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 Ⅲ 老人の思い出

※ジャンルは一応「ホラー」ですが、主に恐怖を目的とするという意味においてのホラーとは少々違いま す。読んでいただければわかるかと。

 実際に起きた「ヴァンパイア(吸血鬼)」を巡る二つの事件をモデルにしています。


 「魔法のiらんど」にも掲載し、なかなか高評価受けてる作品です。

 http://s.maho.jp/book/cbf535e0ba35d6cd/6621624001/

挿絵(By みてみん)

「――う…ううん……」


 ベッドに横にならせてからしばらくの間、やはり腰がかなり痛いらしく、ウラシマウ氏は布団の上でうんうんと唸りながら大人しくしていた。


「……ん⁉ …ぎ、ギャアアアアアアアっ…!」


 しかし、ふと目を見開いて僕を見た瞬間、ものすごい形相で再び絶叫する。突然の叫び声に、僕の方こそびっくりして後へ仰け反ってしまう。


「ヴ…ヴァンパイアっ! …や、やはり、わしを狙って……」


 ……そう。僕の格好は、いまだドラキュラのままなのだ。


 おまけに口からは吸った血が垂れているようなメイキングが施されている。僕の方には襲う気などさらさらないが、これではウラシマウ氏でなくてもそう誤解して当然である。


「お、落ち着いてください! 僕は決して、あなたを襲おうとしているヴァンパイアなんかじゃありません!これは変装であって、この血もほら、ただの絵の具なんです!」


 僕は慌てて興奮する老人を宥め、誤解を解こうと口元の赤い絵の具を手の甲で拭った。


「それにこの顔覚えてませんか? ほら、僕は昨日、間違えてうちに届いた小包を持って来て、あなたに追い払われた前の家の者ですよ。あの時だって、聖水やニンニクをくらっても平気だったじゃないですか? もしも、あなたが思っているようなヴァンパイアだったら、今頃、こんな風に無事じゃいられませんよ」


 続けて、当の本人に散々な目に遭わされた昨日のことを例に出して説明する。


 幸か不幸か……いや、限りなく不幸の方の度合いが大きいのだけれど、僕にはそうした世間一般に信じられているところの〝ヴァンパイアの弱点〟が効かなかったという前例がある。その実体験が功を奏したか、予想外にもウラシマウ氏は素直に大人しくなった。


「ん……そ、そうか……確かにそう言われてみれば、そうじゃな……」


 今度はセイヨウサンザシの木でできた杭でも心臓に打ち込まれるかと心配していた僕は、なんだか拍子抜けしてしまい、ポカンとした顔で床上のウラシマウ氏を見つめる。


 すると、一回り小さくなったように見える老人は、急にしおらしくなって僕に訊いた。


「お前さんが助けてくれたのか? ……わしはいったいどうなったんじゃ?」


「えっ? …あ、ああ、はい。ウラシマウさんの撃った散弾銃が暴発して、その衝撃で倒れたんです。たぶん、自分で作ったっていう銀の弾が銃身内で引っかかりでもしたんじゃないですかね? あ、でも、腰以外はどこも怪我はしていないようですから大丈夫ですよ」


 こんな素直なウラシマウ氏を見るのは初めてだったので、僕は一瞬、面喰ってしまったが、すぐに気を取り直すと、まだ状況を把握できていないらしい老人に、自分の推測も交えながらそう説明してやった。


「そうじゃったか……まあ、あの銃も買ったっきり一度も整備なぞしたことがなかったからのう。何かゴミでも詰まっていたのかも知れん……」


 ……そんなものに素人お手製の弾丸を込めて撃とうとした…っていうか、実際に撃っちゃったっていうのか⁉ そりゃ、暴発しない方がおかしい……。


 こうしたライフリング(腔線)のない散弾銃の所持に関する免許は、拳銃なんかの銃火器免許よりはかなり取りやすいと聞くが、それにしても、よくもまあ、これで許可が下りたものである……いや、ダメだろう? こんな人間に銃なんか持たせちゃ……。


 平然と恐ろしいことを呟く老人に、僕はこの国の治安に関して一抹の不安を覚えたのであるが……まあ、それはともかく、どうやらウラシマウ氏は僕を〝人間〟と認識してくれたようである。


 そんな、彼の中では“人間となった”僕に、ウラシマウ氏は普段見せることのないどこか淋しげな眼差しをすると、やけに神妙な口ぶりで話しかけた。


「そうか……お前さんは昨日もわし宛の小包を届けてくれたんじゃったのう。それなのに、あんなことをしてすまなかったな。それから、小包を届けてくれてありがとう」


「い、いえ、別に気にしてませんから……」


 本当は気にしていないどころか、ものすごくムカついていたのであるが、いつになくそんな素直に謝られてしまってはこちらの方が恐縮してしまい、僕は思わず気を遣った返事を返してしまう。


 そして、このなんだかむず痒いような居心地の悪さから逃れようと、特にどうでもいいようなことを尋ねて、僕は話題を変えた。


「あ、そうだ。そういえば、昨日の荷物は故郷のポーランドからのもののようだったですね?」


「ああそうじゃ。何年かぶりかに、ちょっと故郷から取り寄せたいものがあっての……ん? なぜ、わしの故郷がポーランドだと知っておるんじゃ?」


 ウラシマウ氏は答える途中で、不意にそんな疑問が浮かんだらしく逆に訊き返してくる。


「だから、さっきも言った通り、僕は前の家に住んでるエドワーズの息子なんですよ。ご近所なんで、そのくらいのことは知ってますって」


「ああ、そんなこと言ってたかいのう? ……なるほどの。そう言われてみれば、何度か見かけたことのあるような顔をしとる。じゃが、さっきは郵便配達の者とかなんとか言っていたような……」


「ああああっ! そ、それはたぶん聞き間違いですよ! 聞き間違い!」


 僕は記憶を明瞭に思い出しそうになった老人の言葉を慌てて遮る。


 それを思い出されては、僕らがヴァンパイアに扮して脅かしに来たことまでわかってしまう。せっかく暴発のショックで有耶無耶になっているというのにそれは拙い。


「そうかのう? わしは確かにそう聞いたような気がするんじゃが……まあ、いいわ。で、そのエドワードさんがなんの用かの? 今日もまた何か間違ってそちらに届いていたのかの? そういえば、届け物がどうとかとも確か言っていたような…」


「そ、それもきっと聞き違いです! 僕らはそのう……そ、そうだ! そうです。僕らはウラシマウさんからヴァンパイアについてのお話をお聞きしたくてお邪魔したんです!」


 僕は再び彼の言葉を遮ると、苦し紛れにまったく思ってもみない口から出まかせな言い訳を言ってのけた。


「ほう、わしにヴァンパイアの話をの……」


 ウラシマウ氏はものすごく疑わしそうな目で僕の顔をじっと見つめる。


「え、ええ。最近、ちょっとヴァンパイアに興味がありまして……」


 さらに出まかせを付け加えて、僕は嘘の理由を補強する。


 現在、青春真っ只中なお年頃なので、興味の大部分は女の子やフットボールのことに費やされ、悪いがヴァンパイアのことなどに回す余裕はこれっぽっちもないのであるが……。


 ウラシマウ氏の鋭い眼差しが、後ろめたさを隠した僕の顔を射竦める………やっぱり、こんな嘘八百じゃさすがに騙されないか……。


「そうか。そうか。そりゃあよく来てくれたのう」


 しかし、そんな僕の心配は無用だったらしく、老人は不意に顔を綻ばすと、訊いてもいないのに雄弁に語り始めた。


「実はな、昨日届けてもらった小包というのも、そのヴァンパイアに関してのものなんじゃ。ほれ、この本じゃよ」


 そして、そう告げるとベッドの脇に置いてある分厚い本を手に取って見せる。


 その大判の本の表紙には、アルファベッドではあるが英語ともどこか違っていて、読めるようでいて読めないような外国語の題名が金字で描かれていた。


「これはな、ポーランドの学者が書いたヴァンパイアの研究書じゃよ」


 ウラシマウ氏は、何か含みのある怪しげな笑みを浮かべて、自慢げに解説を入れる。


「研究書?」


「そうじゃ。祖国ポーランドには古くから多くのヴァンパイアが住んでいて、その研究も盛んじゃからな。ここには古今東西、あらゆるヴァンパイアに関する伝承・事件・関連のある歴史上の人物などの話が網羅されておるのじゃよ。勿論、ヴァンパイアの退治法やその害から自らを守る防御法なんかもな。最近ここら辺ではますますヴァンパイアが活発に活動しているようじゃからな。この本を読んで、いっそう身の周りを堅固にしておかなければならん」


 僕のことはなんとか人間と思ってくれたようではあるが、近隣に自分を狙っているヴァンパイアが潜んでいるというウラシマウ氏の妄想は、まだ頑なに消えてはいないようである。


「この界隈に奴らは確かにおる。お前さんもそのことを疑り始めて、それで、わしに話を聞きに来たんじゃろう?ほれ、お前さんもこれを見て参考にするといい」


 そう言って老人は、開いた本を僕の方へと見せて寄こす。


「は、はあ……」


 やむを得ず、僕は生返事をしてそれを受け取った。


 見ると、恐らくポーランド語であろうその書かれている文章は読めなかったが、銅版画のようなタッチで描かれたニンニクやら十字架やらの挿絵から、そのページがヴァンパイアの苦手とする物に関して記された箇所であることは容易に理解できた。


「わしは普段からずっと注意深く観察しておるんじゃがな、なかなか奴らは尻尾を現さん。いったい近所に住む連中の内のどいつがヴァンパイアなんじゃろうな?」


 本に視線を落としていた僕に、ウラシマウ氏がやけに親しげな口調で尋ねてくる。きっと、僕が“人間になった”ことで、僕はこの近所に住む唯一の彼の同志とでも言えるような存在に変化したのであろう。今のところ、彼の中では周囲に僕しか確実な“人間”はいないのだ。


「さ、さあ……」


 僕はもう一度、曖昧な生返事を返した。


 それにしても、彼はなぜ、ここまでヴァンパイアの妄想に取り憑かれるようになってしまったのだろうか?


なんとなく、僕はその理由を訊いてみたくなった。


「あの……なぜ、この近所にヴァンパイアがいると思われるんですか? 何かその確証のようなものは……」


「確証? ……証拠か。ならば、そこの上にあるスクラッチブックを見るがいい」


 老人は、僕の質問に答える代わりに窓際に置かれた机の方を指差した。


 その机の上には、今、彼が言ったものと思われる一冊のファイルが載っかっている。僕は怪訝な顔で椅子から立ち上がると、そちらの方へと近付いて行って、それを手にした。


 中を開いて見る……。


 すると、そこにはロンドン・タイムスの切り抜きが何枚か貼られている。


 書かれているのは、いずれもグレーター・ロンドン内…特にこの町の近辺で起こった殺人事件や変死体発見の記事である。中には少し前にあったバラバラ殺人の死体遺棄事件のものなんかもある。


「どうじゃ? 全部ヴァンパイアの仕業じゃよ。その証拠に皆、首から大量の血を流して死んでおる。きっと奴らに血を吸われたんじゃ。それに手だの足だのだけの死体が発見されるのは、奴らが死体を食らったその残骸だからじゃ」


「はあ……」


 ウラシマウ氏はそう言っているが……それは、普通に考えれば、どれも人間の手による普通の殺人事件である。


 刃物による刺殺事件ならば首に傷を負うのだって珍しくないし、それで頸動脈でも切られれば、当然、大量に血を噴き出して出血多量で死ぬ。


 バラバラの死体だってよくある…とまでは言わないが、死体の処理方法としては時折、見かけられるものだ。


 それだけでヴァンパイアの仕業だと判断するというのは、どうひいき目に見ても穿った見方としか思えない。


 これをしてヴァンパイアの仕業だと決めつけるというのには、ウラシマウ氏の中に何かもっと根源的な、ヴァンパイアに対するトラウマといおうか、強い恐怖心を植え付けた直接の原因というものがあるのではないだろうか?


 そう。例えば、幼児体験のような……。


 僕はそれとなく、そのことについて尋ねてみる。


「あの、やっぱり、ウラシマウさん自身もヴァンパイアに襲われたこととかってあるんですか?」


 その質問に老人は少し間を開けると、あまり思い出したくはないような、それでいて、なんだかその当時を懐かしむような顔をして、おもむろに口を開いた。


「いや。わし自身が襲われたわけではないんじゃがな……実際にこの目で見たことはある」


「えっ⁉ 見たんですか?」


 意外な答えに、僕は思わず小さく声を上げる。


 ……つまり、ヴァンパイアであることを見破ったということか?


「ああ見た。あれはわしがまだ子供の時分に、故郷のポーランドにある小さな村でのことじゃった……」


 しかし、そんな僕の反応をまるで気に留めることもなく、老人はどこか遠くを見つめるような眼差しで昔話を語り始めた。


「今でも時々夢に見ることがあるんじゃがな、それは長閑でいい村じゃったよ。ま、産業といえば農業ぐらいのもんで、人家以外の建物は教会しかない退屈な片田舎じゃったがな……じゃが、ある時、そんな平和な村を震え上がらせる恐ろしい事件が起きたんじゃ」


「事件?」


「そう。大事件じゃ。そもそもの発端はプロゴフスキーという村の男が死んだことから始まるんじゃが、そのプロゴフスキーという男は乱暴者でな、酒を飲んでは暴れるんで村人全員から嫌われておった。じゃから、プロゴフスキーが急死した時には皆、悲しむどころか喜んだものじゃよ。その女房や家族でさえもな」


 死んで喜ばれるとは、なんとも嫌われたものである……まあ、そんなやつなら、確かに嫌われて当然だろうが……。


「まだ40そこそこの若さじゃったが、なんでも酒を飲み過ぎて泥酔した挙句、夜、大雨の中、外に出て行って、翌朝冷たくなって発見されたらしい。ま、自業自得じゃな。で、そんな鼻つまみ者でも一応は葬儀をすませ、他の者と同じく教会の墓地に埋葬されたんじゃが……ところがじゃ!」


 そこで、ウラシマウ氏は少し溜めてから強めの口調で言った。


「葬儀の翌日、村人の一人が墓地の脇を通りかかった時、なんと、そのプロゴフスキーを葬った墓の下から、ドンドンと何かを叩くような音が聞こえてきたんじゃよ!」


「音?」


 俄かに僕は眉間に皺を寄せる。


「ああ、柩を内側から叩いているような音じゃ。前日、確かに死んだはずのプロゴフスキーの墓からじゃよ? それを聞いた村人は急いで教会の司祭様や他の者達を呼びに行き、それはそれは大変な騒ぎになった。プロゴフスキーが“ヴァンパイアになって甦った”……とな。ただ、司祭様や他の村人達が駆けつけた時には、もうその音はしなくなっていたそうじゃ」


 なるほど……それで、ヴァンパイアを“実際にこの目で見た”というわけか。つまり、ヴァンパイアになった者を“生前に見た”ことがあるということだな。しかし……。


「でも、一人しかその音を聞いていないということは、その人の空耳だったんじゃ……」


 僕は、今の話を聞いて思ったことを素直に口にした。


「まあ、普通そう考えるわな。確かにその時は村人達も、今、お前さんが言ったように判断して、事件はただの勘違いということで一件落着となるかのように思われた……しかしな、事はそれだけで終わらなかったんじゃよ」


「終わらなかった? また、何か起きたんですか?」


 予想外の反応に、僕はまたも訝しげな表情を浮かべて訊き返す。


「起きたなんてもんじゃない。その後も、プロゴフスキーの墓の下から奇怪な物音がするのを聞いたという者が幾人も出てきたんじゃ。いいや、それどころか、もっと恐ろしい目にあったという者まで現れた……」


 どうやら、僕の下した解釈は早合点だったようである。ウラシマウ氏は遠い日の遠い故郷を見つめるような眼差しをしたまま、さらに奇怪で恐ろしげな幼少期の体験談を続けるのだった。


「一番初めはプロゴフスキーの奥さんじゃ。夜中に、墓で眠っているはずの彼が自分の家まで戻って来て、寝ている奥さんの首を絞めていったというんじゃな。奥さんばかりじゃない。その次には彼の息子や娘。それから親戚、彼の家の隣近所に住んでいる者と、墓を抜け出したプロゴフスキーに襲われる者が続出した。そして、彼に襲われたという者は次第に衰弱していき、中には重い病にかかって死亡する者まで出てきた。最早、プロゴフスキーがヴァンパイアになってしまったことは間違いない。ま、わしらはヴァンパイアとは呼ばずに、男の吸血鬼はウピオル、女はウピエルツィカと呼んでいたがな」


「うぴおる?」


「ああ。ウピオルにウピエルツィカじゃ。ポーランドでは吸血鬼のことをそう呼んでおる。奴らは舌の先に棘が付いておって、それを人間や家畜に刺して血を吸うんじゃよ。ブラム・ストーカーの小説や最近の映画なんかでは、吸血鬼が二本の鋭く尖った犬歯で首に噛みついておるが、ありゃあ、嘘じゃな」


 僕の質問に、老人はどこか得意げな様子で詳しくそう説明してくれた。


 そうか。ポーランドではそう呼ぶのか……それに、そんな舌の先で血を吸うヴァンパイアの種族なんてのもいるんだぁ……ま、それはともかくとして、確かに死んだ人間が蘇り、墓を抜け出しては人を襲うという話、古今東西で言い伝えられているところのヴァンパイアの姿そのものである。


 それに、実際に襲われたという人間が段々と弱っていって、さらには死亡者まで出たとなれば、村人達がそう考えるのも無理のない話ではあるのだろう……。


 老人の話はさらに続く。


「そこで、村の者達は話し合ってプロゴフスキーの墓を掘り返してみることになったんじゃが、するとどうじゃ? プロゴフスキーの身体は腐るどころか、まるでまだ生きててでもいるかのように血色の良い赤ら顔で、指の爪は古いものが剝げ落ちて、新しい爪が生えてきておった。それにその指先や口、眼、鼻なんかは真っ赤な鮮血に染まり、さらには遺体が着ていた屍衣や柩までが血だらけになっておったんじゃ。当時、わしはまだ子供じゃったから見てはならぬと言われておったが、怖いもの見たさというやつでな。わしもこっそり大人達の影に隠れて、そのおぞましい姿を確かにこの目で見たんじゃよ!」


 ウラシマウ氏は、自分の語る話に段々と興奮し出している。きっと老人の脳裏には、今、その時の情景が鮮やかに蘇っていることだろう。


 その光景は幼い子供が見るにはあまりに好ましくないものであったに違いない。


 墓から掘り起こされた、まるでまだ生きているかのような血だらけの死体……それは彼の心にトラウマを形成するのに充分過ぎるほどの要因である。


 だが、その生きているように見えるというのは……。 


「ここまで確かな証拠が出れば、プロゴフスキーがヴァンパイアになったのは明らかじゃ。だから、大人達はヴァンパイアを滅ぼすための伝統的な方法をプロゴフスキーの遺体に施したんじゃ……」


 いや……駄目だ! そんなことをしては!


 不吉な予感が脳裏を過り、僕は心の中で叫ぶ。


「つまり、やつの心臓に木の杭を打ち込むという方法をな。杭がやつの心臓を貫いた瞬間、プロゴフスキーは短い呻き声を上げ、胸からは死体とは思えぬほどの大量の鮮血を吹き出して、瞬く間に辺り一面真っ赤な血の海に変わっておった。わしは幼心にもその時のことを鮮明に憶えておる。いや、ありゃあ、忘れたくとも忘れられない光景じゃよ……」


 やはり、そんな恐ろしい行いをしてしまったというのか……。


 その凄惨な場面を思わず思い浮かべ、僕は不快に顔の筋肉を歪めた。


 それが、ウラシマウ氏が実際に見たというヴァンパイアなのか……。


 確かに彼ら村人の目からすれば、そのプロゴフスキーという男はヴァンパイア以外の何ものでもなかったのだろう……しかし、おそらく彼はヴァンパイアなんかではない。


 それどころか、彼はたぶん、杭を胸に突き刺されるその瞬間まで、冷たい土の下で〝まだ生きていた〟のだ!


 ウラシマウ氏の語ったプロゴフスキーがヴァンパイアになったことを示す事象は、現代科学の見地や客観的視点に立って考えてみると、ある程度の説明をつけることができる。


 先ず、埋葬したはずのプロゴフスキーが現れ、家族や村人達を襲ったという話だが、埋められた人間が自分で墓を抜け出して来ることなど実際にあるわけないのだから、これは恐らく、残された者達の幻覚…もしくは幻想だろう。


 先程、ウラシママウ氏から聞いたところによると、プロゴフスキーは酒癖の悪い乱暴者として村人全員に嫌われていたらしい……きっと奥さんや子供達も常日頃から暴力を振るわれていたに違いない。


 人々の心の内には、そんなプロゴフスキーに対するひとかたならぬ感情があったのではないだろうか?


 死んだ時も誰も悲しまず、むしろ喜んだということだし、もしかしたら葬儀や埋葬の方法もおざなりだったのかもしれない。


 それなら、村人達には彼に対する後ろめたさというものも多少なりとあったはずだ。


 いや、ひょっとすると、凶悪だった彼は死んだ後もヴァンパイアとなって悪事を働くのではないかという考えが、初めから村人達の間にはあったのかもしれない。


 こうしたプロゴフスキーに対する恨みや恐れ、不安といった負の感情が、そのような恐ろしい幻覚を人々に見せたのではないだろうか?


 加えて、彼の墓の下から聞こえたという物音が、その幻覚を助長したことは十分に考えられる。


 そんなプロゴフスキーの亡霊に怯える極めて不安定な精神状態の中で過ごしていれば、身体の具合が悪くなるのだって当たり前だ。身体の弱い者やもともと病がちだった者ならば、衰弱して死んでしまうことだってあったかもしれない……。


 それがおそらく“墓を抜け出したプロゴフスキー”の真相だろう。


 すべては、村人達のプロゴフスキーに対する感情が生んだ集団幻想だったのだ。


 そして、墓を暴いた時にプロゴフスキーの遺体が腐りもせず、まるでまだ生きているかのようであったという問題だが、こちらは先程も言った通り、彼が“まだ死んでいなかった”からに違いない。


 話によると、彼は泥酔したまま大雨の降る中へと出て行き、翌朝、冷たくなって発見されたとのことであるが、その状況からはカタレプシー(強硬症)の可能性が考えられる。


 カタレプシーというのは、今もってその原因についてはよくわからないところもあるのであるが、精神的な要因で起ったり、心身の疲労を回復させるために身体が強制的に機能を低下させることで起きる現象だなどと言われている。


 この発作が起こると、強い身体硬直によって感覚や筋肉運動が停止し、長く続くと脈拍や呼吸までもが低下するらしく、それ自体で死ぬことはないにしても、長いと数日くらいは続くこともあるそうである。


 つまり、傍から見れば、しばらく“死んだように見える”のだ。


 もしかしたらプロゴフスキーも、酩酊状態で雨に打たれたことにより体温が著しく低下し、このカタレプシーに陥ってしまったのかもしれない。


 そして、そのまま彼は死んだものと理解され、“生きた状態のまま”で埋葬されてしまったのだ。


 そればかりか、さらにしばらくの間、プロゴフスキーは埋められた柩の中でも奇跡的に生き続けていたようである。


 だから、墓を掘り返した時にも血色が良く、新しい爪まで伸びていたのだ。顔が赤かったのはおそらく酸欠のためだろう。


 また、指先や顔が鮮血に染まり、柩の蓋や屍衣などが血だらけだったというのも、彼が途中で意識を取り戻し、酸欠の息苦しさに柩の中を掻きむしった結果なのではないだろうか?


 墓地を通りかかった者が聞いたという、彼の墓の下から響く怪しい物音というのは、たぶん、この時の音だ。

 

 プロゴフスキーの埋葬は、まさに“早過ぎた埋葬”だったのである。


 つまり彼は、まだ“生きているかのよう”であったのではなく、まだ“本当にに生きていた”のだ!


 生きてる人間の心臓に杭なんか突き刺せば、大量の血が噴き出すのも当然である。


 だから、村人達が彼に行ったことというのは………


 僕は、この話をウラシマウ氏にしようかどうか迷った。


 もし、今、僕がこの話をすれば、彼のヴァンパイアに対する妄想を取り除くことができるかもしれない……。


 しかし、それは同時に、彼に新たなる苦悩を背負わせることにもなってしまうのだ。人として、してはならない大罪を自分達は犯してしまったのだという……。


「どうじゃ? ヴァンパイアが実際に存在するということが、これでようわかったじゃろう?」


 僕が思いあぐねている内に、老人はなんだか自慢げな様子で僕にそう同意を求めた。


「はあ……」


 僕は、この日三度目となる曖昧な返事を返す。


「今の話でもわかる通り、やつらは実に恐ろしい……じゃから、こうして用心には用心を重ねねばならんのじゃよ。ほれ、このようにしての」


 今度も僕の反応はあまり気にせず、そう言って自分の周囲をぐるりと見まわすウラシマウ氏の視線につられてそちらを覗うと、部屋の中にはいたる所にニンニクだの唐辛子だのと言った臭いの強い香辛料がぶら下げられている。


 僕はクンクンと鼻を小さく鳴らし、思わず顔を歪める。


 今更ながらに気付くが、そういわれてみれば、この部屋はかなりニンニク臭い……これは、いくらなんでもやり過ぎなような気がする。


 しかし、それでもヴァンパイアに対する老人の警戒心は満されることがないようである。


「それから、これなんかはこの本に載っているのを見て、昨日からさっそく始めたものなんじゃがな」


 ウラシマウ氏は次にそう言うと、先程のヴァンパイアに関する研究書を手に掲げて、自分の寝ているベッドの脚を指し示した。


 僕が身体を倒し、顔を90°横にするようにして覗き込むと、ベッドの脚には木でできた小振りの十字架がくくり付けられている。よく見ると、それは一つの脚ばかりでなく、四つあるすべての脚に対してなされているようだ。


「まあ、これで少しはやつらを退けることができるじゃろう。じゃが、どうやらやつらは常にわしのことを監視しておるようじゃからな。油断は禁物じゃ。この本にはまだ他にも有効なヴァンパイア対策の方法が載っておる。夜寝る時、ニンニクを口の中に含んでおくと良いというのもあったんで、今度はそれを試してみるつもりじゃよ」


 顔を上げ、僕が何かコメントを入れようとするよりも前に、そう言って老人は勝手に話を続けた。


 にしても、ウラシマウ氏のヴァンパイア除けのマジナイは、いったいどこまで行けば気がすむのだろうか? 


 最早これ以上何かを追加するような余地はどこにもないように思えるんだけど……いつかやり過ぎて大変なことになりはしないかと、なんだか少し心配だ……。

 

 だが、そんな僕の心情などまるで意に解することなく、老人はたいそう満足げな笑みをその皺だらけの顔に浮かべると、僕に対して得意げに忠告する。


「死にたくなければ、お前さんもわしのことを見習って、ヴァンパイアに対する用心は厳重にしておくがいいぞ。ああ、そうじゃ。さっき一緒に来たお友達にも、このヴァンパイア除けの方法を教えてあげなさい」


「ああっ! そういえば、ジャック…!」


 そこでようやく、僕はすっかり忘れ去っていたジャックのことを思い出した――。

To Be Continued…

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