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第二章(8)

 ♫



 それから数分の後、黒峰は一軒の店の前で足を止めた。

 俺もそれに倣い、彼女の横に立つ。

 通りに面したショーウィンドウには何本かのギターが並んでいる。

 店の看板を見上げると《轟楽器店》と書かれていた。


「はーい到着! 今日はここで交換用の弦を買います!」


 うきうきとした様子で彼女は言う。

 その様子は遊園地に来た子供のようにも見えた。


「ずいぶん楽しそうだな」

「私もしばらく来てなかったからね。何か新商品が入ってるかもだし、わくわくもするよ」


 そんなもんなのか、と俺は相槌を打つ。

 女性が気にする新商品って洋服か化粧品かスイーツみたいなイメージがあったが、楽器とはね。

 黒峰らしいっちゃらしい気もするけど。


 彼女に促されて、俺は店内に足を踏み入れる。

 入ってすぐ、俺は「おぉ……」と声を漏らしてしまった。


 狭い通路の両側には、所狭しとギターが並べられていた。

 あるものは部室に置いてあるのと同じようなスタンドに立て掛けられ、あるものは壁から吊り下げられるように展示されている。

 まるで俺の視界の全てがギターに塗りつぶされているような感覚だ。


 俺はその中の一本に目がいった。

 色は違うが、俺が今担いでいるのと同じ形をしたギターだったからだ。

 黒いグラデーションに縁取られたボディからは茶色い木目が透けて見えて、それが渋くて中々カッコいい。

 俺はそのギターの値札に視線を移した。


〈Fender American Professional Stratocaster ¥179,800(税別)〉


「ブフォッ!?」


 思わず吹き出してしまった。

 ギター一本十八万円!?

 俺の小遣いが月々五千円だから、まるまる三年貯めなきゃ買えねぇじゃねぇか。

 ってことはなんだ、俺が背負ってるこのギターもそれくらいするのか?


「どうしたのダイダイ? お、フェンダーの新シリーズじゃん。いいねぇコレ」


 俺が戸惑ってるのを見て、彼女はそう声をかけてくる。

 彼女は別に値段にも驚いたような様子はなく、ごくごく自然体だ。


「な、なぁ黒峰。ギターって、こんなに高いのか……?」


 恐る恐る俺はそう尋ねる。

 今まで何の気なしに担いでたけど、そんな値の張るものを背負っていると思うと怖くなってきてしまった。


「んー、ピンキリとしか言いようがないかなぁ。例えばダイダイが今持ってるのは同じブランドだけどアメリカ製じゃなくて日本製で、確か定価は六万円くらいだったかな? 私が買ったわけじゃないから、正確には分からないけど」


 何でもないといった感じで彼女は言うが、俺は正直呆気にとられていた。

 確かに十八万の後に聞く六万という額は大したことなさそうにも思えるが、それでも俺の小遣い一年分だ。

 大金には違いない。


「ギター買おうとすると、結構な金がかかるんだな……」

「まぁ、もっともっと安いもの、例えば一万から二万くらいのギターもあるけどね。でもそれ以外にもアンプやらチューナーやらシールドやら買ったりしないとだから、最初に始める時にはそれなりにまとまったお金が必要なのは事実かな」

「ん、チューナーとシールドってなんだ? 盾でも買うのか?」


 耳についた言葉をそのままに小ボケをかます俺を見て、彼女はわざとらしいくらい大きなため息を吐いた。


「チューナーはギターの各弦の音程をチェックするのに使う道具。シールドってのはギターとアンプを繋ぐケーブルのこと。あとそのボケはギター初心者なら誰でも思いつくことだから。あんまり考えなしにつまんないこと言わない方がいいよ」

「お、おぅ。すまん」


 コイツ何にでも笑ってばっかの印象があるけど、結構評価はシビアだな。

 あんま余計なことばっか言ってると愛想を尽かされそうだ。

 つーかケーブルならケーブルって呼べばいいのに。


「しかしアレだな、話を戻すけど、本格的にギターを始めるのって大変そうだな。これだけ金が必要になるんじゃなぁ」


 これ以上傷口を広げないために、俺は話題の軌道修正を図る。

 それを聞いた彼女は、そうなんだよねぇ、と苦笑いを浮かべた。


「実際ギターを始めたいと思う初心者にとって一番ハードルが高いのは、ギターを手に入れることだと思うんだよね。ある程度懐に余裕がある社会人ならまだしも、学生には手軽に用意できる額じゃないからさ。まぁそれでも、何十万って額がスタートラインの吹奏楽系の管楽器とか、それより桁がさらに一つ上がるピアノとかに比べたら、ギターなんていくらでも安く買えるほうではあるんだけど……」


 それは俺もちょっと分かるかもしれない。

 彼女の言葉を聞いた俺は、中学の頃に吹奏楽部のクラスメイトが自分のアルトサックスが欲しい欲しいと愚痴を漏らしていたのを思い出したからだ。

 サックスにも安い製品はあるにはあるが、ある程度マトモなものを選ぼうとするとウン十万は余裕でかかるという話をしていて、楽器やる奴は大変だなぁ、なんて他人事のように俺は考えてたのだ。

 まさか今度は俺が同じ思いをするとは……。

 いや、俺はまだマイギターが欲しいとまでは思ってないけど。

 というか思ってもとてもじゃないが買えないけど。


「黒峰は最初はどうしたんだ? 最初っからそのギター買ったのか?」


 そう尋ねながら、俺は彼女が背負うギターに視線を向ける。

 ははっと彼女は笑い、首を振った。


「まさか。私も最初はダイダイが今持ってるストラトキャスターを借りたんだよ。それで、そのうち自分専用のが欲しくなったから、夏休みに短期のバイトしてお金貯めて買ったんだ」


 はー、なんつーか楽器やる奴って色々苦労があるんだな……。

 バイトしてまで欲しいものがあるってすげぇなと思う。

 俺なら働いたりなんかせずにずっと家でゴロゴロしていたいもんな。


「そういや、俺の借りてるギターって、ストラトキャスター? っていう名前なんだな」


 聞き流しそうになったが、一応確認のために訊いてみる。

 さっき見た値札にも英語でそんなことが書いてあった気がしたからだ。


「そうそう。まぁ長いから大体の人は単にストラトって呼ぶことが多いけどね。世界のフェンダー社が世界に誇る世界一使用者の多いエレキギターだよ。たぶん」

「たぶんっておい。でもそんなに使われてるんだな、コレ」

「そうなんだよ。本家のフェンダーが作るものだけじゃなく、多くのメーカーがコピーモデルとか派生モデルとか改良モデルを作ってたりするしね。ストラトタイプのギターに触ったことがないギタリストって、たぶんいないんじゃないかな」


 そんなに有名なギターなのか……と俺は舌を巻く。

 初めて見たときはなんの変哲も無いギターとしか思わなかったけど、あるいはそれも普段から音楽番組とかで無意識に見てる機会が多いからかもしれない。


「ところで、黒峰のギターはなんて名前なんだ? この店にも置いてあるか?」


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