4・甘い毒の誘惑
このお話、後一話で本当に終わるんだろうかと不安になってきました。
とりあえず、終盤に差し掛かってまいりましたので、今しばらくお付き合いください。
「ティアナ。一体どうしたの? 何だか今日は元気がないようだけど…」
一緒にお茶を飲んでいた親友の子爵令嬢が、ティアナを気遣うように見つめる。
ティアナはパチパチと目を瞬かせた後、コテリと首を傾けた。
「そう見えるかしら?」
「ええ。他の方達には分からなくても、親友であるこの私の目が誤魔化せないわよ。さぁ、何があったのかキリキリと白状なさい!」
「まぁ、怖い。これでは隠し事は出来ないわねぇ」
クスクスと可笑しそうに笑うティアナの手を冗談交じりに握ってきた美しい親友の目には心配の色が宿っている。
自分には勿体ない程良い友人だとティアナは嬉しく思いながら、ティアナはここ最近自分に起きた夢物語のような話を話すことにした。
「―――実は先日、婚約者のテオボルト様ではない男性に求婚されたのだけど」
「ぶふっ」
親友の薔薇色の唇からお茶が吹き出てくる。
「まぁ、大変! これをお使いになって…」
「あ、ありがとう、綺麗な刺繍の入ったハンカチね…って、違うでしょ! ど、どういうことなの!」
焦ったようにそう聞いてくる親友に、自身でも首を傾げながら先日あった事を思い出した。
★★★★★
「ティアナさん、今日もお美しい。どうぞ、これを受け取ってください」
「まぁ、お気遣いありがとうございます」
そう言って恭しく大輪の花束を差し出したマルコからそれを受け取りながら、ティアナは困ったように視線を彷徨わせる。
ティアナ以外目に入らないと言わんばかりのマルコの後ろには、ティアナの婚約者である伯爵子息のテオボルトが怒り心頭と言わんばかりの顔をしながら立っていた。
このままここにいるのもどうかと思い、二人を中へと案内すれば、二人ともが勝手知ったる様子で応接間へと歩いて行く。
回数は少ないが、婚約者として何度か訪ねてきたことのあるテオボルトは、マルコが躊躇なく歩いていく様を見て、益々眉を顰めた。
部屋の場所を覚える程、何度も来ているのかと。
事実、毎日来ている訳だが、そうでなくともマルコは一度でも来たことのある場所を忘れる事はない。そもそも彼は、地図や建物の大きさを見ただけで、大体位置関係を把握する能力を持っている。生まれてから一度も迷子になった事がない位だった。無駄に高性能である。
ティアナが二人を応接間に案内し、お茶を淹れる為に席を立った途端、テオボルトは憎々し気にマルコを睨み付けた。
「おい、貴様! どこの馬の骨が知らないが、オレの婚約者に近づくのはやめろ!」
「………」
「おい! 聞いているのか?」
テオボルトを一切振り返らず、ティアナの去っていった方ばかり見ていたマルコの肩を掴めば、ようやくその視線がテオボルトに向けられる。
その眼差しの鋭さに、テオボルトは息を呑みこんだ。
「…ああ、私に話しかけていたのですか」
「お、お前以外に誰がいる!」
「失礼。馬の骨などという呼称を受けたのは生まれて初めてでしたので。所で、『元』婚約者さん」
「元じゃない。今もティアナはオレの婚約者だ」
ムッとして言い返すテオボルトにマルコはやんわりと嘲るように笑う。
「オレの婚約者、ですか」
「何だ。何が言いたい」
「口で言うだけならば簡単な事ですよね。子供の口約束でも、親同士が勝手に決めた事でも、そこにあるのが政略でも利害関係でも婚約関係は結ばれる。―――例えば、男爵令嬢の婚約者ならば、伯爵子息という肩書きだけでいい」
マルコはさも可笑しいと言わんばかりの態度でそう言い、テオボルトは顔を強張らせた。
「…お前は誰だ? 何を目的にティアナに近づく?」
「私はただの善良な商人ですよ。目的はティアナさんと結婚すること。私は彼女の『愛』が欲しいのです」
「なっ、商人だと!? ただの平民ではないか! 伯爵子息のオレの向かっての無礼な態度…身分を弁えろ!」
激昂して立ち上がるテオボルトにマルコはニッコリと笑う。
「弁えるのは貴方の方でしょう? 『身分』? 下らない」
「何だと!?」
余りの言い分に呆気にとられるテオボルトに目を細めて、マルコは隠すことなく嘲笑った。
「今の時代、身分なんてものはいくらでも簡単に買えるし、奪う事も容易に出来るものです。爵位なんてものは過去の遺物に過ぎない」
「貴様、何言って…っ」
「血なんてものに意味なんてない。それは貴族だけでなく、王族とて同じ事。国を奪い奪われ最終的に略奪者が王と呼ばれる。ただ国の頂点に立った人間の子だというだけで王族と呼ばれるのです。自身の才覚で国を奪った者や、自身の技量でそれを治める者は自らを誇ってもいいかもしれない。けれど、その恩恵にあずかっているだけの人間に価値なんてない。己の価値も示せず、爵位なんて過去の栄光をひけらかす者は自分が無能だと宣言しているも同然なんですよ」
「………っ」
余りにも不遜であり、余りにも不敬である物言いに、テオボルトは言葉を失う。
口先だけの人間ならば、いくらでも見てきた。商人なんて正に口から生まれてきたと言わんばかりの者ばかりだろう。彼らはいつだってこちらを値踏みするような、媚びた目線を向けてくる。
けれど、この男は全く違う。
己の勝利を確信しているその目は傲慢そのものだが、自惚れではないと思わせるだけの力強さがあった。
これが商人の目だと言うのか? この男が『ただの平民』だと?
だって、この目は絶対的な勝利者の目だ。―――まるで『王』の目じゃないか。
マルコの得体の知れなさにテオボルトは警戒を強くする。
「…ティアナをどうするつもりだ?」
「どうとは?」
「何が目的だと聞いている! ティアナは平凡な男爵令嬢だ! お世辞にも美人ではないし、資産だってない! お前のような男が何故彼女に…!」
「彼女は平凡ではないですよ」
焦りすら感じてそう言えば、マルコは笑みを消してそう言った。
「彼女はとても素晴らしい女性です」
「…本気で言ってるのか?」
「ええ、勿論」
今度はウットリするような美しい笑みを浮かべる。
「分からないのですか? 婚約者でありながら、貴方は彼女を何も見ていない」
早く退場する方が身の為ですよ。
呟くように殺気すら感じさせる低い声でそう言った後、マルコは仮面を付け替えるかのように人の好さそうな表情を浮かべた。
「お待たせして申し訳ありません。お茶をどうぞ。今日は父が不在でして碌なお持て成しも出来ませんが…」
「いえいえ、ティアナさん。ティアナさんのお茶を頂けるなら、どれだけでも待ちますとも!」
ニコニコと幸せそうに微笑む男に、テオボルトは顔を引き攣らせる。
先ほどの出来事が夢だったのではないかと思わせる程の変わり身の早さに唖然とするしかない。
そんなテオボルトを一切見ず、マルコはにこやかに言った。
「ああ、そう言えば、テオボルト様は何やら急用があるらしく、残念ながらもう帰らなければならないそうです」
「はぁ!?」
「まぁ、そうなのですか? 折角来て頂いたので、クッキーを焼いているところなのですが…」
ティアナはそう言って首を傾げる。因みに、ティアナの作るクッキーはテオボルトの好物だ。これが食べたいばかりに、わざわざやってくると言っても過言ではない。
「本当に残念ですが、急用なら仕方がありません。クッキーは私が頂きますので」
「ちょっと待て! オレは急用なんて…! 帰るなんて一言も言ってな…っ」
「そう言えば、ティアナさんは歌劇に興味はおありですか? 最近話題の歌劇一座がいるのですよ。その中でも、歌姫と言われる『ジーナ』嬢は中々人気らしく、彼女が主演する公演は今日が初日なんです」
「っ!」
サラリとそう言うマルコに、テオボルトが固まった。
「歌劇ですか? 演劇なら何度か見た事はあるのですが…」
「歌劇は演劇とは違って歌がメインなのですが、中々面白いものですよ。チケットを手配しますので、宜しければご一緒しませんか?」
「あんなもの見る必要はない!」
テオボルトが焦った顔で叫ぶように言う。
ティアナが驚いて目を瞬かせ、マルコはニンマリと口角を上げた。
「おやおや、見る価値もないだなんて酷い事をおっしゃる」
「そ、そこまでは言っていない! ただ、ティアナが見ても面白くないだろうと思って…!」
「歌劇は神話を元にしたものが多く、その逸話を知らなければ確かに理解しづらいものかもしれませんね」
「そ、そうだ! だから…」
「ティアナさんには教養がないから理解できないとおっしゃるのですか?」
「そ、そんなこと言ってないだろう!」
「ご自分はご出資までなさってい…」
「わあああああああああ!!」
テオボルトが慌てたようにマルコの口を塞ぐ。
マルコはニッコリと笑った。
「そろそろお帰りになった方が宜しいのではありませんか? 『急用』があるのでしょう?」
有無を言わさぬ威圧感を出しながらそう言うマルコに、テオボルトは悔し気に口を歪めながら立ち上がる。
「………また来る」
「そんな、無理をしなくても良いのですよ?」
「貴様が言うな!」
「ティアナさん、お茶をもう一杯いただけますか?」
「貴様も帰るんだよ! 貴様をティアナと二人きりになど出来るか!」
「どうぞお構いなく」
「構うに決まってるだろ!」
怒鳴りながら、テオボルトは無理やりマルコを引っ張っていった。
細身だが騎士であるテオボルトはそれなりに力強い。だが、そのテオボルトの腕力をもってしても外に出るまで数十分は掛かった。
「ではティアナさん、また明日」
「もう来るな!」
★★★★★
「二人の間に何があったのか分からないけれど仲良くなられたみたいで、その日から、マルコ様だけではなくテオボルト様まで毎日通ってこられるようになったのよ」
「突っ込みどころが多すぎて突っ込み切れない! ティアナ、それ大丈夫なの!?」
「そうねぇ。そろそろお茶がなくなりそうだから、少し早いけれど買い足しておかないといけないかしら?」
「心配する所はそこなの!?」
親友の言葉にティアナは首を傾げた。
その様子を見て、彼女の親友は深い溜息をつく。
「…まぁ、ティアナだしね。でも、その求婚者、商人だけあって中々目がいいわね。ティアナを見初めるなんて」
「そうかしら? 私には不思議で仕方がないのよ。私が貴女のような美人なら納得できるのだけど…」
「ティアナは自分の魅力を理解してないのよ! 私が男だったら絶対絶対ティアナと結婚するわ!」
「うふふ、ありがとう。嬉しいわ」
「もう、私は本気で言っているのに…! 何故、私は女なのかしら? 男に生まれていたら…いえ、せめて私のお姉様がお兄様だったらティアナと結婚してもらって家族になれたのよ。ん? そうだわ、子供同士を結婚させれば…」
「子供だなんて気が早いわねぇ」
ティアナは楽しそうにコロコロと笑いながら言った。
「ねぇ、貴女の事も聞きたいわ。ブルーバード様とはどうなっているの?」
「え、その、彼は…いえ、きっとからかわれているのよ。彼は侯爵家の跡取りだもの。本気じゃないわ。私、頭も良くないし、両親にも見た目以外取り柄がないって言われるくらいだもの…」
「そんな事ないわ。貴方は素敵な女性だもの。美人で心優しい私の自慢の親友だわ。きっとブルーバード様は貴女の外見だけではない内面の美しさに惹かれているのよ。貴方は幸せになれる。絶対に」
「ティアナ…!」
目を潤ませた親友はティアナの手を握る。
「ティアナこそ幸せになるべきだわ。貴女の婚約者を悪く言いたくはないけれど、私、テオボルト様は貴女に相応しくないと思っているの。貴女には言った事はなかったけれど、彼にはあまり良くない噂があって…」
「噂?」
「そうよ。テオボルト様には―――ティアナ以外に想いを寄せている女性がいると」
悔し気にそう言う親友の言葉に、ティアナはゆっくりと目を瞬かせた。
「そう、そうなの…」
「相手は平民出の歌劇の歌姫だって話よ。かなりお金を貢いでいるとも聞くわ。それによって借金すらも負っていると」
「借金…」
ゆっくりその言葉を飲み込んでいくティアナに、親友は力強く言う。
「私、ティアナには幸せになって欲しいの。だから、不誠実なテオボルト様よりも、平民でも貴女に真っ直ぐ求愛した商人の方を推すわ! それにその方、あのブラックベール商会の方なのでしょう? それならば、並の貴族なんかよりもよっぽど格上だわ」
「そうなの?」
「ブラックベールは結構容赦のない事もするけれど、きちんと対応すればきちんと返してくれる信用できる商会だわ。噂では商会の会長である男だけは、情け容赦一切なしの人でなしの冷血漢で人の皮を被った悪魔だというけれど、それ以外は優良で良心的な商会だから大丈夫よ!」
そう言って、親友はティアナに笑いかけた。
「ティアナ、貴女は優しすぎるわ。それは貴女の美点だけど、同時に私は心配なの。貴女は当たり前の様に自分の事よりも他の人の事を優先してしまう。だから、約束してね。絶対に自分の心を偽ったりしないって」
「心を偽る…?」
首を傾けたティアナに彼女は力強く頷く。
「そう。自分の気持ちを抑えつけたりしないで、本当に望んでいる事から目を逸らさないで。貴女が周りを想うように、周りも貴女を想っているの。貴女が幸せじゃなければ、皆も幸せになれないわ。だから、約束よ」
「―――ええ、分かったわ」
ティアナは幸せそうに笑った。
「約束するわ、シルビア。ありがとう」
★★★★★
「千秋楽おめでとう、ジーナ」
「あら、テオボルト。お花を持ってきてくれたの。ありがとう」
白々しい顔をしながら受け取った彼女に、テオボルトは曖昧に笑う。
「公演前は毎日来てくれると言っていたのに、結局初日と最終日しか見に来てくれなかったけれど」
「…すまない。どうしても外せない用事があって…」
「まぁ、いいわ。許してあげる」
その代わり、と彼女、歌姫ジーナは大輪の花のような美しい笑顔を浮かべた。
「私、欲しいものがあるの。それをくれたら許してあげる」
「…またか?」
その提案にテオボルトは難色を示す。
「つい先月、ネックレスを贈ったばかりだろう? その前にも…どれも高価なものばかりだ」
「私はこの一座のトップスターなのよ。いいものを身につけないといけないの。お金なら貸してくれる所があるじゃない。伯爵子息の貴方になら簡単に貸してくれるわよ」
「しかし…」
「貴方がくれないならいいわ。他の人に頼むから。その代わり、もうここには来ないで」
「そんな…っ」
苦い顔をしたテオボルトが欲しいものを聞けば、ツンと逸らされていた彼女の顔は満面の笑顔を浮かべた。
彼が婚約者としてあてがわれた男爵令嬢とはまるで違う華やかな美貌。細くて白い豊満な肢体も、闊達な言葉も、全て好ましく感じていた。
歌姫になる前の彼女は明るい努力家で、彼は彼女に何度も励まされていたし、身動きが取れない自分の代わりに夢を追う彼女を応援したいと思っていたのだ。
けれど、今は―――
「テオボルト、愛しているわ。貴方を理解できるのは私だけ」
いつから変わってしまったのだろう。
彼女は甘い毒だ。
けれど、その毒から彼は抜け出せない。
目を閉じて、蠱惑的な香りに溺れる。白い肢体に包まれながら、脳裏に優しい笑顔の婚約者が過った。