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1・マルコ・ブラックベールという男

前作(http://ncode.syosetu.com/n4080dz/ )の世界観ですが、今作だけでもなんとか読めると思います。(読みにくかったら申し訳ありません)

誤字脱字等、読みにくい部分も多いかと思いますが、お楽しみ頂ければ幸いです。

「はい、あと九回!」

「も、もう無理…」


 今にもへたり込みそうになりながら、どうにか腕を上げる。


「まだ行けますよ! ほら、頑張って!」

「ふぐぐぐ…」

「あと八回!」

「も、もう本気で腕が…」

「まだまだ先は長いですよ! 諦めないって言ったじゃないですか!」

「わ、分かっている…! ぐうう…!」

「随分と楽しそうだね。何をしてるんだい?」


 死にそうな顔をして腕立て伏せをしている甥っ子を見て、彼は楽しそうに笑った。

 伸びた蛙の様に床へへばりついていた甥は掛けられた声に振り返り、目を丸くする。


「叔父上!」

「王弟殿下! 一体、いつ隣国からお戻りに?」


 一人で起き上がれない甥に手を貸しながら、甥の従者の質問に口を開いた。


「今朝ついたばかりだよ。久しいなアルバート、ナイジェル。丁度、王へ帰国の挨拶に行った帰りなんだが、久々にお前たちの顔を見ようと思って寄ってみたんだ。驚いたよ。少し見ない間に随分と逞しくなったじゃないか。顔色もいいようだし、安心したよ」


 ニコニコと笑う彼は現王の弟だ。筋肉質で大柄な兄とは違い、細身で優美な外見を持つ彼は王家の特徴である紫色の目を細めて甥っ子、アルバートの成長を喜んでいる。

 兄王の子の中で、唯一王妃に似て線が細く、虚弱な甥の事を彼はずっと心配していたのだ。

 体の事もそうだが、その純粋で繊細過ぎる心も心配だった。だが、少し見ない間に随分と成長したようで驚く。


「少し前まで小さな子供だったのになぁ」

「いつの話をしているんですか。もう子供じゃありません」


 少しムッとしながら、アルバートは再び床に腕を立てた。

 震える細腕で必死に腕立てをするアルバートを眺めながら、コッソリ甥の従者であるナイジェルへと尋ねる。


「いきなりどうしたんだ。あのプリンス・オブ・モヤシだった子が急に体を鍛え始めるなんて…私が国を離れていた数年で何か心境の変化でもあったのか?」

「…好きな方が出来たのですよ」

「何だと?」


 まさかの恋話。引き籠もりで女性恐怖症気味でもあった甥っ子が一体どういう事か。

 興味津々で目を輝かせれば、大きな溜息をつきながら小声で教えてくれた。


「しかし、その方は男爵令嬢でして…」

「…そうか。それは難しいな」


 貴族といっても下級貴族と高位貴族ではまるで違う。

 何故なら高位貴族になるほど、政略的な婚姻を結ぶものだからだ。

 ましてや貴族の中でも下位にあたる男爵家と最上位である王族では、たとえお互い思い合っていても結ばれるのは難しいだろう。


「更に、殿下が恋された令嬢にはもう婚約者がいるのです」

「そうなのか?」


 下級貴族な上、婚約者もいるとなれば、甥の恋路は絶望的だろう。


「しかも、恋敵である令嬢の婚約者は侯爵令息で、社交界で一番人気のある貴公子なのです。十四歳で事業を立ち上げるほど賢く、腕っぷしは強く、オマケに超のつく美男子です」

「………それは、残念だったな」


 泣きっ面に蜂とはまさにこの事だろう。可哀想に、そこまで畳みかける事はあるまい。最早、祟られているレベルだ。

 そんな甥の心中を思えば、胸が塞がれる様な気持ちになった。


「いえ、殿下は全く諦めておられないのですけれども」

「え!」


 本日、何度目になるか分からない驚きに目を丸くする。

 あの引き籠もりで、女性恐怖症で、モヤシぶりなら誰にも負けない子が。


「凄いじゃないか! アルバートがそんなに粘るなんて信じられない! そんなに美人なのか?」

「美人…ではない、かと…敢えて言うなら心が美人とでも言いましょうか」

「気立ての好い子だという事か」

「ええ。体つきはかなり…いえ、少々ふくよかなご令嬢ですが、性格は穏やかで優しい方だとお見受けしました」

「なるほど、気の弱い所のあるあの子にピッタリじゃないか。良ければ、私から兄上に進言しよう。貴族の結婚は政略的なものが多いが、上手くすれば…」

「いえ、それは結構です!」


 鋭く声を上げたのは、生まれたての小鹿のように震えながら立っているアルバートだった。

 汗だくで声を上げたはいいが、呼吸も整っておらず酷く噎せている。


「…少しこの子には厳しすぎるんじゃないのか? もう少し長い目で訓練してやったらどうだ?」

「いえ、ノルマは腕立て伏せ十回ですのでこれ以上減らせません」

「………」


 別の意味で心配しながらアルバートを見ていれば、その軟弱ぶりとは裏腹に、強い視線を向けてきた。


「私は正々堂々と勝負したいのです! …権力で好きな人を手に入れても、きっと後悔するだけですから」


 これ以上、彼女に恥は晒せませんと呟くアルバートに、彼は苦い笑みを浮かべる。


「お前は凄いな」

「叔父上に言われても嬉しくありませんよ」


 有能な外交官として各国を周り、数々の調停を成功させてきた自慢の叔父。彼に褒められるのは嬉しいが、この場合、どう考えても皮肉だろう。

 諦めの悪い男だと呆れられているのだろうと叔父を見れば、彼は本気で羨望の眼差しを向けていた。


「叔父上…?」

「私はお前が羨ましい。私にも昔、恋い焦がれた女性がいたんだ。彼女は妹のお気にいりでね。妹が開くお茶会で出逢ったんだ。心根の優しい女性で、私は直ぐに心惹かれたのだけれど、彼女もまた男爵令嬢で婚約者がいた」

「え」

「余りにも障害が多くて、私は何もせず端から諦めてしまっていたのだよ。たまに話せるだけで十分だと満足しようとしていた。けれど、それを今でも後悔している。せめて想いを告げていれば、と。そうすれば、また別の未来があったのではないかと今でも夢想するんだ」

「…その方は婚約者と結ばれたのですか?」


 ポカンとしているアルバートの横で、戸惑った顔をしたナイジェルがそう聞いて来たので、彼はカラリと笑って答える。



「―――いいや。彼女は婚約者とは結ばれなかった。もっと勇敢で狡賢くて、諦める事を知らない男が横から掻っ攫っていったのさ」



 ★★★★★



 ある国にとても有名な男がいた。

 男の名前は『マルコ・ブラックベール』。

 彼は王族でも貴族でもない。何の身分もなければ、何のしがらみもない平民の商人だった。


 ブラックベール商会といえば、その名を知らない者はいない。

 本店はゴールドクラウン王国にあり、近隣諸国にも支店を持つ大商会。又、近隣諸国含め、当代随一の大富豪でもある。

 そんなブラックベール商会だが、元々はそれほど大きな商会ではなかった。

 かの商会がその名を轟かせ始めたのは十数年ほど前の事。

 ブラックベール商会の主であった男の長男、マルコ・ブラックベールが御年三歳を迎えたその日に全ては変わり始めたのだ。


「お父さん、僕にお金を投資してください」


 それがマルコ・ブラックベール三歳の要求だった。

 軽い気持ちで誕生日プレゼントの希望を尋ねた父親は凍り付く。


「え?」

「一年後には二倍にして返します」

「え?」


 息子は至って本気だ。

 父親は唖然としながらも、息子に子供にしては多めのお小遣いをあげる事にした。

 ブラックベール家は豊かであり、息子に多めのお小遣いを上げても問題はなかったからだ。

 商人の息子だから、自分で好きなものを買いたいのだろうと思っていたし、多少会話の内容がおかしいのも、きっと出入りの者たちの言葉を聞いて覚えたのだろうと深く考えなかった。ついでに、お金をもらった直後から息子の行方が度々分からなくなるのも気にしなかった。男の子だもの、ちょっとした冒険位するものだよね。


 その結果、何をどうやったのか、息子は僅か一ヶ月で渡したお金を倍額にして返してきた。


「え?」

「借りてたお金返すね。お陰で資本金が出来たよ。ありがとう、お父さん」

「え?」


 ポカーンとしている内に息子のマルコは自分で作り出した資本金で商売を始める。

 最初は露店で、次は荷車に乗せて、気が付けば自分の店の隣に新しい店舗が増えていた。

 息子の建てる商店が十軒を超えた辺りで、父親はようやく認める。


 マルコ・ブラックベールは生まれついての商才を持つ、稀代の天才だったのだ。


 彼はいつでも先を読むことができ、真を見抜く力があった。

 状況を読み、流行を読み、ありとあらゆるものを予測し、常に最先端を行く。

 知識を蓄え、教養を磨き、相手の望む姿を演じながら容易く胸の内へと入り込む彼に、いつしか人々は頼り、縋るようになっていった。

 自分の姿が幼い内は大人を利用して、ある程度成長した後は自ら采配を振るい、彼はあっという間に大商人へと上り詰める。

 次第に彼は経済力という大きな力を持つようになり、『金の寵児』はどんどん上り詰めていった。

 そうして、成人を迎える頃には国すら動かせるような資金と力を持つようになっていたのだ。


 そんな彼も二十になり、そろそろ身を固めてもいい年頃。

 豊富な財産に加え、高い身長に整った容姿すら併せ持つ彼は数多の女性に騒がれていたが、彼は誰の手も取らなかった。

 彼は基本的に金以外に興味はなく、纏わりつく女性を煩わしく感じていたからだ。

 女など常に傍に置くものではない。後継者が必要ならば、自分の子でなくとも優秀なものを養子にすればいい。それだけの事だと思っていた。

 父や母を敬愛しているがそれは親だからではなく、能力があり、尊敬できる人間だと思っているからだ。兄弟達だとしても、それは同じこと。血の繋がりなど関係ない。

 実力のみを見る彼は、それ故に血の繋がりを重視する貴族が大嫌いだった。

 能力もないのに、血が尊い事だけを理由に他者を見下す。

 商売をしていても、貴族の横柄さには常々ウンザリさせられていた。

 馬鹿のくせに、自分は偉いのだと勘違いしている。何て愚かで醜悪な生き物だろう。

 彼の口癖は『貴族は人だと思うな。豚だと思え』である。

 貴族たちによる社交界を『金を作るための家畜場』だと言い放つ彼は、生粋の貴族嫌いだった。

 特に家族はそれをよく知っている。

 貴族嫌いのマルコは商売に関しては情け容赦一切なしの人でなしだ。

 時には血が凍り付いていると言われるほどで、平民だろうが貴族だろうが一切妥協はしないし、させない。特に貴族には容赦はしない。契約書に従って躊躇なく毟り取る。違法な事はしないが、違法じゃなければ何でもやる。

 つまり、何が言いたいかといえば………



「大変申し訳ありませんが、仰る金額をお貸しするのはちょっと難しいです」

「そうなんですか」



 目の前で品のいいご令嬢がションボリと肩を落としている。

 それを見て、この店舗の責任者であり、客の対応を任されているマルコの弟、ルーク・ブラックベールは罪悪感で腹がチクチクした。

 目の前にいるのは男爵家のご令嬢で、店のお得意さんでもある。

 だが、大口の客ではなく、男爵家で使用する一般貴族よりも慎ましい消耗品を取引させて貰っているだけのお客だ。

 購入量は平民の一般家庭よりも少し上くらいで、その財政状況は明らかに良くない。

 そんな彼女が自分の持ち物を担保にお金を貸してほしいと言ってきたのだ。

 

 彼女が言う金額が少なくなく、けれど、持ち込んだものは丁寧に扱われてはいるが使い古したものばかりで、お世辞にも価値があるとは言い難いものだった。

 彼女の人柄は分かっているし、彼女の父親である男爵も信用できる人ではあるから、お金を貸しても持ち逃げなどはしないとは思う。思うのだが、現実に担保は足りていない。どうしたものか。

 途方に暮れて目の前の令嬢を見る。彼女はふくよかでお世辞にも美人ではないが、可愛らしく穏やかで、好感の持てる女性だった。

 貴族ではあるが横柄で高圧的な部分など欠片もなく、気さくで優しい人柄は店でも街でも人気が高い。その為、彼女に同情した周りの人々は、ルークを咎めるような目で見てくる。胃がキリキリと痛い。

 正直貸してやりたい気持ちはあるが、足りない担保で貸した事が発覚すれば兄が黙ってはいないだろう。

 自分が怒られるだけで済めばいいが、下手すれば彼女の家もただでは済まない。何といっても、兄は手加減というものを知らないのだから。彼女が路頭に迷う場面まで想像できてしまい、ルークはガックリと項垂れた。


「本当に申し訳ない」

「いえいえ、そんな。無理を言ったのは私の方です。どうか顔を上げて下さいな」


 彼女は温かな手でルークの手を握る。


「困らせてしまってごめんなさいね。私の我儘を叶えようとして下さってありがとう」

「そんな、お嬢様…あの、もし良かったら僕が…」


 柔らかく微笑む彼女に、ルークが情けない表情を浮かべながら、彼女が言う金額には届かないが自分の使えるお金だけならばと言おうとした時、声がかかった。



「ルーク、何をしているんだ」



 ルークは思わず飛び上がる。

 少し低めの美しい声。女性はこの声を耳元で聴くだけで腰が砕けるという魅惑の、けれど、ルークにとっては何よりも恐ろしいその声。

 恐る恐る振り返れば、そこには平凡な自分とはまるで違う華やかな兄が立っていた。


「ま、マルコ兄さん! いつ来たの?」

「今さっきだ。この店はお前に任せきりだが、たまには視察をしようと思ってな。来客中か」

「う、うん…」

「来て正解だったようだな。お前、今何を言うつもりだった?」


 冷たい目でルークを睨む兄に、ルークは冷汗が止まらない。

 そんな弟には構わず、マルコはズンズンと彼の傍へとやってきた。

 離れた所からも二人の会話は聞こえていたので、彼は弟の来客が貴族の令嬢である事を知っている。彼女が足りない担保を持って金を借りに来た事もだ。

 彼は貴族が大嫌いだが、その中でも令嬢というのは特に嫌悪感が強い。

 自分の見目と財産目当てに寄って来た癖に、己に見初められたことを光栄に思えと言わんばかりの態度。自分は選ばれて当然だという根拠のない自信。女性への対応は常に面倒なものだが、平民の女性の方がまだマシだと常々思っている。

 だから、彼は貴族令嬢でも…いや、貴族令嬢だからこそ、容赦などするつもりはなかった。

 ましてや、自分の弟を誑かそうとする様な性悪な女には。


「ルーク、お前は甘すぎる。いつも言っているだろう? 貴族は人だと思うな」

「兄さん!」

「豚だとおも………」


 そこでマルコが言葉を止める。

 兄の口を塞ごうとしたルークは動きが止まった兄を不思議そうに見た。


「マルコ兄さん?」


 話しかけるが返事はない。

 彼の視線は不思議そうに首を傾げている男爵令嬢に向けられていた。


「兄さん? どうしたの?」


 ルークが兄を揺すれば、彼はハッとして戸惑ったように令嬢を見ながら、ルークを押し退け彼女の前へと腰を下ろす。


「ちょっと兄さん?」


 可笑しな態度の兄に困惑するルークを余所に、兄であるマルコは僅かに目元を染め、蕩ける様なはにかんだ笑みを浮かべた。



「いらっしゃいませ、お嬢さん。私はマルコ・ブラックベール。ブラックベール商会の元締めをしております。宜しければ、詳しくご用件を伺っても宜しいですか?」

「はぁ」

「ちょ、ちょっと兄さん、こっちに来て!」



 ニコニコ笑う兄にルークは戦慄し、大慌てで裏へと引っ張る。

 引っ張られる最中も視線を外さない兄に、彼は益々顔を青ざめさせた。


「兄さん、何考えてるの? 変なこと考えてないよね?」

「………」

「ちょっと返事をしてよ! あの方に何かしたら許さないからね?」

「………」

「兄さん、聞いてる? ホワイトハート男爵家はうちのお得意さんなんだ! そのご令嬢のティアナ様に失礼なことしないでよ!」

「ティアナさんと言うのか。何て可憐な名前だ。あの人にピッタリじゃないか」

「はぁ?」


 ようやく反応したと思えば、この台詞。

 ルークが益々困惑する中、目を輝かせたマルコは、見た事もないような夢見る瞳で言い放つ。



「あんなに美しい人は生まれて初めて見た。ルーク、私は決めたぞ! 私は彼女と結婚するんだ!」

「は、はああああああ!?」



 マルコ・ブラックベール、二十歳。

 鬼だ悪魔だ地上に現れた大魔王だと囁かれる男の、これが初恋だった。




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