第二話「人生の楽しみ方」(5)
ロータリーの手前に身を落としたキハルは、すかさず鎧の少女の前に立ちはだかった。
蛇矛を肩に担いだ彼女は、
「来たわね」
と笑い声を含ませて言い、
「呼ばれたからね」
と、キハルは答えた。
敵として相対している中、のんびりとしたキハルの態度に、彼女は鼻を鳴らした。
「まぁ良いわ。化け物退治のプロの本領、そしてこの『燕人』の力、お見せしたげるよ」
オレンジ色の外骨格が、ゆらりと大きく左右に揺れる。
キハルは分厚い外套の下、まばたきをした。その一瞬の間に、『燕人』なる機人の姿はかき消えていた。
わずかに風の変化を感じる。その直感に従って、キハルは背後に腕を回した。
手甲に強烈な重圧がかかって、ミシミシと骨が鳴る。
――重い。
「おら、おらぁ! オーラァッ!」
息もつかせない怒涛の攻めに、キハルは不自然な態勢のまま数メートル押しまくられた。
元来、手数と技巧の人である『司空』こと中原キハルは力任せの攻めには弱い。まして、 今回の場合は相手の方がスペックとしては上だ。
前夜に戦ったあの緑の機体には武心、すなわち呼吸や間合いを図るような心得があった。
ところが、こいつときたらそんな理屈なんて関係ないと言わんばかりに、互いの間も息遣いも無視して力押しをしてくる。
猛撃を捌く。人気のないグラウンドへ誘導しようと、努力する。
猪突猛進、という言葉が似合うほど、敵はその後を慕ってくれる。
だが、二歩進むたびに距離は縮められる、少なくとも一撃は直撃する。何しろ相手はリーチの長さが自在の妖矛なのだから、どれほどに緩急をつけて撹乱してみせても、追いつかれる。食いつかれる。
グラウンドまで身が保つか、不安だった。
――仕方、ない! 型を変えてみるか。
四季に基づいて変異する『司空』の形態には、どれも『オレンジ』に対抗できるようなパワーはない。
だから、彼女はとことん手数と技巧に徹することにした。
呼吸を整える。
脳裏に湧き出る清水を想い、幻想の水で胸を満たし、魂魄に静けさを取り戻す。
「『夏雲』」
キハルの声に感応するかのように、外皮とも言うべき全身のローブは小刻みに震え出す。
紺色から色素が抜け出るように、やや緑がかった青色へ。
裾の桜は抜け落ちて、菖蒲の花が長く伸びる。
右の手甲が光に包まれ形を変える。さながら花嫁のリストレットのように、薄青の紫陽花の花が手首に咲き乱れた。
そこからこぼれ出す乳白色の、霧のようなものが、うっすらと辺りに満ちる。
その女がキハルの変色と変貌に戸惑いを見せる。だが攻撃を止めたのは一瞬だった。
「おらぁあああ!」
文字通り蛇行しながら伸びる刃は、五メートルほど先にある少女の身体を、青いローブもろともに刺し貫く、はずだった。
…………
雲散霧消。
の四字でしか、表現できそうにもなかった。その現象は。
白いモヤだけ残して雲霞のように、『司空』はかき消えた。
得物を振り下ろした姿勢のまま、呆然としている『燕人』の背に、強烈な一撃が入った。
「ぐっ!?」
きりもみしながらつんのめる『燕人』は、そのまま背後へ振り返った。
突き出した左脚を機械的に引き戻した『司空』中原キハルは、その爪先で地面に弧を描いてすらっと直立する。
超高速や瞬間移動じゃない。
雲に乗り移ったかのように、『燕人』の強化外骨格と装着者をすり抜けて、背後へ回ったのだった。
「ッア!」
蛇矛を、振る。
何発、何十発とくり出される猛攻は、雲を纏って点々と移動するキハルのその身をかすりもしない。
ある時は十メートル以上、またある時は緩急をつけて二メートル。
出現位置は三次元どこにおいても自由自在。強いて救われている点と言えば、地中に潜ることがない、という一点か。
盤龍鱗最高峰、最大にして五十トンにもおよぶ出力と、装着者を選ぶ機体を使いこなす自身の技量が、むなしく空を切る。
そんな屈辱を与えられ、ただでさえ乏しい彼女の理性は、たちまち飛散した。
「おまぇあああ!」
奇声をあげながら両腕を乱舞させ、さらに攻めを苛烈にしていく。だがことごとく青緑の『司空』に避けられる。されるがまま、無人となったグラウンドにおびき出された。
そんな段階になってもなお、雲となってはかき消えるキハルに幻惑され、実体化して現れれば繰り出された脚甲に弾き返される。
そうして無茶を繰り返すうち、二人のとって予想し得ないアクシデントが起こった。
だがその偶然は、『燕人』にとっては幸運だった。『司空』にとっては不意打ちに近く、自身の判断ミスだった。
そして、『元凶』にとっては、受ける謂れのない、不幸だった。
ガムシャラに振りかざされた一斬の先には、少女がいた。
在校生だろう。逃げ遅れたのだろう。
ただ一人、激闘を繰り広げている二匹の異形の視界の隅、グラウンドの角で足を竦ませ、突破もできずに動けなくなっていた。
だが元より気に留めるような良心は、勘忍袋の尾が切れようと切れまいと、その荒ぶる虎にはなかった。
それが、彼女に幸いした。
「!」
キハルは雲をまとって、今まさに巻き込まれようとする被害者の前に立った。
他人をかばい、かわすことも出来ずにいる盤古片『司空』。
十メートル以上伸びた刃先は彼女に接しようとしていた。
やがて、強い衝撃が中原キハルの肉体を、少女もろとも大きく横に傾けた。