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 てんとう

作者:藤村綾
「明日は茨城に出張だから」
 会社から帰って来たなおちゃんは真っ先にジャージに着替える。そして、靴下を裏返したまま脱ぎっぱなしにし、浴室で足を洗いに行く。
 足がくせ〜んだよな。たくっ。
 一応あたしに気を使っているのだろう。けれど、その臭い足に一日中巻きついていた靴下を洗濯機に入れるのはあたしである。内緒で匂いを嗅いだが臭かったのは否定出来ない。
「おつとめごくろうさま」
 靴下の匂いがきつい日は現場に出たとき。靴下が臭くなかった日はパソコンの日だ。ー専用ソフトにて何かを描いているー 靴下の匂いで会社での仕事がわかるということはなおちゃんには言ってはいない。
「うん、俺、ごくろうさま」ニタニタしつつ、あたしを抱きしめる。やっと逢えた。なおちゃんが会社から帰ってくるたびに思う。
 一緒に居ても一日中一緒にいるわけではない。あたしなど、在宅ワークなのでなおちゃん以外との接触などまるでないに等しい。なのでなおちゃんの帰宅はおそろしいほど嬉しい。
「今日ね、買い物行って変わった風のビールたくさん買ってきたの」
「おおお!」
 なおちゃんは早速冷蔵庫のドアに手をかけ中身を確認する。
「おおおお!」
 いや〜。こんなにたくさん買ってきたんだね。重たかっただろ、と、一言付け足す。
 やおら嬉しいそうで、目がキラキラしている。もはや部類のアルコールずけにはたまらないのだろう。なおちゃんは、変わった風のビールを手にとってダイニングテーブルに座った。
 変わった風のビール。
 最近たくさんのビールの種類があるので飲み比べをしているのだが、どれもあまり遜色はない。なので、今日は本当に変わった風を買ってみたのだ。
 プルタブに手をかけ、ごくごく喉を鳴らして飲む。仕事終わりのビールは特にうまい。顔がほころんでいる。
「やっぱりさ、変わった風でも、これがオーソドックスで一番好き、やっぱさ」
 コクがあって、渋みと甘みが絶妙で、且つ、癖のないビール。発泡酒ではない、普通の麦芽ビール。高額だけれど、これが一番美味しいとなおちゃんはしみじみ何度も口にした。
 いつも発泡酒ぱっかりだから、今日は思い切って普通のビールを買った。変わった風は値段だったのだ。
「美味いなぁ」
「でね、今日一応おつまみを作りました」
 まるで料理をしないあたしだ。いつも帰ってくるとなおちゃんが何かしら作ってくれる。そんなあたしを今の一度も怒ったことはない。
「え!なにを?」
 本当にびっくりした声を出す。あげく、地震がくるな。これは。まで付け足して。あたしは口を尖らせながら冷蔵庫からお皿を2つ持ってきて、ダイニングテーブルにコトン、コトン、と置いた。
「え?え?」
 お皿とあたしを交互に見やる。
「そうよ、トマトとチーズのサラダ」
「あとは?」
「ないわ」
 果敢に言い放つ。これは前菜だと思ったらしい。トマト2個を切って、切れてるチーズを乗せただけだ。
「これをかけるとご馳走になるらしいよ」
 スーパーの試食で『トマトとチーズのカプレーゼ』という訊いたことのない名前の個体があったので進められて食べたところおそろしいほど美味しく、思わず、その渦中の『カプレーゼ』のタレを買ったのだ。
 498円もしたとはいえない。なので至極シンプルに見えてもご馳走である。
「まあ、まあ、食べてみてください」そう、すすめつつ、緑色したとろみあるタレをかける。
 なおちゃんは、眉間にややシワを寄せつつ、やばい、トマト嫌い。と子どもになったので、大丈夫よ、このタレはなんでも美味しくするから。ちちんぷいぷいー、と魔法の言葉をかけ説得力もない口調でたしなめる。
 おそるおそるなおちゃんはトマトをフォークで刺し一口だけ口に入れた。
 なにも言わない。不味かったかな。あたしも同じよう口に入れる。うん、試食の味だ。美味しい。
 顔をもたげなおちゃんを見やる。普通に食べていた。
「どう?」
「……、トマトってさ、俺、嫌いだったけれど、こんなにも美味しいんだね」
 フォークは見る見るトマトを刺し、チーズを刺す。それに伴い、ビールはどさくさに紛れ3本目に突入をしていた。
「あーのんだ、のんだ」
「トマト美味しいね」
 なおちゃんのお皿もあたしのお皿もなにも残っていない。
「うん、おいしかった。でもこれじゃ腹減るからさ、スパゲッティ茹でるよ。ミート」
「あたしは半分でいいよ」
 飲み干した缶ビールを3本潰してから台所の缶入れに入れ、スパゲッティを茹で出す。
 もう、22時になっていた。
「なおちゃん、」
「ん?」
 口の周りにミートソースが付いている。顔が泥酔で赤みががっている上のミートソース。あたしは目だけ笑い口を引き締めた。
「なんでもないよ。もう、寝よ」
「あ、うん」
 出張の日はおそろしいほど早起きだ。朝の5時起床。5時45分出発だ。
 あたしが先にシャワーをし、寝る支度をする。
 出たらなおちゃんは、布団で充電が切れていた。ミートソースを口の周りにつけたまま寝てしまった。
 あたしは、大の字におなかを丸出しで寝ているなおちゃんのおなかにタオルをかけ、2階の小部屋のベッドに入った。
 最近一緒に寝てない。なおちゃんが、
「一緒に寝ると寝た気がしないから」
 唐突に言い出したのだ。
「なんで?」
 ずっと、狭い布団で一緒に寝てきたのに。いまさらだよ、なんで?
「気になるの。ふーちゃん、寝相が悪いから」
「うそ?」
 あたし自身寝相が悪いなどとは思っていなかった。なおちゃん論によると、夜中何度もあたしに布団をかけるらしいのだった。この2日前から家庭内別居をしている。ー寝るときのみー

 朝、案の定なおちゃんが、スーツ姿であたしの頭を撫ぜに来た。出張の日はスーツなのでドキッとしてしまう。
「行ってきます」
 あたしは薄めをあけ、なおちゃんに抱きつく。
「行ってらっしゃい」
 夜のなおちゃんが本当なのか、朝のなおちゃんが本当なのか今だに謎である。けれど、あたしは朝のなおちゃんが好き。かっこいいのだ。贔屓目かもしれないけれど。

 起きたらすでに白昼でおもては曇っていた。何時だろう。布団から出て階段を降りる。裸で寝ているので、ソファーにかけてあるなおちゃんのカーディガンを羽織り、湯を沸かす。13時30分だった。ええ!
 急ぎの内職があり、インスタントコーヒーに砂糖2本とクリープ2杯を入れ湯を注く。
 パソコンを開き、覚醒されていない頭でマウスを動かす。
 これだけやったら、なにか食べよう。空腹をおぼえ頭が冴えている。今が一番捗るとあたしは無心にマウスを握った。
「はぁー」
 出来上がり背伸びとあくびをし、時計を見たら午後4時だった。
 背中とお腹がくっつく勢いでお腹がペコペコだった。昨夜残した『カプレーゼ』と、食パン2枚と、目玉焼きとを用意し簡単にお腹に収めた。食パンは4枚切りしか買わない。焼かないので食べごたえがあるから。お腹が満タンになる。ふー、あたしはお腹を撫ぜながら、幸せを感じた。
「よし、」
 あたしは出かける支度をする。その実。今日は楽しみにしていた映画の公開日だったのだ。なおちゃんは多分20時までは帰ってこない。あたしは、その前に帰ってこれる時間帯を故意に選んだ。
 簡単に支度をして ー下着をつけてワンピースを着ただけー 自転車に乗った。映画館は自転車でほんの8分ほどのところにある。公開日なので混雑を予想したが存外空いていた。
 映画など半年もすれば、WOWOWなどで観れる。それもあってか、最近では映画館が混んでいるイメージなどはまるでない。
 映画の上映時間は140分。終わるのは19時半くらいだ。
 あたしは映画館に吸い込まれるように入って、鑑賞をした。

 終わって急いで自転車を漕ぐ。すっかり闇につつまれた夜道。堤防沿いは電灯も少なく心もとない。
「あ!」
 次の瞬間、目の前からパッと景色が消え、あたしは自転車共々前のめりになり、倒れていた。何が起こったのか、まるでわからいし、立ち上がることもできない。
 自転車があたしに覆いかぶさっている。どうやら左側に倒れたので左側全てが痛い。特に右腕が。自転車をどかし、ゆっくりと座る。よろよろと立ち上がり、心もとない電灯の下で、痛い部分を確認するため、左腕のシャツを捲った。
「……」
 血が出ていた。それも黒っぽい血が。長袖だったことだけが功を奏し、幸い泥などはついてはいないようだ。血を先刻見た映画館で配ってたティッシュで拭う。いつもは持ち歩いてないのに。ティッシュがこんなところで役に立つなんて。まるで今日あたしが転ぶことを認知していたようで慄いた。
「神様はあたしに罰をあたえたのです」
 劇中で主人公が言っていた台詞を口にする。
「なんて」
 あたしは、クツクツと笑い、痛む身体を引きずって帰路を急いだ。

 なおちゃんはすでに帰ってきていた。
「おかえり」
「おかえり」
 なぜか2人とも『おかえり』だった。
「なおちゃん、」
「ふーちゃん、」
 声が重なる。あたしは、なおちゃん先に言ってと、先を譲る。
「あ、んーと、どこ行っていたの?俺さ、20時前に帰ってきたらいなくて。パソコンもだしっぱだし。心配した」
 心配って。今まで心配をされたことなどあっただろうか。首をひねる。どこ行っていたの?昨日の夜、映画に行くと記憶が正しければ言っていたはずだ。身体が痛いのも相まって、
「べつに」
 おそろしいほど冷たい口調になってしまった。
「そうか」
 これ以上訊いても仕方ないと思ったのだろう。なおちゃんは、おいで、とあたしを胸の中におさめた。
「あ、痛い!」
 大きな声を出してしまった。怪我をしたところにちょうど手が触れたのだ。
「え、どうしたの?」
「……、」うつむいた。自転車で転倒したなどと言ったら自転車に乗ってはダメだと言いいかねない。
「な、なんでもないわ」
 なおちゃんの胸から脱出をした。
「なんでもなくないだろ。足から血が出てるよ」
 左足も切り傷をつくっていた。結構血も出ている。なおちゃんはおもむろに救急箱の中からマキロンを持ってきて消毒をしだす。
「うー、しみるぅ」
 痛い、痛い、と、なおちゃんの肩を掴んだ。
「腕も出して」
「え?」
 間の抜けた声が出た。なおちゃんはあたしのシャツに血がついていることに気がついたのだ。
「ほら」
 半分泣きそうになっていた。痛いし、転んだ理由を訊いてこない消毒をしてくれている人に。
「結構酷いね、はい、消毒はしておいたからね」
「う、うん、ありがとう」
 シャツを元に戻し、再びなおちゃんの胸におさまる。ほんとうはね、自転車で転んだの。あたしは胸の中でくぐもった声を出す。
「わかってるよ」
 あたしの頭を撫ぜながら、夜は乗らないこと、と、優しい口調で言葉を紡いだ。
 頷き、顔をさらに埋める。
「ねぇ、」
「ん?」
 左腕が痛い。傷ではなく、骨が。折れたのかしら。まさか、折れたなら動かないか。はぁ。嘆息が出る。
「今夜一緒に寝てもいいかしら?痛いから」
 埋めている顔をもたげる。なおちゃんもあたしを見下ろし目を丸くしつつ、口を開いた。
「なにそれ?」
 ククク。口の端を上げ笑い、
「まあ、左側だからいいか」
「は?」
 あたしはたちまちなおちゃんの発する不明瞭な言葉について悪い頭で考える。
 3秒くらい考えたあと、なおちゃんから、そのわけを話し出す。
「だってさ、ふーちゃんはいつも俺の左側で寝るから」
「……、あ、そう、そうね」
 いつだって優しいなおちゃん。
 けれど、優しさとご飯と胸の中はくれるのに、『好きだよ』のたった4文字の言葉はくれない。
 ものなどは要らない。
 消毒も要らない。
 肉も要らない。
 欲しいのは確固とした言葉。好きの2文字。

 あたしはなおちゃんといると自分がおそろしく不安になる。不安になってそれで泣きたくなる。好きなのに遠くて、好きなのに。
 ほっともっとのお弁当が2つ買ってある。多分唐揚げ弁当だ。なおちゃんは特から揚弁当。あたしは普通の唐揚げ弁当の小。十六穀米。
 無雑作すぎるほど大胆にダイニングテーブルに置いてあり、あたしはなぜだか苛立ちをおぼえた。
 割り箸だけが袋からはみ出てる。1膳だけ。

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