第二章(9)
「ところで、黒峰のギターはなんて名前なんだ? この店にも置いてあるか?」
ふと気になったことを尋ねてみる。
確か俺のストラトと形は似ていたのは覚えているが、詳しいことは何も知らなかった。
「たぶんあるよ。もっと奥の方かな……。おっ、あったあった」
そう言って彼女は、店のほぼ最深部にある壁に掛けられたギターを指差す。
色こそ違うものの、確かに昨日見たあのギターだ。
床に置いてあるものと違って、小さな脚立でもないと手に取れないくらい高いところに吊り下げるようにして並べてある。
俺は仰ぎ見るようにしてそのギターの値札に目をやった。
〈Paul Reed Smith Custom24 10top ¥448,000(税別)〉
……んん?
一瞬四万円強か、割と安いじゃんとか思いかけたが……俺は一度深呼吸して、右端から桁を数え始めた。
いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん……うん、自分の目が信じられない。
「黒峰お前、こんなクソ高いギター買ったのかよ……」
思わず俺はそう呟く。
だってこれ、税込にすると五十万近いぞ。
どれだけ贔屓目に見ても、夏休みのバイト代でまかなえる額ではないのは明らかだ。
「あはは……まぁ、うん。どうしてもこのモデルが欲しくてね。でも私は新品じゃなくて型落ちの中古で買ったから、値段的にはこの半分くらいだよ。木目もこんなに綺麗じゃない奴だし」
少し気恥ずかしそうに彼女は言う。
確かに半分ならまだ多少は現実的かもしれないが、それでも高校生が手を出すには高すぎる。
俺が言葉を失っていると、彼女は補足で説明を加えてくれた。
「最初は夏休みのバイト代と貯金だけで買える程度のギターにしようと思ってたんだけど、運良く中古でコレを見つけてね。小さなキズは多かったけどそれ以外の状態は良かったし、掘り出し物だ! って思ったらもう止まらなくなっちゃって……。必死で両親を説得して、足りないぶんはローン組んでもらったんだ。だから私は結局、夏休み終わった後にも週三回くらい入れるバイト探して、そのバイト代で親にお金返してたの。まぁそれも去年の九月で返し終わったから、今はまた余裕が出てきてるんだけどね」
「なんつーか、すげぇな、情熱が……」
額の大きさとそれに伴う苦労話を聞いた俺は、半ば放心したようにそう呟いた。
全部揃えても数万円の円盤を買うか買わないかで悩んでいる俺とは、文字通り桁が違う。
ガチで音楽をやるのって、大変なんだな……。
「まぁダイダイも、一ヶ月後もギターを続けるつもりなら、いずれギターは買うことになるだろうしね。ダイダイは何を選ぶのかなぁ、楽しみだなぁ」
他人事といった感じで、気軽そうに彼女は言う。
俺としては、今の話を聞いた直後では、自分がギターを買う姿なんて想像できなかった。
「俺、貯金も少ないし、バイトもしたくないからなぁ……。やっぱ、高いギターの方がいろいろと良いのか?」
俺は純粋な疑問を口にする。
実際に何十万とするギターを買うメリットが思いつかなかったからだ。
アンプに繋げば音が出るって意味では、安いギターも高いギターも違いはないはずだし。
「もちろんやっぱり高いギターには高いだけの理由があるし、いいものも多いよ。でも一番大切なのは、自分がギターを使ってどういう演奏をしたいか、何を表現したいかをきちんと見定めることかなぁ」
「えー……っと、つまり、どういうことだ?」
彼女の言葉が抽象的過ぎて、イマイチ要領を得ない。
戸惑う俺に、彼女は少し悩みながらも答えてくれた。
「例えばさ、ダイダイが絵を描こうとするじゃん? その時に、何を用意する?」
「んー、そりゃまぁ紙と鉛筆と消しゴムは確実だよな。あとはGペンか丸ペンか、色までつけるならカラーマーカーとか」
昔取った杵柄で、俺はそういった道具を口にしていく。
それを聞いた黒峰はうんうんとうなずいている。
「じゃあ、そんなダイダイの前に用意されたのが油絵の具のセットだったら、どうする?」
……あー、そういうことか。
彼女の言わんとしていることが分かってきた。
「なるほど。つまりアレだな、漫画調の絵が描きたい人間にはそれに適した道具があるってことだ。同じように、ギターにしたって自分が弾きたい音楽に合わせた選択をする必要があると」
「そういうこと。ギターはほんとに山ほど種類があるけど、それぞれ得手不得手が異なるからね。値段の高い安いより、ダイダイがやりたいことができるギターを選ぶ方が大切なんだよ」
彼女の言葉に、ふむふむ、と納得しかかった俺だったが、また別の疑問が頭に浮かんできた。
「でもさ、例えばさっきのギター……えぇと、ストラトキャスターだって、十八万するのもあれば六万のもあるんだろ? 同じギターだからやれることも同じだろうし、それなら高い方が良いんじゃないのか?」
それを聞いた彼女は、難しそうに眉間にしわを寄せる。
「細かいスペックはかなり違うから、単純に同じギターって言うのは適切じゃないんだけど……。まぁでも確かに、やれることはほとんど一緒かな。だからその二本を比べると、一般的に言えば、高い方がより洗練されてて音も良いかなぁ」
黒峰にしては、どうにも歯切れが悪い物言いだ。
彼女としても悩ましい問題のようだ。
「でもさ、また例え話で申し訳ないけど、良家のお嬢様と庶民の女の子、どちらかをダイダイが選ぶとしたら、どっちを選ぶ?」
彼女は俺にそう訊いてくる。
一度でいいからそんな贅沢な悩みをしてみたいものだ。
俺は自分がそんな究極の選択をしている様子を想像して、ハッとあることに気付いた。
……これ、ビアンカ・フローラ問題じゃねぇか。
ビアンカ・フローラ問題と俺が勝手に呼んでいるこれは、国民的テレビゲーム《ドラゴンクエストV》において、ビアンカとフローラのどちらと結婚すべきかという問題だ。
幼馴染のおてんば娘なビアンカと、富豪の娘でお淑やかなフローラ。
そのどちらを嫁とするかは、ドラクエファンの間で絶えず論争の的となっている。
アンケートの結果だけで言えば圧倒的にビアンカ派が多いのは事実ではあるが、フローラ派の主張にも強い説得力があり、この議論が着地点に降り立つことが難しいことを示している。
かく言う俺はこれはとてもじゃないが選べないと思い、結局ビアンカを選んでクリアした後に二週目でフローラを選び、さらに三週目で3DS版追加ヒロインであるデボラまで選んだという優柔不断っぷりを発揮してしまった過去がある。
そこまでしても結局「三人ともいいよな……」という結論に達してしまったあたり、俺のヘタレさが伺えるエピソードだ。
俺が「あー……」とか「えーっと……」とか「でもな……」とかブツクサ呟いてると、黒峰が助け舟を出してくれる。
「ま、まぁそんな感じで、最終的に自分が良いと思った方が正解だよってこと。ダイダイもいつか、運命のギターと出会えるといいね」
苦笑いしながら、彼女はそう言ってくれる。
俺の悩む姿に若干引いてるようだった。
人が真剣に悩んでるのにその反応は酷いんじゃないかとも思ったが、客観的に見ると相当気持ち悪かったのかもしれない。
唐突に考え込む癖はなんとかしないといかんな……。
というか運命のギターより運命の女の子と出会いたいわ。
「とりあえず、今日いきなりギターを買わせるつもりはないし、それはおいおいね。まずはお目当てのものを買おう」