街の景色 残光
速い。
雨の幹線道路。夜。後ろからの光線を受けて、車線を変更した。その瞬間に抜き去られ、置いていかれる。
「おい」
「はい」
「何に見えた」
「赤い車だな。特別なチューンには見えなかったから、走り慣れてるんだろう」
それだけで、この闇と雨の中を、これだけの速度で、走れるだろうか。
アクセルに脚を掛ける。
「まだ、やめとけ」
「なんでだ」
せっかくの機会を。
「あれはたぶん、煽ってるんだ。こちらが加速して抜き去った瞬間、ランプが点灯して減点ってさ」
有り得る話だ。
実際、この街には赤い悪魔がいるという噂がある。どんな違反車でも追い詰め、減点にする凄腕が。
「でも、それを試しに来たんじゃないのか」
「そりゃまあそうだが、それでも、あの赤いやつは異常だ。この雨であの加速」
「おまえ、さっき特別なチューンには見えなかったって言ってただろうが」
「そりゃ、まあそうだが」
「お前だって、このまま帰るなんて言いはしないだろう」
助手席の貧乏ゆすりが、なんとなく見える。おざなりの制止は、行けという合図。一瞬目を合わせる。お互いに、うなずく。
「お前が勝つ姿を想像してるよ。なんせ、この車は俺がチューンしたんだからな」
助手席に座っているほうが、負けず嫌いだった。自分は、勝っても負けても、走れればそれでいいというところがある。
それでも、一応は、勝利に向かって走る。そのほうが速いから。
アクセルを踏み込む。
少しずつ、赤い残像に近付いていく。
しかし、一定以上のところから、距離が詰まらなくなった。追いつけない。
「どうなってるんだ」
「少し減速しろ。この先は大きめのカーブになってる」
減速。赤い光が、見えなくなっていく。カーブ。滑りながら、曲がりきる。
「よし、いい感じだ」
それでも、あの赤い光は、はるか遠く。もうほとんど見えない。
「おい、今の見たか」
「なんだ」
曲がりきるラインを見極めるのに集中していて、赤い光を見ていなかった。
「あの赤い光、一瞬だけど、消えたぞ」
「消えた?」
しばらく、加速してじわじわと距離を詰める。たしかに、直線では伸びていない。というより、カスタムしているこちらの車が圧倒的に速いはずなのに、徐々にしか、距離が縮まらない。
「もう少しでわずかなカーブだ。右、左、右。今度は見逃すなよ」
カーブに入る。少しブレーキインを早め、大きく減速。目線を高くし、赤い光とカーブを同時に視野に入れる。
「なんだっ」
赤い光が加速した。
カーブで、減速せず、加速。
ありえない。
「左だ」
左にハンドルを切る。
「すぐ右」
すぐ右。
「おい、あれ」
「消えたんじゃなくて、加速したのか」
助手席。地団駄を踏む音。
「くそっ」
「さあ、帰るか」
「おいお前、悔しくないのかよ」
助手席から、絞り出すような声。
悔しいという感情は、湧いてこない。
「すまん、俺は今、興奮してるんだと、思う」
「なんだと」
あんな走り方が、あるのか。
カーブに加速して突っ込むなんて走り方が。
「すごい」
あれを見た瞬間から、赤い光の、虜になってしまった。
「あんな綺麗な走り方が」
胸のあたりが、震えてくる。
赤い光。もう、見えない。