5・ティアナ・ホワイトハートの気持ち
大変お待たせいたしました。
そして、申し訳ありません。やっぱり五話では終わりませんでした。
もう一、二話で完結予定ですので、今しばらくお付き合い頂ければ幸いです。
尚、誤字脱字あるかもしれません。随時直していきますので、教えて頂ければ幸いです。
『ティアナは本当にいい子ね』
小さな頃から何度もそう言われた。
でも、私は自分がいい子だなんて一度も思った事がない。
自分で言うのも可笑しな話だけれど、私は我儘だし欲張りな人間だと思う。
優しいだとか、謙虚だとか、本当の私には掠りもしない言葉だわ。
そんな言葉は、私の周りの人達にこそ相応しいのに。
私を見守ってくれている、私の大好きな優しくて温かな人たち。
優しい両親、見かけも中身も美しい親友、親切な友人たち、それに気さくに話しかけてくれる領地の人々。
皆、大好きなのよ。だって、一緒にいるだけでフワフワと温かな気持ちになれるもの。
そんな大好きな人たちにはいつだって幸せそうに笑っていて欲しい。
でも、そんな自分の気持ちを押し付けるのは、きっと私の我儘だと思う。
優しくされれば優しくしたい。
優しくされなくても、その行動や言葉に優しさを見つけたい。辛く当たられても、怒るよりも辛く当たってしまう理由を見つけたい。
私は相手の事情よりも、そんな自分勝手な気持ちを優先する。
ほら、私は全然いい子なんかじゃないでしょう?
我儘で、欲張りで、自分勝手。―――それが私。
温かな父と母の間に生まれ、愛されて育てて貰った。
下級貴族という柵は、時に私を自由にも不自由にもしたけれど、それを嫌だと思った事はない。
母を亡くした時には悲しかったけれど、それでも自分が不幸だなんて少しも思わなかった。
私は自分が幸せな人間である事を知っている。
幸せは自分の掌に乗るくらいで丁度いい事も知っている。
いつだって私は自分の思うままに生きてきた。
誰に否定されたって、私が誰よりも私を肯定する。
自分の人生だもの。心のままに生きていきたい。
嫌な事も辛い事もあったけれど、いつだって逃げずにきちんと向き合ってきた。自慢できるようなものは片手の数ほども持っていないけれど、それだけは自分を誇れる。
そうやってずっと生きてきた。だから、いつだって朝が来るのが待ち遠しかった。明日は今日よりももっと素晴らしい日になると信じていたから。
人に話すと何故かいつだって『ティアナらしい』苦笑されるのだけれど。そんなに能天気かしらね。
こんな私に婚約者が出来たのは三年ほど前の事。
余りパッとしない容姿や体型、オマケに裕福でもない下級貴族だったからか、十五になっても私には婚約者がいなかった。残念ながら、男性に好まれる様な女の子ではなかったのだ。これまでもモテた例がない。
でも、気にしたことはなかった。容姿は絶世の美女と言われた母から受け継いだ緑色の瞳以外を褒められたことはないけれど、自分では中々愛嬌があって気に入っているし、体型も少し太めだけど力仕事が得意だし、裕福じゃなくてもお父様も元気で毎日楽しいし、下級貴族だからこそ気が楽だったりしたのだけれど。
そんな私だけど、少しばかり恋物語には憧れていた。
いつか私にも白馬の王子様が現れるんじゃないかしら、何て夢想してみたりもしていたの。
私の場合、普通の馬では重さに耐えられず可哀想な事になるかもしれないから、牛でもいいかもしれない。のんびり歩いて行く所が私には合っているんじゃないかしら。
あら、いけない。話が逸れてしまったわ。
つまり私は、初めから婚約者に好感を持っていた。だから、父は余り乗り気ではなかったけれど、突然の婚約は私にとってはとても嬉しい出来事だった。
父が乗り気ではなかった理由は相手が我が家よりも格上の『伯爵家』であった事と、我が男爵家がその伯爵家に借金をしていたことが原因だった。
断れない縁談であった事が、心優しい父を苦しくさせていたらしい。
優しい父の気遣いを嬉しく思ったけれど、元々私は断るつもりなどなかった。
だって、婚約者である『テオボルト・グリーンウッド』様はとても素敵な方だったから。
テオボルト様は私より一つ年下で、整った容姿をした凛々しい方だった。
私はテオボルト様と仲良くなりたかったけれど、テオボルト様は私に素っ気ない。
その理由はすぐに分かった。何と彼には他に想う方がいるようなのだ。
それを知って、私はとても納得した。
成程、それならば彼が私に素っ気ないのも無理はない話なのだろう。意中の相手がいるのに、突然婚約者が出来ては戸惑うのも無理はない。
多分、嫌われていないと思う。きっと、本当は優しい方なのだと思う。
ううん、例えどう思われていようとも関係ない。望み望まれて結ばれた縁ではなくても、私は彼の婚約者。彼の力になりたいと思った。
そう思ってはいたけれど、現実には私にできる事なんて殆どない。
婚約を解消しようにも、この婚約は父と伯爵様が取り決めたものだから、簡単にはいかなかった。恋愛物語ではこうズバーン! バシーン! と痛快に解決するものだけれど、現実には中々簡単にはいかないものなのね。
例え父を説得することは出来ても、伯爵様は難しいだろう。理由は分からないけれど、伯爵様はこの婚約にとても乗り気なのだ。
伯爵様は怖い方だと噂では聞くけれど、私にとても親切にして下さる。何か困った事はないかといつも気にかけて下さっているとても優しい方だ。
きっと、話せばわかって下さるのではないかと思うのだけど、きっとそれは私が言うべきことではない気がする。
テオボルト様が伯爵様に訴える時にはきっとお力添えをしようと思いながら、もう三年も経ってしまった。
このままでいいの? と、私はいまだにテオボルト様に聞けないままでいる。
そんな膠着状態の中、最近になってとても驚くべきことが起こった。
何と、この私に求婚して下さる方が現れたの。ビックリよね。
私を望んでくださった方は『マルコ・ブラックベール』という素敵な紳士だった。
平民の商人だというけれど、美しい艶やかな黒髪に不思議な琥珀色の瞳をしている、まるで物語に出てくる貴公子のような綺麗な男の人。
きっと、からかわれているのだろうと思っていたし、私にはテオボルト様という婚約者がいるからお断りしたのだけれど、求婚して下さったその日から、彼は毎日私に逢いに来てくれるようになった。
男の人に言い寄られるなんて初めてだったし、それがこんなに素敵な人だったから、単純な私はすっかりマルコ様の事で頭が一杯になってしまう。
だって、男の人にこんなに褒められることも、言い寄られて口説かれることも初めてですもの。ドキドキしても仕方がないと思うの。
マルコ様がやってくるようになってから、しばらくしたら今度は何故かテオボルト様もやってくるようになった。
素敵な男性二人に挟まれて、まるで物語のヒロインになったみたいだわ。
そんな風に考えてしまう私はやっぱり能天気かしら。
お二人の考えは分からなかったけれど、辺鄙な場所にある我が家に毎日お客様がやって来て、とても嬉しかった。
お菓子を作って、お茶を淹れる。美味しいと言って笑って貰える。それが余りにも楽しくて、私はすっかり浮かれてしまっていた。
「ティアナ嬢、とても楽しそうになさっていますが、何かいいことがあったのですか?」
「え」
話しかけられて、慌てて口元を隠す。
今日は不思議なご縁から仲良くさせて貰っている王女殿下のお茶会。
小規模なものだけど、とても贅を尽くしたもので、本来ならば男爵令嬢の私なんかが出られる筈のないものだ。
何故か王女殿下が私を気に入って下さって、特別に招待して下さった。そんな貴重な場だ。
更に優し気に私を見ている方は第二王子殿下。本当ならば口を利く事すら出来ない雲上人。こんな時に考え事だなんて何て失礼な事をしてしまったのかしら。
「少し考え事をしておりました。申し訳ありません」
「どんな事を考えておられたのですか?」
そう聞いてくる王子殿下に首を傾げる。面白い事ではないのだけど、話して失礼にならないかしら。
そんな事を考えながら王子殿下を見ていれば、何故か殿下は目元を赤く染められて、慌てたように言われる。
「あ、その…詮索するつもりはないのです。ただ、とても楽しそうにされていたので」
「そんなに顔に出ておりましたか? 大した話ではないのですが…」
「ええ、見ているこちらまで幸せになれそうなほどに。それに…貴女の事なら何でも知りたい…」
最後の呟きは聞き取れなかったけれど、聞き返す事も失礼になりそうで困ってしまった。
「本当に大した話ではないのですが、それでも宜しければ…」
「え、ええ! 全然いいです! 是非に!」
凄い勢いで頷かれたけれど、最近お客様が沢山で嬉しいというだけの本当に大したことのない話なんだけどいいのかしら?
何故かこちらを見て目を細めて笑っておられる王女殿下にも首を傾げながら、私がエスコートして下さる王子殿下の手を取ろうとしたその時、足早に誰かが近づいてきた。
「ティアナ・ホワイトハート令嬢はいらっしゃいますか?」
やって来たのは王女殿下の侍女の女性。
「あ、はい。私ですが何か?」
「先ほど、御父上のホワイトハート男爵から連絡が届きました。至急、戻る様にと」
「え、お父様から?」
一体、何事かしら? まさか、お父様に何か?
私は慌てて王子殿下と王女殿下に退出の挨拶をし、急いで家へと戻る事にした。
この時、王宮に残れば私は別の道を歩くことになったのかしら?
―――いいえ、きっと変わらなかったわね。
この時の私は、向かった先で、自分の人生を大きく決定付ける何かがあるだなんてまるで考えていなかった。
★★★★★
「何てことをしてくれたんだ、お前は!」
ティアナが向かった先で待っていたのは父であるホワイトハート男爵と、婚約者であるテオボルト、それに彼の父親であるグリーンウッド伯爵だった。
怒り心頭状態なグリーンウッド伯爵に、ティアナが目を丸くしていると、彼女に気付いた父親が直ぐに駆け寄ってくる。
「ティアナ、突然使いを出してしまってすまない」
「いいえ、お父様。一体、何事ですか?」
そう聞けば、ホワイトハート男爵は戸惑いと憤りを混ぜたような表情を浮かべた。
「テオボルト殿にお前以外の女性がいたんだ」
「そうなのですか」
「その女性が身籠ったらしい」
「え!」
ティアナは思わず両手で口を塞ぐ。
テオボルトに想う女性がいる事は知っていたし、いずれ話してくれるだろうと思っていた。話してくれたその時は、彼の力になろうと決めていたのだ。
だが、このタイミングは余りにも良くない。だって、彼はまだティアナと婚約関係にあるのだから。
「相手は平民の女性で、身分違い故に言い出せなかったのだろうが…貴族が伴侶以外に愛人を持つことは少なくない。だが、婚約者であるお前を蔑ろにするにも程がある。しかも、彼はその女性の為に随分と借金をしているらしい」
温厚な父が怒りに顔を赤くして、拳を震わせている。
それでも怒鳴らずにいるのは、グリーンウッド伯爵の剣幕に圧倒されているからだ。
既に何度か殴られたのだろう。テオボルトの顔は赤く腫れあがり、口からは血が流れている。
呆然としていたティアナは我に返って、テオボルトに駆け寄った。
「グリーンウッド伯爵様、どうか落ち着いてください!」
「ティアナ」
驚いたように目を見開くテオボルトを背に庇いながら、グリーンウッド伯爵を見上げる。
伯爵はようやく彼女に気付き、顔を歪めた。
「ティアナ嬢…戻っていたのか。話はもう聞かれたか?」
「父からお話は聞きました。私は怒っておりません。ですから、どうかこれ以上はおやめください」
そう言えば、テオボルトが息を呑んだ。
「全て知った上でそう言われるか…息子が貴女にとんでもない侮辱を与えた事をお許し頂きたい」
若い頃はさぞかし女性に人気があっただろうことが窺える整った容貌が苦々しさに歪んでいる。まだ若々しい容貌をした伯爵は静かにティアナに頭を下げた。
「いいえ、伯爵様。私は怒ってはおりません。―――知っておりましたから」
そう言ってテオボルトを振り返り、ティアナは笑う。
テオボルトは顔を青ざめさせ、愕然とした表情を浮かべた。
「ティアナ、知って…?」
「ええ。いつかテオボルト様の口からお話しいただけるのだろうと思っておりました。こんな形になってしまって残念です」
ティアナは少し困ったように眉を下げて、伯爵を振り返る。
「伯爵様。テオボルト様はその女性を愛していらっしゃいます。私は身を引きますので、どうかお二人を…」
「駄目だ!」
ティアナの言葉に被せる様に、伯爵は固い表情で叫んだ。
「婚約の解消は認めない。その女には子供を堕ろしてもらう」
「父上!」
「テオボルト、お前はしばらく謹慎しろ。手切れ金と共に女とは手を切れ。いいな?」
「嫌です! オレはジーナを…!」
「お前は自分が何をしたのか全く分かっていない! 私が死に物狂いで用意した道を踏み外して幸せになどなれるものか!」
「オレは自分の人生は自分で決める! 愛する女性だって自分で選びたいんだ!」
「黙れ! 自分の尻拭いも出来ない青二才が一人前の事を言うな! お前が勝手に作った借金の総額がいくらか分かっているのか!?」
「借金は自分で働いて返す! 家は出ていく!」
「この愚か者が! お前が十年働いても返せる額ではない!」
伯爵は怒鳴って、伯爵家へと送られてきた借金の借用書を突きつける。
それを見たテオボルトは目を見開いた。
「っ! そんな馬鹿な…! オレはこんなに借りていない!」
「借金には利息が付く事すら知らないのか!」
「それくらい知ってる! 契約書もちゃんと読んだ! 毎月きちんと返済もしていた! だから、『こんな額になるなんてありえない』!」
テオボルトが震える手で持っている借用書には、平民ならば家族で一生働かずに遊んで暮らせる程の金額が書かれている。
この金額を返すとなれば、グリーンウッド伯爵家でも資産が底をつくだろうという金額だ。それどころか、今度はグリーンウッド伯爵家が借金を負いかねない。
ティアナもそれが途方もない額だとは分かっていたが、何も出来ない。ホワイトハート男爵家はグリーンウッド伯爵家に借金を負っている身。とても貸せるような金はなかった。
テオボルトも青ざめたまま押し黙っている。
彼は借金をしていたが、ちゃんと返せるだろう金額しか借りていなかった。自分の力で返すつもりだったから、無茶な金額は借りられないと分かっていたのだ。だが、借用書には確かに自分の名前が書かれており、この金額を返すことなどテオボルトには到底不可能だった。
グリーンウッド伯爵は難しい顔のまま押し黙っている。
はっきり言って、この金額を一度に返すことは不可能に近い。それほど途方もない金額だ。伯爵とはいえ、一貴族の手に負える金額ではなかった。
いっそ息子と縁を切ってしまえば伯爵家は助かるだろう。だが、息子の口ぶりから正規の業者ではないと思われた。この手の輩は手加減というものを知らない。息子の命は諦める事になる。
返さなければ更に増える。だが、返す為には爵位と命以外の何もかも手放さなければならないだろう。
伯爵家を潰す訳にはいかない。―――だが、『息子を手放すことだけは出来ない』。
伯爵が決断し、口を開こうとした瞬間、楽しそうな声が響いた。
「おや? 取り込み中ですか?」
その声に振り返れば、美しい男がニッコリと微笑んでいる。
「もし宜しければご相談下さい。―――きっと、お力になれますから」
黒い悪魔が三日月の様に口角を上げて笑った。