柊花の憧憬
お久しぶりでございます。
なんか見てたら、前回のやつ投稿したのめっちゃ前でしたね。
今回は意図せず長くなったというか、まあふつうに書くの遅いだけですけど。
もう次の回からはこんなに間が空くのは避けたいですね。なんか活動停止したみたいになるし。
そろそろまた新キャラ出したいです。
「というわけで」
藍が黒板をコンコンと叩いた。
「『私立柊花中学校体験入学』の役割分担を決めます」
黒板には、様々な要項が書かれていた。
体験入学というのは、柊花中学校近辺の小学校に通う小学生の四年生以上を対象とした、いわばゲームの体験版みたいなものだ。この辺りは特に学業に力を入れているらしく、小学校における通常の体験入学は、六年生がふつうの中学校に行くくらいであることは、美鑑も知っていた。
黒板を見る限り、一授業20分の休憩時間が5分らしい。
「まあ役割は黒板の通りだから、どの授業を紹介するか決めて欲しいわね。それじゃあ──5分後に聞いていくわ」
その指示と同時に、学級内はガヤガヤと騒がしくなった。
「どうする美鑑?」彩莉が、頬杖をつきながら訪ねた。
「……言っとくけど、小4以上ってお前が思ってるほど子供じゃないぞ?」美鑑の顔色を伺った彩莉は、怪訝な顔で付け加えた。
「わ、わかってるよ」美鑑はそうは言ったものの、少し残念そうだった。
「でも、うーん……授業なんて、正直私が教えて欲しいくらいなんだけど……」
美鑑はため息をついた。これから内容を作るにしても、美鑑と彩莉だけだと紹介ができない。
そのとき美鑑の頭に、ポンと誰かの手が乗った。
「やはりお困りのようだね美鑑たん……しかし心配ない。この俺がその悩み、なんなりと解決してくれよう」
振り返ると、そこには聖が立っていた。
聖は、対象に触れることで、一時的にその対象の心を読むことができる。すごい能力だが、ふつうの人なら無闇矢鱈に使われたくはないだろう。それに本人曰く、「読心なんて物買ったら出るゴミと同じくらいのおまけ」らしい。
「聖!丁度いいところに!!」彩莉が歓喜した。
「お前がいれば問題ない! パパパーッと手伝ってくれよ」
「美鑑たんのためならな」聖が付け加えた。
「それに、あんなん別に難しくもないだろ。ジャリ共にウケるように適当にやっときゃいい評価貰えんの」
「わ、私にできるかな……」美鑑が不安そうに言った。
「美鑑たんなら大丈夫だ! 心配いらないぜ!」聖はテンションを180度変えた。
「それっぽい面白トークの一つも作っとけば手ェ叩いて喜ぶだろうよ……まあ、あとはどの教科を選ぶかによるな」
美鑑と彩莉は同時に黒板を見た。
国語、数学、理科、社会、英語、家庭科、技術、音楽、体育、保健体育、異能学、実践異能理論……
授業のラインナップならたくさんある。中でも特にできるのは……
「咲峰ちゃん」
突然声をかけられ、美鑑は少し驚きながら振り返った。
声の主は、藍だった。
「あなたに異能学をやってもらいたいのだけれど……どうかしら?」
「えっ、わ、私が?」美鑑はますます驚いた。
「あなたが一番適任なのよ。Aランクの能力者なんて世界でもごく少数だから、みんなあなたから授業を受けたがると思うわよ」藍は微笑んだ。
「うーん……でも、何を教えればいいかなんて……」美鑑は苦笑いをした。
「ん……まあ、咲峰ちゃんの任意じゃないなら構わないのだけれど」藍はクラス内を見渡した。
「どうにもみんな、やりたがらないのよねぇ」
「そうなのか? てっきり人気なもんだとばかり思ってたけど」彩莉が少し眉を上げた。
「『能力』というものに、年功序列というものが全く通用しないというのが要因なのかもしれないのよねぇ。小学生の中には、すでに自分より強い能力者がいるかもしれないでしょう? 紹介中の空気とか、自分のプライドとか、そんなところを気にしているのかもしれないわ」藍はため息をつくと、「一応、積極的な一、二年生もお手伝いはしてくれるんだけれど」と付け加えた。
「美鑑。ちょうどいいんじゃないか?」彩莉が美鑑の顔を見た。
「うん! 私もそう思う」美鑑はニッコリと笑った。
「どいつもこいつもビビっちまって情けねえなぁ……つか言うほど弱い能力者もいないだろこの学年」聖が空いてる近くの席に踏ん反り返って座りながら言った。
「いや、そこは正直言うとピンキリだと思うけどな……」彩莉が声を潜めて言った。
「そうね。あなたたちが組むなら、きっと最高の紹介ができるわ。ありがとう」藍はニッコリ微笑んだ。
「私は当日、時雨君がどうしても来て欲しいって言うから美術の紹介に回らなきゃいけないのよねぇ」
藍は「困ったものだわぁ」といった様子で言ったが、彩莉が「あぁはいはい。妄想乙」と呟いただけだった。
そのとき、まさに噂していた時雨 響軌が手を挙げ、藍を呼んだ。
「会長。話がまとまらなそうなので、もう10分延長した方がよいかと思われます」
「そうね! 採用!」藍は大袈裟に響軌を指差すと、速攻で言った。
「それと会長。小学生達が迷わないように、校内の案内図を作成、配布した方がよいかと思われます」
「そうね! 採用!」藍は大袈裟に響軌を指差すと、速攻で言った。
「それと会長。そろそろ本格的にくどいので、会長は別の紹介に当たった方がよいかと思われます」
「そうね! 採用! ええっ!!?」
美鑑は、藍のカリスマ性の源泉がどこにあるのか疑問に思うことが度々あった。
「響軌のことだし、萌え豚がブヒブヒ言うような絵の描き方でも教えるつもりなんだろうなぁ」彩莉が頬杖をついたまま、気のない声で言った。
「あんまり嘘を吹き込むのもよくない気がするんだけどね……」美鑑は苦笑いした。少し美術の紹介を覗いてみたい気もする。
「紹介っつっても、どんな感じでやるよ?」
聖が時計を見ながら言った。
「えーっと……私が体験入学に来てた時は確か……」
美鑑は、記憶を引っ張り出そうと奮闘した。出し物形式で紹介しているグループ、実際に簡単な授業をしてみるグループ……そうだ、大きく分けるとこの二つになる。
「授業内容を説明するか、実際にやってみるかかな」
「じゃあ話は早い。実際に授業してみんのが一番だ」 聖はニヤリと笑った。
「そうだな! それじゃこの時間終わったら後の授業構成はよろしく! 私は家に帰った後もハンティングアクションで忙しいからな」彩莉が喜々として言った。
「ハンティングアクションで忙しいのは私もだよ! 雑でもいいからさっさと決めちゃお?」美鑑が不満そうに言った。
すると彩莉は、両手の拳で机をドンと叩いた。
「いやお前はむしろ休めよ! 発売から一週間でプレイ時間118時間ってどういうことだよ!」
「えっ? いやぁ〜」美鑑はテレテレと笑った。
「なんで嬉しそうなんだよ!! お前絶対ほとんど寝てないだろ!!」
「授業のときに寝てるから問題無いってば! それより早く紹介内容決めちゃおうよ」美鑑はさも当たり前のように、真面目くさって言った。
「んぐぐぐぐ……お前ってやつぁ……!!」彩莉は拳をワナワナと震わせた。
「嫉妬は見苦しいぞ。認めろよ、お前は敗北者だ」聖がバカにしたようにため息をついた。
「何!? 私負けてたの!? 授業を棒に振ってゲームでオールしてる人に負けてたの!?」彩莉は仰天した。
「そこ〜うるさいぞ〜」
自分の机で頭の後ろに手を回し、踏ん反り返って座っている担任の雫雨先生から、ついに注意が入った。彩莉はため息をつくと、「決めちまうか」とつぶやいた。
「でも、どんなことをやればいいんだろ……みんなそれぞれ能力が違うから、できるとしたら能力の使い道そのものとかになってくるけど……」美鑑は頭を悩ませた。
「それじゃあこんなのはどうだ」
聖が、何か書かれた紙を二人に見せた。美鑑と彩莉は、同時に覗いた。
〈初めまして。私たちは3年B組の咲峰、立華、武倉です。この時間は、「異能学」の授業紹介にあたりました──〉
「おお、なるほど! セリフ形式で組み立てていくんだな!」彩莉が感心したように言った。
〈──田中の紹介をさせていただきます。〉
「よろしくお願いします」
聖が頭を下げた。
「……」
「いや「よろしくお願いします」じゃねえよ! 授業の紹介すんじゃなかったのかよ!! なんで私たち田中の紹介にあてられてんの!? てか田中って誰!!?」彩莉が突っ込んだ。
「まあまあ落ち着けよ……お前の母親の名前なんだっけ」聖が彩莉の肩をポンポンと叩いた。
「何故今聞いた!? あとなんか嫌だから教えない!!」彩莉は手を払った。
「しゃーねえなぁ……ほら、こっちにちゃんとプランBも用意してあるから」
聖はそう言うと、別の紙を取り出した。美鑑と彩莉は同時に覗き込んだ。
〈刻は来た。〉
「来 ん な !!!」彩莉が絶句した。
「私にはこんな原稿一枚を手に壇上に登るほどの勇気は無いぞ!? 勇者は一人で十分だ!」
「刻は来た──」
美鑑が顔に手を当て肘を抱え、スタイリッシュなポーズをとった。
「お前もパーティに加わるんじゃねえよ! 一回賢者になってこい!!」
彩莉はため息をついた。ダメだ、このままでは話がまとまらない……。
「お前はほんとに注文が多いなぁ……ろくに文も作れない奴は黙ってろよ」聖が冷めた目で彩莉を見た。
「ろくな文を作らない奴に言われたくない」彩莉は睨み返した。
「ま、まあまあ二人とも……ほら、私も書いてみたから」美鑑が苦笑いしながら、二人に紙を見せた。聖と彩莉は同時に覗き込んだが、彩莉は「ほんとに大丈夫かよ」と呟いた。
〈初めまして。3年B組の咲峰、立華、武倉です。この時間は、「異能学」の授業紹介にあたりました。よろしくお願いします。〉
「最初の聖のやつをマトモにした感じだな。いいぞ」 彩莉が言った。
〈卓越した能力を持ったこの3名は〉
「ちょっと待て」彩莉が即座に突っ込んだ。美鑑は不思議そうな顔をした。
「誰だこれ」
「は?お前マジでいちいち面倒くせえな……3人も4人も大した変わんねえだろ!!」聖が唐突にキレた。
「いや怖えよ! これいったい誰がしゃべってるんだよ! なんだ「この3名は」って!!」彩莉が紙を指差しながら言った。
「ごめんごめん! これ田中もいる時の場合のやつだった」美鑑は申し訳なさそうに言うと、別の紙を取り出した。
「お前も田中知ってたの!? あと呼び捨てが気になり始めてるんだけど」
彩莉は、もはや授業紹介よりも田中が気になり始めたが、とりあえず紙を見た。
〈初めまして。私たちは3年B組の咲峰、立華、武倉です。この時間は、「異能学」の授業紹介にあたりました。よろしくお願いします。〉
「ここまではもうテンプレだな」彩莉が言った。
〈そうだね〉
「ん?」彩莉は目を細めた。
〈どうかした?〉
「…なんだこれ」彩莉が呟いた。
〈なにって……案を書いた紙だけど〉
「手 品 か !!」彩莉が紙に向かって言った。
「お前はなんの能力者だ!? 不覚にもすごいと思ってしまった自分が恥ずかしい!!」
「おい、会長さん出てきたぞ」聖が警告した。
「みんな席に着きなさーい! そろそろ決定するわよ」
その声と共に、ちょうど黒板の前に藍が出てきた。
「はぁ……今日中に防具一式作る予定だったのに……」
彩莉はため息をついた。
「なんだかんだでお前も何もやんなかっただろが」聖が鼻で笑った。
「ま、まあまあ! みんなで遊び過ぎちゃったんだし、今日の夜にでも話し合おうよ! 携帯でもできるでしょ?」美鑑は負い目を感じ、少し必死だった。
「思ったより来るんだな……なんか緊張してきた」
彩莉が呟いた。
気がつけば、もう当日だった。それぞれの生徒は自由行動となり、自分の出番になったら特定の場所へ向かう。
美鑑と彩莉と聖は今、天井の高さも勾配も尋常じゃない玄関ホールへ、視察に来ていた。やってきた小学生達は先生に引率され、背丈で並んだと思われる列を組んだまま奥へ進んでいく。小学生達は皆、手に校内の案内図を持っていた。
美鑑も小学6年生のときに、一度だけこうしてここに来たことがある。
気が付いたら道に迷っていて、案内板も見つからず、泣きそうになっていたところを当時の生徒会長に助けてもらった。
今となっては笑い話だが、当時の美鑑は究極に絶体絶命だったのだ。
「──お兄ほんとに授業とかできんのー?」
そのとき聞こえた声で、美鑑は初めて物思いから覚めた。
見ると、頭に大きな花の飾りをつけた女の子が、小学生の群れから抜け出してきていた。
聖の妹、武倉 茜である。
「あ? 余裕だ余裕。ま、なんで教師共がやんねえのかは謎だけどな」聖があくびをしながら言った。
「おはよう、茜ちゃん」美鑑が微笑んだ。
「おはよう美鑑さん! 彩莉さんも!」茜がニッコリ笑って、2人に言った。
「おう、おはよう」彩莉もニッと笑った。
「うちのお兄ほんっっっっと何やらかすかわかんないから……変なこと教えないように警戒しといてね」
茜は聖をチラッと横目に見ながら、ヒソヒソと言った。
「あはは、大丈夫だって! この前家で授業内容考えてたときも、割と真剣にやってくれたんだよ?」美鑑が笑った。
「割ととか結構リアルな言い方すんのな……」彩莉は苦笑いした。
「いや、万が一のためにも……なんか一個下の学年に変な奴がいてさー……ありゃ慎重に教えないと授業内容どう解釈されるか……」
茜がそう言いながら、小学生達の群れにチラッと目をやった。美鑑と彩莉と聖もそちらを見た。
「ねえねえ、チュウガッコウっていうのは、小学校の範囲内かな?」
あまり背の高くない女の子が、周りにそう尋ねているのが見えた。しかも様子から察するに、特に面識もない子に話しかけているみたいだ。
「んーと、違うと思うけど……」周りにいたうちの一人が、おずおずと言った。
「やっぱり!! ここがそういう造りの世界なんだったら、るみみの力もホンモノだ!!」
「何言ってるか……わかる?」茜がひっそりと尋ねた。
「いやまったく」美鑑は衝撃を受けた顔をしていた。
「なんだあの池沼」彩莉が真顔で言った。
「おい見ろ、さすがに生徒会が仲裁に入ったぞ」聖が言った。
見ると、腕章をつけた2年生が入っていったところだった。庶務の、小野 定信だ。
「あのなぁ流鬽々……お前のクラスはもう行ったんだぞ」
定信は注意をしたが、さも当たり前のように名前を呼んだので、美鑑は驚いた。
「えっ、もうそんな時間軸? そっかー、じゃあ次に顔を合わせたときにまた会おうね、兄上」
「いやその前に、場所とかわかんのか?」
「なるほど……あの子小野君の妹なんだ」美鑑が興味深げに言った。
「あいつの親はネーミングセンスどうなってんだよ」 彩莉は名前に衝撃を受けていた。
「ううん! でもるみみこの前、職員室でせんせーが『人生行き当たりばったりでここまで来た感じある』って言ってるの聞いたことあるから、きっとこの学校もそうって信じてる!」
流鬽々は、屈託のない笑顔でそう答えた。
すると定信は怪訝な顔をし、溜息混じりに口を開いた。
「なんつー先生だよ……それに、学校を人生に見立てるな」
間も無く、流鬽々は定信に連れられて廊下の奥へと消えた。あとには、形容しがたいめちゃくちゃ微妙な雰囲気だけが残った。
「あー……どっか別のグループのやつでも見に行くか?」
彩莉が苦笑いしながら、美鑑に尋ねた。
「そうだね。何か参考になるかも」美鑑は頷いた。
「それじゃーあたしもそろそろ戻るかな。またね」
茜はそう言うと、曖昧に手を振りながらさささっと自分のクラスの群れの中に消えた。美鑑は茜の姿が見えなくなるまで、小さく手を振った。
「まあなんでもいいんだけど、俺を獣レベルで話の通じない相手みてえに扱うのはちょっと許せねえな」
聖が彩莉だけを睨みつけた。
「は、はぁ!? ちょっと待てよ、もとはといえば茜が──っつうか9割くらいは茜だろ!」
美鑑は彩莉だけで申し訳なくなったのか、「一緒に私も睨んで」といったコールを目で送った。
すると聖は、すぐにそれに気がついた様子だった。
「……まあ今日は気分がいいからよしとしてやる」
「あ、なんだよ突然」
急に釈放した聖を怪訝な顔で観察しながら、彩莉は「はぁ…そういうところが予測不能なんだよなぁ」と呟いた。
「えーそれではですね、今から数学の授業を始めます!」
鏡子のハキハキとした声が、教室内に響き渡った。
美鑑達三人は、教室の後ろでその様子を見ていた。周りには授業参観のような感じで、おそらく他校の先生であろうスーツを着た人や、よくわからない一般人みたいな人、美鑑と同じく参考にしに来たのであろう生徒などがいた。
黒板の前には、生徒会書記の鏡子と会計の縡破が立っている。
「わからないことがあればどんどん質問してください! この私、竜胆 鏡子が完全完璧に答えてみせましょう!」
鏡子が自信満々にそう言うと、早速男の子が手を挙げた。
「じゃあ質問です。私立でも五教科の内容はどこも一緒だと思うんですけど、なんでわざわざやるんですか」
美鑑はドキリとした。小学生達はこんなにも辛辣なのだろうか……。
そして気づいてしまった。この小学生達、九割方目が死んでいる。
しかし、答えた鏡子の声は軽やかだった。
「いい質問です! 確かに実際、この時間は無意味です! 不毛です! 不必要です!」
他校の先生と思われた大人達が数人、雰囲気的にざわついた。しかし縡破は無言で、黒板に『数学、無意味、不毛、不必要』と書いた。
「しかし! この中学校における専門科目は異能学と実践異能理論のわずか2つのみ!」
鏡子が小学生達に右手でピースを作ってみせると、縡破は黒板に『この中学校のアイデンティティは異能学と実践異能理論のわずか2つのみ』と書き加えた。
「これが何を意味するか……そう! この2つの授業紹介しかしないとなると、今日この日のスケジュール時間がマンボウの卵レベルで残ってしまうのです!」
鏡子が得意げに言い終えると、縡破は黒板に『マンボウの卵はほとんど喰われる』と書き加えた。
「わかりましたか?」
鏡子が質問してきた男の子に尋ねると、縡破は手のひらで黒板をバーンと叩いた。男の子は「う、うーん……はい」と引き気味に返事をした。
そのとき、美鑑は縡破がある一点をじっと見つめていることに気がついた。鋭い眼光だ。
彩莉と聖もそれに気がついたらしく、三人は揃ってその視線の先を見た。
そこには隣同士の席に座った二人の女の子がいて、何やらヒソヒソと会話しているようだった。
「やっぱりいらないんじゃん……あーほんと暇」
「早く異能学とかやりたいよねー。第一、数学とか電卓あればやる必要ないじゃん」
「それなー」
「……異議があるんですか?」
縡破の静かで威圧的な声が、二人の女の子に降りかかった。二人はびくりとした。
美鑑はどうなることやらと思いながら、縡破の発言を待った。
「電卓は……一切必要ありません。なぜなら……ヒトは、電卓よりも速く計算することができるからです」
縡破のその発言で、周囲は凍りついた。「当たり前だ」といった顔で立っているのは、鏡子だけである。
「な、なぁ…もしかしてあいつ、会計とかやってるけど…」
彩莉が美鑑に耳打ちして尋ねた。美鑑もそれを聞いて、ハッとした。
たぶんあの子、頭脳がスーパーコンピューターレベルなんだ。
女の子二人は、先ほどの男の子とは違って何も言わなかった。あまりに衝撃発言すぎて、ぐうの音も出なかったのだろう。
そこからは、通常通り数学の授業が始まった。しかし、不気味すぎるほどに円滑だった。
「あいつら教えんのはうまかったな」
20分後、教室から出た聖が感想を述べた。
美鑑もまったくもって同意見であった。しかし縡破に関しては、数回しか見かけたことがないとはいえ、あそこまでふつうの口数の人だとは思ってもみなかった。どちらかというと、もう少しコミュ障な感じのイメージだったのだ。
「そうだね。なんていうか、縡破ちゃんにはいろいろとびっくりさせられちゃったよ」
美鑑がそう言うのを、彩莉は上の空で聞いていた。
ちょうど教室が3つほど見えてきたので、その中の様子を覗いていたのだ。
すると、とある教室の前で彩莉が足を止めた。
「お、あれは会長と副会長……って、なんで重っちまでいるんだ」
美鑑と聖が教室を覗くと、確かに藍と響軌と一緒に重がいた。
「ほんとだ。よし、面白そうだから観に行こっか」
美鑑が提案し、三人は教室の後ろの扉から中へ入った。
重は何やら打ち合わせ中のようだった。そして、扉の開いた音を聞いても一瞬こちらを見たたけだった。
しかし、再びすぐに打ち合わせに参加した重は、あからさまにソワソワしている様子だった。
小学生はまばらに集まっていて、各々友達同士で席に座っていた。しかし、勉強熱心そうな子が数人、一人で座っているのも目に入った。
そのとき、わずかなノイズと共に校内放送が鳴った。
『あと1分で、次の授業紹介が始まります。担当の生徒は、所定の場所についてください』
すると、響軌が持っていた紙をポケットにしまった。つい先ほどまで三人で見ていたものだから、おそらく授業紹介内容が書かれている紙だ。
小学生もどんどん入ってきて、教室の中は次第に満杯になった。
そして、チャイムが鳴った。
「はーいみんな静かにしてね。今から美術の授業紹介を始めます」
開始の第一声を飾ったのは、藍だった。にこやかにそう言うと、小学生たちはすぐに静かになった。
「まずは自己紹介から始めようかしらね。私は比奈瀬 藍。そしてこちらが圧白 重と、時雨 響軌よ」
藍が二人を紹介すると、響軌は軽く会釈をし、重は「よろしくお願いします」と言って一礼した。
「じゃあ二人とも」
藍がそう言うと響軌と重は頷き、教卓の上にある袋から白紙を取り出して小学生達に配り始めた。
間も無く白紙配りが終わると、藍は胸の下で腕を組んで口を開いた。
「全員もらえたかしら?よし、じゃあ時雨君」
その声とともに、今度は響軌が口を開いた。
「はい。それではみなさん、僕にご注目下さい」
そう言うと、響軌は片手で眼鏡をスッと直した。そして、くるりと身を翻してチョークを手に取った。
「美術!!」
響軌は演説のような声を出すと黒板に、大きく力任せに「美術」と書いた。
「『美しい術』と書いて美術です!つまり美術とは何か……それはもう言うまでもない!それは己の美学を叩き込む場所!」
小学生達は結構ドン引きだった。しかし、響軌は勢いを止めない。
「表現の数は果てしない!その人が思うままに描いた作品は、全て美術なのですから!!」
響軌はそう言うと、ハイスピードで黒板に絵を描き始めた。
すると、間も無くそれがマイナーアニメの女キャラであることがわかった。美鑑はタイトルこそ知らないものの、SNSなどで見たことがあったのだ。
響軌は顔から肩のあたりまでを描くと、小学生達にも見えるように傍に避けた。
めちゃくちゃ上手かった。
「これが僕の美術です。さあそれでは」
響軌はそう言うと、重の方を見た。重は一瞬遅れてそれに気が付き、明らかにテンパっている表情でキョロキョロした。
「とある方からの情報で、圧白さんは非常に絵が上手いということで、今回お越しいただきました」
響軌がそう言ったのを聞くと、重の顔にゆっくりと絶望の色が広がるのが見えた。
すると重は響軌に、必死に何かを小声で訴え始めた。美鑑は口の動きから、明らかに「そんなの打ち合わせの時無かったじゃないですか!!」と言っているのを察した。
しかしどうやら小学生達は、響軌の絵のこともあり重が勿体ぶっているだけだと思っているらしい。皆期待の視線を重に投げかけている。
重がその視線に気付くのに、そう時間はかからなかった。
すると、腹をくくったようにため息をつき、顔つきを変えた。
「……わかりました!見ていて下さい!これがホンモノの「美術」ってやつです!!」
美鑑が「あ〜あ」といった様子で苦笑いする隣で、聖が声を押し殺して笑っていた。彩莉は「あいつってそんなに絵とか上手かったか?」と呟いた。
重の手は飛ぶように、軽やかに動いていた。一瞬の迷いも見せず、どんどん絵を完成させていく。
次第に小学生達がざわつき始める中、重は勢いよく振り向いて皆に黒板を見せ、ヤケクソに声を上げた。
「さあ見てください!!これが天才の所業です!!私こそが『歩く伝説』です!!」
重は、何らかの哺乳類を描いたらしかった。おそらく正面から見たら縦一列に並んでいるであろう四肢は、指先まで地面に垂直だ。背中はブレブレの直線で、尻尾があるはずの場所から牛蒡が生えている。
顔は微妙に萎えたイチゴのような形をしており、頭の両サイドがビート板のような甲殻で覆われている。顔には左右非対称のダークホールが二つ、おおよそ目があるはずの場所にあった。口は何故か霊長類と同じ造りでニッコリとしており、ダークホールと口の間に、鼻と思しき小さなダークホールがあった。
「なんで『歩く伝説』が『歩く狂気』を描くんだよ」彩莉が驚愕した。
「くはっ……最高だぜ白髪……っ……!!」
聖は今や涙目になっており、携帯を取り出して黒板の写真を撮っていた。重も涙目っぽかった。
「あ、あのさ……とある人って」美鑑がそう言いながら聖の顔を見ると、聖はしたり顔で頷いた。
「さっすが美鑑たんは勘の良さが違うな。その通り!あの白髪は俺の推薦だ!もっとも、『あいつは謙虚だから、絵が上手いから呼んだとか絵を描かせるとかは本番まで伏せとけ』って補足したんだけどな」
一方、藍と響軌は動揺した表情をしていた。この二人は、何故かこういうときに限って騙される。もしかすると、聖が演技力を無駄遣いしただけかもしれないが。
結局、小学生達がやっと絵を描き始めた頃には、終了時間五分前となっていた。
廊下に出ると、ポケットに手を突っ込みながら彩莉が口を開いた。
「まあ、あれだな……あの三人は何も悪くないんだけど、全然参考にならなかったな」
申し訳ないがその通りだった。響軌の絵までで留めておけばよかったものの、あの後しばらく重が何を描いたかが議論されていた。それでも結局誰もわからなくて、重の自己申告によって初めて「あれ」が犬であることがわかった。
「あいつ猫飼ってるくせに犬描くとか……っ……っ!」聖はまだ笑っていた。
「別に何描いたって問題ないでしょー?もうちょっと優しくしてあげたら……」美鑑がため息をついた。
『あと1分で、次の授業紹介が始まります。担当の生徒は、所定の場所についてください』
それを聞いて、美鑑は顔色を変えた。
「やばい!次って私達だよ!!」
すると彩莉が驚いた顔をして、「マジだ……急ぐか」と言った。
三人は廊下を走り続けた。せっかく会長直々の指名だというのに、授業に遅れてしまっては元も子もない。
チャイムが鳴る前に指定されていた教室に辿り着き、美鑑は肩で息をしながらホッとした。
「無駄に広いんだよなぁこの学校……」
美鑑が扉を開けて中に入るとき、うしろで彩莉がそう言っているのが聞こえた。
教室内には、すでに人が集まっていた。受講する小学生はもちろん、教室のうしろには相変わらずギャラリーがたくさん来ていた。美鑑は、小学生の中に流鬽々や茜がいるのを見つけた。
美鑑は教壇に登ると、改めて教室内を見渡した。
全員こちらを見ている。だいたいの目線が、期待を帯びている。
一気に心臓の動悸が速くなってきたが、美鑑は冷静さを保つべく、あらかじめ三人で用意しておいた進行手順のメモを聖から受け取った。
そのとき、チャイムが鳴り響いた。授業の開始だ。
美鑑はメモを広げながら、話し始めた。
「えっと、みなさんこんにちは。私たちは──ん?」
美鑑は、途中で口を止めた。
〈初めまして。私たちは3年B組の咲峰、立華、武倉です。この時間は、「異能学」の授業紹介にあたりました田中の紹介をさせていただきます〉
間違いない。この紙ハズレだ。
「ちょ、ちょっと聖……!これボツ案の方だよ……!!実際田中とか説明する気無いんだけど……!」美鑑が小声で言った。
すると聖は美鑑の持ってる紙を覗き込んだ後、「ま、マジかよ…悪い」と小声で言った。
小学生の何人かは、怪訝な顔でこちらを見ていた。すると見兼ねた彩莉が、話し始めた。
「あー、咲峰美鑑と武倉聖、そして私が立華彩莉だ」
美鑑はそれを見て、もしかしたらアドリブですべていけるかもしれないと思い立った。
そのとき、空気が少しだけざわついていることに気が付いた。小学生のうちの半数くらいが、口々に何かを囁き合っている。
彩莉はすぐにそれに気がつき、ため息まじりに笑った。
「ああ、そうだ。こいつがその『美鑑』だ」
もともと、美鑑はこの待遇にある程度慣れていた。自己紹介をすると、だいたい皆同じような反応をする。
数少ない『Aランク』の能力者なものだから、この近辺で「咲峰 美鑑」という名前だけが一人歩きしているのだ。
「あはは、よろしくね。えっとー……この時間は「異能学」について授業していくんだけど、じゃあこの異能学がどんな内容なのか、わかる人はいるかな?」
美鑑がにこやかにそう尋ねると、小学生達はキョロキョロしながら小声で相談を始めた。美鑑の正体がわかると、皆一層真剣になったようだった。
しかし、わかる者はいないらしい。
「そうだよね〜。実を言うと、私も説明するのは難しいです」
それを聞くと、皆驚いた様子だった。もっとも、決して予想がつかなかった反応ではない。何故なら、美鑑はこれまで二年以上、すでにこの授業を受けてきたからである。
「まあ端的に言えば、能力の存在についてみてえな、思いの外面倒くさいもんを勉強する教科だぜ」
聖がそう言った。すると、彩莉がうんうんと頷いた。
「この教科って結構複雑でね。能力って、みんなそれぞれ違うでしょ?まあ、たまには被るかもしれないけど……とにかく、そんな生徒達をまとめて参加させなきゃならないわけだから、年によって授業内容も少しずつ違ってくるんだよ」
説明する美鑑を、彩莉は半ば感心したような顔で見ていた。美鑑はあまり成績が良くなかったから、ここまで真剣な授業ができると思っていなかったらしい。
「例えば」
美鑑はそう言いながら、一番正面に座っていた女の子のシャーペンを浮遊させた。女の子は驚いた顔をした。
「これが私の能力。『遠隔作用』っていって、根本の仕組みを話すとちょっと難しくなっちゃうんだけど、簡単に言うと触らないで物を動かしたりできる能力だよ」
小学生の大多数は、驚いたり羨ましそうな顔をしたりしていた。
美鑑は見せびらかすために能力を使うのは好きではなかったが、小学生達の好奇心に満ちた顔は大好きだった。
「しかし一方で私は」
今度は彩莉がそう言いながら、教室の窓を一つだけ開けた。小学生達は何が始まるんだろうといった様子で、ワクワクしているようだ。
美鑑と彩莉は、もともと能力を見せるというのが計画の一つに入っていた。しかし、その見せ方自体は決めていない。
だが美鑑は彩莉がどうするつもりか、だいたい察しがついた。
案の定、彩莉が窓の外に向かって片手を翳した。体と顔は、小学生の方を向いたままだ。
「結構危ない能力だからな。しっかり見とくんだぞ」
次の瞬間、彩莉の手から爆音と共にビームが発射された。教室内にいる者は、美鑑や聖を除いてほとんど全員が飛び上がった。
ビームは開いた窓から外へ飛び出し、そのまま空の彼方へ消えた。
「これが私の能力『破壊粒子』。空気の中にある粒子を使って核融合を起こせるんだ」
彩莉はそう言ってニッと笑った。しかし、まだ衝撃を受けた顔をした者と称賛に満ちた顔をした者は半々くらいであった。
しかし次第に、今度は聖に注目が行き始めた。
それも当然だ、と美鑑は思った。美鑑が実演して彩莉も実演した。残るは聖のみである。
しかし聖の対応は、実にそっけないものであった。
「え?何?俺もやる感じ?やだな〜そんなことしてたら時間無くなっちまうだろ?二人分も見たんだから欲張んなよ」
場の空気が、一瞬固まった。しかし彩莉は「20分しかないもんな」と言って笑っただけだった。
「そうだね。えっと、私たちはこんなふうに、全く原理も結果も違った能力を持ってるよね。でも、私も彩莉も同じクラスにいる」
美鑑が再び説明を始めると、小学生達はまた真剣に聞き始めた。
「だからなるべく、能力の詳細な部分までは習わないようにされてるんだ。詳しい能力の仕組みとか用途とかは『実践異能理論』の方でやる内容で、こっちはもっと能力の歴史とか背景とか、能力を持つ人はどうあるべきかとか、そんなところを習うんだよ」
美鑑は、しっかり説明できているか不安だった。もしかしたらわかりづらかったかもしれない。
しかし、聴衆の顔から熱が消えていないところを見ると、まだうまくいっているらしい。
「その辺に結構遺跡とか昔の物が残ってるだろ?あれがなんであんなに残ってるのかとか、この教科受けてるとなんとなくわかってくるんだぜ」
彩莉がそう言った。この話は本当のことで、この柊花中学校からそう遠くないところに隔離された森があり、そこには大量の古代の建造物が残されていた。美鑑はあまり中まで入ったことはなかったが、昨日建てられたばかりではないかと錯覚するほど綺麗なままの建造物などもあった。
「まあその辺は興味が分かれるけどな。古代人どもってやっぱ、なんとなく今とは違う感じの能力を持ってたって話だぜ。ま、喧嘩の強さ自体は変わらないかもしれねえけどな。まず間違いなく、美鑑には勝てないだろうな」
聖がそう言うと、やはり興味を持った様子の小学生がちらほらいた。しかしそれよりも、聖が『美鑑』と呼んだことに対して彩莉が愕然としていた。
そのとき、真ん中あたりの席に座っていた男の子が手を挙げた。
「え、えーと……咲峰、先生?は、どうしてそんなに強いんですか?」
美鑑は少し驚いた顔をした。
どう答えるべきだろうか。
しかし、そんなふうに悩みながらも、自然に口が開いた。
「実はね。私も昔、同じことを考えてた」
美鑑がそう言うと、質問した男の子は不思議そうな顔をした。
「この能力自体が強いのかもしれないし、私が使いこなしてるだけかもしれない。でも、はっきり言っちゃうと……周りよりも頭一つ抜けて強かったと思う」
美鑑は昔を思い出していた。ちょうど、彩莉との付き合いが始まった頃のことだ。
「でも、良いことばかりじゃない。そんな私に喧嘩を振ってくる人はたくさんいた。みんな最強の称号が欲しかったんだね」
彩莉も美鑑の話を聞きながら、何かを考えているようだった。小学生達は、真剣そのものの顔で話を聞いていた。
「私もさすがに嫌になっちゃって。そして考えるようになった。『強さってなんだろう?最強ってなんだろう?どうして私はこんなに強いんだろう?』って。
結局、私は全く強くなんかなかった。豪華な能力をぶら下げているだけで、小さな子供と何も変わらなかったんだよ」
今思い出すだけでも、なかなかに懐かしかった。そして、改めて話してみることで、当時の心情が数珠繋ぎに思い出された。
「この想いはどうすればいいのか、そんな自分をどうすればいいのか。そうやって真剣に、能力と向き合わなきゃならない時が、いつかはきっと来る。そんなときのために、異能学があるんだと思う」
美鑑は微笑み、言葉を続けた。
「私の能力は強い。でもそれは生まれ持ってしたものに過ぎなくて、それをどう使うかはその人次第。選択一つで、きっと強くも弱くもなれるんだよ」
質問してきた男の子は、なんとなく納得した様子だった。教室後ろにいる大人達は皆感銘を受けた顔をしており、聴衆の反応を見た聖はしたり顔だった。
「高評価確定だな。たぶんあとで、他の学校から俺らを評価する電話が何本も来るぜ」
小声で聖がそう言うと、彩莉は少しだけ笑った。
「私としては正直、こういうのを当たり前のように話す中学生とか痛くて見てられないけどな」
「面白味が足りなかった!!」
美鑑が熱のこもった声で言うと、彩莉がびくりとした。
「な、なんだよ突然……授業紹介の話か?」
「そうだよ。ちゃんとした授業にはなってたと思うけど、歩く伝説とか歩くスーパーコンピューターみたいな印象に残るものが無かった!」
美鑑は割とこれを気にしていた。ほとんど授業になってなかったといっても過言ではないが、重チームの方が面白そうではあった。
今日のこの行事というのは、いわば宣伝みたいなものだ。実際、どんな授業をやっているのかよりも、いかにこの柊花中学生という場所が楽しそうであるかをアピールするためにあるようなものだ。ましてや相手は小学生なわけだし、単純な授業内容だけで面白さを感じさせられそうな授業なんて、それこそ異能学とか──
「……あっ、でもそっか。異能学ってそういえば人気だったんだよね」
勝手に自己完結を終えた美鑑を、彩莉は苦笑いしながら見ていた。
そのとき、廊下の向こうから聖と重が歩いてくるのが見えた。
聖は右手にレジ袋を下げていたが、小馬鹿にしたような顔で重を見下ろし、緑茶を握った左手を高く上げていた。
一方重は、聖が高く掲げている緑茶を取ろうとぴょんぴょん飛び跳ねていた。きっと緑茶は重のものなのだろう。
二人はおそらく購買帰りだ。お互いそこでばったり遭遇したといった感じだろう。
「か、返してください!私こっちの廊下に来る用事なんてなかったんですから!!」
「いいぜ? お前が授業紹介してみた感想を俺に懇切丁寧に教えてくれたらな」
「だあああああッ!! もう思い出させないでください!!」
「中身の薄い感想だなぁ」
聖の重いじめはいつものことだった。本当ならここらで重が一発、能力を使った仕返しでもしている頃である。しかし、校内にまだたくさんの来賓客がいるため、体面を気にして出来ないのだろう。
「聖!もう重ちゃん釈放してあげて」
美鑑が少し厳しめの口調で言うと聖はニヤリと笑い、緑茶を重に渡した。重は息を切らしながらそれを受け取った。
「み、美鑑様!ありがとうございます……!」
「う、うん。ちょっとさすがに可哀想だったし……」
美鑑が苦笑いをしていると重はもう既にペットボトルの蓋を開けており、それを狂ったようにがぶ飲みしていた。
時間は放課後だった。あとはもう各自帰宅の状態だが、いつもと一風変わった雰囲気の学校が少しだけ面白くて、なんとなく残っていたのだ。
そのとき、唐突にカメラのシャッター音が聞こえて、美鑑はそちらを見た。
するとちょうど、カメラを構えた鏡子と目が合った。
「あれ、なんでカメラ?」
美鑑が不思議そうに尋ねると、鏡子はふふふと笑ってカメラを下げた。
「新聞部のパシリってやつですよパシリ。といっても、私自らが望んだパシリなんですけどね」
美鑑は少し驚いた顔をした。そこまでするほど仲のいい人が新聞部にいるのだろうか。
すると、美鑑の表情を読み取った鏡子が補足を加えた。
「あっ、別に善意とかじゃないですよ?会長とかも見ていただけたらわかると思うんですけど、生徒会メンバーは今みんな、生徒会室から逃げてきたところなんですよ」
「逃げてきた? 何かあったの?」
美鑑がそう尋ねたそのとき、二人の傍を藍と響軌が歩いて行った。
二人とも、手に大量のプリントを抱えている。しかも異様に、「いい汗かいたぜ」感のある顔をしている。
「この通りです。実は授業紹介の後って、毎年電話対応やら書類作成やらとやることがめちゃくちゃ増えるんですよ」
鏡子はため息まじりにそう言った。美鑑は百歩譲って書類作成はわかるとしても、どうしても電話対応の発生理由に見当がつかなかった。
そのとき、廊下の向こう側から小さいどよめきが聞こえてきた。美鑑がそちらを見ると、どうやら藍がプリントを取り落としたらしかった。それを響軌と、先ほどまでいなかった縡破が助けている。
「おおっと、これはシャッターチャンス! 私はこれで失礼しますね」
鏡子はニコリと笑うとカメラを構え、そそくさと廊下の奥へ消えた。自分のボスを晒し者扱いするのなんて鏡子くらいだろうな、と美鑑は思った。
「なあ……だとしたら、書類は何とかなるにしても、電話対応って誰がやるんだ?様子見てる限り、先生も手一杯だから生徒会が請け負ってるんだろ?」
彩莉が廊下の向こうを何とは無しに眺めながら言った。美鑑は言われてみればと思ったが、あまり深くは考えないことにした。
「うーん……実は専用の係さんがいるとか?」
「──あっ、あっ、はい。ありがとうございます。はい、はい……あっ、はい。失礼します。……はぁ」
閑散とした室内に、小さな、しかし重みのあるため息が響いた。
背中を丸めて事務椅子に座り、机の上の書類の巨壁とパソコン、白紙、ペン、電話に取り囲まれている不健康そうな男子生徒は、瞼を開けているエネルギーの消費さえ惜しいと感じているかのように、最低限しか目を開いていなかった。
小野 定信は、実に便利な庶務である。
「…………あ、違う。休験入学じゃない体験入学だ。……あぁー……休みてえ……」
文字を書くコンコンという音以外には全くもっての無音であるこの生徒会室には、今ちょうど帰路につき始めた生徒たちの楽しそうな声が嫌という程届いていた。
「今年はとうとう全員来なくなったか……去年はまだ会長と副会長がいたのに……はぁ。そうだ」
定信は唐突にペンを置くと、ゆらりと立ち上がった。
するとそのまま入り口まで歩いて行き、取手に手をかけた。
「俺だけがやる義務なんて……さすがに無いだろ」
半分自分に言い聞かせるようにそう呟くと、定信はぐいっと扉を開けた。
そのとき、背後で電話のコールが鳴り響いた。
しかし定信は一瞬止まった後、何事も無かったかのように扉を閉めた。
まるで、嫌なものに蓋でもするように。
僕実は中学校の体験入学って行ったこと無いんですよね。予定されてた日がインフルエンザで学校閉鎖になってたし、僕もインフルだったんで。
だから高校の体験入学はわかるけど中学のはわからないんで結構想像で書いた部分多いです。
個人的な印象では、柊花中学校の行事は「無駄まみれ」か「超効率まみれ」の二択のイメージです。
会長とかそんな感じっぽいですよね……ぽくない?