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第一章(9)

 先ほどまで教室を支配していた、世界が変わったような感覚は唐突に消え失せ……静寂が、訪れた。


「あー、やっちゃったねぇ。手ぇ怪我してない?」


 そう彼女は声をかけてくれるが……俺はといえば、やっちまった、という罪悪感に打ちひしがれていた。

 貸してくれたギターを壊してしまったこと、演奏を途中で中断してしまったこと、セッションを台無しにしてしまったこと……。

 様々な想いが去来して、思考が完全に停止してしまっていた。


「怪我は、大丈夫です……。すみません……ダメにしちゃって……」


 やっとの思いで、俺はそう口にする。

 目線は自分の足元に向いている。

 どんな顔をして彼女を見ればいいのか、俺には分からなかった。


「……あのね、まず言いたいんだけど」


 彼女の声に、俺は思わず肩を縮こませる。

 どんな批難を浴びるのかと思うと、思わず体が強張ってしまった。


「敬語はナシって言ったよね? そんな凝り固まってたら楽しくないでしょ。チカラ抜いて、ね?」


 ……は?

 いや、今指摘するべきところはソコか?

 もっと言うべきことがあるんじゃないのか?


「いや、その……。ギターの弦、切っちゃったし……。壊しちゃって……。セッションもダメに……」


 しどろもどろになりながら俺がそう言うと、彼女はわざとらしいくらい大きくため息をついた。

 見当違いの発言に呆れているといった感じだ。

 え、俺、そんなに的外れなこと言ったか?


「まぁ確かに、知らなくて当然だろうけど……。あのね、ギターの弦なんて、少なからず切れるものなの。特にキミが弾いてたのはこの部の備品のやつだから、しばらくまともにメンテしてなかったしね。だからまず、そのことについてはキミに落ち度はないよ。気にしなくていいから」


 そう言いながら、彼女は自分のギターをスタンドに立て掛ける。

 彼女の言葉に刺々しいところは感じられなかったから、どうやら本当に大した問題ではないようだ。

 俺は少なからず気持ちが楽になるのを感じた。


「あと、演奏についても謝ることなんて何もないってば。確かに最後は尻切れトンボになっちゃったけど、そこまでのキミの演奏はすごく、すんごく良かったよ。盛り上げてって言ったらきちんと盛り上げようとしてくれたし、頑張ってリズムキープしてくれてるのも伝わってきたから。それに……楽しかった、でしょ?」


 彼女の問いに、俺はハッとして顔を上げた。

 彼女と視線が交わる。

 彼女は、笑っていた。

 優しそうな、屈託のない笑みだ。


「ああ……楽しかった。すげー楽しかった……。すごかった、ほんと」


 口をついて出てきた言葉は語彙力が足りなさすぎて、我ながらバカみたいだった。

 それでも、間違いなく俺の心からの言葉だった。

 それを聞いた彼女は、満足げにうなずいた。


「そう言ってもらえると嬉しいな。ありがとね」

「感謝するのはこっちの方だって。ありがとう。こんな不器用な俺に、ギターを教えてくれて。最高に楽しかったよ」


 彼女の言葉に、俺は率直な返事をする。

 彼女は俺の言葉に一瞬驚いたような顔をして……再度、例の何かを企んでいるような笑みを浮かべた。


「ふふっ……。やっぱり私の見立て通りだ。キミ、音楽に向いてるよ」

「……それさ、さっきも言ってたけど、なんでそう思うんだ? 自分では全くそう思えないんだけど。なんか理由があるのか?」


 当たりまえの疑問を俺は投げかける。

 今のセッションだって、彼女の演奏があったからこそ音楽として成り立ってたようなもので、実際俺は大したことはしていない。

 そもそも彼女はこのセリフを、俺がギターに触れる前にも口にしているのだ。

 褒めてくれているなら悪い気はしないけど、いったいなんの根拠があってそう思ったのかが分からないのでは、違和感を覚えるのも仕方ないというものだ。


「理由はふたつ。ひとつめは昼休みの時だね。キミ、見ず知らずの私の演奏に、拍手をしてくれたでしょ?」

「あ、あぁ」


 確かにそうだ。

 あの時俺は自然と彼女の演奏と歌声に惹きこまれて、無意識に拍手をしていた。

 でもそれとこれに、なんの関係があるのだろうか。


「他人の演奏を素直に賞賛するのって、なかなかできるものじゃないんだよ。それに、自分から聴こうとしていない音楽って、環境音とか雑音にしか聞こえなかったりするものだしね。でもキミは、たまたま耳に入ってきただけの私の演奏を最後まで聴いて、拍手までしてくれた」


 そう説明してくれる彼女の表情は真剣そのものだ。

 初めて見る彼女のその真摯な表情に、俺は思わず背筋を伸ばした。


「キミには豊かな感受性と、屈折していない真っ直ぐな心がある。それを持ってる人は、他のプレイヤーの良いところをぐんぐん吸収して上達する土壌を持っているようなものだよ。例え今まで音楽に触れてこなかったとしても、今からでも十分に上手くなれる余地はある。そう思ったの」


 彼女はそう言ってくれるが……なんというか、あまりにストレートに褒められたもんだから、胸の内側あたりがムズムズして仕方ない。

 俺はなんだか恥ずかしくなってきて、彼女から視線を逸らした。


「そ、そうなのか。じゃあ、ふたつめの理由は?」

「ふたつめは、ついさっきのキミの台詞だよ。キミは自分のことを『不器用』だと言ったよね?」

「あぁ、言ったけど……」

「それが重要なの。これは私の持論だけど、不器用であるということは、音楽をやるうえで最も大切な資質なの」

「……は?」


 彼女はたびたび突拍子もないことを言って俺を混乱させるが、今の言葉は今までのどの発言よりも意味不明だ。

 不器用であることが大切?

 普通は器用だから音楽ができるんじゃないのか?


「そもそもね、音楽をやろうって思う人は、多かれ少なかれ不器用だからそう思うのよ。だってそうでしょ? もし器用に自分の伝えたいことを何でも簡単に他人と共有できるなら、わざわざ音楽なんてやる必要がないじゃない。器用に人生を生きられる人は、音楽なんて不確かで曖昧な手段で自分を表現しようとなんてしない。きっとそういう人は、好きな人に愛してるって伝えたり、喜びや感動や悲しみや苦しみを分かち合ったり、そういうことを器用に、簡単そうにやってのけるでしょう。でも音楽をやろうとする人はそうじゃない。不器用だから、音楽という手段でしか自分を表現することができない。不確かで曖昧な手段に頼ることしかできない……。そこには常に苦悩と葛藤がある。伝えたいことをストレートに伝えられない苛立ちと歯がゆさがある。伝わったと思ってもどこか誤解や勘違いをされてるのではないかという恐れと不安がある。でもだから——だからこそ、音楽は尊い。ほんの少しでもいい、誰かに何かを伝えたい、共感したい、共有したい……。そうやってもがき苦しむミュージシャンの姿に、オーディエンスは感銘を受ける。だから、不器用であるという自己認識は、音楽をやるうえで絶対に欠かせない前提条件なの。少なくとも私は……そう思ってるわ」


 そこまで一気にまくし立てて、彼女は一度言葉を切った。

 なぜかその瞳には、どこか怯えのような色があった。


 もしかしたら、いやきっと、彼女も不器用な人間なのかもしれない。

 だから彼女は自分が言ったことが、俺にきちんと伝わっているか、不安に思っているのかもしれない。

 恐れているのかもしれない。


 俺は改めて彼女に向き直り、そして小さく一度うなずいた。

 大丈夫、伝わってる、そう彼女に伝えるように。

 実際は彼女の主張すべてを理解できたわけではなかったが……それでも、そんなことは言えない。

 今はただ、彼女を励ましたかった。


 彼女は俺がうなずいたのを見て、小さくうなずき返してくれる。

 そして不安をかき消すように、口元に小さな笑みを浮かべて、言った。




「だからきっと、キミは音楽に向いてる。キミは、ギタリストになれるよ」




 ♪


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