インターバル「少女たちの邂逅」
その機影が山間から姿を消すまで、キハルはじっとそれを見つめていた。
これ以上、敵が仕掛けてくる気配はない。それが分かると「よしッ」と白い頬を叩いて前へと進む。
「罠ですよ、あれ」
背後から、掠れた声がかかった。
振り返れば、『常山』から吐き出されたあの少女が、起き上がっている。
「花見大悟さんを人質に、あなたを死地へと誘う仕掛け。元からそういう段取りだったみたいですね」
爆発の衝撃で、着ていた服は肩が剥き出しになるほどにボロボロで、その白い肌には赤いものが滲んでいた。
「そしてあたしは咬ませ犬、ってわけですか。……父さん」
悔しげに薄く唇を噛んだ少女は、キッと眦を吊り上げた。
「それでも、まだあたしは負けてないっ!」
破壊された盤龍鱗のシリンダー、それに手をかけながら立ち上がろうとする彼女を、キハルは蔑みもせず、じっと見つめ返した。
そしてにっこりと、一点の曇りのない満面の笑みで
「うんっ、じゃもう一回やろうか!」
……と、応じた。
え、と凍りついた声と共に顔を引きつらせる少女に、むしろキハルの方が不思議がって「え?」と尋ね返す。
「だって、そう言えるだけの元気と手段があるんだろ? 大悟のことがあるから、あまり長くは付き合ってらんないけど、せっかく俺に向き合ってくれてるんだ。納得いくまで相手するよ。全力で」
がちゃり。
枷のように、手首にはめ直されかかっていたシリンダーは、気のない音を立てて地面に落下した。
「…………強がることさえ、許してくれないんですか、貴女」
淡く、苦く、カプチーノのような笑みを浮かべた少女は、軽く両手を掲げて降参のポーズをとった。
キョトン、と目を丸くし、小首を傾げるキハルに、敵意の萎えた目を向けた。
「盤古片『司空』……いえ、中原キハルさん」
「え? うん」
「花見大悟さんを、救いたいと思いますか?」
「うん」
「でも、誰がさらわれたところで同じなんでしょ? 貴女はきっと、誰にだって分け隔てなく救済の手を差し伸べる。あの人だからじゃない」
「かもしれないね」
彼女の唱えるifを、キハルはすんなりと受け入れた。
「でも今さらわれてるのは大悟で、俺はその大悟がとっても好きなんだ! ……うん。だから、失ったりなんてできない」
「……ずいぶん、まっすぐ言ってくれますね」
少女は、ぐっと息を詰まらせた。
ほっぺから首筋まで、ほんのりと朱に染めた女の子は、キハルに食い下がった。
「じゃあ、貴女にとって花見大悟はなんなんですか? たかだか一ヶ月二ヶ月の付き合いの相手に、何も知らないくせに、どうしてそこまで」
その問いには、キハルはすんなり答えることができたはずだった。
たださっきと同じように「好きだよ」と、素直に好意をぶつければ良かった。
でも本人は、それで納得しない。もっと踏み込んだ答えを求めている。そんな気がした。
だからキハルは、時間をかけて考えた。
自分も、相手にも腑に落ちる表現。その言霊を。
「大悟は、中原キハルにとっては自分も同じなんだよ」
少女にとっては、予想だにしていなかった答えかもしれない。
それでもキハルには、自分の導いた答えこそが妥当なように思えた。
凍り付いて時間の停止した、開けた山地。そこから広がる夕空へと両手を伸ばしながら、キハルは続けた。
「大悟との日々は、もう俺にとっては日常。キハルって人間を形作る一部なんだ。真っ白でなんにも持たなかった中原キハルに、過去と思い出をくれる。だから、俺は俺自身を守るために、大悟を守るんだ」
「……」
「たとえ一ヶ月程度の付き合いだったとしても、あの先生を助けたいと思うには十分すぎるし、大悟のくれた言葉は、してくれたことは、それだけの理由になる。上手く言えないけど……ほら、こういうの、理屈じゃないから」
二人の間を、春にしては冷たい風が過ぎていった。
時間や空間さえ違うような、隔たりを感じた気さえした。
「……はぁ」
観念したように、心底呆れたように、少女は深いため息をついた。
くるりと踵を返すと、散々に打ち負かされたはずの彼女が確かな足取りで帰路につく。
「見逃してくれるのか?」
「見逃すもなにも勝てませんって。今のところは、ですけど」
ですけど、と言い終わる前に振り返った少女は、初めて敵に笑み返した。
「女と腕を磨いて出直しますよ。……でも今度会ったら、完全に叩き潰しますっ」
有無を言わさない、原因不明の迫力。それが一瞬キハルの身を押し返した。
「彼を、絶対に救ってあげてくださいね」
少女はキハルとすれ違う。もう何を問答することもなく、この邂逅が幻であるかのように意識せず、通り過ぎていく。
彼女の進む先で、両者の戦いを見守っていた山鳩の群れが、幾重にも重なる羽音を立てて飛び立った。
圧倒されたキハルの中、ふと胸に残った相手の印象。それは、
「……なんか、笑うときれいな子だったな」
ありのままに言葉にしてから「あ」と声を漏らす。失念していたことを、少女の姿が消えてから後悔する。
「そういえば名前、聞き忘れてた」