第二章(1)
翌日の放課後、俺は再び特別棟三階の教室に向かっていた。
結局あの後すぐ、アンナが黒峰を無理矢理引っ張って帰ってしまったのだ。
アンナも相当テンパっていたのかもしれない。
黒峰は別れ際に「明日も来てね!」とだけ言い残すと、ケースにしまった自分のギターを背負い、アンナに引きずられるようにして去っていった。
俺は、黒峰が最後にした発言を思い出す。
新入生歓迎会で俺にギターを弾かせる。
そう彼女は言っていた。
新入生歓迎会は、年度最初の生徒主導によるイベントだ。
生徒会と各部活動が中心となって行われるこの催しは、要は生徒会や委員会、部活動の紹介及び勧誘をするためのものだ。
各団体が五分程度の時間を割り当てられ、自分たちの活動を新入生にアピールし、新規会員や部員を集めるのが目的である。
俺も去年は新入生としてそれを観覧したが、かなりの盛り上がりようだったのを覚えている。
全校生徒を集めて体育館で行われるその会は、各団体が趣向を凝らした様々な出し物を披露していた。
淡々と活動内容を述べるだけのところもあったが、それはむしろ少数派で、ほとんどのところはいかにして自分たちに興味を持ってもらえるかに躍起になっていた。
男子バスケ部なんかは正統派で、なんとエース部員がステージ上から遠く離れたゴールに向けてシュートを放ち、見事にそれを成功させていた。
新入生は感嘆の声をあげたが、それと同時に上級生の方からキャーッという黄色い歓声があがったのが印象に残っている。
純粋にそのエース部員が人気のある人だったのかもしれないけど、俺の隣に座っていたクラスメイトが「俺もバスケやればモテるかな……」と呟いてたのを見ると、あの歓声はこれを狙った仕込みだったのではないかと疑ったものだ。
それに比べると屋外系の部活はアピールが難しかったようだ。
例えばサッカー部はひとりが部活説明をしている横で、何人かの部員が延々とリフティングを披露していた。
確かにその安定したリフティングはサッカー部のレベルの高さを伺えるものだったかもしれないけれど、どうしても先のバスケ部のパフォーマンスに比べると地味な印象は拭えなかった。
そこにきてインパクトが絶大だったのは野球部だろう。
司会に促されて、現レギュラーだという九人がヘルメットを被ってぞろぞろと壇上に上がった。
そして部長だという男がマイクを使わず大声をあげて活動内容を説明していったのだが、他のメンバーは休めの姿勢のまま横一列に並んで微動だにしない。
一種異様な空気が立ち込めていたが、説明の最後に部長の合図で部員たちが回れ右をし、ヘルメットを脱ぐと、会場が爆笑に包まれた。
彼らは後頭部の髪の毛をバリカンか何かで刈り「や き ゅ う し よ う ぜ !」というメッセージを作り上げていたのである。
体育館は大いに湧き、最後に野球部のメンバー全員が声を揃えて「よろしくお願いします!」と叫んだ後には、惜しみない拍手が彼らに贈られた。
余談だが、このあとこのメンバーは顧問にこっぴどく叱られたそうで、全員が完全な丸刈りにさせられていた。
あるいはそこまで計算に入れてあの演出をしたのかもしれないが、なんにせよそのおかげで、しばらくは校内で丸坊主を見かけると例の野球部の一員であることが容易に判別できた。
他にも演劇部がミニコントをやったり、化学部が爆発実験を敢行してちょっとした騒ぎになったり、調理部の可愛い先輩たちが客席に向けてラッピングされた手作りクッキーを投げこんだりと、会場は大盛り上がりを見せた。
最後に生徒会がいたって真面目な活動紹介で場を締め、去年の新入生歓迎会は幕を閉じた。
それを見終わった俺は、高校生ってすげーな、と呆気にとられていた。
中学までとは、活動にかけるエネルギーが桁違いだったからだ。
こんなにパワフルな連中が集まってる高校ってハンパないなと思いつつも、同時に少しそれに気後れしてしまって、結局どの部活にも入らずじまいになってしまったのだけれど。
とにかく黒峰は、そんな盛り上がるステージで、俺にギターを弾かせると言ったのだ。
俺は新入生歓迎会の日程を思い出す。
確か今年は四月十日の月曜日に予定されていたはずだ。
そして今日は三月十四日。
本番当日を含めて、あとちょうど四週間……わずか二十八日しか時間がない。
本当にそんな短い期間で、ステージに立てるレベルの技量に到達するのだろうか。
昨日ブラッシングを覚えたとはいえ、まさかあれだけで人前で演奏できるとは到底思えない。
あるいは彼女とふたりでギターを弾くのであれば、案外俺はブラッシングだけでもそれっぽくなるのかもしれないが……。
彼女がいったいどんなプランを考えているのか、訊いてみる必要がありそうだ。
あまりに無茶な計画を立てているようなら、申し訳ないとは思うけど、きっぱり断ろう。俺はそう考えていた。
確かに昨日のセッションは少なからず心踊るものだった。
それは間違いなく俺の本心だ。
しかしだからといって、黒峰ひとりの前で演奏するのと、全校生徒を前に演奏するのとでは、明らかにハードルの高さが違いすぎた。
黒峰は俺にも優しく接してくれるから大丈夫だったが、全校生徒が相手となると話が違う。
みっともないステージを見せたら、会場がシラけてしまうのではないか、心無い言葉を投げつけられるのではないか……。
そう考えると、俺は背筋が凍る思いだった。
とてもじゃないけど、そんなのには耐えられる気がしない。
俺は昨日とは打って変わって重い足取りで特別棟の階段を登り、昨日と同じ教室の扉を開いた。
「あれ、まだ黒峰は来てないのか……」