第二章(7)
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学校を出た俺たちは、最寄りの駅前を並んで歩いていた。
いったいどこに向かっているのかと黒峰に訊いてみたりもしたが、んふふー、とか言いながら曖昧な笑顔で誤魔化されてしまっていたので、俺は未だ目的地を知らないままだ。
ここまでの道すがら、何を話していたかというと……何故か俺は、黒峰に『やはり俺の青春ラブコメは間違っている。』について説明させられていた。
先ほど【春擬き】を聴いて興味を持ったらしい。
「それさ、アニメなんだよね? 私も借りて見てみようかな」
「原作は小説だけどな。それに、レンタルビデオ屋に置いてあるかは分からないな。オンデマンド配信もしてるから、そっちを使う手もあるぞ」
「ダイダイはDVDとか持ってたりしないの?」
「円盤は高いから買ってないんだよ。高校生が全巻揃えようとするには、かなり覚悟がいる額だからさ。そのうち買えたらいいなと思って、少しずつ貯めてはいるけど」
「そうなんだ。あ、でも小説の方は持ってるんだよね。そっち貸してもらおうかな」
「それでもいいけど、もうシリーズ通して十冊以上出てるからな……。とりあえずアニメ見てみろよ。それが気に入ったら貸してやるから」
そんなことを話しながら、俺は彼女に連れられて大通りを歩いていく。
女の子と並んで楽しく会話しながら放課後に街を歩くなんて中々のリア充イベントな気もするが、その話の内容がラノベってのはどうにもそぐわない気がしないでもない。
どうやら俺の青春ラブコメもどこかで間違ってしまったようだ。
会話を続けながら、俺は横目で黒峰を見やる。
彼女が背負うギターケースの存在感が大きいため、相対的に一層彼女が小さく見えるような気がした。
一ヶ月とはいえ歳上の彼女ではあるが、こうして見るぶんには先輩って感じは全くしない。
あどけない顔立ちもあいまって、むしろ年下に見えるくらいだ。
そんな彼女の横を、俺もまたギターケースを背負って歩く。
中に入っているのは例の弦が切れたギターだ。
このギターケースはリュックサックのように両肩で背負えるようになっていて、一度背負ってしまえば重さは思っていたより苦ではなかった。
しかし俺は教室を後にする際に、調子に乗って黒峰の鞄を持つと提案していた。
重いギターを背負った上で膨れた鞄を持つ彼女の姿を見ていると、なんとなくいたたまれなくなったからだ。
最初は「別に慣れてるから大丈夫だよ」と断っていた黒峰だったが、俺が黙って手を差し出していると、根負けして鞄を渡してきた。
最初のうちはカッコつけがうまくいった喜びで重さなんて気にならなかったが、学校から駅前までかれこれ十五分以上歩いていると、さすがに肩と腕が悲鳴を上げ始めた。
ギターが三キロ、そのケースが一キロ、両手の鞄がそれぞれ二キロ前後と仮定すると、総計約八キロもの重量が俺の双肩にかかっているわけだから、それも当然のことだろう。
俺が軽く跳ねるように肩を揺らして、荷重がかかる場所を調整する頻度が増えてくる。
なるべく黒峰に悟られないように気をつけていたが、幾度目かの時に気付かれてしまった。
「あ、やっぱ重いよね。ごめん、気付かなかった」
申し訳なさそうに彼女は言う。
俺の言い出したことなのだから、謝られるとかえって俺の方が心苦しくなってしまう。
「ん……まぁ、ちょっとな。ただ、目的地にはまだかかるのか? できれば少し休憩したいんだけど」
ホントは何でもない素振りを装いたかったが、普段から運動不足の俺には文字通り荷が勝ちすぎていた。
思わず俺の口から弱音が出る。
それを聞いた彼女は、何故か急に体を縮こめてもじもじし始めた。
「えっと……。ダイダイ、それ、ここで言う?」
何のことだ? と思いつつ周囲を確認すると、俺たちの横には《宿泊 : ¥5,800〜 休憩 : ¥3,500〜》とだけ書かれた看板がかけてあるビルがあった。
……あっ、これアカンやつだ。
ここはある程度都心にも近く、かつ電車の乗り換えもあるくらいの規模がある駅前だ。
新宿や渋谷などとは比べるべくもないが、それでも基本的には、この駅前もそれらの駅の縮小版といった様相を呈していた。
つまり……歩いていると、唐突に出くわしたりするのだ、いわゆるそういうホテルに。
明らかにやっちまったと自覚した俺は軽くフリーズしてしまう。
混乱した俺の脳は、昔のある経験を思い出していた。
中学一年の夏休み、俺は初めてひとりで電車に乗り、新宿に遊びに来ていた。
特に何か目的があって新宿に赴いたわけではない。
ただ、せっかく中学生になったのだから、ひとりで新宿をブラブラするという、大人っぽいことをしてみたかったのだ。
今考えると、これも一種の中二病の走りのようなものだったのだろう。
しかし、コマ劇場跡地(あの頃はまだ新宿東宝ビルは完成していなかった)の近辺で、俺は完全に道に迷ってしまった。
周りは無個性にギラつく建物ばかり。
道行く人々はみな無表情で急ぎ足。
助けを求められるような状況ではなかった。
どうしよう、駅の方向も分からない、誰かに道を尋ねる勇気もない……。
八方ふさがりだった俺に、ある建物が目に入った。
その看板にはデカデカと《無料案内所》とだけ書かれていた。
やった、さすがは都心だ、俺みたいな田舎者のためにこういう道案内のための施設があるんだ。
純粋無垢な当時の俺はそう考え、藁にもすがる思いでそのビルに近付いた。
しかしすぐに、俺は違和感に気付いた。
案内所という割にはやけにケバケバしい外装、入るのをためらう狭い入り口、そしてそこに立つ強面のお兄さん……。
俺はあと五メートルというところで本能的に踵を返し、再び道を彷徨うことを選んだ。
幸いにもしばらく歩くと交番を見つけ、現在地と駅までの道のりを教えてもらうことができた。
しかしもしあの時、あの案内所に足を踏み入れてしまっていたらと思うと怖気が走る。
あるいは俺は、まったく別の世界に案内されてしまっていたかもしれない。
……今にして思えば、それはそれで悪くない気もしないでもないが……。
まぁ、冷静に考えて入り口で門前払い喰らうよね、ははっ。
「ダイダイ、結構大胆だね……。ちょっと、休んでいく?」
益体もない回想にふけっていた俺は、そんな彼女の言葉に唐突に現実に引き戻される。
……今なんつった、コイツ?
「……マジ?」
「ダイダイが入りたいなら……いいよ。ただ、ちょっと待ってね」
そう言うと黒峰は制服のポケットからスマホを取り出す。
サッサッと何度か指を滑らせると、彼女はそれを耳に当てた。
「あ、もしもしアンナ? 今さ、ダイダイにホテルに連れ込まれそうになっててさ……」
「ちょっ!? ちょちょちょ、ちょっまっ!?」
コイツなにいきなりアンナに連絡なんてしてんの!?
あいつにこんな状況が知られたら、俺は社会的に殺されてしまう!
慌てて俺は黒峰の手からスマホをひったくる。
誤解が生まれる前にアンナに現状を説明しようと、俺はそれを耳に当てた。
しかしスピーカーからは何の音も聞こえてこない。
不審に思って画面を見ると、ロック状態のままだ。
「あっはははははははは! ダイダイ慌てすぎ! 冗談だから! 電話なんてしてないって! あははははははは!」
黒峰は俺の隣で大笑いを始める。
つまりアレか、さっきのは俺をからかう為に操作するフリをしただけで、俺は見事にそれに引っかかったわけか。
「勘弁してくれよ……。心臓に悪い……」
恨みがましく俺は言うが、黒峰はそれも面白かったようで、さらに笑いが大きくなる。
クソッ、人の純情を弄びやがって。
「はー、面白かった。目的地はもうすぐそこだから、もうちょっと頑張って。ね?」
ようやく落ち着いた黒峰は、励ますようにそう声をかけてくる。
俺はひょこひょこと肩にかかる重さをごまかしながら、彼女に続いて歩いていった。
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