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第一話「空穿つ少女」(2)

 乱れ散る桜が、春一番によって天高く持ち上がる。

 そのうちの一握りがより一層高く、より一層強い風に煽られて、鉄骨の間を舞い上がった。


 高度およそ五十メートル。


 夜露に濡れた幅三十センチもない鉄の道を、細い脚が駆けていく。

 命綱などあるはずがない。両足をつける余地などあるはずがない。

 見ているこちらが背筋を凍らせるような狭い道を、美少女が駆けていく。

 前のめりになりながら、器用に左足と右足を交互に突き出して、平地とさして変わらない速度で走る。

 風圧をものともしないオートバランサーと、仮に落ちても衝撃をものともしない強化外骨格に守られている己と比べれば、彼女の死はあまりに近く、その命はあまりに儚げだった。


 そんな有り様だろうと、さながら夜の獣にも似たしなやかな美しさに無言の賛辞を送る。


 まぁ、彼女を殺傷すべく追い詰めて、こんな場所を走らせている己にそれを声音とする資格などないのだが。


 分厚い仮面の奥底で冷たく嗤う。

 少女はゆっくりと速度を緩める。

 そうせざるを得ない。

 そうせざるを得まい。

 何故なら彼女の進路にして退路は、一メートル先でプッツリ途絶えているのだから。


 少女は、中原樹治は身体を横向きにして振り返る。

 薄く汗をかいた肌に、強風でたなびく細い髪が貼り付いている。


 追跡者は足を止め、少女、中原キハルの瞳を覗き込んだ。


 息は荒い。

 だが恐怖していない。正気を失っていない。

 己の今の姿、異形の鎧姿を正しく瞳に捉えていることが、その証だった。


 強化装甲、盤龍鱗(ばんりゅうりん)シリーズのNo.3『桃李(とうり)』。

 その名にあるように鮮やかな桃色を要所に散りばめた銀の強化装甲と、風の圧や速度を感知して統御する朱色のマフラーは、夜の中ではひときわ美しく映えた。


 腕部の最大出力は七トン。足は十トン以上で、その出力を用いたジャンプも二十メートルを超える。装着者を含めて総重量は百五十キロはあるが、機動性は高く、百メートルを五秒という記録が出ている。

 護心鏡(ごしんきょう)と呼ばれる鏡面状のモニターは、標的の動きを把握し、映し出す。それを覆って守る、八咫烏を模した装甲内部のモジュールがそれを予測に役立てる。


 高い機動性とその制御を可能にしているのは、動力部にあたる腕のガントレット。

 リボルバーのような意匠のそれにはめ込まれた、六本のシリンダー。そこから全身に供給される、液体状のエネルギー。


 それが、盤古片(バン・グゥ・ヘン)だった。


 だが大半の機能は、今の彼には必要ない。

 両手に提げた長短一対の双刀。

 右手の長刀が、両者の間の鉄骨を、一撫で。

 それで十分だった。

 剣を構成すると呼ばれる盤古片を練り込んだ金属の板『氷銀盤ひょうぎんばん』は、分厚い鋼鉄の骨を、完全に断つことができた。


 少女が足場としていた端は切り離されて、彼女もろともに地面へと落下していく。


 地上まで五十メートル。

 本来なら、足は折れる。命の危機さえあった。

 だが、彼に命を下した者は、

「生死は問わぬ。その肉体を確保せよ」

 と言った。

 だから足腰が砕けようとも、命を落とそうとも、彼は痛痒を感じない。

 ……感じる必要もないのだと、己を叱咤する。


 だが、無残に落ちるはずのキハルは、手足をばたつかせたりはしない。

 ごく普通の段差を、ごく当たり前に飛び越えるような姿勢。

 スカートが風を孕む。裾がまくれ上がる。

 その下にある白い脚は、地面に触れた瞬間に、あらぬ方向にねじ曲がるだろう。


 その、はずだった。


 少女の爪先が、地面の一歩手前で踏みとどまった。

 何かを踏んでいる。

 目に見えないものを踏み台に、バネに、少女はくるりと身体の上下を逆転していた。


「なっ!?」

 男は驚愕する。驚愕する間に、キハルの揃えられた両脚が眼前にあった。


 衝。


 始まりに、驚きがあった。

 遅れて鈍痛が滲み始めた。

 吹き飛ばされ、鉄骨に背が当たる。


「よっと」

 軽く掛け声。

 キハルは『桃李』の装着者と同じ高みにいた。

 彼女と共に舞い上がった桜が、ふわふわと周囲を踊る。


 何もかも信じられなかった。

 少女が重力を無視して飛び上がったことが。少女の細い脚が『桃李』の固い装甲を突き破り、装着者たる自分にダメージを与えたことが。


 少女の美しい貌は、にわかに険しくなった。

 右腕で大きく弧を描いた。

 右拳をそのまま顔の横まで持って行くと、左の掌でそれを包む。

 男は、空間の違和感に気がついた。


 彼女の華奢な身体の輪郭が、揺らぐ。

 キハルの周囲のみ、陽炎のような分厚い、透明な幕がかかっている。

 やがて幕は紺碧に色づき、幾重にも重なる。質感をかえてキハルを頭から包む。

 紺碧を主とした布地をまとった彼女は、まるで敬虔な修道士のようでもあり、あるいはそれに扮した武装兵や殺し屋のようでもあり、肩を、胴を、ヒジを、ヒザを、くるぶしから下を。薄い金属のような装甲が守り、保護している。

 フードの下の顔は面で覆われている。凹凸のない、銀色の面。唯一中央にある黄金色の単眼は、弓か、あるいは三日月のようだった。

 長い裾には一反の布のように赤い斜線が走り、桜の花びらが散る。


 彼女から発せられる気を、護心鏡が感知する。

 紛れもなくキハルのまとう外套は、彼の肉体を巡る盤古片と、同質。いやそれよりもはるかに純度が高いと思われる。

 ……それこそ、物質化し、可視化されるほどに。


 そうだ。

 彼は己の姿を改めて思い返した。

 なんのために、こんな特撮ヒーローまがいの、悪趣味なパワードスーツを着ているのか。


 一人の少女を殺すのにそれは過ぎた道具だった。

 だが一人の少女のフリをした異形の怪人なら、それは対抗しうる武器だった。


 盤古片『司空(しくう)』。


 修道僧の如き彼女は、彼の組織内でそう呼称されていた。


「よっし、ここからが本番だ! 手加減はできないからな」


 キハルだったものは、キハルだった時とまるで変わらない声で言った。

 スポーツの開幕宣言よろしく、妙に晴れやかで爽やかな再戦布告は、男を戸惑わせるのに十分だった。


 だがそんな彼の逡巡を突くように、いや彼女の宣告どおりに、司空は一メートルの間合いを一瞬で詰めた。

 ――疾い。


「うおっ」

 咄嗟に短刀を振りかざす。

 少女の面影を残す、細い右腕がその攻撃を受け止めて、左手の平が分厚い装甲を衝いた。


 ――重い。

 その衝撃は鋼の表皮を浸透して、装着者の直肌を抜いた。

 腸がねじ切られるような苦痛が彼を襲う。


 たまり兼ねて長刀を振り下ろす。

 それよりも速く、切り返した左手刀が、頭部と胴体の接合部……護頸ごけいに押し当てられる。


 決して強くない力。

 にも関わらず彼の手は下には動かない。

 脚は彼女の圧力に逆らえず、後退していく。


 ぐい、と。

 さらに力を込められ、彼は間合いを突き放される。体勢が崩れる。

 すかさず、胴蹴りが飛んだ。

「ぐあっ!?」

 ――鋭い。痛い。


 悶える彼が顔を上げた時、既に盤古片の姿はなかった。

 逃げた? あるいは飛び降りた?

 だが……どこにそんな場所が、あるというのか。


 カン!

 ……カン!


 どこからともなく、金属音が響く。その合間を縫って、別の音が聞こえる。

 矢で切るような、鋭い風音。

 常人では捕捉することさえできない何かが、彼の周囲の鉄骨を渡り、それが感知するよりも早く移動している。


 カン……カン!


 大きくなっていく。近づいてくる。

 『桃李』の装着者は、その鎧甲の中で汗を流す。

 この鉄のジャングルに、彼女を追い詰めたのではない。

 はなかれ彼女に優位なこの場所に、己は誘い込まれた。

 それに、気づいてしまったがゆえに。


 ガンッ……


 ひときわ大きな音が鳴る。身近な鉄骨が、軋む。

 ――いる。仕掛けてくる。


 身構えた次の瞬間、完全な無音が訪れた。

 両手に構えた双刀の鍔を、ガチャリ、誘うように、鳴らす。


 刹那。

 静寂の帳を破る、一陣の風。


 右……いやその頭上。護心鏡が捉える。

「つあァァア!」

 裂帛の気合いを発する。

 短刀で、横一文字に薙いだ。短い刃先を余剰のエネルギーがほとばしり、その名どおり、薄紅色の花弁のような火花が周囲を照らした。


 その刀を避け、飛び上がるキハルの姿が照らされる。

 だが、男はそこまで読んでいた。

 彼女の逃げた先に、既に彼の長刀が待ち構えている。

 逃げ場のない中空。そこに殴り込む刃。


 ――とった。


 ……そう考えたのも、無理はない。

 だが少女は、中原キハルは、外套をまとった『司空』は、


 あろうことかそこからさらにもう一段階、飛び上がった。


「なっ……!?」

 唖然とする男は、思わずその姿を目で追った。

 空気の集めて塊を作り、それを踏み台にさらに飛ぶ。

 くるくると、身体を横倒し、くびれた腰をよじって旋回する。

「せっ!」

 その勢いを駆り、鋭い爪先が、『桃李』の顔面部を急襲した。


 刀と腕を振り切った彼に、防ぐ手立ては、ない。

 直撃を受ける。

 あまりの衝撃からか、盤古片同士のぶつかり合いによって生じた反発現象か。

 モニターが激しく乱れ、装着者の危険を知らしめるアラームが耳をつんざく。

 ヒビ割れた面を覆うようにして後ずさる。

 今度は逆に『桃李』こそが、退路を断たれ、追い詰められる番だった。


 飛び降りた少女の身体は、盤古片としての己の特性を活かして鉄骨の上に復帰した。

 一方、己にはそんな特性はない。そこまでの跳躍力はない。


 ――だが……


 男はためらいもなく、その場から飛び降りた。

 胆の縮むような浮遊感の中、己の機体を信じる。

 少女にはなかったものが、この鎧にはある。

 それは五十メートルの高さをものともしない、分厚い脚甲。

 衝撃を吸収するよう設計された、流線型のデザイン。


 激しい土煙を立てながら、彼は立ち上がった。

 ヒザから下に多少のしびれはあったものの、それだけだ。立って歩くのに支障はない。戦闘続行も、問題なく行えそうだった。


 問題は、向こうが未だ戦い続ける気か、離脱するのかということ。


「下がれ。選手交代だ」


 薄れゆく煙幕の中、彼と同じモノを取り付けた太い腕が、その肩に伸びた。

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