第二章(10)
「とりあえず、今日いきなりギターを買わせるつもりはないし、それはおいおいね。まずはお目当てのものを買おう」
そう言って彼女は店の中を先導して歩いていく。
着いた先はレジの近くにある一角だ。
雑多な道具や消耗品と思しきものが所狭しと並べられているが、俺には何が何やら全く分からない。
「とりあえず弦はコレ。今張ってあるのと同じヤツだから、張り替えた後の調整もほとんど不要だしね」
そう言って彼女は、四角い紙のパッケージにデカデカと《XL》と書かれた弦を渡してくる。
俺は手を伸ばしてそれを受け取るが、彼女は続け様にはいっはいっともうふたつ同じものを押し付けてきた。
「み、みっつも買うのか?」
俺は戸惑ってそう訊くが、彼女は当然と言わんばかりに俺を見てうなずいてくる。
「ひとつは今日張る用、もうひとつは歓迎会前日に張り替える用、最後は万が一また切れた時のための予備だよ」
そんなに頻繁に張り替えるものなのかと驚きつつ、俺は手に持った弦を見る。
パッケージに貼られた値札には、一パックあたり五百円ちょっとの値段が書かれていた。
ギター本体の値段と比べれば可愛いものだが、それでも三つで千五百円だ。
漫画やラノベなら二、三冊は買える値段と思うと少しばかり躊躇した。
「……ふたつじゃダメか?」
「何言ってんの。ホントは二週間後くらいに一度張り替えて欲しいから、もうひとつ買わせたいくらいなんだから。先輩のアドバイスには素直に従うの」
タメ口を要求してるのにこんな時ばかり先輩風を吹かせるのかとも思ったが、これは学年云々でなくギターの経験のことを言っているのだろうと思い当たり、俺は黙って従うことにした。
確かに昨日の調子じゃ、またいつ弦を切らないとも限らないしな。
「あとはピックを何枚か買おうか。オススメはコレ。私も使ってるし、プロの愛用者も多いから。厚さ違いで二枚買って、あとはダイダイが気になったのをいくつか選んでね」
そう言いながら、彼女は亀の絵が描かれた黄色とオレンジ色のピックを一枚ずつ渡してきた。
俺はそれを受け取り、言われた通り自分でも気になるものがないか選び始める。
「あれ、これも同じものかと思ったら、微妙に形が違うな」
そう言いながら、俺は一枚のピックを手に取る。
亀の絵が描かれているのは一緒だが、これは先ほどのものよりやや小ぶりというか、より鋭角的になっている。
「そうだね。それは同じシリーズのティアドロップ型のピックだよ。二等辺三角形みたいな形が、ひっくり返すと涙の形に見えるからそう呼ばれてるの。ダイダイにさっき渡したのは正三角形に近い形だから、そのまんまトライアングル型って呼ばれてるよ。オニギリ型って言う人もいるけど」
「へぇ……。これひとつ買おうかな」
「良いと思うよ。トライアングル型はひとつの角が削れたり割れたりしても他のふたつの角で弾けるから、ティアドロップ型に比べると経済的で初心者向けかなって気はするけど。大きいから持ちやすいし」
「あーそうか。じゃあやめとくか」
「んー、でもティアドロップ型の方が弾きやすいって人は多いし、経験を積む意味でも使ってみるといいかもね。よし決定、これも厚さ違いで二枚ね」
悩んでいる俺のことなんて無視して、彼女は強引にそう決める。
いや、俺も気になってたからいいんだけどさ……。
ピックはどれも一枚百円前後みたいだから、そんなに懐も痛まないし。
せっかくだしもう一枚くらい良さげなのないかな、と目を凝らしていると、俺はまた気になるものを見つけた。
先ほどのティアドロップ型ピックをさらに一回り小さくしたようなそのピックは、握ってみると親指の先から先端がわずかに覗く程度のサイズしかない。
それに加えて、今までのピックは少なからずしなりというか柔軟性があったが、このピックにはそれがほとんどない。
これはなんというか、かなりの違和感だ。
「なぁ黒峰、コレはどうなんだ?」
そう言って彼女にそれを見せると、彼女は「あぁー……」と言いながら困り顔を浮かべる。
あれ、なんかマズったか?
「それはジャズピックって呼ばれてるタイプだね。細かく速いフレーズを弾くのには凄く良いんだけど……難しいんだよね、扱いが」
「あぁ、なんとなくそうかなって思ってたけど、やっぱそうなのか」
どうやら俺の直感は正しかったようだ。
だってこれ、大量にある他のピックの中でも異彩を放ってるもんな。
文字やら絵やらが派手にプリントされているものが多い他製品と比べ、これは黒一色で独特の威圧感がある。
「でもそれも愛用者は多いピックだし、勉強だと思って買ってみれば? それは傷みにくいから、ひとつ持ってれば長く使えるしね」
そう言われて、俺は最後の一枚をこれに決めた。
なんとなくこういう無骨なデザインってカッコいいしね。
「さて、ホントはこのあとシールドとか小さいアンプとかチューナーとかストラップとかいろいろ買わせたいんだけど……。ダイダイ、お財布の余裕は?」
そう訊かれ、俺は鞄から財布を取り出して中身を確かめる。
……うん、我ながらちょっと情けなくなるくらいしか入っていない。
今日こんなとこに来るとは思ってなかったから、仕方ないんだけどさ。
「できれば今日はこれくらいで勘弁してもらえると助かるんだけど……」
なんだかんだで弦が三セットにピックが五枚で合計二千円を超えている。
俺が切ってしまった弦を直すってことだからある程度の出費は覚悟していたものの、一日で俺の月の小遣いの四割が吹っ飛ぶのはさすがにためらいがある。
可能ならこれ以上の額になるのは避けたいところだ。
「そっか、まぁ仕方ないね。そこらへんは私の余ってるやつを貸してあげるから。今日は絶対に必要な消耗品だけにしとこっか」
そう言いつつ、彼女はレジに向かって歩き始める。
俺も黙ってそれに続いた。
「すみません、これください」