第二章(14)
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「チューナーが無い……」
帰宅して夕食を摂り、一息ついたところで練習しようとギターケースを開けた俺は、そう独りごちた。
黒峰は練習に使うものが入っていると言っていたから、当然チューナーもあるものだと思い込んでいた俺は、軽い絶望に襲われていた。
ケースの小物入れから出てきたのはシールドとストラップとプラスチック製の輪っかがふたつ、そして手のひらに収まるくらいの用途不明な直方体の物体だ。
肝心要のチューナーが無いことに頭を抱えたが、とりあえず俺は今あるものの使い方を確かめていった。
シールドは部室でも使ったから問題ない。
ストラップは初めて使うが、ギターのボディに明らかにストラップ用と思われる金具がふたつあるのに気付き、無事に装着できた。
プラスチックの輪っかはなんだと思ったが、穴のサイズが先ほどの金具に近いことに思い当たり、嵌めてみたらビンゴだった。
どうやらこれはストラップが不用意に外れるのを防止するためのものらしい。
確かに演奏中にストラップが外れてギターが落ちたら大惨事だろうから、これは理にかなった道具だ。
最後に残った直方体の物体には大きく《VOX》と書かれている。
よく見るとシールドと同じプラグが本体横に付いているから、ギターに挿して使うものなのかもしれない。
しかし説明もなしにギターに挿して間違っていたら嫌なので、俺はスマホにVOXと入力し、検索をかけてみた。
調べてみると、どうやらこれは有名なアンプメーカーの製品らしい。
ヘッドフォンアンプと呼ばれるもので、これをギターに繋ぐと、ヘッドフォンから音が出るという代物のようだ。
日本の家では大きな音を出して練習するのが難しいから、自宅や出先での練習用に使われることが多いそうだ。
便利なものがあるもんだな。
早速俺はギターにヘッドフォンアンプを繋ぎ、さらにそこに愛用のブルートゥースヘッドフォンを有線接続した。
そして黒峰に教わった通りにパワーコードを押さえてピッキングすると、耳元から聞き覚えのあるエレキギターの音がした。
それを聴いた俺はテンションが上がりかけるが、同時に謎の違和感を覚えた。
「なんかちょっと、音がおかしい……?」
俺は轟楽器店でのオヤジさんの言葉を思い出していた。
交換したての弦はチューニングが狂いやすいから、マメにチェックする必要があるのだそうだ。
加えて俺が自宅までこのギターを運んでくる間に、ペグが何かに当たってチューニングがズレてしまった可能性があることにも思い当たった。
なんにせよ、このままでは練習にならなそうだ。
しかし、チューナーもなしに正確にチューニングができるほど、俺の音感は良くはない。
この時ばかりは、俺が絶対音感持ちだったらなぁ、とつくづく感じてしまった。
しばらく悩んだ末に、俺は黒峰に連絡を取ることにした。
せっかく連絡先を交換したのだし、今日の礼をしつつどうしたらいいか意見を仰ごうと考えたのだ。
俺はスマホを取り出して、慣れない手つきでLINEを操作する。
メッセージでもよかったのだが、できればすぐにでも練習に取り掛かりたかったので、通話をすることにした。
まだ夜は浅いし、眠ってしまっているということもないだろう。
幾度目かのコールの後に、黒峰と繋がった。
「……もしもし……」
スマホのスピーカー越しに聞こえる彼女の声は、心なしか元気がないように思えた。
俺は突然通話をかけたことを詫びつつ、チューナーの件を説明した。
「ゴメン、言い忘れてたね……スンッ……チューナーは、私も予備がなかったんだよ……スンッ……スマホアプリで無料のチューナーがあるから、それをダウンロードして使うといいよ……スンッ……」
彼女はそうアドバイスしてくれるが、明らかにその声色がおかしい。
時々鼻をすするような音も聞こえてくる。
触れないでおくべきかとも思ったが、心配になった俺は率直に質問した。
「黒峰、もしかして泣いてる……?」
「……そういうことは……スンッ……気付いても言わないの……スンッ……」
彼女はそう指摘するが、俺としてはこのまま放っておくのも気が咎められた。
できるだけ落ち着いた、優しいトーンを心掛けて、俺は彼女に語りかける。
「何があったか分からないけど、もしよければ相談に乗るぞ? 誰かに話せば気が楽になるかもしれないしさ」
それを聞いた彼女は、うっうっと嗚咽を漏らし始めた。
スマホ越しとはいえ、女の子が泣いているというのは心にクるものがある。
俺はただ黙って、彼女が話し始めるか通話を切るのを待った。
そんな状態が何分か続いたが、少しずつ彼女は落ち着いてきた。
すぅーっ、はぁーっ、と深呼吸をする音が繰り返し聞こえてくる。
やがて弱々しく、彼女は話し始めた。
「あのね、ダイダイ……」
「……あぁ」
「私、フラれちゃった……」
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第二章はここまでです。