丁度いいだろうってね」
あっさりと、何でもないように黒峰は言ってのけるが……俺は頭を抱えこんだ。
ただでさえ初めてのステージでクソ緊張するだろうに、それに加えて俺たちがトップバッターだって?
「……マジかよ」
絞り出すように、俺は絶望の声を上げた。
もしこれで俺がヘマしたら、歓迎会全体の空気が悪くなる可能性まであるじゃねえか。
これに比べれば、後がない大トリの方がまだマシなんじゃないかとさえ思える。
うぅ、胃が痛い……。
「あら、いいじゃない。新入部員を集めたいなら、最初の方が印象に残っていいわよ」
俺とは対照的に、カオルちゃんは嬉しそうだ。
やはり少なからず場慣れをしているのだろう。
まぁそもそも、この見目逞しいカオルちゃんがオドオドしている姿なんて想像できないんだけど。
「ダイダイにはプレッシャーだってのは分かってる。それが少し不安要素なのは確かだね」
一方黒峰は真剣な面持ちで俺の方を見つめてくる。
彼女としても少なからず俺のことが心配なようだ。
「でもね、ダイダイ。私はこれをチャンスだとも思ってるの」
「は? チャンス?」
黒峰の言葉の意図が掴めず、俺は戸惑って訊き返す。
黒峰は小さく、それでいて力強くうなずいて、言葉を続けた。
「そう。やっぱり一番手ってのは印象に残りやすいのは確かだし、前の出演者と比べられることもないしね。例えば吹奏楽部の直後とかだと、ウチの部じゃ人数的に迫力負けしちゃうかもしれないし」
あぁ、確かにそれはあるな、と俺は得心がいく。
確か去年の吹奏楽部は、二十人近い人数でステージに立っていたはずだ。
今年も同等の規模でやられると、四人しかいない俺たちが比べられたら不利なのは間違いないだろう。
「それともうひとつは、今回私が用意してきたさっきの曲だよ。こうなったのは全くの偶然だけどさ、あの曲をド頭に披露するのって、タイミング的には最高だと思わない?」
「……あぁ、そうか! 確かにそうだな!」
黒峰の説明を受けて、俺は歓迎会の開幕に例の曲を演奏する自分たちの姿を想像した。
これはたぶん……いや、必ず盛り上がる、と思う。
そう考えると、この選曲も出演順も、ピタリと運命の歯車が噛み合った結果のようにすら思えてきた。
「私としては、もうちょっと気楽にやれる順番にできれば良かったんですけど……。ほんとにすみません、先輩」
自信なさげに会話に入ってきたのはアンナだ。
彼女としてはあまり納得できる出演順ではなかったのだろう。
彼女は彼女で、この部と生徒会の板挟みという状況の中、人知れぬ葛藤があったに違いない。
しかし黒峰は、優しげな微笑みを浮かべて、アンナの頭を軽く撫でた。
「昨日も言ったでしょ、アンナは何も悪くないよ。むしろサイコーの出番を用意してくれてありがとうって感謝しなきゃいけないくらいだよ」
「でも、先輩やカオルちゃんはまだしも……やっぱりダイスケには負担が大きいと思いますし、私としては失敗のリスクは少しでも抑えたかったです」
チラリと俺の方を見やりながら、アンナがそう呟く。
そう言われると俺も途端に不安になってくるからやめてほしい。
まだ場が温まってない状況で、俺たちが歓迎会全体の最初の空気を作らなければいけないのだから、かなりのプレッシャーがあるのは言うまでもない。
「大丈夫だよ。こう見えてダイダイって、結構大胆で度胸あるんだから。ね、ダイダイ?」
黒峰はそう言いながら、含みのある笑いと共に俺にウインクを投げてくる。
コイツ、やっぱり昨日のことを少なからず根に持ってるじゃねぇか……。
そんな風に言われると、俺としては首肯せざるを得ない。
「度胸があるかはともかく、そう決まったんならもう腹をくくるしかないだろ。やれるだけのことはやるさ」
俺は肩をすくめてそう口にする。
そうだ、決定したことに今更うだうだと文句を垂れても仕方がない。
そもそも俺にとってはこれが初めてのステージなのだから、緊張することなんて最初っから分かっていたことだ。
出演順が早かろうと遅かろうと、これ以上ないくらい緊張することには変わりない。
そう開き直ってしまえば、こんなことは些細な問題に思えてきた。
「……ん。ありがと」
目線を落として、蚊の鳴くような声でアンナが礼を述べる。
こういうシュンとした姿だけを見れば、コイツも結構可愛いんだけどな。
だけど普段の高圧的な態度の印象が強すぎるから、こういう姿を見せられるとこっちも調子が狂う。
俺はわざとらしく耳に手を添えて、黒峰がよくやるように意地悪く笑う。
「なんだって? よく聞こえなかったんだけど? もっと大きな声で言ってくれるか?」
「……ッ! アンタ、こっちが下手に出れば調子に乗って! ふざけんじゃないわよこのクサレ外道のキモオタが!」
「お、それそれ。そうやっていつも通りにしててくれよ。じゃないとなんだか気持ち悪い」
「!? アンタ、ハメたわね……」
悔しそうな表情を浮かべてこっちを睨んでくるアンナを見て、俺はしてやったりといった心持ちだった。
たまにはこうして難聴系主人公を演じてみるのも悪くない。ラブコメのテンプレも馬鹿にできないな。
「プッ……プフッ……は、話も落ち着いたみたいだし、そろそろ春休み中のバンド練習の予定を決めようか……クフッ……」
どうやら俺たちのやり取りがまたツボに入ったらしく、黒峰が笑いをこらえながら話題を変えてきた。
彼女には逆らえないのだろう、アンナは渋々といった様子でうなずいた。
俺とカオルちゃんも黒峰に向き直る。
「じゃあ、みんなそれぞれ都合のいい日を教えて。今回はダイダイが初めてだし曲を覚えるのに時間かかるだろうから、一週間後……二十三日以降くらいに何度かスタジオ借りようと思うんだけど」
それを聞いて、俺はホッと胸をなでおろした。
さすがに今週末いきなり合わせようといわれても、曲を弾けるようになれるか分からなかったから、この提案は助かる。
「俺はいつでも大丈夫だ。特に予定もないしな」
「暇人。ぼっち。隠キャ」
「……おいアンナ、聞こえてるぞ」
「あれ、耳が悪いみたいだから、聞こえないかと思ったのに」
さっきの趣向返しとばかりにアンナが俺を煽ってくる。クソ、やっぱりコイツ可愛くない。
「アタシは春休み中は少しバイト増やしてるけど、水曜、金曜、日曜以外なら大丈夫よぉ」
「おっけー、カオルちゃん。私もこれが最後のバイトだからちょっとシフト増やしてもらってるんだ。でも月、水、土は空いてるよ」
カオルちゃんの発言を受けて、黒峰はふたりぶんの予定を鞄から取り出した手帳に書き出していく。
こうやって見ると、ふたりとも結構忙しそうだな……。
「アンナはどう? バイトしたりとか、塾の春期講習とか、そういう予定ある?」
「えっと、そういうのはないんですけど、二十五日から二十七日までマ……んんっ、お母さんとふたりで旅行に行く予定なので、その三日間以外なら大丈夫です」
「りょうかーい。さて、そうなると……あ……あれっ?」
俺を除く三人分の予定を線引きした手帳を見て、黒峰の顔からみるみる表情が消えていく。
それに気付いた俺は、猛烈に嫌な予感に襲われた。黒峰が今陥ってる状態が、俺がよくやるプチフリーズにそっくりだったからだ。
「ね、ねぇ……。なんか、四月一日しか、予定が合わないっぽいんだけど……」
ここまで読んで頂きありがとうございます。
第三章はここまでです。




