第一話「空穿つ少女」(3)
中原キハルは、半年前から、己の同じ気配と雰囲気を持つ鎧武者たちに、幾度となく襲撃された。戦闘を重ねた。
そんな今となっても、この力が何なのか、それさえも分からない。深く考えても結論が出ないから、そのうち探ることもやめた。
ただそれで自分や、知り合いを危機から守れるのならばそれで良いと思った。
風の乗り心地も、実のところ悪くはない。
どこをどう壊せば、彼らの装甲を機能停止まで追い込めるか、それも経験の積み重ねで把握している。
だから、彼女が降り立った地表から土煙が薄れてきて、現状が明らかになった時、
――これは、ちょっと予想外かな。
困った。
何しろ、人質を取られている。
見知った顔だった。彼女の教師、花見大悟だった。
ちょっと人相の悪い彼に武器を押し当てているのは、先ほどの機体とはまた別種。
背は先ほどの桃色と同じ程度、だが重量感たっぷりの外殻。
全体的に深い色合いの緑が占め、それゆえに朱色の顔面プレートが毒々しいまでに目を惹き付ける。
武器は掩月刀とでも言おうか。
薙刀にも似た半月の刀身が、教師の白い喉首に押し当てられる。
黄金の長柄と刃を繋ぐのは、蒼い龍の頭部を模したソケット。
黒々とした長い飾り紐が、その尻に取り付けられている。
「だい……」
『動くな』
低い胴間声が、彼女を威圧した。
刃の形をした死が、大悟にジリジリ近づいていく。彼の口からヒッとちいさく声が漏れるのを、不憫に思う。
『この男の命が惜しければ、その布を解いて前に出ろ。助けてやれば、成績優秀と通信簿につけてもらえるかもな』
「……」
そんなことよりもまず、大悟の命の方が大切だろう、と彼女は呆れる。
大悟の命は、人の命は大切だ。彼女は迷いもなくそう信じていた。
だから、脅迫者の言いなりになることにした。
彼女の身体から、意図した通りに分厚い衣がほどけて散る。
布から分解して、細かい糸へ、さらに細分化され見えなくなっていき、月夜の桜の舞い散る中、その白い肌を晒す。
「……きは……る? お前……なんで……?」
状況が飲み込めないのか、大悟は虚ろに彼女の名を呼んだ。
少女は微笑し、頷き返す。
「うん。すぐ終わるから、待っててな」
そう言って、一歩前進した彼女の前、大悟は正気を取り戻した。
「よせっ! お前何やってんだ!? さっさと逃げろよッ!?」
そう吠え立て、手足をバタつかせる。
『なッ……正気か、貴様ァ!?』
鎧武者はわずかに取り乱したように声を荒げ、大悟の後ろ髪を掴んだ。
だがそんなやりとりを前にしても、キハルはその足を止めない。
「キッ……!?」
未だ暴れる大悟に、拳が叩き込まれる。
グッタリと項垂れる教師の前に立ち、その頬に触れる。
『ほう……良い覚悟だ!』
無意味な賞賛と共に、掩月刀が冷気を帯び始める。
触れてもしない土に霜が降りるほどに凍てつくそれが、少女の鼻先に突きつけられる。
『ならばその身体、その命、その盤古片……もらい受けるっっ!』
嗜虐的な文言と共に、一閃。
鉄の資材を切り裂いて、広範囲に被害と氷とを拡げながら、刃が大きく薙がれた。
「……『秋星』」
少女は、頬に冷風を感じた瞬間、小さく呟いた。
白く月を掩うほどの氷の波動が、辺りを震撼させた。
『……フンッ。他愛もない!』
自らの勝利を確信し、言葉とは裏腹に嬉しそうだ。
だが霧氷が晴れた直後、朱色の面越しに息を呑むのが、聞こえてきた。
――それも、そうだろう。
自らが凍結させ、叩き折ったと思われた少女がいたのだから。
燃える右手で、己の武器を防ぎ止めていたのだから。
夕焼け色の外套を身に纏い、裾には青い帯模様、金の楓。銀の仮面。
右手の甲にあたる部分には、分厚い楕円形の盾。
彼の動揺をよそに、再び外套姿になったキハルは力任せに盾と右腕を振りかぶった。
敵とは対照的に、紅蓮の高熱をまとったその右腕は、赤く輝き彼の肩口を爆ぜさせる。
彼の手から離れた大悟をすくい上げて、そっと地面に寝かせる。
『う……ぬうおォォォォォ!?』
戦士としてのプライドか。
あるいはキハルの知らない事情からか。
男は諦めない。折れない。野太い雄叫びを天へと放つ。
外殻とその武装は、彼の咆吼に呼応するかのように再び白い冷気を帯び始めた。
少女は翔ける。
男は薙いだ。
氷片をまき散らし、掩月刀が迫る。
少女はその細い右腕を掲げる。
途端、爆ぜた。
本来はちぎれ飛ぶほどの威力の爆発が、巻き起こった。
「がっ……」
大悟はそこに生じた突風に巻き込まれ、あらぬ方向へと吹き飛ばされる。
だが、
『ば、バカなッ!?』
その必殺の一斬は、キハルに傷を負わせることさえかなわなかった。
……細腕一本、盾一個。
敵の攻撃は、それが中和し、受け流してくれていた。
風が舞う。
寄りあつまる空気の塊に赤熱した盾が触れる。そこから生じた紅蓮が渦を巻く。
その炎を纏った空気弾が、ゼロ距離から掩月刀に直撃した。
『ぐウオオ!?』
根元の青龍が折れ、持ち主はその反動に悶絶する。キハルは炎を踏み台にさらに上へ。
慌てて持ち上がったその面に、空を蹴ったキハルの拳が炸裂した。
火花が、散る。甲高い悲鳴を、緑の機体があげた。
そこからさらに、己の内を循環しているものを、流し込む。
それに毒された鉄の装甲が、スパークし始めた。
やがて装着者を吐き出したそれは爆発し、手首にあったシリンダーもろとも、周囲を巻き込み爆発した。
氷霧が晴れると、土を掴んだままに唖然とする大悟の姿が現れる。
まずは彼に危害が及ばなかったことに安堵する。そして大きく、
「んんー!」
と、伸びをした。
「ざっと、済みたり!」
…………
花弁を孕む春風が、呆然とする大悟の頬を撫でた。
そして大悟は少女に膝枕されたまま、記憶している限りのことをようやく思い出せた。
それでも、
――どうしてこうなった?
多種多様な疑問が、頭をついて離れない。
だが、中原キハルという少女の太腿に頭を置いている。
その柔らかい感触が、少女の正体も自分の身に起こったことも、現実だと教えてくれる。
「……最悪だ……」
「え、せっかく助かったのに何が最悪なんだ?」
「うるさい。色々だ」
不満げなキハルの視線から隠れるように、大悟は手の甲で顔を覆った。
イヤだイヤだと思いつつも、頭を上げる気力は残ってはいない。
キハルも「どけ」と言ったのは一言きりで、後は手持ち無沙汰に大悟の頭を、ふんわりと、その図々しささえ愛しむように撫でるだけだ。
そんな奇妙な二人組を寿ぐように、春風と桜が踊っていた。