第二章(13)
「じゃじゃーん! これがその〈ドロップDチューニング〉だっ!」
そう言って彼女は俺にギターを掲げて見せるが、見た目だけでは何が変わったのか全く分からない。
しかし横にいるオヤジさんとサツキさんは「ほう」とか「なるほどね」とか納得したように呟いている。
いや、初心者を置いてけぼりにしないでくれよ……。
「これはねぇ、〈パワーコード〉っていう、エレキギターを弾く上で切っても切れないくらい重要な和音を超簡単に押さえられる、魔法のチューニングなんだよ」
そう言って、黒峰は簡単に説明を加えてくれる。
要はこれは、レギュラーチューニングの6弦だけをEからDまで下げたチューニングのことらしい。
つまり俺のギターは今、D・A・D・G・B・Eというチューニングになっているようだ。
「そんでもって、1弦から3弦は鳴らないようにミュートして、4弦から6弦の同一フレットを押さえて弾く!」
そう言って黒峰が人差し指で5フレットを押さえてピッキングをすると、ジャーーーンという音が響いた。
「おぉっ、なんかそれっぽい」
思わず俺はそう口にした。
昨日やったブラッシングとは違い、これは確かに聴き馴染みのあるギターの音だったからだ。
アンプには繋いでいないから迫力はないけれど。
「でしょ? ちなみにこうやって指一本で複数の弦を同時に押さえることを〈セーハ〉もしくは〈バレー〉って呼ぶの。ダイダイに今日覚えてもらうのは、このセーハを使ったパワーコードってわけ」
なるほど、と俺は呟く。
部室で黒峰が言っていたふたつのテクニックとはこのことだったわけだ。
和音っていうからには複雑な指使いを要求されるのかと思ったが、これならシンプルだし覚えやすそうだ。
はいっ、と黒峰にギターを渡されたので、俺も彼女の真似をして弦を押さえる。
うまくできているか確かめるために、俺は右手を振ってピッキングをしてみた。
ジャーーーンという音は鳴るには鳴ったが、それと同時に最も細い1弦もビィーーーンと鳴ってしまった。
どうやらミュートが甘かったらしい。
それを踏まえて左手に加える力を調整し再度ピッキングしてみるが、今度は先ほどより高い音が1弦から鳴ってしまう。
どうやら力を入れすぎて、1弦も一緒に押さえてしまったようだ。
「あ、案外難しいな、コレ」
指一本しか使わないから簡単かと思ってたが、そう思い通りにはいかないらしい。
それを見た黒峰はしたり顔だ。
「昨日言ったじゃん、音を鳴らさない技術が重要だって。弦を押さえる指は一本だけど、それ以外の指もフルに使ってきちんとミュートできるようにしてね」
昨日の黒峰の言葉を思い出して、俺は得心がいった。
ギターってのは、鳴らしたくない音も簡単に鳴ってしまう楽器なんだな。
だから彼女はいの一番にミュートを教えてくれたわけだ。
余計な音が鳴っちゃったら耳障りだもんな。
「じゃあ、あとは宿題。今日からそのギターを持って帰っていいから、家で人差し指、中指、薬指のどれでもこのパワーコードを押さえられるようになってきてね!」
マジか、と俺は呟くが、時計を確認したら三分が経とうとしていた。
いくらオヤジさん達が寛大とはいえ、これ以上ここで練習させてもらうのも迷惑だろう。
俺は「分かったよ」と黒峰に告げ、ギターをケースにしまった。
「そうそう、そのケースに小物入れがついてるでしょ? そこに練習で使うものをいくつか入れてあるから、家に着いたら確認してね」
「了解。そんじゃ帰るか」
「そうだね。オヤジさん、サツキさん、ありがとうございました!」
黒峰がそう言って軽くお辞儀をしたのを見て、慌てて俺も頭を下げる。
サツキさんは「どういたしまして」と言いながら笑顔を向けてくれる。
オヤジさんも満足気な表情だ。
「また何か必要なものができたら、ぜひウチに来てね」
「そうだな。ギターの調子が悪くなったらいくらでも直してやるぞ。遠慮せずに来いよ」
ありがとうございます、と俺は再度礼をした。
見た目はちょっと怖いけど、ふたりともメチャクチャ親切だったな。
人は見た目によらないな、ホント。
ふたりに別れを告げ店を出た頃には、既に日が落ち始めていた。
時刻は五時を回ったところか。
弦交換に手間取ったとはいえ、すっかり長居をしてしまったな。
隣の黒峰もスマホを取り出して時刻を確認している。
そうしてから少し慌てたように声を上げた。
「あっ、ごめんダイダイ。私学校に忘れ物しちゃったから、ちょっと取りに行ってくるね」
「今からか? 明日じゃダメなのか?」
今から学校に戻っても、完全下校時刻ギリギリだ。
彼女もギターも背負っているし、学校までの道のりは大変だろう。
「んー、まぁ、ね。だからごめん、今日はここでお別れして、ダイダイは先に帰ってて」
「もう暗くなるし、よければ送るぞ?」
俺はそう提案するが、彼女はふるふると首を振った。
「ありがとう。でも大丈夫、気にしないで。じゃ、また明日ね」
そう言って彼女は小走りに駆け出したが、五メートルほど進んだところで踵を返し、こちらに戻ってきた。
「忘れてた! ダイダイ、LINE教えて!」
その言葉を聴いた俺は、思わず彼女から顔を背けてしまった。
《知り合いかも?》の機能以外で女の子とLINEで繋がるのは初めてなので、感極まって変な顔をしてしまいそうだったからだ。
俺はなるべく平静を保ちつつ「お、おぅ」と返事をした。
あまり頻繁にLINEを使わないからいくぶん手間取ってしまったが、無事にお互いの連絡先を交換できた。
彼女は画面を確認して「よし、おっけー」と呟いている。
俺も自分のスマホに視線を落とし、心の中でガッツポーズをした。
「練習してて何か分からないことがあったら連絡してね。じゃ、今度こそまた明日!」
そう言い残して、改めて彼女は去っていった。
俺はそれを見送ってから、ニヤけそうになる顔を必死で引き締めて帰路についた。
♫