第五話「全ては、ウソから始まった」(2)
それは、ミュージアムを舞台にたった一人の剣舞にも見えた。
『桃李』を駆る大悟の振りかざす刃の先では、聞こえるはずのない剣戟の音が鳴る。見えるはずのない火花が散る。
大悟の周囲では、盤古片『司空』こと中原キハルが駆け、跳ね回っていた。
四方八方の空間を余さず利用し、三次元的な動きで止まることなく、『桃李』に致命打を叩き込むべく執拗に狙う。
盤龍鱗『桃李』。
花見大悟の専用機と言えば聞こえは良いが、実際は体良く押し付けられた試作品だった。
とは言え、その性能に欠陥があったわけでもない。むしろ、その完成度、操作性は他の機体よりも群を抜く精度と言えるだろう。
その一方で、というよりもそのせいで開発のコストパフォーマンスは非常に悪く、火力不足も否めない。
量産化さえかなわなかったその機体は、今最大の敵に拮抗していた。
装着者である自分が特別優れているわけではないことを、大悟は自覚していた。 そんな考えはこれまで一瞬でも過ぎったことはなかった。絶えず彼には他者への劣等感がまとわりついていた。
それでもなお、キハルの高速の連撃をしのぐことができるのは、彼女の疲労と、機体との相性。
そして彼自身の、今までにない昂りゆえに。
理屈じゃない。卑屈さを捨て、しがらみを捨て、思うままに力を震える相手の存在。それこそが、彼の実力を底上げしていた。
剣刃の腹と、キハルの拳が衝突する。
『ぐぅ……っ!』
押し負けた大悟の身体が、桜桃の光の花弁に揉まれながら地を滑る。
短剣が地面に突き立てる。強引に後退を止めさせた肉体を捩り、長剣が頭上中空を薙いだ。
確かな手応え、否硬すぎる。
鉄甲で刃は受け止められていた。
……構うものか。
『お……おぉぉおあ!』
大悟は強引に長剣の持ち腕を振り下ろした。
その一刀一斬……いや鉄塊による一打は、それを受け止めたままのキハルを巻き込み壁へと叩きつけた。
「っ、『夏雲』!」
衣が緑青に、緑青に変じた肉体が雲霧へと転じる。
白い尾を描いて蛇行するキハルを前に、大悟は一歩も動かず接近を許した。
正面にのみ意識を集中する。研ぎ澄ました五感が、自分に攻撃を仕掛ける瞬間に実体化した少女の前で、剣尖を地に走らせる。
「……っ」
その摩擦と共に発せられた輝きが、キハルの手足を止めさせた。
その隙に身を転がせた大悟が、中腰のままに横合いから刀身を叩きつける。
手には感触が伝わらない。受け流された。
くるくると身を回す『司空』の爪先が、『桃李』の側頭部を打った。
苦し紛れに繰り出した短剣の刺突が、不快な共鳴音を発した。
力任せの一突きが『司空』の腕の紫陽花を散らす。その中央から吹き出す白雲が一帯を包み込んだ。
視界を埋め尽くす濃霧の中、
「『冬虹』」
静かに澄んだ声と共に、風の向きが変わる。少女を中心に、渦を巻く。
白霧を孕んだ空気が、ぱきり、ぱきりと音を立てた。冷気を帯びて、凍結していく。
その幕を、黄金色の三本爪が裂いた。その接近に呼応し、地面に氷が張る。足下からせり上がる氷柱を、大悟は斬り飛ばした。
持ち上げた爪先。氷柱が根本から折れて、所在無く浮き上がる。
それを、蹴った。
鉄めいた甲高い音を立てて、氷がキハルにぶち当たる。両の爪が交差するように動き、瞬時に輪切りにされた。
だが大悟は氷柱による足止めに、過度な期待をしていなかった。
ただ瞬時、『司空』の手を止める何かが欲しかっただけだ。
自らのシリンダーに指をかける刹那の機が。
装着者の腕部で動力部が回転を始める。
握りしめた得物に、光が宿る。色鮮やかに暖色系の発光を始め、実態より三割り増しに間合いが伸びる。
刃、鳴り、散る。
自分の短剣が軋んで折れる。相手の腕から爪が割れる感触が伝わってくる。
「ぐっ!?」
『がッ……は!』
互いに必勝を期した一撃が意図せず鉢合わせ、反発する磁石のように対照の方角へと吹き飛んだ。
「『秋星』っ!」
キハルは短い発声とともに立ち上がった。
純白の羽衣が赤に塗り変わる。
炎の鱗粉を従わせて肉薄するキハルを、大悟は受けて立った。
互いにあらん限りのの声を張り上げながら、優劣を争う。
孤剣が盾と衝突する度にその輝度は増して、爆発力は増して、大悟の攻勢は守勢に転じる。
『氷銀盤』を軋ませるほどの強撃を、神経を削りながらいなすしかなかった。
それでも『桃李』の単眼は、一瞬の好機を見逃さなかった。
少女の大振りの一撃を伏せてかわす。手を無防備な胸ぐらに伸ばした。掴み、己の肩を支点に投げ飛ばす。
地面に背を打ち付けたキハルの手を離れた盾が回転を始める。弧を描いて『桃李』の胴を浅くえぐった。
「……すごいや、大悟」
キハルが、ふいに声をあげた。
声を弾ませ、息を弾ませ、心を弾ませて。
遊び疲れた少年のように。掠れていても、充足感に満ちた様子で。
「……ここまで、嫌というほどにお前を観察していたわけだしな」
それでもまだ、スペックで対等であるはずの『桃李』は『司空』を上回ることができずにいる。
そのことが安堵を生み、その一方で悔しさや無力感を覚える。
「うん、そうだね。大悟はずっと側で見ててくれた」
そんなことを、今になって言うなよ。
その言葉と、そう叫びたい激情とを、大悟はぐっと嚥下し、シリンダーに手をかけた。
残る盤古片はシリンダー一本分。
残すことを考えない。根本から折れ曲がった剣を投げ捨て、手首の装置に指をかける。一気に巡回させる。
『断崖的盧』
主人の音声に合わせ、右脚部に生命を司る力の奔流が集中していく。
『これで終わりにする』
「終わりじゃないよ。俺と大悟は、きっとここから始まる。だから」
『だからっ!』
それ以上は、言葉にすることができなかった。表しようもない想いであり、祈りだった。
心を、命を焼いて、糧として。
地を鳴らす。
天つ風を切り裂いて、その先へ。
同じ高みより、同じ切り口より、まったく同じ型の、飛び蹴りで。
交錯した二つの影を、月光の輝きが溶かし込んだ。