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8・恋はままならない

本日一話目の更新となります。最終話です。(この後、おまけが入ります)

長々とお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました!

(尚、誤字脱字等は随時修正していきますので、宜しくお願いいたします)

 自分で言うのも何だが、私は異性に好かれやすい性質を持っている。


 容姿や能力、地位や資産。幸いなことに、これらに全く困った事のない私には、昔から数多の人々が集まっていた。

 女性に熱心に口説かれることなど日常茶飯事で、老若男女問わず、私に群がってくる。気まぐれに相手をした事も少なからずあった。

 ただし、それが同性であったり、余りにも受け入れがたいものであった場合は、少し手荒な方法でご遠慮させて頂いたが。


 好き。愛している。貴方が欲しい。


 潤んだ瞳でそう訴えられても、私の心は凪いだまま。少しも揺れ動いたりしない。

 相手の心になんて欠片も興味が持てなかった。どんな情熱的な言葉を受けていても、いつだって頭の中では算盤を弾いている。私にとって最適なものを見定めている。

 醒めた人間だと自覚していたが、だから何だというのだろう。

 私が相手に求めるのは利益のみ。

 親が縁談を持ってくる事もあったが、当たり前の様にその全てを退けた。

 相手と結婚した後の利点が見えないのだから仕方がない。

 駄目な所ばかりが目について、良さが見えないのだ。

 容姿の美しさなど一時の事。年を取れば意味などないし、賢さと小賢しさの区別もつかない愚鈍さにはうんざりする。自分で得た訳ではない地位や資産をひけらかすなど愚の骨頂。何の意味もない。――――愛などという押しつけがましいもので自分を当然の様に束縛しようとする鬱陶しさには辟易した。


 愛などというものはただの『まやかし』に過ぎない。



 ましてや恋など――――きっと、私には一生理解できないだろう。



 ★★★★★



「マルコ兄さん。この前の事なんだけど、とりあえず解決したのは何となくわかったんだけど、結局どういうことだったの? 考えてもよく分からなくてさ」


 悪徳借金取りがマルコに脅されて逃げ去った数日後。

 仕事を終え、家へと戻って来たマルコにルークは質問する。


「何がだ?」

「話が二転三転してて、どこが始まりなのかも分からないよ。全ての始まりって結局どこなの?」

「敢えて言うなら、ティアナさんの母上であるルシアナ様からになるだろうな」


 そう。全ては一人の公爵令嬢から始まったのだ。

 浮気者の婚約者に愛想を尽かし、ホワイトハート男爵に惹かれた公爵令嬢は彼の元へと嫁ぎ、娘のティアナが生まれた。

 一方、愛想を尽かされた婚約者は、実家の侯爵家を追い出され、グリーンウッド伯爵家へ婿入りする。

グリーンウッド伯爵家はホワイトハート男爵家の上役の家であり、ここから少しややこしい事になった。

 大規模な災害で大損害を受けたホワイトハート男爵家はグリーンウッド伯爵家は大きな借金を作り、それを盾にティアナは伯爵子息のテオボルトと婚約することになる。


「でも、男爵家の借金は伯爵家が貸したものじゃなかったんでしょう?」

「そうだ。私が改めて子飼いの間者に調べさせてみたところ、巧妙に細工されていた。『まるで伯爵家が男爵家を不当に圧迫しているように』」

「細工なんて誰がやったの? そんな事して何の意味があるのさ?」


 首を傾げるルークに、マルコは椅子に腰を下ろした。

 ルークにも座る様に促し、マルコはゆっくりと足を組んだ。


「先ほども言ったが、全てはルシアナ様から始まっている」

「だから、ティアナ様のお母様がホワイトハート男爵に恋して嫁いだことから始まってるのは分かるって」

「いや、そこではない。もっと前だ」

「もっと前? グリーンウッド伯爵と婚約した事?」

「違う。そもそも伯爵と婚約する前に、彼女にはほぼ確定していた婚約者候補がいたんだ」

「え? どういう事?」


 聞き返したルークに、マルコは家人にお茶を淹れる様に申し付ける。

 家人が一礼して部屋を出た後、マルコは口を開いた。


「相手はルシアナ様の従兄弟で、現王の弟。先王の第三王子で、現王弟殿下に当たる」

「えーっと…あれ? つまり、ティアナ様のお母様は王弟殿下の婚約者だったって事!?」

「あくまでも候補だ。ルシアナ様の母上は先王の妹君で、王家の出身だった。勿論、ルシアナ様にも王家の血が流れている。それ故に血が近すぎるという理由でルシアナ様と王弟殿下の婚約は白紙に戻された」

「…あれ? 僕の気のせいかな? じゃあ、ティアナ様にも王家の血が流れているんじゃ…」

「まぁ、それはどうでもいい」

「凄い事の様な気がするけど、どうでもいいんだ…」

「ティアナさんが素晴らしいのは血筋とは別の話だ。話を元に戻すぞ。表向きは二人の婚約は血が近すぎるという理由で却下された訳だが、実の所、理由は別にある」

「別の理由?」


 ルークが聞けば、マルコは重々しく言う。



「王弟殿下はルシアナ様を深く愛していた。しかし、重度の『変態』だった」

「…………え?」



 ルークの目が点になっているのを余所に、マルコは話し続けた。


「幼い頃は従兄弟という事もあり、よく一緒に遊んでいたらしいのだが、成長するにつれて、彼はルシアナ様に執着を見せるようになった。やたらとルシアナ様の事を知りたがったり、スキンシップを取りたがったり…彼は毎日の様にルシアナ様に言ったそうだ。『ルシアナのことは何でも知りたいんだ。君になら踏まれてもいい。いや、寧ろ踏んでくれ!』と」

「とんでもない変態だ!」

「ルシアナ様も最初は下品な冗談だと流していたが、ある日、彼がルシアナ様の使用したカップを譲って欲しいと侍従に掛け合っている場面を見て、身の危険を感じたらしい」

「とんでもない変態だ!!」

「幸か不幸か、彼は変態だが紳士だったから、ルシアナ様に直接的に何か危害を加える事はなかったらしいが、それでも『あの男と結婚するのだけは嫌だ』とルシアナ様はストライキを起こし、根負けした公爵夫妻は話を白紙に戻した訳だ。その後、グリーンウッド伯爵との婚約に至った」

「良かったのか、悪かったのか」

「だが、話はここで終わらない。王弟殿下は諦めていなかった。何とかルシアナ様を手に入れられないかと常に虎視眈々と狙っていたんだ。その為、グリーンウッド伯爵とは犬猿の仲だった」

「何それ怖い」

「グリーンウッド伯爵の女癖の悪さを一番喜んでいたのは王弟殿下だっただろう。ルシアナ様が伯爵を見限ると期待したのだろうが、実際には『婚約者が変態から女好きに変わっただけとか私の男運は完全に尽きている』と、ルシアナ様は最早世捨て人一歩手前まで来ていたという」

「ルシアナ様、可哀想」


 ルークが心底同情してそう言った後、ノックして家人が部屋へと入ってくる。寡黙な家人がお茶を二人の前に置いた。

 家人が一礼して出ていくと、マルコは深く息を吐く。


「しかし、そこでホワイトハート男爵と出逢った」

「公爵令嬢が男爵を選ぶって一般的にはセンセーショナルだけど、こうやって聞くと納得の結果だね」

「そうだな。変態、浮気者と来て、聖人のようによく出来た男だからな。ルシアナ様が男爵を選ぶのは当然の結果だった。伯爵は大人しく引き下がり、別の女性―――グリーンウッド伯爵の令嬢と結婚した」

「それで、テオボルト様が生まれた訳だね」


「だが、王弟殿下は諦めなかった」

「しつこいな」


「ホワイトハート男爵と結婚しても、娘のティアナさんが生まれても、彼は諦めなかった。いつか、ルシアナ様が自分を選んでくれる日が来ることを期待し続け、独身を貫いた」

「え、王弟殿下が独身っていいの?」

「いい訳ない。いや、王弟殿下のままなら良かったかもしれないが、彼は一人娘のルシアナ様がいなくなった為、跡取りとしてルシアナ様の生家であるシルバーリング公爵家へ養子として引き取られていたから、跡取りを作るのは必須だったんだ」

「え!? 王弟殿下がルシアナ様の代わりに公爵家跡取りになったって事!?」

「そうだ。そもそもシルバーリング公爵家は王家の受け皿的な存在でもある。第二の王家と呼ばれるほど、王家との繋がりは深い。ルシアナ様がいなくなり、従兄弟である王弟殿下が養子になるのも自然な事ではあった。彼はルシアナ様が絡まなければ、真っ当で優秀な人間だったしな。王弟殿下は、いつかルシアナ様が公爵家へ戻ってくることを願っていたんだろう」

「いや、戻らないでしょうよ」


 ルークが首を振り、マルコはお茶を飲みながら言う。


「普通の令嬢ならば、戻っていたかもしれないぞ。同じ貴族とはいえ、男爵家と公爵家では生活水準がまるで違う。深窓の令嬢ならば、平民に近い男爵家の暮らしが嫌になる可能性もあっただろう。でも、結果的にそれはなかった。ティアナさんが物心ついてすぐに、ルシアナ様が流行り病で亡くなってしまったからだ。ルシアナ様を失った王弟殿下は、一時は後を追おうとしていたらしい」

「愛が重い」

「勿論、周りは止めた。その後、思い直した彼は結婚した」

「やっと諦められたって事?」

「周りもそう思った。だが、そうじゃない。彼はルシアナ様が残したものに気が付いたんだ」

「それってもしかして…」


 ルークが恐る恐る言えば、マルコは重々しく頷いた。



「そう。ティアナさんだ」



「え、もしかして、ティアナ様と結婚しようとしたって事?」

「いや、そうじゃない。彼が妻に望んだのはルシアナ様だけだった。けれど、その忘れ形見を自分の手元に置きたいと思ったんだ。ティアナさんが男であれば、理由をつけて跡取りとして養子に迎えただろうが、女性だったから直接引き取る事は出来なかった。彼女は男爵家の一人娘だしな」

「あー、そうか。王国の方では基本的に跡取りは男って決まってるもんね」

「そういう事だ。だから、彼は慌てて結婚した。自分の血を引く男児を得る為に」

「うわぁ。それ、相手の女性の立場からすれば最低じゃない?」

「いや、彼が相手に選んだ女性は学生時代ルシアナ様の親衛隊長を務めていた生粋のルシアナ信者だったらしく、意気投合したらしいぞ」

「割れ鍋に綴じ蓋ってこういうのを言うんだろうね」


 真顔で言うルークに、マルコは頷く。

 とんだ最強タッグが生まれてしまった訳だ。


「まぁ、結果的に子供は出来たが女の子だったので、彼らの野望は潰えてしまった訳だが」

「世の中上手く出来てるよね」

「ところがだ。話はまだ終わらないぞ。三年ほど前の事だが、突然、彼らの娘が王家へ引き取られる事になった」

「え? 何で?」

「隣国との和平の為に王家の姫が嫁がなければならなくなったんだ。現王には二人の息子と一人の娘がいたが、王女は隣国とは別の国へ嫁ぐことが決まっていた。そこで、王弟殿下の娘に白羽の矢が立ったわけだ。そして、一人娘の代わりに現王の第二王子が公爵へと入る事になった。―――つまり『公爵家の跡取り息子』が出来たという訳だ」

「あー! なんか繋がったかも! つまり、自分の跡取りになるその第二王子とティアナ様をくっつけようと画策したって事?」

「そういう事だ。王弟殿下は直ぐに婚約話を持ち掛けようとしたが、ルシアナ様が亡くなって直ぐであれば、娘の後ろ盾を理由に男爵は受け入れたかもしれない。だが、既にルシアナ様が亡くなって十年以上の月日が流れていた為か、委縮した男爵はやんわりとそれを辞退した。けれど、諦めきれない王弟殿下は何とか頷かせようと、情報を操作して、ホワイトハート男爵家に架空の借金を作らせるという無茶な作戦に出た。更に敵役として、犬猿の仲であるグリーンウッド伯爵を巻き込んで、伯爵家の横暴に晒される男爵家の図を作り出し、後は自分が間を取り持って恩を売って、その見返りとしてティアナさんを義理の息子の妻にしようとしたんだ」

「凄い執念だね。でも、そうはならなかった?」

「タイミングがいいのか悪いのか、王弟殿下が間に入ろうとしていた少し前に、グリーンウッド伯爵がティアナさんと息子であるテオボルトの婚約話を持ち掛けてしまった。ホワイトハート男爵はグリーンウッド伯爵に負い目があると勘違いしていたから、その話を断れなかった」


 これが全ての真相。

 始まりは公爵令嬢で、全ての元凶は―――


「つまり、悪いのは王弟殿下って事?」

「そういう事だな。王弟殿下は、婚約した後は直ぐに事態を終息させるつもりだったが、拗れに拗れて今に至る。確実に言える事は、シルバーリング公爵家とティアナさんの縁談だけはないだろうという事だ」


 マルコは話し終えて、再びお茶を飲む。

 ルークはカップを手に持って、深い溜息をついた。


「そりゃ、これだけしくじればそうなるよね。ホワイトハート男爵家にとってはとんだ災難だ」

「この話は既にホワイトハート男爵家とグリーンウッド伯爵家にしてある。グリーンウッド伯爵はカンカンだったが、王弟殿下もとい、現シルバーリング公爵が謝罪し賠償に応じ、実質的には男爵領、伯爵領共に特に実害はなかったため、示談が成立した。晴れてホワイトハート男爵家の借金は無くなった訳だ」

「ティアナ様とテオボルト様の婚約は?」


 ルークが聞けば、マルコはそれはそれは清々しい顔で笑う。


「白紙に戻された」

「いい笑顔だね、マルコ兄さん」


 マルコはふん、と鼻を鳴らした。


「当然だがな。他の女との間に子供まで作ったんだ。言い訳など出来ない」

「ジーナさんのお腹の子って、やっぱりテオボルト様の子なの?」

「そのようだな。彼女は男を手玉に取る悪女の様な形をしていながら、一本筋の通った女だったようだ。テオボルト以外の男との関係は一切なく、他の男を選ぶ気もなかったのだろう。現に劇団のオーナーにも言い寄られていたようだが、一蹴していたらしい。だが、テオボルトにはティアナさんという素晴らしい婚約者が出来てしまった。それ故に思い詰めて、劇団に固執したのだろうな」

「成程」

「因みにジーナに振られて、新しい歌姫とやらと逃げた劇団のオーナーのその後だが、新しい街で新しい劇団を立ち上げて再起を図ろうとしたが、見事に失敗。又しても借金を作ってしまい、新しい恋人にも振られ、路頭に迷ったようだぞ」

「悲惨! でも、自業自得!」

「これも当然の結果だな。商売とはそれほど簡単なものじゃない。ましてや、客を選ぶ劇団だ。前の劇団は多方向にコネクションを持つ前オーナーがいたから黒字で運営できていた。それに、人気こそ落ち着いていたかもしれないが、知名度も実力もあるジーナのような役者が揃っていた事も大きい。それを一から作り上げるには、現オーナーは余りにも力不足だったんだろう」

「その人どうなるのかな?」

「こうして関わったのも何かの縁だろうと思い、元恋人共々、金払いのいい『少し大変な仕事』を紹介してやったぞ。後は本人のやる気次第だろうな。顔は悪くないし、頑張れば借金も完済できるだろう」

「うわー、何やったのか知りたくないなー」

「安心しろ。法は犯してない。ギリギリ合法だ」

「ギリギリが不安しか煽らない」


 真顔でそう言った後、ルークは苦笑しながら聞く。


「で、兄さんとティアナさんのその後は?」


 ルークの問いかけに、先ほどとは打って変わって、マルコは自嘲した。


「………私はティアナさんと絶対結婚したい予定だ」

「完全に振り出しに戻ってない?」

「………諦めない」

「うん、頑張れ。後、突っ込み損ねてたけど、何で赤の他人である兄さんが人様の内輪話をそんなにも詳しく調べられたの?」

「私の間者は優秀だからな。ルーク覚えておけ。情報は力だ。世の中、情報を制したものが勝つんだ」

「マルコ兄さんの子飼いの間者、怖すぎる」


 ルークがドン引きした時、外から声が掛かる。

 来客を知らせてきた家人に二人は立ち上がった。

 家人の案内で二人が店の方へと足を向けると、店先に一人の女性が立っている。



「突然すみません。お願いがあって参りました」



 ルークが目を丸くするのと同時に、マルコが駆けだした。



 ★★★★★



「全く忌々しい変態め! どれだけ迷惑を掛ければ気がすむんだ! お陰で計画が全て水の泡ではないか!」


 公爵家と敵対するのは賢い事ではないと渋々示談を受け入れたが、怒り冷めやらぬグリーンウッド伯爵は自宅に戻ってワインを煽っていた。

 結果的に破産すら覚悟した息子の借金騒動は無事に片付いたが、失ったものは小さくはない。

 それも、昔から何かと元婚約者の事で嫌味や嫌がらせを繰り返してきた相手が原因とあっては、納得など出来る筈もなかった。


「もう二度と関わらんぞ! おい、誰か玄関に塩をまいておけ!」


 怒鳴り散らす父親を、テオボルトは無言で見つめる。そして、意を決して話しかけた。


「父上、聞きたい事があります」

「何だ、バカ息子」


 面白くなさそうに視線を向けた伯爵に、テオボルトはずっと聞きたかったことを口にする。



「何故、母上は出ていかれたのですか? それに、貴方があれほどティアナとの婚約に拘っていたのは、本当にオレの幸せのためだったのですか?」



 ずっと知りたかったそれを口にすれば、声は震えた。

 けれど、聞かずにはいられない。

 父は自分を顧みず、母には捨てられた。そう思っていた事は間違いだったのか。

 テオボルトの問いに、伯爵はワイングラスをテーブルに置くと、深く息を吐いた。


「まず、お前とティアナ嬢を婚約させたのは前に言った通りだ。ホワイトハート家の者は心優しく穏やかな気性の者が多い。ティアナ嬢なら不安定なお前を支えてくれるだろうと思った。――――お前を幸せにする事。それは妻と結婚した時、最初に二人で決めた事だった。その為に私は最善を選んだと思っている」

「本当に、オレの為…? でも、母上はオレを置いて出て行ってしまった…」

「置いて行かれたのはお前だけじゃない。私もだ。でも、仕方がない事だった」

「どうして…父上は母上を愛していなかったのですか!? だから、母上は男と出ていったのではないのですか…!?」


 感情が高ぶったテオボルトがずっと喉に詰まっていた言葉を吐き出せば、伯爵は変な顔をする。


「お前、勘違いしてないか?」

「何を言って…!」



「お前の母は別に男と出て行った訳じゃないぞ? 一人で旅立ったんだ。――――新たな芸術を求めて」

「…………は?」



 テオボルトが目を見開けば、何故か気の毒そうな顔をして伯爵は頷いた。


「お前は幼かったから知らなかったんだな。あいつが描いた自画像をいつも眺めていたからてっきり知ってるのかと」

「自画像…もしかして、あの居間に飾ってある母上の肖像画の事ですか? え、『自画像』?」

「世間では色々好き勝手に噂されているが、あいつは別に浮気したとか私に愛想を尽かしたとかそう言う理由で出て行った訳じゃない。そもそもあいつは殆ど恋愛に興味ないんだ。あいつが唯一興味を示すのは芸術だけ。特に絵画だな。あいつは私の知る限り、最高の天才画家だよ」

「…………え?」


 突然の展開に唖然としているテオボルトを余所に、伯爵は懐かし気に目を細める。


「あいつと出逢ったのはルシアナに婚約を解消された直後でな。あの時、私は実家に居場所がなかった。婚約解消は自業自得だが、そのせいで厄介な事になったんだ。話が長くなるから、お前も座れ」

「あ、うん…」


 伯爵は傍にいた執事にワイングラスをもう一つ持ってくるように言いつけた。

 直ぐに用意されたグラスにワインを注ぎながら、伯爵は苦笑する。


「私は若い頃、確かに女にだらしなかったが、決して出来が悪かったわけじゃない。寧ろ、公爵家へ婿入りする予定だったから、かなり出来は良かった。だが、婚約が流れた後、私を受け入れる先は中々見つからなかったんだ。何せ女関係で婚約を解消されたせいで、ただでさえ敬遠されるのに、なまじ出来が良かった為に婿入り先が限られていてな。父も出来のいい私をそれなりの家へ入れたいと言い張った。最終的には兄を婿に出し、私を当主になんて無茶まで言い始めたのだ」

「父上の兄上はどうなるのですか?」

「兄は私より真面目だが、私ほど出来は良くなかった。けれど、ずっと侯爵家を継ぐために努力し、既に婚約者もいたのだ。今更、出ろというのも酷い話だろう。父は譲らないし、焦った兄は私を目の敵にするようになるしで、正に針の筵。そんな時、出逢ったのがお前の母だ。彼女もまた、悩みを抱えていた」

「母上が悩み、ですか?」

「ああ。彼女には優れた画家としての才能があり、彼女も芸術に生きたいと願っていたが、彼女はグリーンウッド伯爵家の一人娘だった。自由に生きる事は難しい立場だったんだ。彼女が求めるのは結婚しても自分を自由にしてくれる優秀な夫、私が求めるのは父が納得できるだけの家柄と能力を生かせる居場所。お互いに利害が一致した私たちは意気投合し、結婚してお前が生まれた」


 伯爵はワインを煽り、息子を見た。


「お前が生まれた時、あいつと話した。私たちは自由に生きてきたから、子供には苦労を掛けるかもしれないと。実際、お前がある程度育ったら、あいつは外の世界に飛び出してしまったし、私は領地の事で手一杯で、お前と碌に向き合わなかった。気が付けば、お前は心を閉ざしていたんだ。あれほどお前が幸せになれる様に手を尽くそうと決めていたのに、やっぱり私たちは自分勝手なままだった。だから、せめて婚約者には心優しい娘をと思って強引に婚約させたのに、結局駄目になったしな」


 後悔を滲ませ、伯爵は言う。



「――――悪かったな。私はいつだって、失敗してから気付くんだ。テオボルト、すまない」



 涙の様に零れたその言葉に、テオボルトは反射的に違うと叫んだ。


「オレも、オレも悪かったんだ! ちゃんと向き合ってなかったのはオレも一緒だ! だから、ジーナもティアナも…父上、ごめんなさい」


 後悔から声が滲む。

 思わず俯けば、大きくて温かな手が髪を撫でた。


「私も酷い事を言った。ティアナ嬢にも悪い事をした。あの娘にも…」


 十数年ぶりに大きくなった息子の頭を撫でながら、伯爵は呟く。


「あの娘―――ジーナと結婚したいか?」

「………ジーナが望んでくれるなら」


 テオボルトは困ったように笑った。

 伯爵は全てを吹っ切れたような顔をして、小さく笑う。




「好きにしろ。私たちがそうしたように、お前も自由に生きろ。――――お前は、私たちの子なんだから」



 ★★★★★



「ティアナさん!」

「マルコ様、ルーク様、ごきげんよう」


 マルコが駆けよれば、ティアナはいつも通りの穏やかな笑顔を浮かべた。

 マルコの背後に大きく振られる見えない尻尾の幻影が見える。ルークはしょっぱい顔をした。


「こんにちは、ティアナ様。今日は一体どうなされたのですか?」

「ああ、そうだわ。私、お願いがあって参りましたの」

「お願い?」

「分かりました! 何でも叶えます! 何でも言ってください!」


 気軽に請け負うマルコに、ルークの顔が益々しょっぱくなる。何が怖いって、これが誇張でも何でもない事だ。絶対あり得ないが、ティアナが『私、世界が欲しいの』なんて言えば、世界征服しかねない。

 勿論、ティアナはそんな事は企まず、ニコニコと笑いながら言った。



「私にお金を貸してくださいませ」

「「え」」



 二人が同時に聞き返すと、ティアナは笑みを深めながら続ける。


「私、テオボルト様との婚約が解消されましたの」

「え、あ、はい、知ってますけど…」

「おめでとうございます!」

「兄さん、もっと気を遣って!」

「大丈夫ですわ、ルーク様。お優しいのね」

「ルーク…ティアナさんに褒められるとはどういうことだ…?」

「兄の嫉妬のとばっちりが酷い!」


 マルコに睨まれながら、ルークはティアナに聞いた。


「それとお金を借りる事に何の繋がりがあるんですか?」

「ええ。実は婚約が解消されたので、欲しいものがあるのですけれど、手持ちが心許なくて…」

「成程、お祝いの品という事ですか。何が欲しいのですか? わざわざお金なんて借りなくても、何でもプレゼントさせて頂きますよ」


 笑みを浮かべてそう言うマルコを、ティアナは見上げる。


「マルコ様」

「はい」


 ティアナは真っ直ぐマルコを見ながら、はっきりと言った。




「マルコ様って、おいくらですか?」

「…………はい?」




 流石のマルコも首を傾げる。

 そんなマルコの手を取り、ティアナはニッコリと笑った。


「私、欲しいものがありますの」

「え、はい…それは聞きましたが…」

「婚約が解消されましたのよ」

「それも知っておりますが…」

「だから、口に出しても良くなったのですわ。マルコ様、お金を貸してくださいませ」

「えっと…?」


 戸惑うマルコに、ニコニコと笑いながらティアナは言う。




「私、マルコ様が欲しいのです。マルコ様、どうか、私に買われてくださいませ」

「「え、ええええええ!?」」




 マルコとルークが驚愕の叫び声を上げた。

 マルコに至っては顔が真っ赤に染まっている。ルークは驚きながらも『兄も人間だったんだなぁ』と別の意味でも驚いた。


「ティ、ティティティ、ティアナさん!?」

「マルコ様はおいくらかしら? 私、一生をかけてお支払いしますわ。だから、どうか一生私と共にいて下さいませ」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 マルコはティアナの肩に手を置き、そう言った後、押し黙る。


「………私をからかっている訳ではないですよね?」

「お慕いしております」

「お、お慕…っ!」


 マルコが絶句すれば、ティアナは拗ねたように口を尖らせた。


「だって、マルコ様がいけないのです。私のような何の取り柄もない女の子にあんなに優しくして…いけない人だわ。そんな事をされたら、私などイチコロに決まっているではありませんか」

「ティアナさん…?」

「恋をしてしまったのです。貴方が好きです。私は貴方の『愛』が欲しい」


 ティアナはそう言って、マルコの答えを待つ。

 益々真っ赤に顔を染めたマルコは目を彷徨わせた後、観念したように呟いた。


「――――私は…私は恋など信じておりません。愛など馬鹿馬鹿しいものだと、ずっとそう思ってきたのです。私の『好むもの』にはいつだって『理由』があったから」

「…はい」

「恋は理屈じゃないなんて、そんな言葉を吐く人間を見下し馬鹿にしてきたのです。全ての事には理由があるのだと、そう確信して、疑いもせずに生きてきました」


 そこでマルコは言葉を切り、ティアナを見つめる。



「好きです。ティアナさん」



 吐息の様にそう零せば、もう抑える事など出来なかった。


「好きです、貴女が好きなんです。自分でも抑えられない。どうしてこんなに好きなのか、私にも分からない。何でも理解できたのに、自分の事なのに、この感情は理解できない。ただ、一目見たあの時から、貴女が愛おしくて仕方がない。貴女の笑顔が好きです。貴女の優しさが好きです。貴女の目が、髪が、手が、唇が、その全てが私にはいつだって輝いて見えるのです」


 手を引き、そっと胸に抱きしめる。その温かさすらも、焦がれてやまなかったもの。


「貴女は素晴らしい女性です。貴女の良い所を上げようとすれば、夜が明けてしまっても終わらない程上げられる自信があります。けれど、この全てが『後付けの理由』なのです。貴女に惹かれた後に見つけたものなんです。では、何故私はこんなに貴女に惹かれるのでしょうか。色々考えました。貴女が私にだけ効くフェロモンを持っているのではないか、前世で恋人同士だったのではないか」

「まぁ、うふふ」

「馬鹿馬鹿しいと思いながらも、沢山検証したのです。貴女に惹かれる『理由』が知りたくて。けれど、どれだけ調べても『ない』のです。何もないのに、私は貴女に惹かれてやまない。――――ティアナさん」


 マルコは笑う。


「『マルコ・ブラックベール』は高いですよ? この地上で最も高額な商品です」

「ええ」

「それでも買われますか? 返品交換は不可となっておりますが」

「ええ、勿論」


 マルコは今にも泣きそうな、けれど、今にも蕩けてしまうような幸せそうな笑みを浮かべた。




「では、支払いは『ティアナ・ホワイトハート』でのみ承っております。お買い上げありがとうございました。――――愛してます、誰よりも貴女を!」




 ティアナを抱き上げて、子供のような笑顔を浮かべたマルコに、ティアナも微笑む。


「ありがとうございます。一生、大切にしますわ。貴方を愛して、きっと幸せにしますからね」

「何か、逆じゃない?」


 完全に二人の世界に入ってしまった二人に、ルークの突っ込みは聞こえない。



★★★★★



 ――――シルバーリング公爵家。


「帰ったのか、息子よ」

「叔父上。いえ、義父上とお呼びすべきですね、一応」

「お前は相変わらず私には冷たいな。言葉の節々に棘を感じるぞ」


 カラカラ笑う男に、養子である彼―――ゴールドクラウン王国国王の弟であり、かつては王国の第二王子であった男は恨みがましくシルバーリング公爵を見た。


「先ほど、王城で甥のアルバートと会って思い出したのですよ。貴方のせいで、告白すら出来ずに振られたことを!」

「まだ根に持っていたのか。お前は粘着質だなぁ。大丈夫だ、多分私の事がなくても振られていたよ」

「何で傷を抉ってくるのかなぁ、この人!?」


 イライラとソファーに腰を下ろせば、公爵が自らお茶を淹れてくれる。


「まぁ、そうカッカするな」

「…まぁ、最終的に諦めたのは自分ですけど。諦めてなかったらティアナ嬢は今頃私の隣に…」

「はっはっは! 私も相当だが、お前も大概しつこいな」

「…自覚してます」


 未練がましい事など分かっている。

 けれど、余りにもあの恋は温かく、眩しすぎた。焼き付いて消えない程に。


「ところで、お前もいい年だろう? そろそろ縁談の話も断りにくいんだが…」

「はぁ…ティアナ嬢…」

「まぁ、別にいいけどな。私もルシアナが亡くなるまで結婚する気とかまるでなかったし、いざとなれば、現王の息子を養子に貰えばいいし」


 公爵は優雅のお茶を飲みながら、そう言えば、と思い出したように話し出す。



「ルシアナの孫娘にアルバートが横恋慕してるらしいぞ」

「ブフーッ!」



 思わずお茶を噴き出した自身の甥っ子を余所に、公爵は深々と溜息をついた。


「これがまた残念ながら既にやたらと顔も出来もいいブルーバード侯爵家の息子が婚約者らしくてな。公爵令嬢だったルシアナといい、曲者のマルコ・ブラックベールといい、本当にホワイトハート男爵家は優秀で癖のあるものばかりを惹き寄せるなぁ」

「ゲホゲホゲホッ!」


 公爵は手に入らなかった永遠の想い人を思い浮かべながら呟く。



「王家はフラれんぼな家系だからなぁ…」

「嫌なフラグ立てないでください! 私はアルバートを応援していますよ!」



 恋は本当に儘ならない。



【おしまい】



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