表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/47

第三章(2)

 ♫




 午後の授業でも、睡魔との闘いは連敗記録を更新することになった。

 一度教師に教科書で頭をはたかれたが、一瞬の覚醒の後、俺は再びまどろみの中に沈み込んでいった。

 教師としても慣れっこなのか、それ以上の追求がなかったのが救いだった。


 ホームルームが終わり、俺はギターを担いで部室に向けて歩き始めた。

 足取りは重い。

 睡眠不足なのは言うまでもないが、昨晩の件を思い出すと、黒峰とどんな顔をして会えばいいのか分からなかったからだ。


 思考が堂々巡りを続けている間に、あっという間に部室に着いてしまった。

 扉を開けるのがためらわれたが、俺は意を決して取っ手に添えた右手に力を入れた。


「あら〜、いらっしゃい! アナタがダイスケちゃんね。アカネちゃんから話は聞いてるわ。ようこそ、軽音楽部へ!」


 俺が部室に入ると同時に、そんな言葉が飛び込んできた。


 声の主の方へと視線を向けると——そこには、身長百八十センチメートルをゆうに超える男の姿があった。


「……は?」


 俺は慌てて室内を見渡した。

 もしかしたら入る部屋を間違えたかもしれないと思ったからだ。

 黒峰の姿はない。

 しかし部屋の中央には、昨日までと同じように小さなアンプが置かれている。

 その隣にある椅子の数が一脚増えているものの、間違いなく軽音楽部の部室だ。


 俺が戸惑っているのに気付いて、その巨漢は言葉を続けた。


「あらやだ、挨拶が遅れちゃったわね。アタシは二年の乗正房薫(じょせぼかおる)よ。呼びにくい苗字だから、みんなには『カオルちゃん』って呼んでもらってるわ。この部でドラムを叩いてるのよ。ヨロシクね」


 そう言って彼は自己紹介をしてくれるが……俺は脳の処理が追いつかない。

 俺は軽く深呼吸した後、改めて声の主を足元から観察する。

 スリッパは彼の言葉通り青色だ。

 制服の手入れはピシリとしていて、変なシワやヨレは一切ない。

 ジャケットのボタンは外されていて、そこから小さなハートをあしらったタイピンが覗いている。

 髪型は耳がすっぽり隠れるくらいのセミロング。顔立ちはかなり整っているが、目元や頰の色付きから、薄く化粧をしていることが見てとれた。

 そして全身どこを見ても目に付く、冬制服の上からでも分かるくらいパツパツに主張する筋肉……。

 本当にこの偉丈夫が、黒峰とアンナが口にしていたカオルちゃん、なのか?


「よ、よろしくお願いします……。えぇと、乗正房先輩は……男性、ですよね?」


 思わずオブラートに包むことも忘れて、直球でそう確認してしまう。

 乗正房先輩は「カオルちゃんって呼んでったら」と言ってから、視線を遠く窓の外へ投げた。


「……アタシはね、生まれついての性別になんてキョーミないの。アタシがどう生きるかはアタシが決める。だからアタシは、ただアタシなの。男とか女とか、そんな野暮なことは聞かないでっ」


 キッパリとした口調で乗正——カオルちゃんは言うが、俺は全くわけが分からない。

 つーかこの部には変人しか集まらないのか?


 俺が次の言葉を探してうろたえていると、ガラガラッと部室のドアが開く音が響いた。

 振り返ってそちらを見ると、昨日と同じギターケースを背負った黒峰が立っていた。


「おっすー。あ、今日はカオルちゃんもいるんだ。バイトは大丈夫なの? 水曜は来れないことが多いじゃん」


 そう口にする黒峰の様子は、昨晩の出来事なんてなかったかのように普段通りだ。

 涙の跡なんて全く分からない。

 あるいはこれがアンナが言っていたファンデーションの効果なのかもしれない。

 しかし俺には、多少化粧が厚いか薄いかという違いなんて分からなかった。


 そして当たり前といえば当たり前だが、黒峰はこの状況に全く動じていない……というか普通にこの男を名前で呼んでいる。

 やはり彼女が言っていたカオルちゃんとは、今俺の目の前にいるマッチョマンのことのようだ。


「はぁ〜いアカネちゃん、おひさ。今日もバイトはあるんだけど、早くダイスケちゃんに会ってみたかったから、店長に頼んでシフトを一時間遅らせてもらったのよ。おととい急なヘルプで入ったから、今日は融通してくれたの。だから少しだけならセッションもできるわよ」


 意気揚々とカオルちゃんは言う。

 それを聞いた黒峰は嬉しそうに表情を綻ばせるが、俺としてはカオルちゃんの言葉をスルーすることができなかった。


「お、俺に会ってみたくてって、どういうことですか?」

「やだ、もう。アカネちゃんと同じで、アタシにも敬語は使わなくていいわよ。もうバンドメンバーなんだから、堅苦しいのはナシにしましょ」


 そう言いながら、カオルちゃんは俺にウインクを投げかけてくる。

 俺は本能的に鳥肌が立った。

 なんつー破壊力のあるウインクだ。


「アカネちゃんが新しいメンバーを連れてきたって言うから、どんな子なのか気になっちゃったのよ。アカネちゃんったら、ずいぶんカワイイ子を見つけたじゃない」

「あ、カオルちゃんもそう思う? ダイダイってよく見ると可愛い顔立ちしてるよね」


 和気あいあいといった感じでふたりは俺のことを話しているが、当の俺は引きつった表情筋を元に戻すことができずにいた。

 もうすぐ高二になる男を捕まえて可愛いとか言わないでくれ、頼むから。

 しかも黒峰だけならまだ百歩譲って流せても、カオルちゃんが言うとマジでシャレにならん。


「それじゃ、カオルちゃんもあんまり時間ないみたいだし、早速今日のレッスンを始めよっか」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ