7・拗れた糸と騒動の結末
本日二話目です。そして、当初五話程度と言っておきながらまだ終わりませんでした。申し訳ありません! もう少しだけお付き合いください。
「お金をお貸しくださいませ」
何の邪気もなく、優しい微笑みを浮かべて懇願する彼女の姿は、場面が場面でなければとても微笑ましくも可愛らしいものだろう。
ただし、その願いが『婚約者の浮気相手が作った借金を立て替えたいから、お金を貸して欲しい』というものでなければ。
「………」
彼女の父親であるホワイトハート男爵を始め、婚約者であるテオボルト、その父親のグリーンウッド伯爵、それにすべての元凶となった女性ジーナも絶句している。
それはそうだろう。彼女は今回の騒動の被害者だ。誰よりも怒る権利がある。そんな彼女が全てを治める為に借金を背負おうとしているのだから。
まるで聖女、いや天使、いっそ女神。いや、それすらも通り越した得体の知れない『何か』。
誰しもがティアナの行動に目を丸くして凍り付いている中で、見開いた眼をゆっくり閉じたマルコは、信じられないものを見たような顔で彼女を見た。
「…ティアナさん、それは本気で言っているんですか?」
「はい。私は本気です」
「貴女がテオボルト様の借金の担保になると?」
「ええ。マルコ様、私が担保でも貸してくださいますか?」
真っ直ぐマルコの目を見ながらそう言うティアナに、マルコは表情を消す。
表情を消すと途端にその整い過ぎた容姿は彼を人形のように見せた。だが、身内ですらゾッとするその目から、ティアナは目を逸らさない。彼女は気付いていた。表情が消えてしまっても、彼のその目はまるで迷子の子供のようだったから。
「………どうして…」
戸惑った挙句、途方に暮れたようにそう呟いたマルコに、ティアナは言う。
「私がそうしたいからです」
「どうしてそこまで…貴女は、テオボルト様を愛しているのですか…?」
マルコの言葉に、テオボルトの目を見開かれる。その頬は赤く染まった。
そんなテオボルトを見て、ジーナは俯いて歯を噛みしめる。
例え、婚約者が誰を愛そうとも、彼女の愛は真っ直ぐ彼へと向いていた。
「? いいえ? 愛してはおりませんが」
「「え」」
――――訳ではなかった。
ポカンとするマルコとテオボルトに、ティアナは、でも嫌なんです、とニコニコと笑いながら言う。
「私はとても我儘で欲張りなのです。素敵な婚約者だったテオボルト様や、そのテオボルト様が愛されたジーナ様、いつでも親切にして下さったグリーンウッド伯爵様。皆様が悲しい顔をしているのは嫌なのですわ」
ティアナは笑いながら続けた。
「それにマルコ様がまるで悪役の様な事をなさるのも嫌ですわ。私は今までも不幸ではありませんでしたし、これからも不幸にはなるつもりはありません。私は私の意志でテオボルト様との婚約を解消し、貴方様の元へと参ります。そして、借金を返済するまで、末永くマルコ様の傍に置いてくださいませ」
「ティアナさん…」
「待ってくれ、ティアナ嬢!」
悲鳴を上げる様にグリーンウッド伯爵が声を上げる。
「どうか、テオボルトとの婚約を解消するなどとは言わないでくれ! 貴女でなければ駄目なのだ! 貴女でなければ、テオボルトは幸せになどなれない!」
「申し訳ありません、伯爵様。きっと私はテオボルト様とは縁がなかったのです。テオボルト様は私がいなくともちゃんと幸せになれますわ」
「そんな筈がない! 私がどれだけ苦心して婚約に漕ぎつけたか…! 息子の幸せは貴女と共にある筈なのだ!」
やんわりと説得するティアナの言葉に伯爵は必死で首を振った。その姿に戸惑ったホワイトハート男爵が伯爵に尋ねる。
「グリーンウッド伯爵、どうしてそんなにうちのティアナに拘るのですか?」
それを聞いた伯爵は苦虫を嚙み潰したよう顔をして、呻くように答えた。
「どうしてだと?」
「ええ。正直に言えば、今までもずっと不思議でした。伯爵家の相手ながら他にいくらでもいるでしょう。何故、うちのティアナなのか。当初は私の妻であったルシアナの事で娘に嫌がらせでもするのかと心配でしたが、貴方は娘にとても親切だった。娘が妻に似ているのならば納得できました。けれど娘は私に似ていて、妻の面影など殆どない。なのに…」
「ティアナ嬢がルシアナに似ている似ていないは関係ない」
伯爵は苦々しく言う。
「ホワイトハート、私はお前が嫌いだ。学生時代からずっと気に入らなかった。全く冴えない風貌のくせにやたらと女に、しかも賢く教養のある美しい女にばかりモテる所が一番腹立たしかったが、更に何気に勉強も出来て剣術も馬術もこなす所も憎たらしかった。挙句の果てに私の婚約者であったルシアナまで取られた時には本気で殺してやろうかと思ったよ」
そう吐き捨てた伯爵に、その場にいたものは思った。完全に逆恨みだ、と。
「…ルシアナの事は…」
「何も言うな。もう昔の事だ。今ではルシアナがどうしてお前を選んだのか理解している。だが、あの時の私は納得できなかった。だから、見に行ったんだよ」
自分の婚約者だった公爵令嬢ルシアナ。その彼女が遥かに格下の男爵家の男へ周囲の反対を押し切って嫁いだ。きっと、苦労して後悔しているに違いないと思った。
けれど―――
「ルシアナはお前の傍で笑っていた。冷徹で氷姫だと囁かれていたルシアナが、とても幸せそうに普通の少女の様に笑っていたんだ」
その顔を見て、どうして自分が選ばれなかったのか、どうして彼女がこの男を選んだのか分かった。
「ティアナ嬢をテオボルトの婚約者にしたのはルシアナの娘だからじゃない。お前の娘だったからだ。母親がいなくなり、息子に疎まれていた私ではテオボルトの拠り所にはなれない。支えてくれる存在が必要だった。お前の娘とならば、間違いなく息子は幸せになれると、そう分かっていたから婚約を進めたんだ。もう、今更どうしようもないが…」
そう言って、座り込んだ父親にテオボルトは息を呑んだ。
母がいなくなり、突然決められた婚約に反発した。自分の心を置き去りに、勝手に進めていく父親を恨んだ。自分を顧みない父親が憎たらしかった。
自分を想ってくれているなんて、考えもしなかったのだ。
けれど、今更遅い。もう全ての出来事は想いを取り残して進んでいってしまったのだから。
「それならば、あんな借金を盾に迫る様な強引なやり方をしなくとも、話してくれれば良かったのに」
「? 確かに少し強引だったかもしれないが、借金を盾にとはどういうことだ?」
「お前には貸しがあると脅したじゃないですか」
「ああ、お前にはルシアナを譲ったという貸しがあっただろう。だが、テオボルトとティアナ嬢が結婚すればホワイトハート男爵家にも多少なりと利益もあるのだから、そう悪い話ではあるまい」
「え?」
「何だ?」
「あの、『貸し』とは我が男爵家へ貸している借金の話では?」
「何の話だ? 男爵家へ貸している金などないだろう?」
「え?」
「ん?」
「あの、そろそろ宜しいですか?」
二人の会話が噛み合わなくなった時点で、厭らしい笑みの借金取りが声を掛けた。一応、空気を読んでいたらしい。
「うちとしては返して頂ければ、誰が払って頂いてもいいのですが、結局誰が支払ってくださるんでしょうか?」
「はい。私がお支払いいたします」
ティアナが手を上げ、マルコを振り返った。
「マルコ様、突然ですがお貸しいただけますか?」
「え、ええ、まぁ…いえ、少し待ってください。つまり今、どういう事になっているんでしょうか? ティアナさんにお金を貸して、代わりにティアナさんは私の所へ来て下さるという事でいいんですか?」
「はい。私は借金の担保としてマルコ様の元へ参ります。一生涯かけてお支払い致しますね」
「では、ティアナさんは一生涯私の元に居られるという事ですか?」
「はい。居りますわ」
「でも、それは担保としてですよね?」
「はい」
「………妻としてではなく?」
「はい。担保ですから。全ての支払いが終わりましたら、改めて考えさせて頂きますね」
「そうですか…んん? えーっと………分かりました。その辺りは後で具体的に話し合うという事で。とりあえず、お金をお貸ししましょう」
「ちょっと待った!!」
一先ず借金を片付けようとしたところで、テオボルトから待ったが掛かる。
「そもそもはオレが作った借金だ。オレが返すのが筋というものだろう。だから、マルコ殿。金を貸してくれ。オレを担保に!」
「え」
「ちょっと待って! 全ての元凶は私よ! いくら落ちぶれても恋敵に貸しは作らないわ! 私が売られればいいのでしょう!? さっさと売り払いなさいよ! 元売れっ子歌姫舐めないでよね! 借金ぐらい直ぐに稼いでやるわ!」
「え」
テオボルトがマルコに迫れば、ジーナが勢いよく声を上げた。
「いけませんよ、ジーナ様! 身重ですのに…!」
「私に優しくしないで! 貴女なんか嫌いよ! 貴女がいたからテオボルトは私を選んでくれなかったのよ! 結婚もしてくれない! 全部分かっていたわ!」
ティアナが声を掛けた瞬間、ジーナはボロボロと泣きながら叫ぶ。
「いつかテオボルトがプロポーズしてくれるって思っていたのよ! だけど、貴女が現れてから彼は揺れていたわ! 貴女が嫌な女なら良かった! 嫌な女なら、貴女を恨みながら私はもっと早くにテオボルトを諦められたのに…!」
ジーナは泣きながら叫び続けた。
「貴女もテオボルトも大っ嫌い! もう嫌! 結婚を考えてた男は優柔不断で二股掛けるし、それなら仕事でと思えば信頼してたパートナーは裏切るし! 挙句にこんな変態チックな悪徳業者に目を付けられて返せる筈だった借金はあり得ないほど膨れ上がって…! もう嫌! もう最悪! 私の人生おしまいよ! 早く殺しなさいよ!!」
「じ、ジーナ…!」
「ジーナ様、自棄になってはいけないわ!」
「もう滅茶苦茶だなぁ…」
正に大混乱を絵に描いたような状態に、物陰からずっと様子を窺っていたマルコの弟のルークは思わずといった風に呟く。
そんな中、何かをジッと考えていたマルコは、スッと視線を借金取りの方へと向けた。
「まぁ、とりあえず貴方達が悪い事は確定ですね」
「え」
突然話を振られた男はポカンとする。
「皆さんの話を纏めると、貴方達がまともな商人でないのは明らかです。そもそもこの国ではきちんと取り決めがありまして、金の貸し借り一つ取っても利息から契約の仕方まで全て決められているのです。でも、貴方達は明らかに違反行為を行っている」
ジロリと睨まれた男たちは明らかに動揺していたが、直ぐに言い返してきた。
「なっ! 失礼な! こちらには証拠の借用書もある! しっかりサインもされたね! きちんと条件を読まなかった方が悪い!」
「いえ、テオボルト様も、恐らくジーナさんもきちんと条件を読んでいた筈ですよ。だから、テオボルト様はあんなに驚いていたのでしょうし。でも、だからこそ『おかしい』。確認していたなら、サインなんかしないでしょう。つまり、貴方達はサインされた後で『書類を改竄した』のではないですか? それは違法行為、いえ、商人として決してやってはいけないタブーです」
「何を証拠にそんな事を…! とんでもない侮辱だ! 大体、あんた一体何なんだ! 無関係な奴は引っ込んでろ!」
「そうですね。私はこの一件の当事者ではありません。けれど、貴方達が違法行為をしているのならば話は別です。商人のタブーを侵しているのならば、私は当事者になるでしょう」
「はぁ? 一体何を言って…」
「私の名前はマルコ・ブラックベール。ブラックベール商会の会長をしております」
「………え」
男たちが再びポカンとする。
「貴方達も商会を名乗るのならば知っている筈ですね? 商会には暗黙の了解となっている縄張りがある。それを侵すことは許されず、縄張りで商売をする為にはその場を取り仕切る商会の許可がいると。確かダークグレイ商会でしたっけ? 全く聞いた事がありませんねぇ。商会と名乗るものは全て頭に入れてあるんですが、全く覚えがない。『この国は私の縄張りである筈なのに』」
「あ、その…これは…」
男たちが見る見る蒼褪めていく。
一見優男にしか見えない目の前の男。この男の恐ろしさは、誰よりも『商人』が良く知っていた。
マルコは得物を前にした獣の様に口角を上げ、男たちに言う。
「貴方達、『誰に』断ってここで商売しているんですか?」
ヒッ、と息を呑んだのは誰だったか。
男たちはジーナを放り出し、真っ青な顔で逃げ出した。それこそ脇目も振らずに。
その様子をマルコとルークを除く全員が唖然と見守る。
「………マルコ兄さん、実は最初から払う気全くなかったよね?」
呆れたようにそう言ったルークに、悪魔は何も答えず、ただニッコリと笑った。