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第二章(11)

「すみません、これください」


 レジに着いた黒峰は、そう言って店員に声をかける。

 パソコンで何やら作業をしていたその女性店員は顔を上げ、俺たちに視線を向けた。


「お、アカネちゃんじゃん。いらっしゃい。今日はどうしたの、カレシ連れ?」

「そうなんですよ〜、分かります?」


 店員の開口一番の踏み入った問いに、黒峰はニヤつきながらこともなげに即答する。

 あぁ、これはまた俺をからかうつもりなんだなと即座に判断した俺は、すぐに口を挟んだ。


「ただの部活の後輩ですよ。備品のギターの弦を切っちゃったんで、その替えを買いに来たんです」

「むぅ、なんだよダイダイ、つれないなぁ」


 黒峰は頰を膨らませ、明らかに不満そうにこちらを見てくる。

 店員は「あはは、仲がいいんだね」なんて言いながら微笑んでいた。


「改めて、いらっしゃい、轟楽器店へ。私は轟沙月(とどろきさつき)。よろしくね」


 店員——轟さんは、そう言って自己紹介をしてくれる。

 俺もそれに倣って簡単に自己紹介をしつつ、簡単に彼女を観察した。


 カジュアルな服装の上から制服であろうデニムのエプロンを着けた轟さんは、俺らよりひとまわりくらい歳上に見える。

 恐らく二十五、六歳といったところか。

 アイラインを濃いめに描いた瞳に、黒いメッシュが入った金のショートボブ。

 左の耳にだけピアスを付けたその出で立ちは、いかにもバンドやってますって感じのオーラが出ている。

 街で見かけたらちょっと近寄りがたいと感じそうだが、店員として笑顔を向けてくる今の彼女はむしろ親切そうな印象だ。

 あるいは営業スマイルなだけかもしれないけれど、好感を持てるのは間違いない。


「私のことは名前で呼んでね。その方が慣れてるし便利だから。私もダイスケくんって呼ばせてもらうから」

「分かりました、サツキさん」


 サツキさんの提案に俺はそう答えるが、便利ってのはどういうことなのかが少し疑問だ。

 あるいはトドロキというよりサツキというほうが呼びやすいというだけなのかもしれないけれど。


「じゃあすみません、これお会計お願いします」


 そう言いつつ、俺はレジカウンターに弦とピックを置いた。

 サツキさんはそれを受け取るとレジに金額を打ち込みはじめる。


「ふーん、ダイスケくんって、もしかしてまだギター始めたばっかり?」


 商品を扱う手は止めずに、サツキさんはそう訊いてくる。

 俺は言い当てられたことに少し驚きつつも、それに答えた。


「はい。昨日初めてギターに触りました。やっぱり楽器やってる人には、なんとなく分かるものなんですか?」

「いやね、ピックを全部違う種類で買ってもらったからさ。ある程度弾けるようになると、自分に合うピックが定まってくるから、同じ種類のをまとめ買いする人が多いんだよ」


 サツキさんの説明に、俺はなるほどと相槌を打つ。

 仕事柄なのだろうが、よく気付くものなんだな。


「あ、すみませんサツキさん、弦一パックは袋に入れなくて大丈夫です。それともし空いてたら、少し作業台を使わせてほしいんですけど」


 黒峰はそう言いながら、レジの横に設置された広めの机に視線を向けた。

 その机上には短い毛の立った布が敷かれていて、その上にはニッパーや先の尖ったペンチや見たことのない工具がいくつか置かれている。


「今は依頼もないし、使っていいよ。ここで替えてくの?」

「はい、そうさせて貰おうかと。ダイダイに教えたいんで、少し時間かかっちゃうかもですけど」


 どうやら黒峰は、ここで俺に弦の交換方法をレクチャーするつもりらしい。

 確かに今からまた学校に引き返すのは億劫だし、ここでやれるなら助かるな。


「別にそれは構わないけど。でもせっかくなら、ダイスケくんにはこっちで教えようか?」


 サツキさんはそう提案してくれる。

 黒峰は「そんな、悪いですよ」と遠慮がちだが、サツキさんは折れることなく押してくる。


「どうせなら最初はメンテのプロに教わったほうがいいでしょ。こっちも今は落ち着いてるしさ。ダイスケくんにはこれからもウチをご贔屓にしてもらいたいし」


 確かにサツキさんの言うことには一理ある。

 黒峰に教えてもらうのに不満があるわけではないが、俺としてもプロに指導してもらえるならそれに越したことはない。

 しかもそれが綺麗なお姉さんなら言うことなしだ。

 しかし黒峰はまだ煮え切らないようで「うーん……」と唸っている。


「じゃあさ、待ってる間アカネちゃんは試奏していかない? ちょっといいエフェクターが入荷したんだよ」


 サツキさんの新たな提案に、黒峰は表情を一変させて食いついた。


「……何が入ったんですか?」

「ランドグラフDODのシリアル三ケタ」

「おぉーっ! ダイダイ、弦交換はお店で教えて貰ってね! 私はちょっと用事ができたから!」

「お、おぅ……」


 あまりに見事な黒峰の手のひら返しに、俺は面食らってしまった。

 彼女らの会話の単語は全く理解できないが、黒峰のあの様子を見ると、相当珍しいものがあるのかもしれない。

 だってこっちを向いた黒峰の目、めっちゃキラキラしてるんだもん。

 まるで新しいおもちゃを目の前にした子供のようだ。


「よし、話はまとまったね。じゃあちょっと待っててね、準備するから」


 サツキさんはそう言うとレジ奥のスタッフルームへと入っていってしまった。

 黒峰の方に視線を向けると、何やらブツブツと呟いている。


「えへ……ランドグラフは別の店で置いてあるのを見かけたことがあるけど、初めてのトコだったから試奏をためらっちゃったんだよね……まさかココに若いロットが入荷するなんてね……しかも今日はマイギターで試奏できるし……へひ、楽しみ……」


 おいなんかキャラ変わってないかコイツ。

 目には恍惚の色を浮かべ、口角が上がっているその様子は、正直なんかヤバいクスリでもキメてるんじゃないかと思うレベルだ。


「お、おい黒峰、お前大丈夫か?」


 不安になった俺は思わずそう声をかける。

 黒峰はハッと我に返り、慌てて弁解を始めた。


「あ、や、ゴメンゴメン! ちょっと夢中になっちゃった。あはは……」


 なんとか取り繕おうとする黒峰だが、目元は相変わらずニヤけた感じが残っている。

 よほど楽しみなのは分かるが、そんな表情をしているとせっかくの整った顔が台無しだ。

 なんというか残念美人って感じになってしまっている。

 レア物の同人誌をたまたま見つけたオタクみたいな反応だぞそれ。


「はいはーい、お待たせー」


 俺と黒峰の間に生まれた微妙な空気を、サツキさんの声が切り裂いてくれる。

 ホッと一安心して、俺はスタッフルーム入口へと視線を向けた。


 そこには、サツキさんと同じエプロンを着けた、齢五十を超えているだろうスキンヘッドのオッサンがいた。

 しかも髪はないくせに口髭はたっぷりと蓄えていて、威圧感が凄い。

 俺は思わず「うぉっ!?」と声を上げて驚いてしまった。


「おう、キミがダイスケくんか! ウチの店へようこそ! これも何かの縁だ、今日は俺がパァーフェクトゥな弦交換を教えてやるからな!」


 現れたオッサンは、意気揚々とそんなことを言う。

 俺は状況が理解できず、反射的に「ど、どうも……」とだけ口にした。

 よく見るとオッサンの後ろにサツキさんがいることに気付いた俺は、助けを求めるように彼女に視線を送った。


「コレ私のオヤジね。この店の店長。ウチの楽器の調整、メンテナンスは基本オヤジがやってるから、ダイスケくんも安心して教えてもらってね」

「そういうわけだ、よろしくな! ガッハハハハ!」


 サツキさんの簡単な説明に被せるようにオヤジさんが挨拶してくる。

 しかし、俺としてはサツキさんに教えてもらえると思ってたもんだから、困惑を隠せない。


「サ、サツキさんは……?」

「あぁ、私は接客担当だから、アカネちゃんの方につくよ」


 当然と言わんばかりにサツキさんは言うが、それを聞いた俺はガックリとうなだれてしまった。

 せっかく綺麗なお姉さんに手取り足取り教えてもらえると思ってたのに……。


「なぁに、確かに弦交換はデリケートな作業だが、コツを掴めば簡単さ。ギタリストになるなら必ず覚えなきゃなんねぇしな。でも安心しな、俺が手取り足取り優しく厳しく教えてやるからよっ」


 オヤジさんはノリノリでそう言うが、俺は心中を読まれたような気がして、引きつった笑みを浮かべることしかできない。

 その時ふと俺はあることに気付いた。さっきサツキさんが自分のことを名前で呼ぶように求めたのは、オヤジさんがいるからってことなんだな。

 確かに苗字で呼んでしまっては、オヤジさんの方も反応してしまうかもしれないもんな。


 そんなことを考えている間に、黒峰とサツキさんは連れ立って大量のアンプが陳列されているコーナーへ向かっていってしまった。

 残された俺は、渋々オヤジさんの手ほどきを受けることになったのだった。



 ♫

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